警戒と油断と
「御前様、ご武運を」
「葛西、大崎など恐れるに足りず、ですわ」
永禄三年卯月(四月)末、咲きかけの大輪のような二人に見送られ、新田陸奥守政盛は七〇〇〇の軍を率いて三戸城を出陣した。九戸城、姉帯城を通り高水寺城に入る。それほど長い距離ではないが、雪解けによって北上川が増水しているため、およそ一五日で高水寺城に到着した。
「殿、無事の御到着、祝着至極でございます」
長門藤六広益の出迎えを受け、又二郎は評定の間に入った。率いてきた七〇〇〇と、この地を守備していた五〇〇〇を合流させ、再編成した後に出陣となる。従うのは長門広益、南条広継、下国師季、武田守信だが、その後には南長康、石川信直、九戸政実、九戸実親ら若き武将が五〇〇〇を率いて合流する。文官としては、鹿角北部の開発を成功させた田名部吉右衛門政嘉を筆頭に、一方井安政と沼宮内常利ら土地勘のある者たちが開発、物流を担当する。
「さらには気炎を上げている気仙沼熊谷党や、家門安堵を条件に領地を差し出すと言ってきた国人衆も加わります。葛西・大崎攻めにおいては、総兵力二万を超えるでしょう」
「二万……」
長門藤六広益がブルリッと震えた。武者震いである。南条広継と武田守信は軍師的な役割をしており、下国師季は攻より守が強く、本陣近くに構える。つまり二万の先陣は自分が担うのだ。これほどの大戦の先陣となれば、武人として終生の誉れであった。
「藤六、此度の戦は間違いなく史に刻まれるであろう。大いに励め」
「ハッ!」
「とは言ったものの、此度の戦において、俺は葛西や大崎など気にしておらぬ。鎧袖一触であろう。油断できぬのは初戦の相手、先の戦において俺の首にまで迫った男、柏山明吉だ」
又二郎の言葉に全員が頷いた。広継と守信が言葉を続ける。
「九十九衆をもってしても、柏山領に忍び込むことはできませんでした。領民一人ひとりまで柏山の家族。おそらく凄まじい抵抗があるでしょう」
「柏山は葛西や大崎と比べると小大名ですが、戦上手で知られています。その兵は、鍛え抜かれた当家の兵にも匹敵します。まして此度は守りの戦であれば、領民までが死を恐れずに攻めてきましょう。柏山領に入ったら、周りはすべて敵と思ったほうが良いでしょうな」
下国師季は腕を組んで思わず呻いた。
「つまりは、当家で例えるなら田名部を攻めるようなものか。なんと厄介な……」
「あの手ごたえは今でも思い出す。堂々たる強き敵と戦うは、武人の本懐というものよ」
師季の言葉を否定するように、広益は蓄えた口髭に笑みを浮かべた。
(いずれまた……)
邂逅したのはただの一度。ほんの一瞬のすれ違いであったが、柏山明吉と思われる武将と視線を躱した時、確かにそう聞こえた。あの時から決めていた。柏山明吉は自分の手で討ち取ると。
「出陣は三日後だ。それまでは兵を休ませ、英気を養うがいい」
永禄三年卯月(五月)一七日、新田陸奥守政盛を総大将とする新田軍一万二〇〇〇が、高水寺城を出陣した。陸奥にしては珍しく、初夏を思わせるような暑い日であった。
鎌倉時代、御家人が有事の際に「いざ鎌倉」と馳せ参じるために、鎌倉幕府は「鎌倉街道」と呼ばれる街道を整備した。もっとも、当時は街道名などなく、江戸時代においてであり、鎌倉幕府政庁の記録である吾妻鏡の中には「鎌倉街道」という名は出てこない。吾妻鏡では鎌倉との「往還道」として幾つかの道が紹介されている。その中で最も有名なのが、鎌倉から駿府、遠江を通り京まで続く道、東海道であろう。
「ホホホッ…… 佳きかな佳きかな。織田のうつけなど一捻りぞ」
新田又二郎政盛が高水寺城に到着したころ、東海道の要衝である尾張国沓掛城に、大軍が集結していた。その数二万四千。新田軍の二倍である。それを率いるのは東海三国を治める大大名、今川治部大輔義元である。
「婿殿よ。大いに励まれよ。ここで働き、織田を滅ぼした暁には岡崎を其方に与えよう」
「忝うございます。この元康、奮迅の働きを致しまする」
そう言って頭を下げたのは、今川軍の中でも最年少の武将。弱冠一八にして一軍を率いる「松平蔵人佐元康」である。精悍な顔立ちと智謀を漂わせる眼差しに、義元は目を細めて頷いた。一見すると良好な主従関係に見えるが、この二人の間には葛藤がある。
(ふざけるな。岡崎はそもそも松平の城。それを「与える」だと?)
(ホホホッ、やはり油断ならぬ。此度の上洛で、できるだけ三河者を使い潰さねばの)
やがて軍議が始まる。尾張に忍ばせた間者から、当主の信長が遊び惚けているという話を聞き、義元は「本物のうつけよ」と大いに嗤った。だが元康は、口元に笑みこそ浮かべていたが、内心では違った。
(あの吉法師殿が、なにも考えずに遊び惚けているはずがない。此方を油断させるためであろう。遊びながら、この危機的な状況を覆す策を考えているに違いない)
「婿殿よ。まずは先行し、大高城に兵糧を届けてもらいたい。一歩ずつよ。緩々と攻め、織田のうつけが清州で遊び惚けている間に、尾張を飲み込んでしまうのだ」
馬にすら乗れないほどに肥え、白粉を塗った男の言葉に、皆が平伏した。一見すると、それこそうつけの主君に見えるが、家臣たちは絶大な信頼を寄せている。名僧、太原雪斎の愛弟子であり、武田や北条を相手に五分以上に渡りあってきたのだ。主君の決断に間違いはない。皆がそう信じていた。
永禄三年卯月(五月)一八日夕刻、松平蔵人佐元康率いる三河勢が沓掛城を出陣した。その姿を義元が見送る。松平元康にとって、義元の最後の姿であった。
同日夜、清洲城では小者たちが逃げ出していた。殿様はうつけだ。このままでは自分たちも殺される。そう考えた者たちは次々と離れ、織田家の本拠である清洲城は、静まり返っていた。その中で、ボロボロの鎧を着た一人の小者が、馬に餌を与えていた。背が低く身体も痩せている。さらには猿顔で決して良い顔立ちとはいえない。だが男には愛嬌があり、目の前の仕事を懸命に励む姿から、小者の中では認められていた。男の名は「藤吉郎」という。
「馬の様子はどうだ?」
「へ? うへへぇっ!」
背後から声を掛けられた藤吉郎は跳びあがり、慌てて地面に伏した。声を掛けたのが、清洲城の主であり織田家当主、織田三郎信長だったからである。
「御馬は今日も元気です! いっぱい飯を食べてます!」
「そうか。猿も元気だな。他の者たちは?」
「へぇ! 逃げました!」
「で、あるか」
信長は表情一つ変えずに、その場を離れようとした。藤吉郎も立ち上がり、それを見送る。その時、ふと風が吹いた。卯月とは思えぬ、冷たい風であった。
「あぁ、これは、明日は雨やもしれません」
「雨?」
「へぇ。この時期、夜にこうした風が吹くと、次の日に雨が降るんです。それもかなり激しく。猿めの家は百姓ですからな。子供のころからこうした風には気を付けておりました」
小男が、猿顔をクシャクシャにして笑う。だが立ち止まったまま、信長は考える表情を浮かべた。やがて、その瞳が鋭くなる。
「ここで待て。飼葉を切らすな!」
「へ? へへぇっ!」
日付が変わり、一九日未明となる。寝室で眠れぬまま目を閉じていた信長に、一報が入った。
「申し上げます! 丸根砦、鷲津砦が攻められておりまする。攻め手は朝比奈備中守、松平蔵人佐にございます!」
その瞬間、信長は目を開き、布団を弾き飛ばした。
「於濃! 鼓を打てっ!」
「ハイハイ、支度できておりますよ」
正室の帰蝶姫は、当たり前の表情で、隣室で信長を待っていた。信長は夜着のまま、扇を開き、舞い始めた。敦盛である。
人間五〇年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり……
「出陣する!」
扇を床に叩きつけ、信長は叫んだ。女たちが一斉に集まり、信長に鎧を着せる。秀麗な顔立ちと、燃えるような眼差しが灯篭の明かりの中で揺れた。
「御前様、ご武運を……」
甲冑姿となった信長は、それに返事をすることなくドスドスと床を鳴らした。
「猿ぅっ! 馬牽けぇぇっ!」
馬小屋で待っていた小男は、その言葉で弾けるように立ち上がり、よしよしと声を掛けながら信長の愛馬の手綱を握った。馬に跨った信長に従うのは、小姓衆五人と一人の小者のみ。藤吉郎は信長の前を駆けながら、精一杯に叫んだ。
「信長様、御出陣! 織田信長様、御出陣!」
永禄三年五月一九日寅ノ刻(午前四時)、桶狭間の奇跡の始まりである。