大決戦への前途
奥州探題、伊達次郎晴宗は米沢城内において沈思していた。手元には隣国である最上家からの書状と共に、室町幕府一三代将軍足利義輝からの御内書がある。奥州の大名、国人たちは皆が一致団結し、幕府に逆らう新田を討つべし。新田討伐の令であった。
「殿、如何されますか」
「フンッ…… 如何もなにもない。公方様の命だ。逆らうわけにもいくまい。それに実際、新田の伸長をこれ以上黙って見ているわけにはいかぬ。最上の御膳立てという点は気に入らぬがな」
重臣である片倉景時に対して、晴宗は口端を歪めて手にしていた書状を放った。中野宗時はその書状を丁寧に畳んで恭しく頭の上に挙げると文箱へと納めた。その仕草がいかにも大仰でわざとらしく見えるため、片倉景時は内心では中野宗時のことを嫌っていた。だが天文の乱において晴宗を擁立し、様々な策謀で伊達家当主へと押し上げた手腕は認めざるを得ない。伊達稙宗、晴宗と二代に渡り、家中きっての謀臣として活躍している。晴宗にとっても腹心中の腹心であった。
「それで、中野殿はどう思われるか?」
片倉は咳払いして、対面に座った謀臣に尋ねた。宗時は数瞬宙を見つめ、その眼差しを片倉に向ける。
「まず決めるべきは、御当家が進む道にござる。王道、覇道、鬼道がござる」
「王道とは、旗頭となり堂々と新田と戦うことでござるな。それで残り二つは?」
「覇道は、旗頭となりつつ最上や蘆名を前に出して疲弊させ、頃合いを見て新田と和睦。その後は、傷を負った獲物を根こそぎ喰らう道でござる。鬼道は先にそれをやる道でござる。討伐令を名分に他家の当主たちを集めそこで……」
片倉はブルッと震えた。当主たちを皆殺しにし、混乱したところを喰らっていく。大きくなったところで新田と対峙する。卑怯卑劣という言葉ですら生温いような策であった。こんな策を平然と出してくるなど、やはりこの男は危険だと思った。
「クククッ、さすがに最後の道はいただけぬな。手っ取り早く伊達が大きくなるには良いかもしれぬが、新田がいなくなるわけではない。最上や蘆名を喰らえたとしても、その先はあるまい?」
「左様ですな」
中野宗時はアッサリと自分の策を捨てた。最初から採用されるとは思っていなかったのである。だがこうした道もあると示し、最後に当主に決断させる。当主を試すのもまた、謀臣の務めというものであった。
「とはいっても、これで奥州が大きく動く。これを機に伊達も躍進すべきであろう。宗時、策を示せ」
伊達家当主である晴宗は、他家に嫁ぐはずであった美女を奪い、父親を強制的に排除した男である。獰猛にして強欲、粗にも野にも卑にもなれる。まさに乱世の男であった。
「御当家の飛躍において、まずもって目障りなのは名門と分家。幸いなことに口実もございますれば、まずこの二つに責を負ってもらいましょう」
大崎家と最上家のことである。大崎は新田と隣り合っており、遅かれ早かれ戦とならざるを得ない。そして大崎の分家である最上は、羽州探題として今回の討伐令を整えた家である。呼びかけ人である以上、最初に戦わせても、文句は言えないだろう。宗時の言葉はそういう意味であった。
「新田とて無限に兵がいるわけではございませぬ。いずれ疲弊しましょう。その時に、関東管領殿を擁する家に動いていただきましょう」
「長尾でござるか? ですが長尾は北条と……」
だが宗時は手を挙げて、片倉の言葉を止めた。
「長尾はいま、数万の兵を集めておりまする。おそらく来年には、北条を攻めましょう。ですがその後は? 人は義だけでは動きませぬ。利が必要でござる。長尾も、新田が持つ利を知っているはず。幕府からの討伐令という名分と実利があれば……」
謀臣らしい薄暗い笑みを浮かべる。それに呼応するように、晴宗もまた口端を歪めて歯を見せた。
高水寺城の評定の間には新田陸奥守又二郎政盛以下、新田家の重臣たちが並んでいた。出羽からは石川高信も来ている。旧安東領の慰撫という役目の中での急な呼び出しである。又二郎は当主の座に腰を下ろす。顔が渋い。余程の事態が起きたのだと、皆が覚悟していた。
全員が揃ったところで、加藤段蔵が入ってくる。普段通り、商人のような姿であった。
「さて、時が無い故、早速始めようか。段蔵」
段蔵は一礼すると、無表情のまま報告を始めた。
「最上家の姫と伊達家の嫡男との婚姻話が進んでおります。先日、最上家嫡男の源五郎義光殿が上洛し、公方様に目通りの上、御許しを得たようでございます」
「最上と伊達……」
武田守信が小さく呟いた。だがその程度であればどうということはない。段蔵の話が続く。
「その後、最上は隣接する大名、国人衆に使者を出しておりまする。奥州探題と羽州探題が縁戚になる故、他家への説明が必要とのこと。主だったところでは、小野寺、大宝寺、蘆名、二階堂、二本松、田村、相馬……」
「小野寺や大宝寺?」
石川高信が微かに首を傾げた。だが段蔵の次の言葉で全員の顔色が変わる。
「さらに九十九衆の調べでは、佐竹、宇都宮、そして長尾に使者を出しておりまする」
「それは…… なぜ佐竹や長尾にまで使者を出す? いや、それほどまでに嬉しかったということか?」
「そんなはずないでしょう。いや、それよりも…… 殿、当家には使者は来たのでしょうか?」
南条広継の質問で、全員が又二郎に顔を向ける。わざわざ長尾家や佐竹家に出すくらいなのだ。単純に伊達家と繋がるという話だけなら、新田家にも話が来ておかしくない。だが又二郎は首を振った。
「そんな話は聞いておらん。どうやら俺は、余程に嫌われていると見える。最上義光など会ったこともないのだがな」
そう言って肩を竦めて苦笑する。当主がわざと剽げたお陰で、緊張の空気が少しだけ緩む。だが事は深刻であった。最上の動きには、何か裏がある。その裏とは一体何か……
「考えられるのは、奥州に残された大名たちを束ねての連合でしょうか。使者の行き先は、まるで御当家をグルリと囲む壁のようでございます」
「うむ…… だがそれであれば、そこまで警戒する必要もあるまい。蘆名はつい先日まで、田村や相馬と争っていたのだ。小野寺や大宝寺も最上と親しいとは言えぬ。連合などできようはずがない」
「仮に連合したところで、所詮は烏合の衆。小野寺も由利を獲りつつあるが、それだけ兵も疲弊しているはず。まず小野寺を潰し、出羽の北から最上を、陸奥から伊達を圧迫すれば、互いの協力などできようはずもない。警戒すべきは長尾だが……」
「いや、長尾は北条と争っていると聞く。遠い陸奥まで兵を出す余裕はないだろう。それに長尾と御当家は交易で繋がっている。此方に兵を向けるのは損でしかない」
皆が一通りの意見を述べる。対新田連合軍ということであれば、それほど恐れる必要はない。纏まれば大きな力になるが、纏まらなければ各個撃破の対象となる。むしろ攻める口実を新田に与えたようなものであった。
その中で、南条越中守広継と浪岡弾正大弼具統の二人が沈思していた。又二郎はまず、浪岡具統に意見を求めた。
「某が気になっているのは、なぜわざわざ嫡男が上洛したのか、ということでございます」
「うん。婚姻話が見せかけで、対新田への連合であるなら、上洛する理由がないということだな?」
「御意。婚姻話を本物と見せるためだとしても、わざわざ嫡男を出すでしょうか?」
又二郎は頷き、続いて南条広継の意見を求めた。広継は数瞬沈黙し、一つの可能性を示した。
「もしかしたら、公方様が動いているのではありますまいか?」
「公方様? どういうことだ?」
「御当家は幕府および朝廷に対し、年三度程度の挨拶を出しておりまする。天下統一のためにも朝廷を蔑ろにすべきではなく、同じ理由で幕府にも一定の配慮を示す。これが殿の中央政策でございました」
「そうだ。この奥州には、鎌倉から続く中央への憧憬がある。大名、国人衆は朝廷や幕府という権威に弱い。故に公方の顔を立てる姿勢を示してきた。越中が言いたいのは、その公方が新田を切ったということだな?」
又二郎は途中から、公方と呼び捨てにした。自分の中に、ある確信が芽生えたからである。それは南条広継の危惧と軌を一にしていた。
「もし公方様が、御当家への討伐令を出されたのだとしたら……」
「越中殿、それは……」
武田甚三郎守信が腰を上げかけた。あくまでも可能性だが、否定できる証拠もない。むしろ上洛以降の最上の動きを見ると、そうとしか思えなくなっていた。
その場の全員が沈思する。もし本当に、新田討伐に幕府がお墨付きを与えたのだとしたら、その影響は計り知れない。領民はともかく、元国人衆も離反しかねない。なにより、奥州連合に大義名分を与えることになる。数年に渡って争っている蘆名と田村でさえ、一時の停戦をするだろう。
「クッ……クックックッ……ハハハハハッ」
沈黙の中で、当主が低く笑いはじめ、やがて高笑いとなった。全員が黙って又二郎を見つめる。やがて笑いが収まりフゥと息を吐く。上げた顔に全員が背中を震わせた。爛々と瞳を輝かせ、獰猛な笑みを浮かべる怪物がいたからである。
「面白い。むしろこれは良い機会だ。これで新田は、幕府を潰す名分を得たというわけだ。伊達も最上も蘆名も、佐竹も宇都宮も長尾も、まとめて潰してくれる!」
こうして、奥州大乱の混沌は一つの形へと結実した。幕府の命を受けた対新田大連合との一大決戦が始まろうとしていた。