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出羽の暗雲

 陸奥の冬は厳しい。だが一〇年前と比べれば、暮らしは格段に楽になった。毎年、餓死者や凍死者が出ていたのに、新田の統治によってそれが無くなった。無論、豊かな者もいれば貧しい者もいる。生まれながらに体が不自由な者、知恵が遅れている者などもいる。だがそれでも、飢えること、震えることだけはない。最低限、生きてはいける。戦国の世においてこれが如何に贅沢なことであるか、一定以上の歳の者たちは、腹の底から理解していた。今があるのは新田家があるからだと。


「闘! 応! 闘! 応!」


 弥生(三月)、津軽浪岡城では数千の兵が調練を受けていた。空は薄暗く、今にも雪が降りそうである。だが草木も生えていない地面の上で、男たちが一丸となって動く様は圧巻であった。一人ひとりが汗を流し、それが数千にもなるとまるで大地から湯気が出ているように見える。


「圧巻ですな。これほどの数が、一部に過ぎないとは……」


「移民のみならず、領内では次々と赤子が生まれている。少し前なら、食べさせていくことができずに捨てられていた子が、今ではすくすくと育っている。そしてその子らが新田の兵となる。これほど精強な軍をこれほど揃えているのは、天下広しといえど御当家だけだろう」


 武田守信に声を掛けられた高信は、兵たちから視線を外すことなくそう返した。新田の練兵は厳しい。刃のついていない槍や木刀を使うが、当たり所が悪ければ死にかねない。実際、幾度か死者が出た。主君である陸奥守に「なぜ調練で死者が出る?」と無表情のまま問われたときに、背筋に汗が流れた。練兵で死者を出すなど、将の恥である。


「家臣も兵も大事にする。だが甘やかさない」


 これが新田家の扱い方である。いたずらに兵を死なせる者は、新田家では出世しない。だがそうした者に対しても働きの場と成長の機会を与えるのが新田の強さである。


「藤六殿(※長門広益のこと)は?」


「例によって、暴れん坊を扱いていますよ。殿もお人が悪い。あの暴れん坊を将に育てよとは……」


 守信の返答に、高信は苦笑した。暴れん坊とは無論、長門広益に付けられた若き猛将「滝本重行」である。最近、ようやく平仮名を覚えたらしいが、計算などは嫌いで逃げているらしい。このままでは、せいぜい侍大将くらいだろう。


「うりゃりゃりゃぁっ! 俺様の必殺大車輪撃を喰らいやがれっ!」


 若い男が頭上で槍をグルグルと回す。壮年の男が呆れた表情でそれを見ていた。突き出されてきた槍をパシンと簡単に弾く。唖然とする若者の鳩尾に槍が突き入れられた。


「口を動かす暇があるのなら足を動かせ。手を動かせ。頭を働かせろ。お前が技の名を叫んでいる間、敵が何もせずに待っていてくれると思うか?」


 長門越中守広益は蹲る重行を見下ろして、やれやれと溜息をついた。武の素質はある。磨けばいずれ、自分を超える槍の使い手になるだろう。だが将としてはまるでダメであった。とにかく我が強すぎる。馬鹿げた技を叫びながら、先頭に立って突撃する光景が目に浮かんだ。


(まぁ、下手に偉ぶらずに素直な点は認めてやろう。人の面倒見も良い。万の将にはなれぬであろうが、千人程度の侍大将ならば、あるいは無類の強さを発揮するやもしれぬ)


 実際、藤六は重行のような男が嫌いではなかった。鉄砲の登場により、こうした武辺に頼った武将はいずれ消えていくだろう。だがそれはもう少し先の話である。この陸奥では、鉄砲は新田家がほとんど独占状態であり、他家ではまず見かけない。武辺語りにあるような一騎打ちなども、機会があるかもしれない。


「兵どもが夢の跡……か」


「あ? なに言ってんだ親父。もう一当てだ!」


「フン、何度やっても同じことよ。掛かってこい」


 カンカンと槍がぶつかり合う音が、練兵場に響いた。





「新田は連日、兵を鍛えているという。下手をしたら月明けと共に動くやもしれぬ」


「ならば我らも準備しておくべきであろう。新田が動き次第、早急に鹿角、そして檜山を押さえる」


「本当にやる気か? 御屋形様も御苦労されているのだ。それを御支えするのが家臣というものでは?」


「フンッ、あのような腰抜けなど、もはや主君ではないわ。それに新田とて本拠地のすぐ近くが混乱することを望むまい。出羽と鹿角を押さえたうえで、これまで通りの従属を願い出れば、認められる公算は高い」


 比内にある寂れた山小屋において、男たちが話し合いをしていた。主に比内、鹿角に土地を持つ国人衆である。話の内容は「謀反の企み」であった。先年の赤尾津崩れによって、安東太郎愛季の求心力は大きく低下している。ただでさえ、新田家に従属していることへの不満が家中にはくすぶっていた。

さらに新田への臣従まで考えているという噂まで流れている。もしそうなれば、自分たちは土地を取り上げられ、禄によって仕えることになるだろう。文官、武官の役目を与えられ、働くことになる。小なりといえども独立した自由な国人から、不自由な召使いに成り下がる。それを許容できないという者たちが集まり、謀反を企てていた。


「決起は卯月(旧暦四月)、評定の日に合わせて一斉に動く。まずは比内と鹿角を押さえる。土崎の豊島とも密かに連絡を取っている。安東一族を討ち取った後の出羽は、由利のように我ら国人衆が合議によって治めていけばよい」


「これは安東家中の騒動。新田が乗り出してくることも無かろう。それに新田は、出羽を攻めることを考えておらぬ。力を失った安東をそのままにしておくのがその証左よ。出羽、比内、鹿角を獲って従属すれば、認められる公算は高い」


 こうした不穏な空気は、当然ながら檜山にも伝わっていた。檜山安東家に代々仕える忠臣たちは、純粋に主家を心配して檜山城に詰めかける。


「御屋形様、このままでは比内、鹿角にて不満を持つ国人衆が蜂起するは必定。斯くなる上は、陸奥守様に御助力を願い出ては?」


「ならぬ。我らは既に一度、新田の温情を受けている。働きのない者に二度も情けを掛けるほど、新田殿は甘くはあるまい。いずれ新田に臣従したとしても、その後は其の方らまで苦労することになろう。ここは是が非でも、出羽の中で収めなければならん」


 新田の成長の陰で、檜山安東家も大きくなった。比内を獲り、鹿角南部を制し、土崎の湊衆も従えた。だがそこで躓いた。急速に膨張した分、一度の躓きによってその勢いは急速に萎んでしまった。もはや檜山安東家に、比内、鹿角を治める力は無かった。

 

数日が過ぎる。弥生も終わりに近づいても、まだ名案は出ない。そんなある日、安東太郎愛季をはじめ、重臣たちが今後の対策に苦心しているところに、珍しい男が檜山城を訪れた。檜山の南東、阿仁川流域を所領とする国人「嘉成(かせ)氏」の当主、嘉成常陸介資清(すけきよ)であった。愛季は驚き、そして半ば緊張して出迎えた。嘉成家は決して大きくはないが、その歴史は古い。安東家当主とは代々に渡って、相互不可侵を結んでいた、いわば同盟相手である。


「それで常陸介殿。御用向きは?」


「単刀直入に申し上げる。比内と鹿角を捨てなされ」


 評定の間において、初老の男は自分の息子よりも若い当主に向かって、決然と告げた。愛季は表情を強張らせたまま、黙って言葉を待った。





 卯月に入り次第、婚姻の儀を行い、そして出陣する。その前にやるべきことがある。それが墓参りであった。八戸城にある八戸南部氏の墓に、父親も眠っている。又二郎個人としては父親への想いなど何もない。だが人の眼というものがある。せめて報告ぐらいはするべきだろう。そう思い、二人の許嫁と共に八戸城を訪れていた又二郎は、寝室で一人寝ていた。


(……初夜は二人同時か。どうやればいいんだ?)


 浅い眠りではないが、頭のどこかが起きている。微かに空気が揺れた。又二郎は、枕に忍ばせた短刀に手を伸ばした。そして低い声で呟く。


「……段蔵か?」


「御意」


 むくりと起き上がる。二刻程の眠りであったが、頭は既に冴えていた。


「それで、西か? 南か?」


「西でございまする」


 西、つまり安東家で何かがあったということだ。又二郎は頷き、夜着のまま布団の上に胡坐した。


「比内、鹿角において不穏な動きがございまする。国人衆が密かに会合を持ち、何事かを企んでおりまする。おそらく、檜山への謀反かと……」


「檜山は? 援助でも求めてきそうか?」


「いえ。どうやら自分たちの手で何とかしようというお考えのようで……」


「解ってるじゃないか。安東太郎」


 フンと鼻から息を吹き、又二郎は頷いた。ここで新田に助けを求めるようなら、又二郎は安東家を見捨てるつもりでいた。鹿角北部から津軽に掛けての防御は完全である。出羽にどれほどの火事が起きようと、新田にまで火の粉が飛んでくることはない。派手に燃え広がり、やがて生き残るべき者が生き残った後、出羽を喰らうつもりであった。


「だが難しいだろうな。今の安東家には国人衆を抑えるほどの力は無いだろう。出羽は割れるな。問題は、どう割れるかだが……」


「それが奇妙なことに、譜代の家臣たちを檜山に戻しておりまする。比内大館を竹鼻殿が押さえ、それ以外はまるで捨てるかのような動きをしておりまする」


「ほう…… 思い切った手を打ったな。いや、俺が安東愛季の立場でも、同じことをしたか」


 又二郎は愉快そうに笑った。どうせ割れるのなら、自らの手で割れば良いのだ。誰かに防衛線を決められるのではなく、自ら決める。すべてを守れないのなら、守れる部分だけを残して捨てる。戦線縮小を決断するには勇気がいる。戦争においても、経営においても、それが出来ない指揮官(社長)は多い。


「比内、鹿角の国人衆の動きは?」


「戸惑いが広がっておりまする。謀反を起こそうにも、相手が先に自分たちを捨ててしまったのです。彼らからすれば、肩透かしを食った格好ですな」


「鹿角南部が草刈り場となったか。あそこが乱れると葛西、大崎攻めにも影響がでる。鹿角を先に平定する必要があるな。安東太郎め。後詰が出来なくなった詫びに、鹿角を差し出すというのであろう。そのついでに不満分子まで押し付けるつもりか」


 だが又二郎の中に不快はなかった。乱世なのだ。それくらいのアクの強さは持っていたほうがいい。ならばここは、その謀に乗ってやるべきだろう。


「段蔵、鹿角に噂を流せ。新田は檜山に裏切られたと感じていると。一方で鹿角の混乱は望んでおらず、出来れば戦は避けたいと考えている……とな」


「なるほど。不満分子を鹿角に集めるのですな。そして根こそぎ……」


「クックックッ……はてさてどうかな。俺は寝るぞ」


 又二郎は低く笑い、掛け布団を捲った。顔を上げた時には、段蔵の姿は消えていた。


《後書きという名の「お願い」》

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※本作「三日月が新たくなるまで俺の土地!」の第一巻が、アース・スターノベル様より出版されています。ぜひお手にとってくださいませ!


※また、筆者著の現代ファンタジー「ダンジョン・バスターズ」も連載、発売されています。こちらも読んでいただけると嬉しいです。


挿絵(By みてみん)

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[良い点] いつも楽しく読ませてもらってます!( ´∀` )b [一言] 作者さん、体調悪い感じなのか...無理しないで自分のペースで書いてくれたら十分です!気長に待ってます!(^_^)
[一言] 週一更新なら十分です! 私生活いろいろあると思いますし、職業にしてるわけでもないのですから、気が向いたら、くらいで考えると良いかと。 私たちは気長に、楽しみにまってます!
[一言] 確かに、いつ完になっても問題無いんだよなぁ… 基本的に攻めずに守ってるだけで良いからねー
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