高水寺落城
遅くなりまして申し訳ございません。
予想以上に忙しく、執筆できませんでした。
週末に取り返したいと思います。
「愚か者どもめっ! ただでさえ数で劣勢だというのに、それをさらに分けてどうする?」
柏山明吉は悔しそうな表情を浮かべて振り返った。高水寺城はもうすぐ視界から消える。そして現実に地上からも消えるだろう。斯波、稗貫、和賀の三家だけで勝てるような甘い敵ではないのだ。
「殿、某は安堵しております。このまま高水寺城に残っていれば、いずれ新田に滅ぼされるか。あるいは城内で……」
闇討ち、あるいは毒を盛られていたかもしれない。三田主計頭重明の懸念は明吉も解っている。陸奥の国人衆はそれぞれに長い歴史がある。高水寺斯波家と葛西家で幾度か戦もしている。互いを完全に信頼し合っての対新田連合など、形成できるはずもない。短期の野戦ならともかく、籠城戦となれば瓦解するのは当然であった。連合軍の弱点は「防戦に弱い」という点である。新田はそこを突いてきた。
「主計よ。柏山館に戻り次第、守りを固めるぞ。新田の最大の弱点は、陸奥守がまだ若く、跡取りがいないという点だ。野戦で陸奥守を討ち取る以外、我らに勝ち目はない」
「南条越中守殿に口利きを頼めば、重臣として受け入れられますが……」
三田重明は、無理をせずに降伏するという道も悪くはないのではと考えていた。柏山家は葛西家の重臣ではあるが、半独立の状態にある。また葛西家自体も揺れている。気仙沼熊谷党の蜂起により、葛西家に従う国人衆も様子を伺っている状況だ。このままでは葛西家は四散し、多くの国人衆が新田に従うことになる。柏山家が新田に降ったところで、何ら恥ではない。
だが柏山明吉は首を振った。最終的に新田に降るのは構わない。だがロクに戦いもせずに降るのは、益荒男としての誇りが許さないという。
「まだ負けたわけではない。僅かな望みだが、野戦で新田に勝ち、陸奥守を討ち取れば、状況は一気に変わる。逆転の可能性があるのだ。ならばそこに賭けるのみ」
「ですが負ければ、御家は滅ぼされ……」
「とも限らん。実際、南部家も浪岡家も残っているではないか。御先祖より受け継ぎし柏山の土地を、最善を尽くすことなく易々と明け渡すことなど、儂にはできぬ。新田の若造に、奥州武士の意地を示してくれる!」
負けて滅びるにしても、やれることをすべてやり尽くした後でなら、胸を張って死ねる。大軍が近づいているからといって、土地を差し出して命を長らえさせたところで、益荒男としての自分は死んだも同様ではないか。生きた屍になどなりたくはない。
三田主計頭重明もまた、主君の気持ちと同じであった。重臣という立場から、御家存続の可能性を示すのが役目だが、一人の武士としては、さすがは我が主君と誇りたい気持であった
「我ら三田も、最後の最後まで殿と御一緒致しまする。新田に一泡吹かせてやりましょう!」
二人の益荒男がニィと笑う。白い歯が光った。
文月(旧暦七月)のある夜、飯岡館の一室において新田又二郎政盛は夢の中にいた。陸奥の良いところは、夏でも比較的過ごしやすいという点にある。空調の無いこの時代では、関東などでは寝苦しい夜もあるのではないか。夢の中で、そんなことを考えたりする。微かな風を感じた。瞬間、又二郎は飛び起きた。蕎麦殻枕の下に隠してある短刀の鯉口を切る。
「……段蔵か」
「申し訳ありませぬ。高水寺にて動きがありましたので、御報せに伺いました」
パチンと刃を納め、布団の上に胡坐する。そして反応できた自分に安堵する。部屋は宿直によって守られているが、いざという時は自分で自分を護らなければならない。気配を感じられず、馬鹿のように熟睡するようになった時こそ、自分が死ぬときだろう。又二郎は自分にそう言い聞かせていた。
「構わぬ。それで、高水寺が動いたということは、柏山が城を出たか?」
「御意。斯波家中に柏山への不信が広がり、出ざるを得なくなったようです」
「よし、攻め時だな。新兵どもの調練も進んでいる。一気に終わらせるぞ」
「既に各城に、手の者を入れております。御味方の攻めに呼応して、火の手が上がるでしょう」
宇曽利に九十九衆の拠点を築いてから数年。陸奥の隅々まで、忍びや歩き巫女が広がっている。高水寺城には四年前から、女中として忍びが入っている。鎌倉武士の気質が色濃く残っている奥州においては、諜報活動を担う「忍び」は殆どいない。人伝に他国の様子を聞いたり、戦場では斥候を出したりしているが、日常的な情報収集活動は行われていないに等しい。奥州は完全に、九十九衆の縄張りとなっていた。
「伊達、最上には人を入れられるか?」
「伊達ならば…… 最上は、出羽三山の修験者を使っております。我らのような忍びとは違いますが、こと諜報においては油断ならぬ相手でございます」
「出羽三山か…… できれば争いは避けたいな。修験者たちは、彼らなりの信仰で厳しい修行に臨んでいる。だが、生きるために糧を得ねばならぬ。修行の中で見聞きしたことを領主に伝えるのは、彼らにとっては修行の一部でもある。民を誑かして一揆を起こさせる生臭坊主よりは、遥かにマシだ」
伊達と最上については、一先ず横に置いた。今は斯波、稗貫、和賀を滅ぼすことに集中すべきだろう。
「新田が斯波と激突したとき、柏山は動くと思うか?」
「動かぬと思います。ですが柏山明吉殿は、戦わずして降ることを潔しとは思わぬ御仁かと。たとえ寡兵であろうとも、戦いを挑んでくるでしょう」
「勝てぬと判っていながらも、なおも戦おうとするか」
又二郎は低く笑った。そこに侮蔑はない。むしろ共感すらしている。自分が同じ立場であったなら、やはり戦うことを選んだかもしれない。男は、舐められてはならない。それは、戦国時代であろうと現代であろうと変わらないのだ。
永禄二年(一五五九年)文月(七月)末、新田軍は侵攻を開始した。斯波家の三兄弟(斯波経詮、雫石詮貞、猪去詮義)は高水寺城に立て籠もったが、国人衆には離反者も相次いでいる。表向きは、農繁期であり、兵を集めることが難しいという理由であったが、新田に降るつもりであることは明らかであった。
「我ら岩清水家は、最後まで御所様と共に戦いまする」
その中で、高水寺城に駆け付けたのが、岩清水義正、義長の親子であった。岩清水氏は、平清盛の末裔である平信光を祖とする。奥州管領として斯波家長が陸奥に下向したときに、岩清水泰秀が歓待したと伝えられている。それから二〇〇年、岩清水氏は高水寺斯波氏の重臣として仕えてきた。
「頼もしきかな。岩清水の忠義、この奥州に永代に伝えられよう。儂も最後まで戦うぞ」
斯波経詮は岩清水義正の手を取って涙を流した。弟二人や他の家臣たちも俯いて肩を震わせている。何が悪かったというわけではない。武士として、懸命に土地を守ってきた。先代である斯波詮高が広げた斯波の地を、息子である三兄弟で力を合わせ、守り抜いてきた。
だが今、足利から続く斯波三家(※武衛家、大崎家、高水寺家)の一角が終わろうとしている。時代という大きなうねりが、名門を跡形もなく押し流そうとしている。ここで負ければ、鎌倉から続く奥州の歴史は一つの終わりを迎えるだろう。幕府の権威そのものが、奥州から消えるのだ。
「堅いな。まるで巌のようだ」
新田又二郎政盛は、高水寺城を眺めながら目を細めた。投石機によって炮烙玉が投げ込まれ、数カ所では城壁も崩れている。だが、残った者たちは必死の抵抗を続けていた。
「搦手より、岩清水が出てきました! 越中守殿と交戦中です」
「苦戦しているのか?」
「いえ…… ただ敵は死を恐れずに前に出てきており、破るには時間を要するとのことです」
又二郎は舌打ちした。南条越中守広継が悪いのではない。数倍の敵を相手に、一歩も引かずに戦う岩清水を褒めるべきだろう。だが不快ではある。勝負はもう見えているのだ。降伏するのならば、斯波三兄弟は腹を切らせるとしても、その息子は生かしても良い。鎌倉から続く名門の家柄として、飢えぬ程度の捨扶持もくれてやるつもりでいた。だが斯波は屈しなかった。名門としての誇りのためか、それとも斯波全盛期を忘れられずにいるのか……
「奥州武士としての意地……か」
高水寺城は城山という標高一八〇メートルほどの山の山頂に本丸を構え、南北と西に曲輪を兼ねた屋敷、館がある。それらは既に落としているが、本丸にまでは入れていない。このままでは味方の犠牲も大きい。一度兵を退くべきかと思った。その時、本丸から火の手が上がった。その広がり方は速く、遠目からでも見えるほどに燃え広がった。
(九十九衆か!)
「全軍突撃! 一気に攻め落とせ!」
号令を飛ばす。その表情には、安堵が浮かんでいた。
「当主である斯波治部少輔経詮殿は、炎の中で腹を切ったとのことです。また猪去詮義殿は奮戦の末に討死。斯波家の主だった者で存命しているのは、雫石詮貞殿のみでございます。ただ、治部少輔殿の御嫡男である孫三郎および一族は、戦の前に源勝寺(※高水寺斯波家菩提寺)に逃れたそうです」
「稗貫、和賀は?」
「さすがに両家の当主は、戦の前に退いていたようです。ですが、かなりの数を討ち取りました。両家とも、戦を続けるのは無理でしょう」
本丸に一番乗りした武田甚三郎守信から、戦の状況を聞く。戦はここで終わりではない。最終的には稗貫、和賀の領まですべて獲らねばならない。そのため、手柄を認めることを書状に書き付けて渡す。評定においてしっかりと褒美を出してやろう。いずれにしても、もう少し戦は続く。そう思っていたところ、ガシャガシャと鎧の音がした。歩き方で解る。南条越中守広継であった。
「越中、ご苦労だった」
些か疲れてはいたが、南条広継の表情は晴れていた。何か良い報せがあるのだろう。
「殿、岩清水の親子を捕らえましたぞ!」
「でかした!」
又二郎は歓喜のあまり、床几から立ち上がった。
大きな男だと思った。縄で縛られているはずなのに、堂々と胸を張り、静かで透き通った眼差しをしている。これが、高水寺斯波家の忠臣にして武を司ってきた岩清水か。「欲しい」と素直に思った。
「南条越中から、親子の奮戦ぶりは聞いている。寡兵でありながら越中の手を焼かせた差配ぶり、実に見事だ。どうだ? これからは新田に仕えぬか? 天下を相手に、岩清水の力を奮ってみないか?」
「お断り致す。岩清水は斯波と共にあり。先祖代々からの家訓である。それを曲げるつもりはない! 斯波御所がお亡くなりになられた今、儂も後を追うつもりだ」
「斯波はまだ滅びておらぬ。雫石殿には腹を切ってもらうが、嫡男の孫三郎には手を出さぬ。天下を獲った後には、斯波家を再興しても良いとさえ思っている」
「斯波に恨みはないと?」
「ない。だが斯波家を残すわけにはいかなかった。斯波は、奥州における幕府の象徴。それを残すことは、幕府を認めることになる。俺は室町を滅ぼし、新たな天下を築き上げる。そのためにはどうしても、斯波を認めるわけにはいかなかったのだ。もう一度聞く。新田に仕え、天下統一にその力を奮うのだ」
岩清水義正は瞑目した。天下を狙う。武士ならば一度は考えたことがある夢だ。だがその道は、血で塗装されている。「天下を狙う新田に従え。ハイ、解りました」と従う武士などいない。目の前の若者は、戦に次ぐ戦の生涯となるだろう。それでもなお、その道を歩もうというのか。
「儂には出来ぬ。幼き頃から御所様の御側にお仕えし、共に悪戯をしては亡き兵部大輔様(※斯波詮高のこと)に怒鳴られた。そんな不出来な儂が、たまたま初陣で手柄を上げた。その時、儂の肩を叩いて褒めてくださった兵部大輔様、我が事のように喜んでくれた治部少輔様の笑顔は、昨日のことのように思い出せる。そして兵部大輔様がお亡くなりになるとき、儂の手を握りながら、斯波を頼むと仰られたのだ。出来ぬ。二君に仕えることなど、儂には出来ぬ!」
又二郎は目を細めた。こういう男だからこそ欲しいのだ。仕事ができる、できないではない。一つの組織で愚直に働き続けた者は、それだけで絶大な信頼を持てる。だが口説き落とすことは無理だろう。こういう男は、利でも理でも動かない。
「……解った。亡き主君の後を追うことを許そう。だが子まで連れていく必要はなかろう? 義長殿はまだ若い。これからの時のほうが長いのだ。岩清水家を義長殿に継がせてはどうだ?」
「倅には倅の生き方がある。倅が新田と共に歩むというのならば、止めるつもりはない。御厚意、感謝致す」
高水寺斯波家の忠臣、岩清水義正は切腹した。穏やかな表情を浮かべる首を見て、又二郎は手を合わせて呟いた。
「最後まで信義を貫いた。実に見事な男だった。益荒男とは、斯くありたいものだな」
その場に居た全員が、手を合わせ黙祷した。