目長田の合戦
米沢城では慌ただしく人が行き来している。出羽方面での動きに呼応し、伊達と蘆名、田村、相馬が一斉に動いたからだ。だが当主たちが来たわけではない。各大名の重臣たちが、二〇〇〇から五〇〇〇程度の軍を率いて伊達領に入っている。武将たちは事情を察しているが、雑兵は別である。不意な戦闘や集落での不埒を起こさせないようにするため、伊達家の家臣たちが領内を飛び回る。
「あと一〇日もすれば、出羽も決着がつくであろう。今年の戦はこれまでよ。それにしても大崎め。本来ならばこの軍勢をそのまま新田に向けるはずであったのに、余計なことをしおって……」
伊達家当主、藤次郎晴宗は不機嫌そうな表情で盃を呷った。そこに再び濁り酒が注がれる。岩城重隆の長女であり、結城晴綱から力づくで奪い取った「久保姫」である。現代人の感覚で見れば眉を顰めるような行為であるが、実際には夫婦の仲は極めて良い。
「御前様、御酒が少し過ぎておりますよ? 」
「そうか? そうだな。この一杯で仕舞いとするか」
意外なことに、伊達晴宗は妻に対しては律儀な男で、子女はすべて正室である久保姫が生んだものであり、側室との間の子は記録にない。久保姫は六男五女を産んでいるが、それだけ晴宗の愛情が深かったという証左であろう。
「此度の戦では、鶴千代丸(※岩城親隆、伊達晴宗の長男)が来ておる。近々、米沢にも来るはずだ」
「まぁまぁ。それは彦太郎(※伊達輝宗のこと)も喜びましょう。あの子は兄に懐いていましたし」
愛妻が無邪気に笑う。子を一一人も生んでいるのに、その嫋やかな姿には些かの衰えも見えない。この無邪気さ、長閑さを晴宗は愛していた。
「そうだな。だが総次郎は伊達の嫡男。いつまでも兄に甘える弟では困る」
父としては兄弟仲が良いことは喜ばしいとは思っていた。だが伊達家当主としては、嫡男の「頼りなさ」に不満がある。素直で優しい男というのは、母親から見れば良い子だろう。だが戦国を生きる男としては、それは欠点である。「奥州を統一する」と言ってのけるくらいの覇気が欲しかった。
「そうだな。この討伐令を一つの機とするか。来年の戦では、総次郎に差配させてみるとしよう」
「御前様、それは……」
妻が不安げな表情を浮かべる。だが晴宗はすでに当主の顔となっていた。
「表のことだ。儂の決定に口を挟むでない。心配するな。総次郎はまだ若いのだ。失敗しても、儂が庇ってやることも出来る。今は経験を積ませるべき時だろう」
笑みを見せて酒を飲む。飲みながら、敵のことを考える。新田又二郎政盛は、来年で一五歳、嫡男よりもさらに若い。それが南部を飲み込み、斯波、葛西を滅ぼし、安東を臣従させた。そう考えると鳥肌が立つ。自分が生涯を費やしても、それらのどれか一つを実現できるかどうかであろう。まさに怪物の所業である。
(そのような化け物と対峙する。総次郎にとっても良い経験となろうて……)
盃を呷る。この一杯と決めていたが、もう少しだけ飲みたいと思った。明敏な愛妻は、なにも言わずに酒を注いだ。
「撃てぇっ!」
鉄砲の轟音が響く。最上義守は苦い表情を浮かべていた。敵の鉄砲隊はおよそ三〇〇〇、柵の向こう側から撃ってくるが、有り得ないほどの速度で連射してくる。第一陣、第二陣で出した五〇〇がバタバタと倒れ、さすがに力攻めを躊躇わざるを得なかった。
「あのような高いモノを、あれほど大量に用意するとは……」
「殿。種子島は雨や雪に弱く、使えなくなりまする。空の様子が……」
見上げると曇天である。上手くいけば一雨来るかもしれない。だが、この時期に雨に打たれれば夜になれば凍死する可能性もある。打ち破れればよし。もし破れなければ、撤退も考えなければならない。
「このまま徒に犠牲を増やすよりは……」
「よし。一旦、兵を退け。雨が降り次第、一斉に突撃する。小屋奉行に今宵中に用意せよと伝えよ」
戦国時代、どの大名家にも戦においては二つの奉行を連れていた。陣場奉行と小屋奉行(※小屋営作奉行とも)である。陣場奉行は陣を張る場所や野営地などを下調べする奉行である。小屋奉行は長期戦や雨天に備えて小屋を設置する奉行である。たとえば第二次川中島合戦では二〇〇日にわたる長期戦となった。長尾勢も武田勢も小屋を幾つも建て、足軽も武将もそこで休みながら戦ったのである。
「小屋、それと天幕を用意せよ。敵は雨を待っている。次が最後の戦いとなろう」
長門藤六広益は、最上義守ら連合軍の狙いを察した。曇天を見ながら次の戦い方を想像する。鉄砲が使えなくなることに不安はない。そもそも鉄砲が無い戦など幾度も経験してきたのだ。
「長門殿。山の民に聞いた。今夜から明日一杯、雨が降るとのことだ」
安東愛季が不安げな表情を浮かべる。やれやれ、大将がそんな顔をするなと思ったが、まだ二二歳の若者ならば仕方がないかと切り替える。
「安東殿、安心されよ。ここは新田領内だ。材木一つとっても、我らの方が遥かに手に入れやすい。それに檜山城から兵糧の他に炭団や手拭いなども届く。雨が降れば、此方の方が有利になる」
たとえ夏であっても、雨の中での戦は辛いものだ。まして奥州の神無月は、朝になれば霜が降りるほどに冷える。戦でも満足に動くことはできないだろう。
「それに今日の様子を見ていてわかった。戦意があるのは中央の最上、それと小野寺の一部だけだ。明日は久々に、釣りをやるぞ」
名将長門広益の言葉に首を傾げたが、安東愛季の顔色は明るかった。
一万七千の兵が寝泊まりする小屋を一晩で用意することなど不可能である。連合軍は建てられた幾つかの小屋に交代で入り、雨を凌いだ。翌朝もシトシトと雨が降っている。気温も低く、吐く息が白い。
「今日が最後となる。暖かい飯を食わせてやれ。それと身体を良く動かしておけ」
八柏道為は指示を出しながら、予想外の雨に内心で舌打ちした。鉄砲隊が新田の中央に集中しているのは掴んでいた。だからそこに最上を当てて兵を削り、頃合いを見て撤退を進言するつもりだった。だが最上は雨天に賭けた。確かに鉄砲は使えなくなるが、ここは新田領内なのだ。この一晩で、連合軍は大きく疲弊した。たとえ数に勝っていても、この状態で勝てるのか。
「殿、本来であれば昨夜のうちに撤退すべきでした。この野戦では御当家にも大きな被害が出るやもしれません。出来るだけ犠牲を少なくし、頃合いを見て退きましょう」
「良いのか? 新田討伐から離れることになりかねんぞ?」
「そこは上手く誤魔化しまする。おそらく最上も劣勢となるでしょう。幸い、此方には土崎で降った国人衆がいます。彼らを前面に出し、死闘を演じさせるのです。最上が押され次第、此方も退くようにしましょう」
「よし、任せる」
やがて両軍が呼吸を合わせたかのように、戦が始まる。弓と槍が交わり、騎馬隊の突出が繰り返される。新田軍の奇妙さに最初に気づいたのは、中央で先鋒を任されている天童頼貞であった。苦戦を覚悟していたのに、意外なほどに手ごたえがない。
「これは…… 敵も雨に打たれ、弱っているのだ。ならば条件は同じぞ。敵は弱っている! 押せぇっ!」
先鋒が勢いづいて突撃する。それに引き摺られるように、中央軍全体が前へと出た。一方、押されている新田軍である。本陣にいる安東愛季は、ジワリと掌に汗を浮かべていた。
(落ち着け! 俺は総大将なんだ!)
逸る気持ちを必死に抑える。やがて銅鑼が一定の間隔で鳴らされた。合図である。
「中央はその場で壁となれ! 左右は中央目掛けて突撃、最上を磨り潰せ!」
愛季は両手を合わせて前に突き出した。
「奴ら、最上を挟み撃ちにするつもりか。兵の向きを変えるとは、舐めおって……」
「ですが狙いは悪くありません。恐らく昨日の戦で、我らに戦意が無いことを見抜いたのでしょう。戦意旺盛な最上を突出させ、磨り潰すつもりです」
「ならばどうする? 此方も一気に押し出るか?」
「いえ。ギリギリまで磨り潰させるのです。そして我らが突撃し、包囲を解く。その後は一気に撤退しましょう。新田とて疲弊しています。深くは追撃して来れぬでしょう」
当初の策とは違ったが、ほぼ理想的な結果になる。なまじ敵が名将であるだけに呼吸を合わせやすい。八柏道為は長門広益に感謝した。
「怯むなぁ! 敵の本陣は目の前ぞ!」
「殿、我らは三方から包囲され、犠牲も大きくなっております。ここは一旦、退くべきかと!」
「おのれ、あと少しというところで……」
最上義守は視界に入っている敵の本陣を睨んだ。無論、これは長門広益の巧みな用兵によるものである。ジリジリと中央を下げて敵を引き込みつつ、左右で削る。敵が左右に力を振り分けると中央が押して敵を削る。あと少し、あと少しと思わせることで、撤退の決断を鈍らせる。蝦夷地で使っていた策だが、これほど大規模で実践したのは初めてであった。
「申し上げます! 左翼の小野寺勢が動きました! 中央への助勢をするようです」
「やはりな。小野寺は戦う気がないようだ。中央を援けて撤退するつもりであろう。此方も疲れている。追撃は弱いと見たか? だが……」
謀臣と名将の読みは、途中までは軌を一にしていた。だが最後の部分だけが違ったのである。
「ここは我らが殿を務めます。最上殿は早く撤退を!」
「忝い!」
感謝の言葉まで残して最上勢は退き始めた。虎口を脱した連合軍は、そのまま南へと撤退する。その最後尾を務めるのが小野寺家である。誰が見ても第一功は小野寺であり、この戦で得た土地は小野寺が領するとしても文句は言えないだろう。
(ククッ…… 敵も味方も掌の上で転がす。策士の冥利というものか……)
八柏道為は思わず笑みを浮かべた。だが次の瞬間、その笑みは凍り付いた。
「申し上げます! 敵に新たな軍勢が加わりました。その数、およそ三〇〇〇! 全て騎馬でございます!」
「なに! どこの軍勢か!」
「南部鶴の旗印、石川高信と思われまする!」
それは津軽石川城から駆け付けた石川左衛門尉高信が率いる三〇〇〇であった。津軽は大雪だが、道は整備されているし宿場もある。石川城から白沢館、比内大館を通り、檜山から南下して八郎潟からここまで、およそ一〇日で駆けてきた。すべて騎馬隊である。
「退けぇっ! 敵は突撃してくるぞ! 一刻も早く退けぇ!」
八柏道為は、普段の様子からは想像できないような慌てた表情で怒鳴った。小野寺勢に強烈な衝撃が襲い掛かったのは、それから間もなくのことであった。




