交錯する思惑
神無月とは旧暦一〇月のことである。これをグレゴリオ暦に置き換えると、一一月上旬から一二月中旬となる。最上義守を総大将とする出羽方面の連合軍が動いたのは神無月の中頃、つまりグレゴリオ暦の一二月初旬頃のことである。これがなにを意味するか。
「申し上げます! 津軽は現在大雪のため軍を動かすこと難しく、時間を要するとのことです!」
津軽浪岡城に援軍を求めた安東太郎愛季は、その知らせを受けて最上義守の狙いを察した。
「そういうことか! 新田は最上や小野寺より北にある。さらに白神の山によって津軽では大雪が降る。それを見越しての、この時期の出陣というわけか! 出羽の兵力は?」
「およそ一万五〇〇〇、さらに、調練を終えていない兵が五〇〇〇でございます」
「五分と五分か…… 全軍を土崎に集結させろ。あと一〇日もすれば、出羽でも雪が降り始める。それまでなら耐えられる。俺も出るぞ!」
安東太郎愛季は、檜山城の全軍を率いて土崎へと出陣した。出羽での動きは当然ながら、高水寺城の新田又二郎のもとにも届いた。本来ならば雫石城から仙石峠を越えて、小野寺が領する仙北に攻め込むはずであった。だが伊達がそれを許さなかった。
「申し上げます! 伊達、蘆名、田村、相馬の兵が集結しつつあります。その数、およそ二万!」
又二郎は左手で自分の額を押さえた。この集結は、あくまでも見せかけだろう。だが隙を見せれば攻め込まれる。同兵力を前線に張り付けるしかない。募兵はしているが、まだ五万には届いていない。残された兵力で仙北を攻め落とすのは難しいだろう。
「偶然であろうはずがない。これを考えたのは相当な策士だぞ。一体、誰が…… いや、今はそれよりも出羽だ。土崎湊が取られれば、檜山が危うくなる。安東太郎の力量に任せるほかないか」
出羽方面は旧安東家を代表し、安東太郎が代官を務めていた。だが内政はともかく武略においては不安があったため、長門広益に軍を任せている。その後ろには、津軽に石川高信、浪岡具統、鹿角では毛馬内秀範がいる。豪雪とはいえ、道の整備にも力を入れてきた。雪を掻き分けて進むことは不可能ではない。
「一〇日、最大でも二〇日。安東太郎が持ちこたえれば敵は退く。だが土崎は新田領となってから、まだ日が浅い。それが心配だ」
又二郎の懸念は的中した。土崎において複数の元国人が蜂起したのである。豊島によって滅ぼされた家や新田に臣従していた家が、元所領の集落を束ねて反新田の旗を掲げた。それを聞いた安東太郎愛季は歯噛みした。新田に臣従した際に、出羽の開発を任せると言われた。新田の文官も入り、道や田畑を整備し、山間部の集落を移動させ、米作りや畜産を教え始めていたところである。
「時が足りなかったか……」
人の意識というものは、簡単には変わらない。数百年に渡って領主に「統治される」ことに馴れていた領民たちに、いきなり自立を求めることなど無理である。地縁、血縁の影響もあり、元に戻ろうという力が働く。土崎一帯はほんの二ヶ月前に新田領になったばかりである。新田よりも旧領主を取る集落があるのも仕方のないことであった。
「道為、お前か?」
土崎近くに本陣を張っていた連合軍は、幾つかの集落が新田を離反し此方についたという報せを受け、大いに沸いていた。これで新田が出てこようとも、土崎一帯は獲ったのも同然である。小野寺輝道が呆れた表情を謀臣に向けると、八柏道為は涼しい表情で一礼した。
「すべては殿の御指示通りでございます。我ら新田討伐連合の初戦は、殿によって勝利となりました」
小野寺も謀臣の狙いをすぐに読んだ。鷹揚に頷き、よくやったとその場で褒める。最上義守は苦い顔を浮かべた。こうなった以上、戦において活躍するしかない。幸いなことに新田軍は一万五〇〇〇、こちらとほぼ同数である。
「小野寺殿は牽制として動いていただきたい。率いてきた兵は、我が最上家がもっとも多い。ここは我らに当たらせていただく」
「最上殿の兵は七〇〇〇、我らは五〇〇〇。最上殿が中核となるのは当然のこと。だが新田軍は精強だ。我らも隙を見て突っ込ませていただく」
連合軍側についた集落にも兵を送る。刈入れ後であるため兵糧も豊富にある。十分な体制で、安東を迎え撃つことができるだろう。
「申し上げます。敵は既に雄物川を越え、豊島館を押さえましてございます。その数、一万七〇〇〇」
「旧国人衆が加わったか。これで小野寺は唐松城から豊島を経て白華までの道を押さえたわけだ。土崎の半分を獲られてしまった……」
秋田城に入った安東愛季は、ガックリと肩を落とした。油断をしていたわけではない。土崎を得てからの二ヶ月間、重点的に土崎を回って領民慰撫や家を亡くした国人衆の登用を図ってきた。新田家は人手不足である。新田という大きな傘の下で家を再興しないかと誘い、幾つかは成功もした。だがそうした努力が、水の泡となってしまったのだ。
肩を落とす安東愛季に、長門広益が檄を飛ばした。
「安東殿、気落ちしている場合ではない。敵は我らよりも多くなった。このまま敵が来るとすれば、この目長田(※現在の秋田市仁井田一帯)でぶつかることになる」
航空画像をみると解るが、秋田市の面積は意外なほどに狭い。海から東に向かうと、すぐに大平山にぶつかる。秋田から北上すると広大な八郎潟が広がるが、戦国時代では汽水湖として広大な湖となっている。湖の東岸を北上すれば、能代となる。万の軍を展開できる場所と言うのは、限られているのだ。
「目長田は西に雄物川が流れる平地だ。数に劣る我らにとって、戦いやすい場所であろう。ここで勝てば、土崎を取り戻すのも容易となる。まだ負けたわけではない!」
「そうですね。兵の数では劣りますが、鉄砲や騎馬ではこちらが上。十分に勝ち目はあります」
一方、被害なく土崎の半分を押さえた連合軍は大いに士気を沸かせていた。その中で、八柏道為は冷徹に今後のことを考えていた。主君の側に馬を寄せ、声を潜める。
「殿、我らはまだ勝ったわけではありませぬ。戦においては、出来るだけ被害を少なくし、最上と大宝寺に傷を負ってもらわねばなりませぬ。特に、此方に付いた国人衆は徹底的に使い潰さねばなりません」
「秋田や湊の城まで獲るのではないのか?」
「不可能ではありませぬが、そこまでいけば新田も本気になります。春には万を超える軍が仙石峠を越えて仙北、そして横手に押し寄せましょう」
その様を想像し、小野寺輝道は顔を顰めた。八柏道為は主君の顔色が変わったことを確かめると、さらに声を低くした。
「弱きを喰らうは戦国の習い。大宝寺や天童、延沢などの力を削り、喰らうのです。さすれば石高は五〇万石を越え、新田とて簡単には手を出せなくなりましょう」
八柏道為は今回の連合軍結成を、小野寺を大きくするための機会と捉えていた。小野寺の力が増せば、それだけ新田を押さえることもできる。言い出しっぺの最上は違う考えかもしれないが、道為は冷静に新田の力を測っていた。とても潰すことはできない。ならばこの状況で、どうやって小野寺を残すか。臣従させられないほどに大きくなれば良いというのが、道為が出した結論であった。
「さすがは我が張子房よ。強きに従属するのは受け入れる。だが屈服はせぬ。儂の背骨は、それほど柔ではないからの」
主君の頼もしさに、道為は目を細めた。
「中央は我が最上が攻める。小野寺殿、大宝寺殿は右翼を頼む。左は雄物川によって回り込まれる心配はあるまい」
目長田において、両軍が対峙する。この戦で勝利し敵を撤退に追い込めば、新田の進撃は完全に止まるであろう。その上で、出羽では守りを固めつつ陸奥で決戦を行う。高水寺城まで攻め落とし、新田の力を半減させる。その上で新田に詫びさせ、奥州の諸大名による相互不可侵の盟を結ぶ。それが最上義守の目指す決着の姿であった。
(これが儂の、生涯最後の戦になるやもしれぬ……)
「掛かれぇ!」
羽州探題の声と共に、太鼓が鳴らされる。それぞれの思惑が交錯する中、奥州決戦の第一幕、目長田の戦いが始まった。