一時の休戦
新田軍の追撃からなんとか逃れた小野寺輝道ら連合軍は、雨に打たれ冷え切った体を引きずりながら、なんとか豊島館までたどり着いた。
「寝るな! ここで寝たら死ぬぞ!」
ようやく着いたと安心したのだろう。その場で崩れ落ちる雑兵たちを立たせ、暖の取れる小屋まで歩かせる。胴当てを落とした後は泥のように眠る。皆がなにも考えられず、とにかく休みを取っていた。だが武将はそういうわけにはいかない。連合軍の各将たちは、自軍の犠牲を確認し、論功も考えなければならない。
「深手を負いながらも、なんとか豊島まで辿り着いた者六二、討ち死にした者、途中で息絶えた者、五二四に上りまする」
「およそ六〇〇か…… 戦をしたのだから仕方がないが、いささか痛いな」
報告を聞いた小野寺輝道は、それでも笑みを浮かべた。戦のあとである。笑みを見せなければ、皆が委縮する。こういう時だからこそ、余裕を見せなければならない。それが当主の責務である。
「申し訳ありませぬ。まさか石川左衛門尉がいたとは。すべては、某の読み違いから来たもの。お叱りはなんなりと……」
八柏道為は両手を床について頭を下げた。輝道は無表情となり、頭を上げない道為に向けて言葉をかけた。他にも武将、侍大将がいるのだ。股肱の臣であろうとも、信賞必罰は必要である。
「確かに。敵を読み、策を立て、味方を勝利へと導くのが軍師の戦。読み違えた以上、道為は戦に敗れたということになろうな……」
そこで言葉を区切る。数瞬して再び口を開く。その表情は決して暗くはない。
「だが、この豊島館をはじめ土崎の南一帯を、一兵も用いずに切り取った功は大きい。まともに戦をしておれば、やはり六〇〇程度は失っていたであろう。勝敗は兵家の常ともいう。責を感じるのであれば、次の策にて挽回せよ」
「ははっ!」
最初に責任があることを指摘し、数瞬の沈黙によって咎め、そして手柄を認め次へと繋げさせる。当主の姿に、各将たちも頼もしさを抱いた。
(これで良い。我が殿は新田にも劣らぬ。皆がそう思えば、安易に新田に奔ることはあるまい)
五〇〇〇の軍のうち、六〇〇を失った。確かにこれは痛手だが、壊滅したわけではない。痛手といえば、むしろ最上や天童らであった。
「二〇〇〇…… 二〇〇〇も失ったか!」
最上義守は今更ながら、己の過ちを悔いていた。あと少し、あと少しと考え、犠牲を承知で突進した。それが敵の策だったと気づいたのは、兵を退いてからである。七〇〇〇のうち二〇〇〇を失ったとなれば、立て直しが必要であった。
「山形城に戻るしかあるまい。この地は…… 小野寺が得ることになるか」
義守とて最上家当主として、家を栄えさせたいという欲はある。大きく兵を損ねたうえで、一片の土地も得られなかったとなれば、家中から攻める声も出てくるだろう。
(いや。まだ負けたわけではない。いや、拡大し続けた新田が、初めて領地を減らしたのだ。これは大きい。新田とて、決して不敗ではないのだ)
これから冬に入る。冬の合間に立て直し、次の決戦で大きく勝てばよい。そう切り替えた。
出羽方面で新田を破り、土崎の南一帯を切り取った。この報せは程なくして、伊達家にも届いた。すでに長月(旧暦一一月)に入っている。米沢城においても雪がチラつき始めていた。
「父上、兄上。御戦勝、おめでとうございます」
米沢城を訪れていた岩城親隆と父親である伊達晴宗が話をしていたところに、嫡男の総次郎輝宗がやってきた。戦勝の喜びを伝える嫡男に対し、晴宗は苦い顔を浮かべた。
「たわけが。これのどこが戦勝だ。小野寺の策によって土地こそ広げたが、戦では惨敗。最上などは二〇〇〇以上を討たれている。出羽は、しばらくは動けまい。小野寺に頑張ってもらうしかなかろう」
「ですが、新田は土崎の南一帯を失いました。旧安東、豊島の国人衆も動揺しているのでは?」
「新田の所領から考えれば土崎を失ったことなど、どうということはあるまい。新田は大きい。一撃で決着をつけることはできん。まずは奥州において対新田連合を固め、時間をかけて削るのだ。少しずつでも削れば、どこかで必ず新田は崩壊する。総次郎、決して焦るでないぞ。目先の勝敗にとらわれず、腰を落ち着かせて、じっくりと新田と戦うのだ。理解したなら下がっておれ。今は孫次郎殿(※岩城親隆のこと)と話をしておる」
「ハ.ハイ!」
父親に諭された輝宗は、それでも素直に教えを受け入れた。晴宗は内心で嘆息した。悪くはないのだが、やはり物足りない。自分は違う。新田と決戦し、陸奥守の首を獲るとでも言えば、たわけが!と怒鳴りながらも頼もしさも感じるのだが。
「父上、いささか総次郎に厳しくはありませぬか? 総次郎はまだ一七です」
肩を落として出て行った輝宗を見つめていた岩城親隆は、父親に対してそう諫言した。晴宗はギロリと長男に視線を向ける。親子とはいえ、今は伊達家当主と岩城家の嫡男という関係なのだ。他家のことに口を挟むなど、出すぎというものである。だが真に、自分と弟のことを思っての諫言だということも理解している。そのため晴宗も、一瞬睨んだだけであった。
「申し訳ありませぬ。出過ぎた真似を……」
「良い。新田の小童と比べるとな。どうも煮え切らぬと感じてしまう」
「宇曽利の怪物と比べるのは、それこそ酷というものでしょう」
笑う長男に向けてフンと鼻で息を吹いた。
「失ったのはおよそ五〇〇。獲った首の数から考えれば完勝ではありますが、豊島以南を失ってしまいました。すべては某の不覚故にございます」
高水寺城までやってきた安東太郎愛季は、畳に手をついて謝罪した。だが又二郎は気にする様子もなく手を振った。
「簡単に裏切るような輩など、どうでも良いわ。太郎に不覚があったわけではない。ただ時が足りなかっただけのこと、いちいち謝罪など不要だ。湊、秋田をしっかりと守れ」
「ハッ!」
豊島館をはじめとする南土崎一帯は、幾度か施餓鬼を施しただけであり、本格的な開発には入っていない。つまりまだ「未投資」の状態であった。損をしたわけではなく、拡張しすぎた部分が削れ、適正な大きさになったのだ。又二郎はそう思うことにした。
「奥州は雪に閉ざされる。伊達に集まっていた蘆名らも、兵を引いた。今年の戦はもう仕舞よ。そして来年になれば、我らはもっと強くなる。領民を慰撫しつつ、秋田の開発を進めよ。春になれば大きく動くぞ」
時として恐ろしい表情となる又二郎だが、安東愛季の報告を聞いても鷹揚で、笑みすら浮かべている。当主の余裕は周囲を安心させる。柏山明吉は腕を組んで、先ほどまで聞いていた戦について自分の考えを述べた。
「それにしても、やはり奥州屈指の大名ともなれば、一味違いますな。調略、駆け引き、そして用兵。この連合は中々に手ごわいかと存じまするが、殿はどうお考えでしょうか?」
「んー? まぁ土地の広さ、石高、そして兵力は新田に伍するな。だがそれだけよ。二年もあれば片づけられよう」
「なんと…… 二年で?」
明吉は一瞬、大言壮語かと思った。だが新田は天下統一を目指している。ここで時を掛けるわけにはいかない。この先、越後の長尾、関東の佐竹、北条らを相手にしなければならないのだ。
「人間、二〇〇年は生きられぬからな。俺は五〇までに天下を獲る。日ノ本を統一し、帝を象徴として掲げる日本国として一つにまとめる。物産を促し、新たな技術を生み出し、産業を興す。そして明、天竺、南蛮の国々らと交易をもって繋がり、日ノ本の民の目を外に向けるのだ」
又二郎の言葉は、愛季も明吉にとっては想像すらできない姿であった。だが自分たちの主君は、その姿を確りと捉えている。ただ闇雲に戦い、領地を増やしているのではない。日ノ本を新たな地平へと導くための戦なのだ。
主君の野望の途方もない大きさに、二人は圧倒され、そして興奮した。