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永禄三年一月

ネット小説大賞の一次選考に残りました!

皆様、応援ありがとうございます!

 永禄三年(一五六〇年)一月、尾張清洲城では一見すると平穏な正月であった。だが家臣たちの中には一種の緊張感があった。天文二〇年、尾張の虎と呼ばれた織田弾正忠信秀が死去し、嫡男が当主となった。多くの者たちの懸念をよそに、「うつけ」と呼ばれていたその嫡男は、着実に織田弾正忠家の勢力を伸ばし、尾張統一まであと少しというところまで大きくなった。もはや家中に、うつけと誹る声はない。若く気鋭の当主に皆が期待していた。その男の名は、織田三郎信長という。


「この数年、今川の動きが激しゅうございます。治部大輔(※今川義元のこと)が尾張を狙っていることは、もはや子供でも知っていること。今年こそ大きく動くやもしれませぬ。御当家は如何されますか?」


 針金のような髭を生やした、厳めしい顔の男が若き当主に尋ねる。他の重臣たちも深刻な表情を信長に向けた。だが、一見すると優男(やさおとこ)にも見える信長は、パチリと扇子を閉じると、不敵な笑みを浮かべた。


「特に何もせぬ。これまで通り、各自領内の慰撫に努め、兵を鍛えておけ」


「殿! 今川は武田、北条と盟を結び、後顧の憂いがありませぬ。義元めは恐らく、卯月(旧暦四月)には兵を興しましょう。その数は二万に達すると思われまする。戦うにせよ降るにせよ、早く決めねばなりませぬ!」


「権六、聞こえなかったのか? 普段通りにするのだ」


 柴田権六郎勝家は、猛禽類を思わせる鋭い眼差しを受けて、言葉に詰まった。背中に汗が流れる。自分よりも若く、身体も華奢に見えるのに、なぜこれほどの「圧」を醸し出せるのか。


「権六殿、殿の御言葉に従うのだ。米の値動きを見れば、今川の動きは捉えることができる。今日明日、今川が動くことはない。まずは目の前のことを片付けるべきだろう」


 自分と同格である丹羽五郎左衛門長秀に窘められ、柴田勝家も口を閉ざした。二人が下がると、信長は奥へと向かった。ガラリと襖を開けると、嫋やかな美女が座っていた。於濃の方、つまり信長の正室である帰蝶姫である。慌てて畳に手を突く側女たちを信長は顎をしゃくって払うと、ドカリと座った。


「於濃、膝だ」


「ハイハイ…… 御前様はまた言葉が少なかったのですか?」


「フン……」


 膝枕に頭を乗せた信長は、鼻で息を吹いた。秀麗な額に白い手が乗る。少し冷たいが、それが心地よい。頭が冷え、考え事に集中できるのだ。


「ホホホッ…… ですが今回は、言葉が少ない方がようございますね」


「権六は直情すぎる。戦には強いが、察するのが苦手のようだ。まぁ五郎左は解っているようだがな」


 駿河、遠江、三河の三国を領する今川家が上洛を狙っている。今川義元が無暗に兵を挙げ、力攻めをするはずがない。無数の間者を放ち、尾張領内に忍ばせている。迂闊に腹の内を見せるわけにはいかない。


「今川の話ばかりで飽きた。何ぞ、面白い話はないか?」


「そうですね…… そういえば、越前から来た商人が面白い話をしていました。いま、陸奥ノ国では大乱が起きていると。そしてその大乱を起こしているのは、まだ元服して間もない若者だとか……」


「ほう…… 続けよ」


「なんでも国人衆が土地を持つことを認めず、家臣たちはすべて禄で仕えているそうです。米作りの他に、様々な物産を行い、陸奥ノ国を豊かにしているとか。石鹸というものを手に入れましたので、後で使ってみてくださいまし」


「であるか」


 信長は目を閉じたまま、さして面白くも無いように返答した。実際、それほど面白い話ではなかった。内政に力を入れる大名は、それほど珍しくはない。日ノ本の北限である陸奥を豊かにする手腕は評価するが、尾張からはあまりにも離れすぎている。唐、天竺の話と大して変わりはない。


「面白いのは、その者の言葉です。天下統一。常々、そう口にしているそうです」


 信長は薄っすらと目を開けた。天下を獲るということは、京に攻め上るということである。東海道がある今川、瀬戸内の海がある毛利あたりが天下を狙うのなら解る。だが日ノ本の最北端の大名が天下を狙うなど、夢物語でしかない。普通ならばそう笑うところだ。だが信長は笑う気にならなかった。


「……御笑いにはなりませんか?」


「ならんな。そもそも天下を獲るということ自体が、夢物語だ。三好や六角でさえ、天下は獲れなかった。誰からも理解されることなく、幾百万もの憎悪を背負いながら、荒れた大地を歩み続けることが出来る者。大うつけでなければ、天下は獲れぬ」


「ホホホッ…… そんな御仁など、殿くらいのものでしょう」


 於濃の方がコロコロと笑う。信長も少し機嫌が良くなった。そう、常人に理解される者に天下統一などできるはずがない。虎だの龍だのと称えられるのは、そう例えられるという点で、他者から理解されてしまっている。本当の天下人は、如何様にも例えられぬ存在。大うつけか、あるいは……


「……名は?」


 信長らしく言葉が少ない。だが一〇年を共に過ごした妻は、夫が何を聞きたいのか察することができる。


「陸奥ノ国で嵐を起こしているのは新田家当主、又二郎政盛という方だそうです。なんでも、宇曽利の怪物と呼ばれているとか…… 尾張のうつけ殿に似ていますね」


 ……あるいは「怪物」でなければならない。信長は再び、目を閉じた。





 一方、その宇曽利においては、華やかな酒宴が行われていた。恐山にある宇曽利諏訪大社では、宮司である南条籾二郎宗継以下、大勢の巫女たちが鎮魂の祓いを行う。新田又二郎政盛以下、家臣たちが一堂に揃い、禊を受ける。戦で散っていった敵味方を思い起こし、冥福を祈る。

厳粛な式典の後は、美酒美食を揃えた盛大な宴となる。歩き巫女の中でも特に厳選した美女たちが家臣一人ひとりにつき、酌をする。持ち帰り、褥を共にするのも自由だ。家臣の中には当然、妻帯者もいる。又二郎は「年に一度くらいは許してやって欲しい」と、自ら筆を取って妻たちに書状を送り、了解を得ている。妻公認の「浮気」ができるとなれば、当然盛り上がる。


「いよいよ、陸奥統一も王手だ。葛西、大崎を年内に落とす。だが天下は広い。伊達、最上、蘆名、長尾、佐竹、北条・・・・・・ 天下統一まで果てしない道だ。だが止まってはならぬ。歩み続けねばならぬ。これまで多くの血が流れた。これからさらに多くの血が流れるであろう。我らが止まらぬ限り、彼らの死は無駄にはならぬ。日ノ本を統一するその日まで、俺は決して止まらぬ! 皆、俺を信じてついてこい!」


 若き当主の身を燃やし尽くさんほどの野望に当てられ、家臣たちもギラギラと瞳を輝かせる。目的(何のために)、目標(具体的にどこまで)、そして手段(どうやって)を明確にすることが上司の仕事である。そういう意味で、又二郎は「仕え易い主君」であった。決して、甘くはないが……


「ホッホッ! 玉葱といったか? 肉と共に焼いて食べると美味いわい」


 酒宴には隠居した新田盛政も参加していた。床に伏せたことで一時は家中も騒いだが、こうして元気な姿を見せたことで安堵が広がる。酒も食も細くなってきているが、まだまだ長生きしそうであった。


「食の研究はさらに続けねばならぬ。大崎領には梅がある。必ず手に入れるぞ。増産し、新たな特産品をつくる。梅と酒を合わせると、美味い酒になるのだ」


 又二郎は笑いながら牛蒡茶を飲んだ。酒が飲めないわけではない。だが齢一五の身体を考えると、あと三年は酒を控えたいと考えていた。又二郎の影響からか、家中でも酒の暴飲は控えるようになりつつある。もっともこの宴だけはと、際限なく飲んでいる者もいる。


「殿。仙台からの行商人がこう言っておりました。新田領の広大さは日ノ本随一。新田領を歩くには、三日月が満月になるまで掛かると」


「ハッハッハッ、三日月が丸くなるまで新田領か。だが日ノ本は広い。満月どころか朔日(ついたち)(※新月のこと)まで掛かっても歩みきれるものではない。そして各地にはまだまだ、美味いものが眠っている。この牡蠣のようにな」


 牡蠣、酒、醤油、ニンニク、山椒、大豆油で作った「牡蠣の油漬け」を口に入れる。現在、醸造している「山葡萄酒」のアテとして、いずれ常食されるようになるだろう。これ以外にも紫蘇、春菊、山東菜の栽培に成功している。山東菜は白菜の一種で、中国では古くから栽培されており、日本にも幾度か齎されている。幾つか近似種があり、大阪の「天満菜」などは山東菜の一種である。


(人口一人当たりの生産性をさらに高めねばならぬ。産業振興の他に、多産の推奨と教育体制の整備、災害対策に法治と貨幣経済の浸透などなど…… やりたいこと、やらねばならぬことが山ほどある。身体があと三つ欲しいぞ)


「殿、何をお考えなのですか?」


 声を掛けられて左を向く。許嫁である桜姫がクリッとした瞳で見つめていた。右から手が伸びる。盃に牛蒡茶が注がれた。


「殿は時折、遥か遠くを見つめるような眼差しになりますね。殿方ですから、それで宜しいとは思いますが、たまには私たちも見つめて欲しいのですけれど?」


 二人の許嫁に詰められ、又二郎は言葉に窮した。天空を飛翔するかの如き主君の珍しい表情に、家臣たちは大いに沸いた。


《後書きという名の「お願い」》

※ブックマークやご評価、レビューをいただけると、モチベーションに繋がります。


※本作「三日月が新たくなるまで俺の土地!」の第一巻が、アース・スターノベル様より出版されています。ぜひお手にとってくださいませ!


※また、筆者著の現代ファンタジー「ダンジョン・バスターズ」も連載、発売されています。こちらも読んでいただけると嬉しいです。


挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[一言] 続きが読みたいです。更新を楽しみにしてます。
[一言] いつも投稿を心待ちにしています! 頑張ってください!
[良い点] 信長さんついに登場! 想像より美形みたいだわ(´º∀º`)アラマァ
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