閑話:戸来郷の謎
これは閑話です。読み飛ばしていただいても構いません。
本日は18時に本編をアップします。
これは新田陸奥守政盛が、南部氏を吸収して間もない頃の話である。このころはまだ元服もせず、新田吉松という名であった。
「殿、どちらに?」
南部晴政の死から一年、心中に区切りをつけて三戸城に出仕してからというもの、毛馬内秀範は新田家の家老として三戸城に詰めていた。自分が仕える一〇歳の童は、話し方こそ晴政とは異なるが、気質は近いものがあった。人のことをよく見ているし、思い至ったら即行動する思い切りの良さや、それでいて要所では慎重に考える冷静さ。何より、家臣から畏怖される得も言えぬ凄みがある。秀範は内心で、吉松のことを晴政の一粒種、後継者と思うようになっていた。
「うん。俺はまだ、三戸周辺をよく知らぬ。今日は日差しも良いし、この機会に見て回ろうと思ってな。八戸は先日見た。今日は西を見たいと思う」
「それでは、御護りする兵を整えまする。しばしお待ちを……」
「そんなものいらぬ。ちょっと見回るだけだ」
拒絶する吉松に、秀範は首を振って険しい表情を浮かべる。
「なりませぬ。殿は御家の大黒柱。万一あらば、陸奥も津軽も大いに荒れまする。家老として、断じて認められませぬ。どうしてもと仰るなら、某を斬って行きなされ」
そう言われてしまうと、吉松としても引き下がらざるを得ない。毛馬内秀範は南部晴政の弟であり、家老として南部家の家宰を務めていた。私心がなく、家のことを第一に考える。大名は領地や領民のことを考えねばならない。そのためどうしても、家中のことが後回しにされてしまう。そのために、家宰というものがいる。これまで家宰を務めていた新田盛政も、毛馬内秀範なら安心だと本格的に宇曽利に隠居してしまった。
「やれやれ、大袈裟だな。解った解った。待つゆえ、支度をせい」
言葉遣いや態度は壮年どころか老年を思わせるが、見た目はただの童に過ぎない。だが秀範は慇懃に一礼して支度にとりかかった。
「ほう。こんな山中にも集落があったのか。ここはなんという村だ?」
「は…… ここは確か、戸来郷と呼ばれておりまする」
三戸城から北西に二里ほどの山中に集落を見つけた吉松は、そこで一服するために立ち寄った。村人たちは雲の上の存在である領主がいきなり現れて大騒ぎとなったが、吉松は気軽に村人に声を掛け、懐中から幾分かの金の粒を取り出して渡した。
「少し話を聞かせてくれ。この村について詳しい者は?」
「それなら、ナパ爺ですな。もう六〇を越えますが、父も祖父もその前も、ずっとこの村に住んでいるので、詳しいかと思いますよ」
文字も読めないような村人に、言葉遣いや礼儀作法を求めるのは間違っている。吉松は礼を言うと、そのナパ爺という老人が住む竪穴式住居へと向かった。ナパ爺は山菜を煮込んだ汁を作っていたが、領主が来たということで慌てて地面に膝をついた。
「儂のような年寄りに、何か御用でしょうか?」
「いや済まぬ。この集落について詳しいと聞いたからな。そう畏まらずに、気軽に話を聞かせてくれ。今の俺は、年寄りに学ぶ童に過ぎん」
「へへぇっ」
藁の上に座った吉松は、集落について話を聞き始めた。どのような作物が採れるのか、山からの収穫はなにか、困っていることはないかなどである。やがて話は集落の歴史の話へと移り始めた。
「戸来郷というのはどのような由来からきているのだ?」
「へぇ…… 子供の頃に爺様から聞いた話なのですが、ずーっと昔、この地に来た人たちがヘライというところに住んでいたそうで、それで戸来郷となったそうです」
「ヘライ? それは、どこにあるのだ?」
「さぁ…… 儂ぁそこまでは、聞いておりませんでした」
「ふーん」
吉松は顎を撫でながら考えた。この集落に来たのは偶然ではない。青森県には幾つかの不思議な伝承があるが、その一つが「戸来村のキリストの墓」である。戦後、新興宗教団体が無理やり「キリストの墓だ」と断定し、それが村おこしに繋がったというのが定説だが、戸来という言葉自体は鎌倉時代には残されていた。つまり由来がある。
(三戸から来たから、戸来とか勝手に思っていたが、どうやら違うようだ……)
「……ヤハウェという言葉を聞いたことはあるか? あるいはヨシュア、イエシュアは?」
「へ? はぁ、儂ぁ聞いたことがありませんなぁ」
「なるほど…… この集落では他になにか珍しいものはあるか?」
「そうですなぁ…… まぁなんも無い村でございますし、変わったものといえば…… あぁ、ナニャドヤラはどうですかな? 踊り歌なのですが」
「ほう? 靱負、三戸にはあるか?」
だが毛馬内靱負佐秀範は、首を傾げただけであった。老人は手を叩きながら不思議な音調の歌を謳い始めた。だがその歌詞は不思議で、まるで理解できない。
『ナギアトヤーラーヨー ナギアドナサレダーデ サーデ サーイエ ナガアッイウドヤーラヨー』
「ほう…… 不思議な歌だ。どのような意味があるのだ?」
「さぁ…… 神様への御祈りの歌とも、収穫を祈祷する歌とも聞いておりまするが……」
「なるほど。これはよく謳われているのか?」
「なにか目出度い事があった時に、集落で皆が集まって歌い踊りますな」
青森県のごく限られた一部にだけ存在する「日本最古の盆踊り」と呼ばれているのが、ナニャドヤラである。大正時代、柳田國男によってナニャドヤラは紹介された。三戸から九戸にかけて広まっていた踊り唄であるが、その歌詞については諸説がある。柳田國男は「祭りの日に女から男に誘いをかける恋の歌」としているが、明確な根拠があるわけではない。
(ヘブライ語だという奇天烈な説まであったからな。キリストがゴルゴダの丘で磔刑にならず、日本まで逃げてきたなど、馬鹿馬鹿しいと思っていたが、確かにこの集落には、不思議な雰囲気はあるな)
三戸からそれほど遠くない、山中の合間にある集落である。だがその歴史は古く鎌倉時代にも記録に残されている。つまり集落はもっと前からあったのだ。そして三戸にすら伝わっていない奇妙な歌。吉松は面白そうに笑った。
「ハハハッ! なるほど。三戸の近くにも、まだまだ知られていないことが沢山あるのだな。御老人、世話になった。面白い話を聞かせてもらった。これはその礼だ」
吉松の護衛を兼ねた付き添いの男が、砂金が入った小袋を渡す。老人は恐縮しながらそれを受け取った。立ち上がり、竪穴式住居を出る。周囲を見ると、襤褸の家も多い。この機会にしっかりとした集落に変えてやろうと思った。
馬に乗り、集落を後にする。次はどこに行こうかと頭を切り替えていた吉松は、このとき気づかなかった。吉松自身、まだ幼く背が低かったため、仕方が無かったのかもしれない。
老人の住居の屋根には、枝で形づくられた「六芒星」が掲げられていた。