羽州探題
新田又二郎政盛率いる新田軍二万二〇〇〇が葛西家を滅ぼそうとしている頃、出羽国においても大きな動きがあった。檜山安東家による土崎攻めである。
「比内大館は竹鼻が守っている。我らに後方の憂いはない。今こそ土崎を、豊島を潰すのだ!」
「おぉっ!」
安東太郎愛季の檄に家臣たちが一斉に吠える。安東家の力は、先の赤尾津崩れから完全に立ち直ったわけではない。鹿角と比内の半分を失っており、動員できる兵力も少なくなっている。だが意思統一という点では以前よりも強くなった。安東家の方針に逆らう者は、すべて比内で逼塞している。この場にいる家臣たちはすべて、当主である安東太郎愛季の方針を受け入れた者たちであった。
安東家は遠からず、新田に臣従する。比内も能代も、すべてを差し出すことになり、皆は俸禄で仕えることになる。安東家としての戦は、これが最後である。安東には二つの選択肢があった。離反した安東家旧臣たちを攻めるか、それとも赤尾津崩れの一因となった豊島を攻めるか。当然、選んだのは後者であった。
「クククッ…… 儂としたことが見誤ったか。安東の若造は、やはり只者ではないわ」
豊島玄蕃頭は酒を呷って愉快そうに笑った。土崎湊のほぼ全域を豊島が支配している。石高は一〇万石を超え、もはや大名といっても過言ではない。だが玄蕃頭は、ここが自分の限界だと悟った。由利衆を攻めようとしたが、その前に新田と安東が手を打った。安東は迅速にまとまってしまい、豊島は動くに動けない状況となっている。
「で、親父はどうするつもりだよ? このままじゃ拙いぜ?」
息子である豊島次郎重村は、父親のように愉快に笑うことはできなかった。武士なのだ。家を大きくするために策を巡らせるのは当然である。だがそれらは勝ってはじめて言えることなのだ。仙北を飲み込んだ小野寺と手を組み、新田に同調する安東太郎愛季を排して、出羽に一大勢力を形成する。南北に長い新田が無視できないほどの力をつけ、対等に近い従属同盟を結ぶ。所領は安堵され、豊島は出羽の支配者として大名に躍進する。
豊島玄蕃頭が描いた未来図は、小野寺と手を組み土崎を支配するところまでは上手くいったが、そこまでであった。結局、出羽には安東、豊島、由利衆、小野寺の四家が並び、どれ一つとっても新田には遠く及ばない。
「勝つしかあるまい。安東は三〇〇〇、此方は二五〇〇、数の上ではほぼ互角よ」
勝ったところで先が無いのは解っている。だがこのまま座して咎人のように責められ、すり潰されるよりは、戦場で華々しく散りたかった。
「安東も解っておろう。安東にとっても豊島にとっても、これが最後の戦だ。勝っても負けても、その先にあるのは新田への臣従。ならばせめて、思う存分に暴れようか」
「そうかい。なら俺も、腹を括るとするかね」
豊島次郎重村は、あまり策謀を巡らせるのは得意ではない。いや、正確には考えることを面倒と思う人間であった。表裏なく、あっけらかんとぶつかり合い、槍を交える。負ければ気持ちよく死ねばよいのだ。典型的な「戦人」であった。
「できれば新田陸奥守の首が欲しかったが、まぁここは檜山安東家当主の首で我慢するかい」
安東家の長い歴史の中で二つに分かれた家は紆余曲折を経て、再び一つになろうとしていた。
「葛西は滅亡寸前。その次は大崎、そして伊達でございましょう。父上、もはや猶予はありませぬ。我ら最上も、進む途を定めねばなりませぬ」
出羽国の南東部にある山形城は、羽州探題最上氏の本拠地である。その評定の間では一人の若者が発言していた。身体の大きな男であった。それでいて顔立ちに猛々しさはなく、むしろ知性と教養すら漂わせている。最上家嫡男の最上源五郎義光の言葉に、羽州探題である最上出羽守義守は迷いの表情を浮かべていた。
「……伊達からは義を嫡男の嫁にという話が来ている。伊達はどうやら、大崎と共に新田に抗することを決めたらしい。我らはもともと、大崎の分家。本家の危機に黙っているわけにはいかぬ」
「父上、相手は蝦夷、津軽、鹿角、陸奥を領する大大名でございます。その兵は精強にして、数は二万とも三万ともいわれまする。戦って勝ち目がありましょうか?」
「では降ると申すか? 兼頼公(※斯波兼頼のこと)がこの城を築いて以来、我ら最上は羽州探題として出羽、そして陸奥を支えてきた。たとえ形だけであろうとも、足利にも繋がる名門最上家が、陸奥の最果ての地で暮らしていた一国人如きに、降ると申すか?」
「父上。大崎はもはや、奥州探題ではありませぬ。昨年、伊達次郎殿(※伊達晴宗)が公方様より奥州探題に任じられたことで、大崎は終わったのです。伊達の所業には、父上も随分とお怒りになられていたはず。その伊達と、手を組まれるのですか?」
最上義守とて、嫡男の言うことは十分に理解していた。ただ悔しいのである。京を治める室町の力が衰え、幕府は形骸化してしまっている。ならばせめてこの奥州だけでも、幕府の権威の下で纏まるべきではないか。なぜ自分勝手に、己が欲望のままに戦をするのか。義守は、羽州探題として何もできないでいる自分自身が悔しかった。
無論、義光とて父親の苦悩や葛藤は、痛いほどに理解している。だが優先順位の問題なのだ。まずは最上を残さなければならない。奥州のことは、その後で考えれば良い。若い嫡男だからこそ、父親ほどに家格や名門としての誇りに囚われていなかった。
「若君。御屋形様も十分にお考えなのです。その上で伊達、大崎に与するとお決めになられたのです。ならば我らも御屋形様を御支えし、新田に立ち向かうべきではありませぬか」
筆頭家老の氏家定直の言葉に、義光はそれ以上はなにも言えず、下がった。
「兄上、評定は如何でしたか?」
妹の言葉に、義光はただ首を振った。出羽一と称えられる美貌の妹だが、鋭い眼差しと、それを裏切らない気性の強さを持っている。男として生まれていたら、さぞ心強い弟になっただろう。そうした思いから義光は妹を可愛がり、妹もまた義光に懐いていた。
「新田と戦うことが決まった。義、お前は近々、伊達家へと嫁ぐ」
「伊達…… たしか彦太郎という名でしたね」
「今は元服して総次郎輝宗殿だ。俺より二つ年上だが、武辺者として知られている」
だが妹はプクッと頬を膨らませてそっぽを向いた。昔から思い通りにいかないときの、妹の拗ね方である。こうなると、妹を宥められるのは自分しかいない。義光はやれやれと思った。
「嫌でございます。ただの武辺者など、がさつ者の上に臭いではありませぬか! 義は兄上のような涼しい御方と結ばれとうございます」
「俺を褒めてくれるのは嬉しいが、伊達家は奥州探題。つまり其方はいずれ、奥州探題の奥となるのだ。悪い話ではないと思うがな?」
「奥州探題などどうでも良うございます。そもそも、伊達は永らえるのですか? 私は滅びる家になど嫁ぎとうございません」
「義ッ!」
義光の声が思わず鋭くなる。家中とはいえ誰が聞いているのか知れない。だがこの気の強い妹はコロコロと笑い、そして真っ直ぐに兄に視線を向けた。
「兄上、父上に言上ください。私は最上が生き残る切り札。たとえ新田と戦になろうとも、私を差し出せば新田とて当家を潰すことなどできませぬ」
「馬鹿なことを。お前は兄である俺が守る。この先、最上がどうなろうとも、お前は幸福に生きるのだ」
だが妹は薄っすらと笑みを浮かべるだけであった。兄も妹も解っていた。乱世なのだ。武家の女に幸福などない。家と家を結びつける、あるいは家を守るための道具に過ぎない。齢一三の少女に、伊達と繋がるより新田への人質として自分を使えと言わせてしまう。父親と同様、義光もまた自分の無力さが悔しかった。
翌日の評定において、義光は妹の言葉を自分の意見として父親に伝えた。これには一定の説得力があり、重臣たちからも賛同の声が出た。齢一三は、まだ嫁に出すには早すぎる。新田との決着がついてからという建前で、奥州探題には見合わせの返答をすることが決まった。