帰郷
高水寺城の陥落と斯波家の滅亡は、奥州の大名、国人たちに大きな衝撃を与えた。高水寺斯波家と新田家とでは、力の差があり過ぎる。そして新田は、武士の土地所有を認めていない。激突は必至であり、その結果、新田が斯波を飲み込むと誰もが思っていた。
だが斯波の降し方があまりにも苛烈過ぎた。斯波家は、鎌倉から続く奥州の名門である。没落したとはいえ、尾張の武衛斯波家は三管領の家柄でもあり、当主の斯波義銀も存命している。名門の家格とはそれほどに重い。多くの国人衆が、頃合いを見て高水寺斯波家を降伏させると思っていた。
「クククッ、まさか本当に潰してしまうとはな。左京太夫(※大崎義直のこと)殿もさぞ、顔色を青くしていることだろうよ。いや、赤くか?」
米沢城において、四〇過ぎの男が愉快そうに笑っていた。身体は引き締まり、その眼差しは鷹のように鋭く、爛々と輝いている。永禄二年五月、室町幕府によって奥州探題に任じられた「伊達次郎晴宗」である。天文の乱によって父親の稙宗を強制的に隠居させてから一〇年。晴宗は伊達家中の掌握に心血を注いできた。父親の稙宗は側室との間に多くの子を作り、奥州の有力国人との婚姻、養子縁組を進めることで、血縁関係によって伊達を安定させようとした。
だがこれは鎌倉時代のやり方である。揺るぎない幕府が存在するのならば、血縁を進めて家格を上げることも良いだろう。家格とは、幕府という秩序があってはじめて認められるのだ。だがその幕府が揺らいでいる。血縁関係などという頼りないものではなく、実際の力を持った強い伊達家を創り上げなければならない。稙宗と晴宗とでは、そうした「伊達家の未来像」に意見の相違があり、やがて対立へと繋がった。
「形骸化しているとはいえ奥州探題となれば、奥州統一の大義を持てる。そう思っていたんだが、まさかその上を行く奴が出てくるとはな。新田又二郎政盛か……」
「御屋形様。笑い事ではありませぬぞ。新田は既に稗貫、和賀の地まで領し、遠からず葛西、大崎領を侵すでしょう。となれば、我らも動かねばなりますまい」
中野常陸介宗時は、表情に陰を浮かべながら主君に諫言した。伊達家きっての謀臣であり、晴宗にとっては右腕も同然である。奥州一の美女を娶るために、私室で共に謀略(拉致計画)を練ったのは、二〇年近く前のことだ。
「二階堂と蘆名の協力は得られよう。問題は最上よ。親父との対立では、義守めは儂に味方したが、奴の本心は伊達憎しであろう。最上家の庶流であった中野の小僧が、齢二歳のとき家督を継がされて、傀儡として使われ続けてきたのだ。儂に味方してせっかく独立できたのに、所領を広げることもできておらぬ。儂が又二郎であれば、最上に調略を掛けるな」
「御意。そこで先に手を打っては如何でしょう? 義守殿には、義という名の娘がおります。伝え聞くところによると、見目麗しいながらも才気に溢れ、気の強さは男勝りだとか……」
「総次郎(※伊達輝宗のこと)の嫁としてか? だが最上が受けるか?」
「大崎家は最上家にとっては本家に当たります。その大崎が危機となれば、義守殿は二つの選択肢を突き付けられます。新田に呼応して本家を見捨てるか。あるいは御家滅亡を覚悟で本家を援けるか……」
「最上を巡って、伊達と新田が綱を曳きあうというわけか。面白い。その話、進めてみよ」
葛西家に並ぶ奥州の大大名、伊達家が動きはじめた。
永禄二年長月(旧暦九月)、新田軍は稗貫、和賀を滅ぼし、丸子館までを領した。柏山領の金ヶ崎城(※現在の岩手県胆沢郡金ケ崎町)まで目と鼻の先である。又二郎はここで南下を止めた。雪が降るまであと二ヶ月弱あるが、旧斯波家の土地は疲弊しており、これ以上の戦は不可能だと判断した。
「領民も疲弊しておる。まずは慰撫に努める。国人衆も一旦は、所領に戻ることを許す。色々とやらねばならぬこともあるだろう。新田は急速に大きくなった。中身の伴わない拡大は、夢幻と同じだ。今年の税は免ずる故、荒れた土地の再興に尽力せよ」
田名部吉右衛門政嘉が束ねる文官たちが新領地に入る。検地を行い、戸籍を整備し、田畑などの財産の所有権を明確にしなければならない。刀狩りをしながら各地の物産を調べ、特産品の可能性も探る。そして又二郎が特に命じたのは、釜石の調査であった。
「阿曽沼三郎広郷でございます。遠野十二郷、新田様に臣従致しまする」
「よく来てくれた! 鱒沢、上野、大槌まで連れてきてくれたこと、感謝するぞ! それぞれ五〇〇石を加増の上、召し抱える。これまでは重視されていなかった遠野保だが、新田は海運を重視する。八戸から釜石までを結ぶ浜海道を整備し、各地で鉱山開発と特産品の振興を図るぞ。其方たちの役目は極めて重大だ。頼むぞ!」
「ハッ!」
三陸海岸という言葉が生まれたのは明治時代になってからである。戦国時代における陸奥国は、明治の令制国で磐城、岩代、陸前、陸中、陸奥と分割され、陸前から陸奥がちょうど現在の岩手県、青森県となる。そのためこの地を「三陸」と呼ぶようになった。
戦国時代では、三陸という言葉はない。八戸や久慈といった地名があるだけだが、地域としては遠野保という名が残っている。現在の釜石一帯を指していて、有力国人として阿曽沼の名が残されている。
「阿曽沼の臣従により、葛西領北部まで押さえました。熊谷党の蜂起により葛西は分裂状態、各個撃破も難しくはありません。もはや陸奥は、殿の手中に……」
南条越中守広継は、感無量という表情を浮かべていた。そして同時に、次の戦に向けて猛っている。新田の石高は一〇〇万石を超え、数万の兵を動員できる。葛西、大崎、伊達、最上を同時に相手にしても勝てるだろう。何しろ後方に憂いが無いからだ。
「越中、そう急くな。熊谷には支援を続けるが、今年の戦はここまでだ。それよりも、俺は急ぎ田名部に戻らねばならぬ」
だが又二郎は、猛る家臣たちを宥めるように、書状をヒラヒラとさせた。南条広継は、はてと首を傾げた。
「なにか、ありましたか?」
「あぁ…… 御爺が倒れた」
それは、新田盛政が病床に伏しているという報せであった。
「吉松よ。其方らは些か、過保護ではないか? 少々熱を出したくらいで、なんじゃこれは?」
急ぎ田名部に戻った又二郎を待っていたのは、床に伏している祖父であった。だが顔色は良い。聞くところによると、猪の骨から取った出汁に肉、米、野菜、卵を入れた雑炊を食べたらすっかり回復したという。本人が起きようとしたところを周囲が止め、無理やり寝かされているらしい。
「まったく。春どころか姫二人まで連れてきおって……」
母親の春乃方は無論、婚約者である桜姫、深雪姫も一緒にいる。盛政は文句を言いつつも、満更でもないという表情であった。状況によっては義絶している兄を呼ぶ覚悟まで固めていた又二郎としては、肩透かしを食った気分である。
「御爺も齢六〇だ。体調を崩したと聞けば、慌てるのは当然だろう。ただの風邪と油断はするなよ? 絹綿の布団も持ってきている。この冬はより暖かく寝られると思うぞ」
「ホッ! それは嬉しいのぉ。じゃが儂としては、早いところ曾孫を抱きたいぞ。春よ。吉松の婚儀はいつじゃ?」
「吉松は二年後と言っておりますが、私は来年でも良いかと思っています。二人とも随分と打ち解けましたし、身体も嫋やかになってきておりますから……」
「そうじゃの。吉松よ。気遣う気持ちは解るが、あまり女子を待たせるものではない。腹を括れ」
「あのな、御爺。俺はこう見えても忙しいのだ。来年は葛西、大崎を滅ぼす。そうなれば残るは伊達と最上だけだが、安東がどうなるか解らん。小野寺の動きも怪しい。奥州平定までにはあと数年はかかる。御爺にはまだまだ長生きしてもらわねばならん」
「奥州の後は関東、そして越後であろう? さらに甲信、東海じゃ。あっという間に三〇、四〇となってしまうぞ? 仕込めるときに仕込むのじゃ」
又二郎は苦笑して婚約者二人に視線を向けた。しばらく見ぬうちに、少女から女性へと変わっている。出るところは出て、色気すら醸し出している。精神年齢九〇歳越えの又二郎であったが、身体は一〇代の若者である。数え一五になれば、背も伸びるし情欲も出てくる。
「……まぁ、来年の春、弥生(旧暦三月)あたりだな。雪も解け、温かくなっているだろう」
又二郎の言葉に、祖父は嬉しそうに頷いた。
せっかく田名部に戻ったということで、又二郎は婚約者二人を連れて、田名部の街を出歩くことにした。万一のために護衛は付けているが、人数は最少にしている。田名部は新田の故郷であり、皆が家族のようなものだ。又二郎を襲うような輩など、この街にはいない。
「なんて美しい街なのかしら……」
「それにそこかしこから、美味しそうな匂いが……」
二人は興味津々で、キョロキョロと街を見回している。田名部全体としては、人口は三万人を超えているが、田名部館近辺は昔からの家々で固められている。田名部湊に向かうにつれ、大通りの両脇には商店や飯屋が並び、大畑や川内、さらには野辺地や十三湊から来た者たちで溢れていた。
「これだけ人が集まれば、良からぬ輩も出てくるだろうが……」
「警邏衆が常に見回っておりまする。田名部で起きることなど、せいぜいが喧嘩程度です」
護衛の者が自慢げにそう言う。又二郎は目を細めて頷いた。この街の治安と活況を日ノ本全土に広げる。それが実現した時、日ノ本は「日本国」として纏まる。メディアが存在しないこの時代では、国民意識が形成されるのに一〇〇年は掛かるだろう。だがそれでも、欧州の近代化に先んじることができる。
(北は樺太、南は琉球、あるいは台湾まで獲る。東インド会社が台湾を占領するのは西暦一六二四年。それまでに日ノ本を統一し、海に出るのだ。そして海洋立国日本を確立し、全世界に認めさせる……)
キラキラと輝く陸奥湾の水面を見ながら、新田又二郎政盛は、壮大な野望に燃えていた。