名将の条件
「愚か者どもが! 勝手に仕掛けおって!」
米沢城内に怒号が響く。大崎が新田に対して刈田を仕掛けた、と聞いた伊達次郎晴宗は一瞬呆然とし、そして激怒した。相手は奥州の半分を領する大国なのだ。個々バラバラに仕掛けたところで、各個撃破されるのが関の山である。呼吸を合わせ、陸奥と出羽の両方から同時に攻め込んでこそ効果があるのだ。
「左京太夫様(※大崎義直のこと)は元奥州探題、内心で新田に対して忸怩たる思いもあったのでしょう。御当家のみならず、最上や蘆名まで後ろ盾についたことで、気が大きくなったのでございましょう」
謀臣、中野宗時も嘆息した。だが嘆いてばかりもいられない。新田は柏山ら旧葛西家臣らに一万の軍を預け、大崎を攻め始めている。だがどこまでやる気なのかが見えない。その気になれば大崎を飲み込むこともできるであろうが、そうなれば北上川を背にして伊達、蘆名、田村を迎え撃つことになる。新田にとって、大崎領は守りにくい土地なのだ。
「援軍の要請が来ている。断るわけにはいかぬな」
「断れば、せっかくの新田討伐令も絵に描いた餅となりましょう。御当家は対新田の旗印。大崎を見捨てるのは下策でございます」
伊達家の石高はおよそ三〇万石である。一万近くの兵を動員することが可能だが、神無月は農繁期でもある。大軍を用意するのは難しい。
「相手は柏山でございます。犠牲を最小にしつつ、それなりに戦う。難しい戦となります。それができるのは伊豆守殿(※片倉景時のこと)だけでございましょう」
片倉伊豆守景時は、知勇兼備の名将として伊達の「武」を担っている。伊達天文の乱においては、伊達稙宗、最上義守の連合軍を劣勢の中で抑え切るなど、晴宗にとっては中野宗時と双璧を成す重臣であった。
「よし、景時に任せる。だがすぐに用意できるのは三〇〇〇が限度だ。決して無理をさせるな。新田との戦は長くなる。このような下らぬことで、兵を無駄にはしたくない」
永禄三年神無月上旬、大崎家への援軍として伊達家から三〇〇〇の援軍が出陣した。この報せは九十九衆を通じてただちに柏山明吉のもとに届いた。新田軍はすでに大崎領の半ばに達している。雪が降り始めるまであと一月、それまでに大崎を滅ぼすことも十分に可能であった。
「殿に早馬を出せ。伊達が出てきたとな」
「柏山殿、ここで退かれるか?」
「難しいところだ……」
主君からは「伊達が出てきたら退け」と命じられている。だが敵は三〇〇〇、大崎と合わせても五〇〇〇に満たない。こちらは新兵とはいえ、一万の大軍である。普通であれば負けることはない。
「大崎領の半分を獲ったのだ。ここで退けばこれまでの手柄を捨てることになる。ここは一戦し、伊達を追い払い、大崎を攻めつぶすべきだろう」
「いや、殿からは退けと命じられている。それに背くわけにはいくまい。惜しいが、ここは退くべきではないだろうか?」
各武将たちも意見が分かれる。ここは総大将である自分が決めねばならない。柏山明吉は数舜、瞑目して沈思した。戦は水物である。流動的に動くため、その場その場で判断せねばならない。そのために「将」がいる。常識で考えるならば、せっかく土地を奪える機会なのだ。これを見逃す手はない。
「退こう。左京太夫の肝は十分に冷えたであろう。ここで殿の命に背いたところで、得る土地は僅かなもの。兵たちも戦を経験したし、これ以上戦っても意味はあるまい」
新田においては、常識は通じない。むしろ武士の常識など邪魔なのである。新田は天下を統一し、日ノ本全ての土地を領することを目標としている。だが目先の土地に拘りはしない。この戦は、大崎への仕返しと兵の実戦調練である。それは既に達した以上、主君の命に背いてまで戦う必要はない。
「さすがは柏山明吉殿、見事な退き方だ」
伊達軍が接近する前に北上川を渡り、対岸を悠々と撤退していく新田軍を見つめながら、片倉景時は敵将の決断に称賛を送った。
「父上、新田は一万もの大軍。我らは大崎と併せてもせいぜい五〇〇〇、なぜ新田は退いたのでしょうか」
片倉家嫡男の片倉小八郎景重が首を傾げる。景時は目を細めた。片倉家は出羽八幡宮の宮司の家柄である。だが同時に、こうして戦にも出てくる。息子は自分と共に戦場に出て、血にまみれている。出来れば孫には、宮司のまま安寧の生を送って欲しいと願っていた。
「良いか小八郎。戦において肝心なことは、敵の考えを読むこと。そのためには、敵の立場になって考えてみることだ。此度、新田は何を狙って大崎を攻めたと思う?」
「それは…… やはり大崎領を攻め落とすことでは?」
「いや、違う。それであれば一万ではなく、もっと大軍を出しただろう。旧葛西家臣ではなく、南条や武田といった新田の重臣を出したはずだ」
「……つまり、もともと大崎を攻め落とすつもりはなかった? ではなぜ?」
「一つは柏山ら旧葛西家臣たちに活躍の場を与え、新田家中での居場所を作らせるためであろう。一働きしたというだけで、柏山らも新田に居やすくなったに違いない。それともう一つ、我らの動きを見るためだ。此度、殿は迅速に援軍を出した。通常ならば、新田との諍いを避けるために時間を稼ごうとする。この援軍によって、新田は御当家と大崎家の繋がりを確認した。つまり、新田は既に幕府の討伐令まで察知している」
「なんと……」
直接戦ったわけでもないのに、ここまで考えるものなのか。片倉小八郎は目を輝かせた。
「常に敵の立場になって想像し、僅かな手がかりから可能性を探るのだ。智謀深き者は必ずそうしている。これは戦だけではなく、人の世を生きるための知恵だ。孫らにも、よく伝えるのだぞ」
「教え、胆に銘じます」
小八郎は素直に頭を下げた。それを確認した片倉景時は、再び対岸に目を向けた。一万の兵が整然と退いていく。その様はまるで、引き潮のようであった。
「退くこと潮の如し、か。新田は強い。兵を率いる柏山の力もあろうが、新田は兵に余程の調練をしていると見える。あの様を見よ。なんと静かで、そして美しい……」
片倉景時は、自分が途轍もない強敵を相手にしていると理解し、静かに高揚していた。
「殿、せっかく得た土地を手放すことになってしまい、申し訳ありませぬ」
「いや、よく決断した! さすがは名将、柏山明吉だ。損して得取れとは正にこのことよ」
高水寺城に戻った柏山明吉は、せっかく大崎領の半分を得ながらそれを捨てた判断を詫びたが、又二郎は大声で激賞した。又二郎としては、命令に従おうが叛こうが、どちらでも良かったのである。叛いた場合は「俺の命令に盲従するな」と言うつもりであった。この戦は、柏山をはじめとする旧葛西家臣たちに手柄を立てさせるためのものなのだ。その目的は十分に達成した。
「それで、伊達の様子はどうであった?」
「伊達の援軍を率いるのは片倉伊豆守景時殿。某は直接ぶつかったことはありませぬが、伊達家きっての名将と聞きまする」
又二郎は頷いた。伊達の名将といえば、真っ先に浮かぶのは片倉小十郎景綱だが、その祖父こそが片倉景時である。晴宗時代に政戦両略で活躍した名将として、後世にも名を残している。
「やはり鎧袖一触とはいかぬか。だがこれで、陸奥方面での足並みは乱れたであろう。いかに伊達といえど、雪には勝てぬ。今年、陸奥方面で伊達や蘆名が出てくることはあるまい。残るは出羽か」
又二郎の読みは正鵠を射ていた。それから一〇日後である神無月の中頃、刈入れを終えた小野寺、最上、大宝寺の連合軍一万五千が北上を始めた。総大将は羽州探題、最上義守である。
「来たか! 至急、津軽に援軍の使者を出せ!」
出羽北部を任されていた安東太郎愛季は、直ちに援軍を求める使者を出した。永禄三年神無月(※旧暦一〇月)、奥州決戦の第一幕が始まろうとしていた。