大葛西の落日
柏山家の降伏は、陸奥に残された大名、国人衆に衝撃を与えた。特に葛西家に従う国人衆たちは反応が二分した。一つは新田許すまじと強硬になる者。もう一つは三度戦った柏山ですら許されたと安堵する者である。たとえ弓引いた者であっても家門は残せるとなれば、今のうちにと降る者も出始める。だがその流れは長くは続かなかった。降伏すら許されず、潰された国人衆がいたからである。
「一体、どうすれば認められるのだ?」
陸奥に残された国人衆たちは迷った。潰された国人はそれなりに大きく、戦にも強い。召し抱えたほうが新田も得するはずであった。だが土地を差し出すと言っても一顧だにされず、攻め滅ぼされてしまった。一体、なにが基準なのか。
「明白だと思うがな。たとえ才無くとも、真面目に働く者を俺は大事にする。力が無くとも、誠実な者は粗略には扱わぬ。領民を飢えさせていようとも、何とかしようと必死に足掻いている者には手を差し伸ばす。俺が許せぬのは、民を苦しめておきながら、己一人贅沢をして平然としている輩よ。野盗山賊の類となんら変わらぬわ」
無論、理由はそれだけではない。戦国時代では、甘く見られること自体が問題である。たとえ敵対しようとも、降伏すれば寛大に許されるなどと考えられては困るのだ。九十九衆や歩き巫女によって、陸奥や出羽の国人たちの評判は調査済みである。それを又二郎なりの評価基準で取捨選択し、残す家と潰す家を決めている。才能、能力は二の次である。第一の基準は誠実で真面目なことだ。
「乱れた世では、一握りの才ある者が取り立てられるやもしれぬ。だがそれでは駄目なのだ。大多数の人々はそれ程大差はない。役目に懸命に取り組み、たとえ失敗しても嘘をつかずに誠実に報告する。真面目な凡夫が安心して生きられる世こそ、俺が目指す天下だ」
鍋を囲みながら、又二郎は自分が目指す天下を語る。それを熱心に聞くのは、鹿角方面から合流した若き侍大将、九戸政実、実親兄弟と石川信直の三人である。三人にはなぜか、左頬に痣があった。聞いたところ、初戦に勝って浮かれていて陣中で兜を脱いだところ、
『陣中で兜を脱ぐとは何事か! まだ戦は終わっておらぬぞ!』
毛馬内靱負左秀範にそう怒鳴られ、殴られたそうだ。それを聞いた又二郎はなにも言わずに頷いた。元南部家家老であり、若者を指導してきた秀範だからこそ、その程度で済んだのだ。自分だったら三戸城に追い返している。
(どこかで失敗を経験させねば。新田は常に勝ち続けてきた。その結果、戦を甘く見る者が出始めている。たまたま売れた営業マンの業績が長く続かないのは、なぜ売れたかが説明できないからだ。戦も同じだ。なぜ勝てたのか、負ける可能性があるとすれば何か。自分が敵だったらどう動くか。演習と調練で考えさせるだけでは、どうしても限界がある……)
苦労を知らずに成長した人間は、躓いて転んだ後に立ち上がれなくなったりする。立ち上がり方を知らないからだ。鍋を囲みながら、どこかで負け戦をしようと又二郎は思った。
又二郎の思惑とは裏腹に、新田軍は凄まじい勢いで葛西領を侵食し続けた。かつて大葛西と呼ばれた奥州随一の大大名とて、二万を超える軍に一気に攻められればどうしようもない。
「初めてお目に掛かります。熊谷孫四郎直正でございます。寺池館攻めには、我ら熊谷党に先鋒をお任せくだされ」
葛西氏の本拠である寺池館を前に、気仙沼熊谷氏を代表して蜂起の呼びかけ人である熊谷直正が挨拶にきた。史実ではそれ程優れた武将として名を残してはいない。だがこの歴史線では、新田の躍進と葛西の衰退の中で、上手く立ち回って勢力を拡大したと評価されるかもしれない。
「直正殿の御言葉、誠に忝く思う。だが熊谷党は劣勢の中で蜂起し、この一年間を戦い続けてもらった。さらに先鋒を任せるというのは酷だ。後方でゆるりと休まれよ」
実際のところ、熊谷党にこれ以上の手柄を立てられては困るのである。九十九衆の報告では、熊谷党の中に「これだけ働いたのだから、気仙沼一帯を領地として認められるのでは」などという声が出ているという。確かに普通の大名であれば、本領安堵の上に加増してもおかしくはないだろう。
だが新田では違う。どれほど働こうと、どれほど活躍しようと、決して所領は得られない。それが、新田に仕えることの最大の「不利益」なのだ。
(直正を評定衆に取り立て、気仙沼から本吉一帯の代官を熊谷党で固める。直正には一万石の家禄を認め、赤岩なども加増せねばならんな。まぁ気仙沼一帯が開発できれば、赤字にはならんだろう)
新田では米と銭で俸禄を与える。だが銭は使えなければ意味がない。そのためにも産業振興に力を入れている。だがどうしても手工業では生産力に限界があった。ようやく領内で売られ始めた蜂蜜も、まだまだ価格が高い。もっとも、それでも奮発すれば庶民でも買えるという時点で、他の土地では有り得ないのだが。
「殿、田名部吉右衛門殿がお越しです」
「吉右衛門が? 戦場に出てくるなど余程だな。会おう」
田名部吉右衛門政嘉は、新田家の文官筆頭である。現在も占領した葛西領を調べまわり、新産業の芽を探しているはずであった。その吉右衛門が、最前線に出てくる。火急に知らせるべき何かがあったのだと又二郎は覚悟した。
「殿、葛西領を調べる中で、火急にお知らせしたき儀があり、罷り越しました」
しっかりと鎧に身を包んだ吉右衛門と、一見すると商人の姿にさえ見える加藤段蔵が本陣に来た。
「段蔵までいるのか。何があった?」
本陣に詰めている重臣たちも沈黙する。田名部吉右衛門政嘉は、新田家にとって唯一ともいえる譜代であり、内政における発言力は絶大である。又二郎も「日ノ本すべてが敵に回ろうとも、御爺と吉右衛門だけは裏切らぬ」と絶対の信頼を置いていた。加藤段蔵も、普段こそ目立たないが、新田の戦を裏から支える九十九衆の頭領として、武将たちから一目置かれている。その二人が来たとなれば、何事かと思うのは当然であった。
「殿、良い報せが一つ、悪い報せが一つです。まずは悪い報せから……」
又二郎の性格を理解している吉右衛門は、悪い報告から始めた。
「釜石近くの五葉山に、大規模な山賊を見つけました。その数は一〇〇〇を超え、もはや国人衆と言えまする」
「五葉山? あの地は深い山林に覆われて何もないはずですが?」
武田甚三郎守信が首を傾げる。又二郎は熊谷直正に視線を向けた。五葉山は、熊谷党の勢力圏である高田(※現在の陸前高田)からも近い。何か情報があるのではと思ったのだが、直正は盛大に首を振った。自分が疑われているのだと勘違いしたのだ。
「(まぁ良い)それで、段蔵がいるということは調べたのであろう?」
「は…… それが、どうやら南部、九戸、斯波の残党のようです。御家に服するを良しとせず、殿の温情で逃げた者たちが自然と集まり、勢力となったようです。それを束ねるのは、久慈治義殿……」
「治義殿が!」
武田甚三郎は驚き、主君に視線を向け、そして戦はまだまだ終わらないと確信した。主君が、まるで野獣のような猛々しい笑みを浮かべていたからである。
「それで、良い報せはなんだ?」
重臣たちの視線に気づいた又二郎は、自分の頬を両手でパンと叩き、一〇代の青年らしい表情に戻った。その変わりようを初めて見た直正は、絶対に怒らせてはならないと内心で恐怖していた。
一方、又二郎を幼少の頃から知る吉右衛門は、慣れた様子でニッコリと笑った。
「殿、御喜びくだされ。見つけましたぞ」
麻袋が運ばれてくる。中から黒い石が幾つか取り出された。家臣たちは首を傾げるが、又二郎は爛々と瞳を輝かせた。新田家が、いや日本が次の段階に進むためには、絶対に必要なものであった。
「鉄鉱石か! でかしたぞ吉右衛門!」
又二郎は床几から立ち上がって叫んだ。明治時代、釜石に製鉄所ができたことは有名である。だが釜石鉱山の場所までは正確には知らなかった。そのため吉右衛門や九十九衆には、鉱山探索を最優先課題として命じていた。そしてついに発見したのである。
「良し。釜石を湊にして蝦夷地と繋げる。遠からず、銭衛門が明から職人を連れて来る。釜石に製鉄所を作るぞ! 多くの雇用が生まれ、鋳物などの新産業が生まれるだろう」
又二郎がなにを言っているのか、その場の殆どの者には理解できなかった。だが内政において大きな進展があったらしいというのは理解した。つまりまた一つ、新田が豊かになるのである。それは喜ばしいことであった。
「殿、おめでとうございます。されど先ほどの話では、釜石近くには賊がいると……」
武田甚三郎の指摘で、小躍りしそうなほどに喜んでいた又二郎はピタリと止まった。そして無表情になる。その変化に直正はゴクリと唾を飲み込んだ。
「……甚三郎。その賊徒共に使いを出せ。釜石は新田が開発する。いま降るのならば、許すばかりか釜石で豊かに暮らせることを約束する。逆らうならば皆殺しだとな」
「治義殿は殿を嫌っておりまする。従うとは思えませぬが……」
「あぁ、そうだったな。なら久慈治義だけは助けてやる。他は皆殺しだ」
武田甚三郎は思わず表情を顰めた。自分ひとりが助かり、他が皆殺しにされる。生き延びた者は生涯、苦しむだろう。一思いに殺すよりも、遥かに残酷な仕置きであった。
(逆らってはならぬ。このお方にだけは、絶対に逆らってはならぬ! 熊谷党を引き締めねば!)
熊谷直正は戦慄と共に、固く心に決めたのであった。