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柏山と三田

 姉帯城の合戦後に新田の常備兵として雇用された「がんまく、らんまく」の兄弟は、不来方の平原で新たに加わった兵たちと共に調練を受けていた。もっとも、調練とはいってもただ走るだけである。戦国時代は栄養失調状態が当たり前なので、身体が細い。まずは筋肉をつけ、骨を丈夫にし、身体能力そのものを向上させなければならない。若い男たちは新陳代謝が早いため、三ヶ月もすれば身体つきが変わる。


「兄ちゃん、今日も飯が美味いね」


 調練後には食事が出される。豆が入った握り飯、大根と行者ニンニクの漬物、猪肉と山菜が入った味噌汁が出てくる。皆が腹いっぱいに飯を食い、そして昼寝をする。目が覚めたらまた調練を受ける。そして夜になれば麦飯と大鍋を皆で囲い、一杯ずつ酒を飲んで泥のように寝る。


「それにしても戦の最中だってのに、こんなノンビリしていていいか?」


 がんまくは周りを見回して首を傾げた。細かいことは知らないが、殿様が戦をしているということは知っている。そしてここが、自分たちがいた村から南の地であり、敵が目の前にいるということも理解していた。だからどうするべきかなどは考えられないが、こんな風に地面に胡坐して、皆で飯を食って笑い合っていて良いのだろうかという疑問は湧く。


「明日はゆっくり休め! その後はいよいよ、初陣だ。とはいっても、戦うのは一揆で暴れている連中だ。訓練に耐えたお前らなら、なんということはない」


 飯を食っていると、部隊長がこれからについて説明し始めた。相手は鍬や鋤などを持って暴れているらしい。がんまくは首を傾げた。自分も百姓だったから、飯が食えなくなって生きるために一揆を起こすという気持ちは、解らないでもない。だが今は、殿様がたくさん食わせてくれる。炊き出しも行われ、農作業に戻っている者も多い。この状況で暴れるなんて、ただの山賊ではないか?


「らんまく、手柄を立てるぞ。俺についてこい!」


「わかったよ、兄ちゃん!」


 殿様は、元百姓だろうが奴隷だろうが関係なく、手柄を立てれば取り立ててくれるという。ならばここで出世を目指すのも悪くはない。兄弟はようやく「目標」を持ち始めた。





 一方その頃、気仙沼熊谷党は本吉郡(※現在の南三陸町)へと入った。「葛西盛衰記」によると、本吉氏は葛西満信の子である西舘重信から始まる。だが千葉氏の家系図では、千葉頼胤に六子があり、その四男正胤が本吉郡に入って本吉四郎を称したことに始まるとある。本吉氏二〇〇年の歴史の中で、複数の家と縁戚になり、こうした混乱が発生したと思われる。いずれにせよ戦国時代の本吉氏は、本吉重胤が朝日館(※志津川城との別称もあり)に入ったことから始まる。


 本吉家当主である本吉重隆は、朝日館において籠城を決意した。本吉家は今回の対新田包囲網に出兵していない。それは新田の水軍が背後を突く可能性を考慮し、本吉の湊を守っていたためである。だがこれは気仙沼においても同じ事情があり、兵力的にはほぼ互角となっている。


「熊谷の連中は気でも狂ったのか? この時期に出兵しても兵糧が保つまい。籠城しておけばそのうち退く。新田との戦が落ち着けば、次は熊谷を潰すことになろう」


 熊谷家が、新田家の支援を受けていることを知らない重隆は、呑気にそのようなことを考えていた。だがそこに、葛西家本家からの報せが届いた。高水寺城にいるはずの熊谷家当主熊谷直則は、既に高水寺城を離れ、蜂起に合流すべく本吉に向かっているという。


「フンッ、たとえ兵が増えようと兵糧が無ければ退かざるを得まい。殿には御懸念無きようにと伝えよ」


 本吉重隆の油断は、籠城戦が始まるまで続くのであった。





 永禄二年文月(旧暦七月)、混乱する奥州の中心にいる新田が、再び動き始めた。高水寺斯波氏、稗貫氏、和賀氏の三家を滅ぼすことが目標である。稗貫、和賀の本領は現在で言えば「花巻市」「北上市」「奥州市」あたりである。そこから南は葛西氏、大崎氏の勢力圏内に入る。北上川沿いに数多くの館、砦があり、それを一つずつ落としていくとなると相当に時間が掛かってしまう。


「狙うべき城は三ヶ所。斯波がいる高水寺城、稗貫の鳥谷ヶ崎(とやがさき)城(※現在の花巻城)、和賀の二子(ふたご)城だ。できれば高水寺でまとめて決着をつけたいところだが、そう簡単にはいくまい」


「岩清水、大萱生(おおがゆ)、亀ヶ森、大迫、八重幡、安俵(あひょう)、岩崎など三家の重臣たちの城も抑えるべきでしょう。ですがもっとも警戒すべきは……」


 南条越中守広継は、北上川沿いの城や館を置いた地図のうち、一角を示した。それは、和賀一族の鬼柳伊賀守の居城「丸子館」(※北上市鬼柳町で名が残っている)からさらに南、現在の金ヶ崎町一帯である。


「柏山か」


 柏山氏の本拠である柏山館(※大林城)は、胆沢川と永沢川に南北を挟まれた丘の上に立つ城で、大兵力で攻めることが難しい場所にある。


「殿、今年の戦は丸子館までで宜しいのではないでしょうか? 柏山は葛西家の国人です。柏山明吉はいまだ高水寺にいますが、それは葛西家の中では、もっとも高水寺城に近い場所に所領があるからでしょう。柏山の所領までは攻めぬと説得すれば、引き剥がすことも可能ではないでしょうか?」


「うん…… 民部(※沼宮内常利のこと)よ。俺は柏山を知らぬ。その方は柏山明吉と面識はあるか?」


 武田守信の言葉を受け、又二郎は沼宮内常利に、柏山明吉の人となりについて尋ねた。


「はい、姉帯城の合戦において、言葉を交わしました。某の印象としましては、隙の無い剛直な武人という印象でした」


「うん。柏山について、斯波家中ではどのような評価を抱いていたのだ?」


「名将という言葉が相応しいかと。(いくさ)に強いだけでなく、(はかりごと)を用いることもあり、また(まつりごと)も上手いと聞いております」


 葛西家随一の軍事力を持ち、北上川一帯に大きな石高を持つ柏山氏は、柏山明吉の代で最盛期を迎えたと言っても良い。晩年においては柏山家中で長男と次男が跡目争いを起こすなど、家を衰退させてしまったが、それまでは軍事的にも政治的にも優れた実績を残している。織田家で例えるなら滝川一益、武田家で例えるなら馬場信房に近い。実際、柏山家は国人衆の枠を超え、大名ともいえる存在だ。


「欲しいな。柏山明吉…… 新田にぜひ迎えたい。越中、柏山に調略を仕掛けて見てくれ。新田に降るのならば、重臣として迎えるとな」


「承りました。まずは柏山家の重臣、三田主計頭殿に仕掛けてみます」


 史実では、柏山家は御家騒動によって力を落とす。だが柏山明吉の長男、次男はともかく、その下はそれなりに有名だ。育て方によっては使えるだろう。





「なぜ、新田は攻めてこない?」


 雫石詮貞は焦っていた。すぐにでも攻めてくると考えていた新田が、不来方(こずかた)の地から攻めてこないのである。兵の調練、民心の慰撫、集落の立て直しなど、まるでもう戦が終わったかと言いたいかのような動きを見せている。


「兄上、妙な噂が流れている」


「噂?」


 高水寺城の一室、弟の猪去詮義は声を潜めて兄に噂の報告をしていた。


「柏山が新田の調略を受けている。そんな噂が流れている」


「それこそ……」


 それこそが新田の謀だろう。詮貞はそう笑い飛ばそうとしたが、有り得なくはないとも思った。高水寺城には斯波、稗貫、和賀、柏山が入っている。そのうち柏山だけが毛色が違う。他の三家は一門衆ともいえるが、柏山は葛西家の国人衆だ。高水寺城に所領が近く、他人事ではないという理由で共闘しているが、どこまで信用できるかは疑問である。


「新田が動かないのは、柏山に調略を仕掛けているからだという。俺も新田の謀だと思うが、まったく無いとは言い切れない。もし籠城戦となり、本当に柏山が裏切ったら……」


 籠城戦においてもっとも怖いのは、内部からの崩壊である。柏山は搦手を守ると言っているが、逆を言えば搦手から招き入れることも可能なのだ。


「籠城戦となれば、柏山がいてもいなくても同じだ。ここは信用できる身内だけで、籠城すべきではないか?」


 高水寺城内では、柏山に対する不信が少しずつ芽生え始めていた。一方、柏山家家老の三田主計頭重明は頭を悩ませていた。新田家の重臣、南条越中守広継から密かに接触を受けたからである。


「土地こそ召し上げられるが、俸禄として三〇〇〇石を出すとは…… 富裕な新田らしい話だ」


《大葛西家の重鎮にして奥州の確固とした大名である柏山家を、ぜひ新田家に迎えたい。ついては柏山家御当主には六〇〇〇石、重臣である三田殿には三〇〇〇石を御用意する……》


 新田家の統治方法については、奥州でも徐々に知られ始めていた。土地を取り上げられるなど武士として終わりだと嗤う者もいるが、実際には自分たちより遥かに良い暮らしをしているという。当然だろう。兵役が存在しないのだから。もしこの話を受ければ、三〇〇〇石は丸々、三田家に入るのである。


「我ら三田は、千葉左近明広公の代から柏山と苦楽を共にしてきた。いま、その柏山家が危機に陥っている。これまでの御恩に報いるためにも、なんとしても柏山を残さねばならぬ……」


 「柏山家先祖等系図」では、柏山家は平清盛の曾孫である平亀千代から始まっている。亀千代の子である平次郎盛春が、奥州総奉行であった葛西家から、闕所(※知行者のいない土地)であった上胆沢を与えられたときに、千葉左近明広と名を変え、柏山館(※大林城)を本拠とした。これが柏山家の始まりである。この時、明広は三田将監に前沢城を与えたという記録が残っていることから、この時点ですでに、三田家が重臣に位置していたことは間違いない。四〇〇年に渡って、御恩と奉公が続いていたのである。その関係の深さは、現代人の想像を遥かに超える。


「殿、宜しゅうございまするか?」


 三田主計頭は、深刻な表情で主君の部屋へと入った。


《後書きという名の「お願い」》

※ブックマークやご評価、レビューをいただけると、モチベーションに繋がります。


※本作「三日月が新たくなるまで俺の土地!」の第一巻が、アース・スターノベル様より出版されています。ぜひお手にとってくださいませ!


※また、筆者著の現代ファンタジー「ダンジョン・バスターズ」も連載、発売されています。こちらも読んでいただけると嬉しいです。


挿絵(By みてみん)

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