永禄三年、大評定
高水寺城を見上げた桜は、その大きさに思わず感嘆の声を漏らした。北上川沿いの丘陵に建てられたその城は、二〇〇年前はただの砦であったという。長い歳月の中で増築と改修が行われ、本丸や二ノ丸、家臣が住む右京屋敷や自分たちが住む姫御所などが整えられた。
「浪岡城よりも大きいですわ」
隣で見上げている深雪姫に顔を向ける。自分と時を同じくして新田に嫁いだもう一人の正室。二人が生んだ子の誰かが、新田家を継ぐことになる。だが内々で、夫である新田家当主から自分が生んだ男子に、南部家を再興させると告げられている。少し怖く、それでいて優しかった父の背中を思い出す。すべての責を背負って、最後まで雄々しく戦い抜いた姿は、家中でも武士の鑑と伝えられている。その父を継ぐ子を生む。それができるのは自分だけなのだと、心に決めていた。
「参りましょう。殿もお待ちでしょうから」
二人が並んで歩くと、城を守る兵たちが背筋を伸ばし、それでいて見惚れていた。二人とも、街を歩けば男たちが振り向くほどの美形である。おそらく今宵、ようやく夫婦になる。出来ればそこで、子を作りたい。桜も深雪も、そう願っていた。
「クックックッ…… 金崎屋ぁ、一体どんなあくどい手を使ったのだ? 鍛師のみならず番匠や医者まで明から連れて来るとは。まさか攫ってきたわけではあるまいな? まぁそれでも構わんが」
「ウヒヒッ、いえいえとんでもない。一〇年ほど前でしょうか。北方の国が明国を攻め、都を包囲したそうです。その後、明国とは交易を持っているそうなのですが、いま明は揺れに揺れ、荒廃しておりまする。そこで蓬莱(※古代中国の伝説。東の海上にある仙人が住む仙境)に来ないかと誘いまして、ハイ」
「ハッハッハッ! 蓬莱だと? いや、嘘ではないな。確かに日ノ本は明の東の海上にあるからのぉ」
「明の言葉を操る者から、片言ではありますが日ノ本の言葉も教えております。どうやら明では、一部を除いて匠ノ者は厚遇されていないようで。これからは物品以外に、人も連れてこられればと考えております」
「新田では職人を厚遇している。美味い飯、美味い酒、居心地の良い家、働きやすい職場を用意しておる。まさに匠の桃源郷、蓬莱そのものだ。クックックッ、それにしても蓬莱とはな。金崎屋ぁ、主はやはり、悪よのぉ」
「いえいえ、御殿様ほどでは。ウッヒッヒッ!」
桜と深雪が見たのは、見慣れぬ服装をした男女十数人を別室に並べ、それを見ながら向かい合って極悪な笑みを浮かべる二人の男であった。どこから見ても、人攫いをする極悪奴隷商人と、それを並べて品定めする野蛮な山賊そのものである。
さすがに二人は引いた。こんな顔を子供に見せたら、どんな悪影響があるか知れたものではない。
「御前様! なんという貌をしているのです!」
「厭らしいですわ。下衆ですわ。破廉恥ですわ!」
又二郎は言い訳する間もなく、駆け込んできた二人の嫁から両頬を抓られた。
高水寺城の大広間に、新田家の重臣たちが並んだ。新田家当主新田政盛が座り、大評定が始まる。
「さて、今年も一年間、皆よく働いてくれた。この後には、吞めや唄えやの大宴会が待っている。山海の美食と美酒、厳選した綺麗どころを揃えている。新たな日ノ本を創るための同志も、この一年で加わった。初めて顔を合わせる者も多かろう。宴席にて親交を深めるがよい。だがその前に、仕事を終わらせてしまおう。まずは内政からだ。吉右衛門」
「はっ! お配りした紙をご覧くだされ。当家の石高は……」
柏山明吉、熊谷直正ら新たに加わった重臣たちは、新田家の大評定に目を白黒させた。大量に使われる紙と、そこに記載されている信じられないほどの物産量。去年と比べてどの程度、石高が伸びたのか。商いはどの程度栄えたのかなど、事細かに記録されている。昨年のやり方から工夫した点、新たに導入した仕組みの成果など、文官武官関係なく皆で共有する。
(なるほど。これが新田家の強さの秘密か…… 民を思いやり、心を砕くというのは、こういうことか)
「内政に力を入れる」とは言葉にするのは簡単である。だが具体的に、どのような行動をすることが内政に力を入れることなのか、明吉はまざまざと見せつけられた気がした。
「蝦夷イシカラベツから採れた石炭を蝦夷の民が加工し、出来上がった骸炭を徳山館から釜石まで、船で運びまする。明から来た鍛師からは、既に図面を得ておりまする」
「うん。蝦夷の民を使うのは良い。だが骸炭づくりは身体を壊しやすいため、十分に気を使え。それと量だ。大量に作ろうとは思うな。骸炭づくりから生まれる煙には毒がある。蝦夷の大森林が綺麗にしてくれるが、それにも限度というものがある。空と大地を汚しては、天下を獲る意味がない。月産で千石船一隻分(※約一五〇トン)。それ以上は作らせるな」
骸炭は、中国では一三世紀から製鉄で使われており、排ガスからコールタールを採取する技術も存在している。だが軽油やアンモニアを精製するのは、戦国時代では難しい。つまり「垂れ流す」しかない。これはこの時代、中国でも欧州でも同じであった。
(まぁ排ガスからコールタールを採取するだけでも、多少なりとも環境に優しくなるだろう。コールタールは防腐剤として使い道がある。千石船や家屋に使えるし、火薬を固めるのにも役立つ)
「その釜石ですが、これは戦にも関係するのですが、例の山賊についてです」
釜石の話に移ったところで、又二郎は考え事を止めた。そういえばいたなと思い出したのだ。
「殿の御指示に従い、降伏を促したところ……」
「断ったのであろう? 来年早々、潰すか」
「いえ、それが降りましてございます」
「なに?」
肩透かしを食らった又二郎は、思わず童らしい声を上げてしまった。話を聞くと、どうやら旧九戸、斯波らの残党の中で意見の対立があったらしい。新田に抗い続ける意思があるのは少数で、大半は平穏な暮らしを望んだという。そのためごく少数が出ていき、残った者たちは降伏したというのである。
「久慈も出て行ったのか?」
「はい。行方は知れぬとのことですが…… 追われますか?」
「いや、いい。俺は他者の生き方を否定はせぬ。新田に抗うという生き方もあるだろう。それにしても、新たに一〇〇〇人を手に入れたか。これは願ったり叶ったりだな。早速、釜石の開発に使え」
評定は内政から外政、そして軍政へと移る。南条越中守広継が説明を始めた。
「現在、動員令により新たな兵を加えております。当家の兵力は四万を超え、なおも増えておりまする。来年には五万に届くでしょう」
「うん。民に負担を与えない範囲で増やせるのは、その辺が限界であろう。槍や弓、鉄砲は?」
「刀狩りにより、数だけはありますがやはり使えぬ物も多く、打ち直しが必要とのことです」
「釜石で鉄が造られ始めれば、鉄不足の問題は一気に解決する。だが時が必要だ。来年は大きな戦となるであろう。守信、どう戦う?」
武田守信に話を振る。南条広継と武田守信は、どちらかというと頭で戦う武将である。そのため軍政においては参謀的な役割をしている。
「出羽と陸奥の二正面は避けるべきかと考えまする」
「理由は?」
「あと三〇年で天下を統一するためには、ここで時間を掛けてはいられませぬ。奥州の連合を一撃で粉砕し、各個撃破の状況を作るためには、その旗印である伊達を葬るのがもっとも早いと考えます。そこで土崎の山間部に砦を設け、小野寺の動きを押さえつつ陸奥に兵を集中させ、まず大崎を落とし、鳴瀬川を越えて黒川、留守ら国人を飲み込みます」
「当然、最上や伊達は抗うであろうな。どこかで決戦となるだろう。どこだと思う?」
守信は数瞬瞑目し、そして結論を出した。
「最上や伊達としては、出来るだけ当家を引きつけようと考えるでしょう。その方が兵糧などを運びやすく、蘆名や相馬も援軍を送りやすいためです。そう考えると、おそらくは黒川、留守を飲み込んだ後、国分の城あたりかと……」
「つまり、千代か」
又二郎は獰猛な笑みを浮かべた。数万対数万の戦となる。奥州の歴史上でも、これほどの大決戦は、鎌倉初期にあった奥州合戦以来であろう。五〇〇年後も歴史に残るに違いない。評定の間にいるすべての者が大合戦の様を想像し、武者震いした。