諸勢力の動き
冬の到来と共に、奥州大乱は一時的に鎮火した。だが雪解けと共に再び炎が燃え上がることは、誰が見ても明らかであった。永禄三年(一五六〇年)、奥州の各大名、国人衆はそれぞれが複雑な思いで新年を迎えていた。
「殿、全員が揃いました……」
大林城は、三田主計頭重明をはじめとする柏山家の重臣たちが揃っていた。柏山伊勢守明吉は、家臣たちに頭を下げることから始めた。
「皆に詫びる。我らの命運は、おそらく今年で尽きるであろう。永年にわたり柏山家に仕えてくれた其方らの家も絶えることになる。すべては、当主である儂の不徳の致すところだ」
だが家臣たちの表情は変わらない。激昂も戸惑いも無い。静かな怒りがあるだけである。主君に向けての怒りではない。自分たちをここまで追い詰め、主君にこのような態度を取らせた敵に対する怒りである。
明吉は頭を上げ、家臣たちを見回す。彼らの親も子も孫も、果ては治める村落の百姓に至るまで、自分は知っている。これまで時間があれば、領内を回っていた。泥だらけの百姓と共に冷えた瓜を齧り、老婆が差し出してきた水で喉を潤す。自分の父親も祖父も曾祖父も、代々に渡って同じように生きてきた。そうした平和で長閑な日々が、永遠に続くと思われた。
「我らは四〇〇年、この地で生きてきた。路傍の草花一本にも、我らの血が流れている。皆のお陰で、この地は戦に焼かれることもなく、皆で笑って暮らしてきた。だが間もなく、北から餓狼の群れが襲ってくる。逆らう者は容赦なく皆殺しにされるであろう。皆にも家があり、家族がいる。この地を離れても、儂は恨まぬ」
「殿! なんと情け無きお言葉!」
重臣の一人である蜂谷次郎左衛門が叫んだ。顔を赤黒くし、目じりには涙まで浮かべている。
「蜂谷家は一二代に渡って柏山家にお仕えしてまいりました。大内家は一三代、三田家は一五代。この場にいる皆々が先祖代々、この地で生きてきたのです。この地は御当家だけのものに非ず。我ら皆の御先祖が、艱難辛苦を共にしてきたのです。この地を離れるくらいなら、いっそ腹を切ったほうがマシでござる!」
その言葉に皆が声を上げた。「次郎左の言う通り」「死んだほうがマシだ」といった声に、明吉は目を細めた。なぜ柏山が強いのか。家臣も領民も、皆が家族だからである。数は少なくとも、その結束力は奥州随一であった。思わず目頭が熱くなる。
「殿、皆の心は同じでございます。新田の小僧に思い知らせてやりましょう。奥州武士の底力を!」
三田重明の言葉で、何とか堪えた明吉は白い歯を見せた。怪物が率いる餓狼の集団と戦うためには、こちらも餓狼とならなければならない。
「儂も同じ想いよ。最後の最後まで戦うぞ。新田を食い殺せ!」
明吉は吠え、家臣たちも吠えた。
(新田政盛、来るなら来い! 簡単には負けぬ。死ぬときは貴様も道づれだ!)
まるで狼の遠吠えのような叫びに、大林城全体が揺れていた。
奥州大乱によって領地を失いながらも、失地回復を目指す者たちもいる。その代表が「戸沢氏」であろう。もっとも、それは戸沢氏一六代当主、戸沢平九郎道盛ではない。道盛は隠居を考えていた。六歳で家督を継ぎ、親族の裏切りで一度は角舘を追われ、苦労して取り戻したのにまた失ってしまった。齢三九歳、もう若くはない。心が折れてしまうのも仕方がないだろう。
隠居を止めたのは残された家臣たちであり、そして共に落ち延びた母である。特に母親である正清院は、若かりし頃は「烈女」で知られ、角舘城奪還の実質的な指揮官であった。
「何を躊躇うことがあるのです! 起ちなさい、平九郎。起って、家臣たちに向けて叫ぶのです。我らはまだ生きていると!」
「ですが母上…… もう仙北は……」
「愚か者! 戦い続ける限り、まだ負けではありません! 命尽きるまで戦い、手柄を上げることで新田殿に仙北領有を認めさせる。それくらいの覇気がなくてどうするのです!」
「あー…… そういう話は俺がいないところでしてくれないか?」
永禄二年(一五五九年)の師走。三戸城の大広間には、戸沢道盛以下戸沢氏の家臣たちが並んでいた。その中で、心が折れた当主の頭を叩き、奮い立たせようとしている烈女がいる。六〇を過ぎているはずなのに、その迫力は凄まじい。又二郎は自分の目の前で繰り広げられている母子のやり取りを、半ば呆れながら見ていた。
ようやく落ち着いた母親と、家臣の前で数度に渡って母親から打擲を受け、面目を無くした当主が平伏する。又二郎は膝を叩いて笑った。笑わねば、道盛の面子を取り戻せないからだ。
「平九郎。子の無事を願わぬ母親はおらぬ。母御殿とて、できることならば其方を戦わせたくない。平穏に暮らして欲しいと願っているのだ。だがここで逃げて良いのか? 後ろに控える家臣たちを捨て、仙北で待っているであろう旧臣、領民たちを捨て、己一人遁走して、それで本当に生きていけるのか?」
戸沢平九郎道盛は、俯いたまま肩を震わせた。その様子に、又二郎は頷いた。己が情けなく、そして悔しいのだ。その思いがある限り、まだ戦うことはできる。
「新田では武士が土地を持つことを認めておらぬ。故に新田にいる限り、戸沢家が仙北を領することはない。だが仙北で生きることはできる。小野寺を滅ぼした暁には、平九郎には仙北一帯の代官を命じる。地縁深きところだからな。戸沢が代官を務めねば治まらぬ。どうだ? やる気はあるか?」
「ですが、当家にはもう力が……」
「俺が聞いているのは、できるかできないかではない。やるかやらないかだ! 言っておくが、俺は天下を狙っている。天下人として日ノ本を一つに束ねる。新田に仕えるということは、その一翼を担うということだ。小野寺など路傍の小石にもならぬ。其方がやるというのなら、新田が援けよう。どうだ?」
家臣たちも息を呑んで当主を見つめる。道盛はしばらく俯き、そして顔を上げた。瞳には力強さが戻っていた。
一方、その仙北を巡って二人の当主が会談を行っていた。小野寺家当主の小野寺輝道と、湊衆筆頭の豊島玄蕃頭である。大曲にある大川寺では、両家が二〇名ずつの兵を出し、周囲を固めていた。その中には、玄蕃頭の息子である豊島重村もいる。
「先の戦は惜しゅうござったな」
深々と雪が降る中、火鉢で暖が取られた一室において、両当主は向かい合って座っていた。玄蕃頭の言葉に、輝道がピクリと反応する。惜しかったというのは、戸沢一族を逃したことである。戸沢家に連なる者たちの多くは捕らえたが、肝心の当主および嫡男は逃してしまった。その後の追跡で東に逃げたことが判明した。間違いなく、新田の手引きであった。
「春になれば、怪物が再び動き出そうて…… まだまだ貴殿も、枕を高くしては眠れぬであろうなぁ」
「フン、嫌味を言うためにわざわざここまで来たわけではあるまい。なにが言いたい?」
小野寺と湊衆は、表向きは敵対関係にある。先の戦において密かに小野寺と手を結んだ豊島は、その後は土崎一帯を切り取り、事実上の大名となっていた。だが豊島に協力している国人衆の中には、小野寺に恨みを持つ者もいる。だからこそ、こうやって密かに訪れたのだ。
「一つ安心させてやろう。確かに、春になれば新田は動くであろう。じゃがそれは、仙北に向けてではない」
「柏山、そして大崎であろう? だが新田は斯波と葛西を飲み込んだ。石高は一五〇万石を越えておろう。兵も多い。柏山だけに集中するとは思えん」
「クックックッ……」
老人が低く笑う。輝道は険しい表情を浮かべた。重臣である八柏道為と比べて、目の前の老人は薄気味悪さがある。そのためどうも信用できないと思った。
「……新田の小童は存外、甘いところがある。急所を押さえておらぬ」
「急所?」
「割れるぞ。檜山がな…… 津軽、鹿角は新田の要じゃ。檜山が荒れれば、新田も動かざるを得まい。貴殿はその間に、仙北を固められよ。儂は南を手に入れる」
「……」
檜山安東家は、先の戦において手痛い敗北を喫した。当主の求心力は落ち、国人衆の中には離反を企む者もいるだろう。自分が新田の立場なら、荒れる可能性のある檜山を放置はしない。安東家を丸ごと喰らうだろう。だが新田は安東太郎愛季を許し、様子を見ている。外様ばかりの新田家中を配慮してのことであろうが、甘いと言えば甘いのかもしれない。
「新田は急速に大きくなった。じゃが、この奥州は様々な家が複雑に根を張っておる。新田がやっておることは、砂の上に城を立てるようなものよ。危ういのう……」
頷きはしなかったが、輝道も同じ思いであった。たとえ領地を取り上げようとも、人はそこに生きているのだ。勝っているうちは良いが、少しでも旗色が変われば途端に崩れ始めるだろう。自分も含め大名、国人衆の多くが新田に抵抗する理由は、新田の躍進がこのまま続くはずがないと考えているからであった。
「……時を稼ぐ必要があるな」
戻り次第、八柏道為と話し合おう。そう思った。