小野寺、動く
気仙沼熊谷党の蜂起に加え、雫石城を中心とした不来方(※現在の盛岡)一帯の百姓一揆により、当初考えていた野戦での決戦は、実現不可能となった。葛西家の主だった国人衆は、それぞれの所領を守るために撤退し、高水寺城の兵力は大きく目減りした。新田軍は特に抵抗もなく、北上川を渡ることができたのである。
だが百姓一揆は、必ずしも新田にとって良いことばかりではない。基本的に一揆を統制することは不可能である。米を、酒を、女を求めてただひたすらに破壊、略奪を続ける「蝗」のようなものである。これを放置すれば、兵糧の運搬すらままならなくなるだろう。
「一揆の規模はそれほど大きくはない。拡大する前に封じる必要がある。まず百姓たちに武器を捨てさせ、次に炊き出しをして食わせろ。飯を食って落ち着かせ、新田の統治下なら安心できると思わせることが重要だ」
「もし、武器を捨てず、一揆を続けるようであれば如何致しましょうか?」
「フン…… 皆殺しにするしかないだろうな」
又二郎はパチリッと扇子を閉じて、顔色一つ変えずにそう返した。そして言葉を続ける。新たに加わった家臣たちに、新田の方針を説明するためだ。
「新田家は民政に力を入れている。米が食えるようになった。酒も飲めるようになった。新しい着物も手に入り、寒さに震えることもなくなった。戦に出ることも盗賊に襲われることもなくなった。子供たちは腹いっぱいに飯を食い、大人たちは汗水たらして仕事をして、明日はもっと豊かになるという希望を持てるようになった…… それ以上、何を望む? 何を与える必要がある? それ以上は優しさではない。ただの甘やかしだ」
家臣たちは一様に頷いた。民を慈しむことと、民を甘やかすことは違う。騒乱を起こし、国を覆すような輩には厳罰を与えなければならない。統治者として当たり前のことであった。
「まずは飯岡館を落とす。そこを拠点として雫石城までを平定する。飯岡館の城主は、飯岡平九郎であったな。降伏を勧告せよ。断った場合は直ちに攻め滅ぼすとな」
「ですが殿、このままでは水無月までに高水寺を落とすのは難しくなりますが」
「構わん。新田軍は常備兵、戻す必要はない。兵糧が切れない限り、いつまでもここに滞在できる。それよりも黒備衆を動員し、井戸を回復させるのだ。一揆で壊された建物なども直さねばならぬ。この地にしっかりと、新田を浸透させるのだ」
(人はパンのみにて生きるにあらずと言う。だがそれは、衣食住が満たされた先にあるものだ。安月給しか出さないのに、会社に対する忠誠心を求める愚かな経営者というのは、いつの時代にもいるものだな)
高水寺城まで僅か数里の距離で、新田の侵攻は緩やかになった。一揆を起こした百姓たちの多くは落ち着きを取り戻したが、一部暴走する者は新田軍によって殲滅された。無人の雫石城を接収し、高水寺斯波家の重臣である飯岡平九郎も降伏した。高水寺城は、ただそれを見ていることしかできなかった。
時は少しだけ遡る。永禄二年の如月に軍を起こしたのは、新田だけではない。出羽においても大きな動きがあった。小野寺家の北進である。出羽国平鹿郡横手城の評定の間では、当主の小野寺孫四郎輝道、八柏道為、鮭延貞綱が出羽および陸奥の地図を囲んでいた。
「いかに新田とて、斯波家と葛西家の連合には手を焼きましょう。その間に我らは北進し、戸沢を討つのです。角館まで押さえれば、新田は不来方以南には進みにくくなりまする」
「我らが西から雫石を伺えば、新田は此方を無視できぬな」
八柏道為の策に、鮭延貞綱も頷いた。戸沢氏が領する仙北郡は、雫石城を経て不来方までの街道がある。小野寺が仙北郡を制すれば、雫石城に兵を置く必要が出てくる。
「ただし、それは此方も同じこと。たとえ仙北郡を得たとしても、新田家にはとても及びません。そこで、戸沢を滅ぼした段階で、新田に使者を出し、相互不可侵を呼びかけます」
「新田は乗るか?」
主君の問いに、八柏道為は自信を持って頷いた。仙北郡を得た段階で、小野寺の力は葛西家とほぼ同等になる。新田とて、二正面作戦は避けたいはず。斯波、葛西、大崎を飲み込むまでは、出羽には手を出さないだろう。それが道為の読みであった。
「二年…… それくらいの猶予はあるでしょう。その間に、我らは由利衆を飲み込むのです。その上で安東家と手を組み、新田に戦を仕掛けます」
「待て、安東は新田に従属しておろう? それに、仙北から由利に進もうとすれば、土崎の湊衆が黙っておるまい?」
「確かに。ですが、密かに鹿角や比内の国人衆に接触したところ、やはり所領を取り上げる新田家に従属していることに不安を持っているようです。安東太郎愛季は、家中引き締めのためにも、湊衆に戦を仕掛けるでしょう。放置すれば、第二、第三の裏切り者を生み出しかねないからです。戦が始まれば、湊衆もこちらには手を出せません。我らは安心して、由利に進めます」
「だが、安東が新田から独立するとは思えんが? そんなことをすればすぐに滅ぼされよう?」
鮭延貞綱が首をひねる。八柏道為は目を細めた。これは仮定に仮定を重ねているため、どう転ぶかは読み切れない。だが安東家には決定的な弱点がある。
「安東太郎愛季はまだ若く、国人衆の心を完全には掴みきれていません。また先の負け戦で家中も揺らいでいます。国人衆から自立の声が高まれば、従属し続けることは難しいでしょう」
戦国時代における大名の多くは「国人衆の代表格」という存在であり、西欧の中央集権的な「王」ではない。家臣とはいっても、それぞれが土地、領民、軍を持っているのである。国人衆の声が大きくなれば、当主は無視できないのだ。
「新田のこれまでの戦い方を見ると、できるだけ二正面作戦は避け、一方面に戦力を集中できる状況を作りつつ、敵を分裂させ各個撃破する。こうした戦い方をしています。個々の国人の力は小さなもの。纏まらなければ潰すのは簡単です。おそらく斯波、葛西に対しても、同様の作戦を取るでしょう。新田が陸奥に目を向けている間に、我らは出羽の南半分を統一するのです。その上で、北半分を統一する安東と手を組んで纏まれば、新田に抗することは可能です」
「よし。そのためにも、まずは仙北を得ねばならぬ。道為、貞綱、頼むぞ」
奥州大乱のもう一つの炎が、燃え上がろうとしていた。
「戸沢が滅ぶか……」
飯岡館(※現在の盛岡市飯岡山)において、その報告を聞いた又二郎は、考える表情を浮かべていた。新田の南進に呼応するように、小野寺が北進し、六郷や本堂などの国人衆を飲み込み、角舘に迫っているという。小野寺は、出羽における先の戦においては殆ど傷を受けなかった。一方、それなりに兵を失った戸沢は由利衆の助勢も無く、徐々に追い詰められていた。
「戸沢は援軍を懇願しております。救ってくれた暁には所領を差し出し、新田に臣従すると……」
「無理だ。雫石城から角館に進むには、仙岩峠を越え、田澤潟(※田沢湖のこと)を抜けなければならぬ。間に合わん。それに、助かりました、臣従しますと素直に土地を差し出すとも思えん」
加藤段蔵の報告に、又二郎は冷徹にそう返した。だが惜しいとも思っている。当主の戸沢道盛の他、それなりの人材が戸沢にはいる。何より、いずれ戸沢には傑物が生まれる。戸沢家中を受け入れられないだろうか。
(仲裁というのはどうだ? 小野寺とて、仙北郡を手に入れた後は新田と隣り合わせになることを気にしているはずだ。角館を開城する代わりに、戸沢家および国人衆を助命し、新田に送らせる。代わりに、小野寺とは不可侵の盟を結ぶ…… いや、それで小野寺が納得するとも思えん。不可侵は双方に利があるのだ。ここは諦めるか。戸沢道盛に運があれば、生き延びるだろう。それよりも……)
「丹後(※一方井安政のこと)よ。黒備衆五〇〇を加えた、一五〇〇の軍を率いて仙岩峠を取るのだ。水場を押さえ、街道に堅固な砦を築き、小野寺が東に出て来れぬようにせよ」
「承りました。すぐに取り掛かりまする」
「段蔵。角館落城の際に、戸沢一族が落ち延びるやもしれん。その時は確保し、新田まで案内せよ」
「ハッ」
加藤段蔵は特に意見を言わず、一礼して出て行った。武田甚三郎守信は首を傾げた。
「殿、戸沢を助けるおつもりですか?」
「現時点においては、仙北を取る余裕は新田には無い。だが口実は持っておきたい。小野寺は恐らく、仙北の後は由利を獲りに行くだろう。此方に使者を送り、相互不可侵を打診してくる。その際の交渉を有利にしておきたい。仙岩峠、そしてできれば田澤潟まで欲しいな」
永禄二年(一五五九年)水無月(旧暦六月)、奥州大乱は更なる広がりを見せ始めていた。