2話 ニート、転生する
僕は産まれは幸運だと思う。しかし産まれてからは不幸しかなかった。
レアト=シニシュア。かつて脅威度Sの魔物、『剣王龍フェルグナント』による人類圏侵攻を防いだ一人。
大陸有数の剣聖として謳われた『四聖職』であり、その息子はさぞ有望だろうと周囲から期待されたのだが、鷹が産んだのはトンビですらないクソザコナメクジだった。
虚弱体質で運動もできない。貴族に必要な基本的な勉強もできない。産まれてから食器とペンより重いものを持ったことがなく、数メートル走っただけで息切れする貧弱っぷり。
そんなダメ息子が剣聖の跡継ぎとして産まれたのだ。
それが僕、ナラト=シニシュア。ただの穀潰しである。
「…………朝か」
ベットから起きると僕は伸びをして立ち上がる。カーテンを開けると憎々しいほどに眩しい太陽が僕の部屋を照らした。
あまりの眩しさに目が痛い。窓の外を見ると笑いながら登校する魔道学院の生徒の姿が目に映った。
恐らく後輩に当たる一年生だろう。僕は不意に今の引きこもっている自分と比較してしまいカーテンを閉めた。
……なんでこんなことをやっているのだろうか。しばらく自己嫌悪感に苛まれていたが、頭を振り払って気持ちを切り替えると日課に取り掛かる。
日課と言っても趣味の育成と卵孵化だ。僕は魔物の生態を観察するのが好きで、卵から孵化した魔物をある程度育つまで観察し、後はテイマー職に寄付している。
部屋には一週間前に孵化させた『パピリヨンバード』のピヨ吉がすやすやと眠っている。早速頭を撫でて起こしてやると、植物の種を餌やりとして与えてあげた。
「ピッ、ピッ!」
「美味しいかいピヨ吉?」
「ピピッ!」
ピヨ吉は僕の手のひらに乗っかった餌を啄む。嬉しそうに食べてる姿が可愛くて、多少のクチバシの痛さにも平気で耐えることができる。
魔物はいい。人間のように自分を偽らなくていいから。変に期待に満ちた目で見られることはないのだから。僕が唯一、本当に心から許せる相手だった。
「坊っちゃま。朝食の用意ができました」
「あー……、後で食べるからリビングに置いといてくれる?」
ピヨ吉に餌を与えていると部屋の扉からコンコンとノックが鳴り、執事のセバスから話しかけられた。
食欲はあるが朝起きたばかりだからあまり気分に乗らない。しかし、次のセバスの一言でそんな気分は吹っ飛んだ。
「いえ、今日は今すぐ召し上がられた方がいいかと。旦那様がつい先程お帰りになられました」
「え、父さんが?」
僕は目を丸くして驚く。
父さんは四聖職なので忙しくて基本家にいない。会えるのは二ヶ月に一度なんてざらにある。そんな貴重な機会が突然やってきたのだ。
「分かった、今行く!」
急いで身嗜みを整えると僕は自分の部屋から飛び出す。久しぶりに父さんが帰ってきた。その知らせを受けて浮き足だってリビングに向かって小走りになって向かっていく。
リビングに着くと、そこには椅子に座って朝食を取っていた父さんの姿があった。七大魔境『戦場跡の血河砂漠』から帰ってきたばかりみたいで、装備は砂で汚れ顔は日焼けをして浅黒くなっていた。
父さんは急いでやってきた僕に気が付くと笑いかけて手を振ってくれた。
「お、久しぶりだなナラト」
「父さん! おかえり!」
「あぁ、ただいま」
久しぶりに出会った父さんは少しやつれかけていた。無理もない、七大魔境は過酷な環境下にあるのだから。
四聖職の地位を持つ父さんは多忙を極める。きっと、無理して僕に会いに来てくれたのだろう。そのことを悟って申し訳ない気持ちなった。
平気を装ってるけど僕には分かってしまう。
だって、今の父さんの表情は、少し苦しそうだったから。
「セバス、悪いが連れに息子と朝食を食べると伝えてくれないか? たまには親子水入らずで話したいんだ」
「かしこまりました」
僕は促されるままに席に座ると一緒に朝食を食べ始めた。久しぶりの父さんとの食事は、普段の味気ない食卓でも話せるだけで特別に感じた。
「ね、父さん。七大魔境の調査はどうだったの?」
「んー……ぼちぼち、と言ったところか。侵攻してきそうな魔物を何匹か倒せたし、七大魔境自体には特に動きは無かったぞ。『戦帝蟲』を見つけられなかったのが残念だったがな」
父さんの主な仕事は国境の防衛と人類圏に侵攻して来る魔物の調査だ。これは剣聖職にしかまともに務まらない仕事であり、幾ら強い冒険者だろうと七大魔境から帰って来れる人間は殆どいないと言って断言していい。
そもそも七大魔境は脅威度Cの魔物が最低ライン。進めば進むほど脅威度Aクラスの魔物が普通に跋扈している。しかも、父さんはその中でも脅威度Sに分類されている魔物の調査を請け負っているのだ。
「そうだ、今回の調査で向かった七大魔境の『戦場跡の血河砂漠』で見つけてな、ナラトのお土産として持ってきたんだ」
その時、何かを思い出しかのように父さんが袋から丸い物体を取り出した。
一瞬、目を疑った。今まで見たことがない魔物の卵だったのだから。
「これって魔物の卵だよね? わざわざ僕に届けに?」
「当たり前だろ? 俺をなんだと思ってるんだ?」
まるでお前の父親だぞと言わんばかりにドヤ顔で笑う父さん。僕は苦笑しつつも父さんから魔物の卵を受け取った。
「いいのかな、こんなの貰っちゃって」
「ん? もしかして剣が欲しかったか?」
「あはは、持っててもまともに振れないよ」
剣なんか貰っても僕にとっては宝の持ち腐れだ。腰に下げてるだけで腰痛の原因になってしまう。
……。
「……父さんは、僕のことどう思ってるの?」
「大事な息子だ」
「……本当のところはどうなの?」
「……」
しばらく場が静まり返った。そして、最初に沈黙を破ったのは父さんで、深いため息を吐くと語り出した。
「俺は……正直に言うとナラトに跡を継いで欲しい。『剣聖レアト』の息子として、魔王個体と戦う宿命を背負ってもらいたい。今でもそう考えている」
「……!」
分かっていた。知っていた。
だからこそ、剣をまともに振れない自分が嫌いだった。期待にそえない自分で見られるのが辛かった。逃げるように学校にも行かなかった。
辛い現実と向き合わず、逃げるように趣味に没頭して気を紛らわしていた。その果てにずっと前から魔物学者になると言って、父さんの期待を踏みにじってしまったから。
しかし、俯いた僕に向けて掛けられた次の言葉は想像もしていない物だった。
「だがな……ナラト。それは剣聖としての俺の願いだ。父親としての願いは、ナラト自身が自分の人生を決めて欲しいと思っている。剣聖は皆に誇れる仕事だが、それと同じぐらいに魔物学者も立派な仕事だ。周りがなんと言おうと魔物学者の目標に進むとナラトが決めているのなら、俺は剣聖なんて職を殴り捨てて一人の父親として全力で応援する」
「……父さん」
「それにナラトの魔物日記は読んでいて面白いぞ? しっかりと推敲して本として売れば大ヒット間違いなしだろうな!」
「ちょ、僕の日記を勝手に読んでるの!? 初耳なんだけど!?」
「はっはっはっ! 悪い悪い、そんなに怒らないでくれよ」
さっきまでの湿った空気を吹き飛ばす父さんの明るい笑い声が響いた。僕もなんだか救われた気持ちになって父さんと一緒に笑ってしまう。
「レアト様、そろそろお時間です」
「む、そうか。分かった、今行く」
セバスが帰ってきた。
どうやら時間が来たらしい。まともに朝食も食べられなかったが、父さんと話せて本当に良かったと心の底から思った。
「よしナラト! 俺は明日から魔王個体の調査も兼ねて次は七大魔境の『怨嗟止まぬ幽冥峡谷』に行ってくる。機会があれば魔物の卵を持ってこよう」
「ほんと!? 父さんありがとう!」
「ははっ! じゃあ学者になれるよう父さんは応援してるからな! ……行ってくる!」
「うん、行ってらっしゃい」
荷物をまとめると父さんは家から去っていく。去り際に僕に向かって手を振った父さんの背中は、とても大きく見えた。
「父さん……」
セバスと家に残った僕はしばらく立ち尽くしていた。
目頭が熱くなる。こんな僕には勿体ないほど、いい父親だ。
「僕は……」
もし、僕に剣の才能があったなら。生まれつき弱い体で生まれてこなければ。
……いいや、こんなの剣を碌に振れないだけの言い訳だ。僕は魔物学者になる夢もあるが、それよりも父さんの為に剣聖としての仕事に就きたいと今でも考えている。それぐらい親としても剣聖としても尊敬している。
本当は魔物学者のナラトとして父さんに認めて貰いたくなかった。剣聖のナラトとして、父さんに認めて欲しかった。それが僕にとって一番の後悔。
「学校、久しぶりに行こうかな……」
僕自身の為じゃなくとも。父さんを心配させない為にも。それだけで行く価値はあると思う。
◆◇◆
う……ここは……どこだ……?
目が見えない。というより真っ暗で何も見えない。頭がはっきりしないし、まるで脳みそが培養液に浸されてるような浮いているような気分だ。
手? を動かすと何か硬いものとぶつかった。指は上手く動かせないが、カリカリと音を立てて何かを引っ掻いているようだ。
背中を上へ持ち上げるとすぐにまた何かとぶつかった。どうやら俺は閉じ込められているらしい。
誰かに閉じ込められた? だとしたら誰に?
そういえば山本を助けて俺はトラックに轢かれたんだったな。だとしたらここは病院か?
……うーむ、分からんな。
俺は頭を振り払うと脱出を試みる。とりあえずここから出てから考えても遅くはない。
手を使って俺を閉じ込めている物体を壊そうとするが、カリカリと音を立てるだけでダメだった。
何度も何度も爪で引っ掻くがよほど硬いのか一向に壊れる気配がない。数分程でイライラしてきた俺は足蹴り? をすると頭を引いて突撃の構えをとった。
ええい、手ではダメだ! まどろっこしいから頭突きしてやる!
ガン! ガンガンガン!
お? 少し罅が入ったような気がする。よしよし、この調子だ。
ガンガンガンガンガンガン!
真っ暗な視界に光が漏れ出した。眩しくて思わず顔を背け、目が慣れるのを持つ。
暫くして目が順応してきたので、俺は罅に手を差し込みぶち壊して外に出た。
ふ~やっと出れた。全く、俺を閉じ込めたのはどこのどいつだ? もし見つけたらぶん殴って説教してやる。そんでもって警察に……。
「キュイ?」
は?
いやまて。まず「キュイ?」とかいう可愛い鳴き声はなんだ。もしかして俺の喉から出てんのか?
それよりもここは何処だ? 家の中なのは分かるが、全く知らない家だ。もっと言えば中世ヨーロッパ風な感じ。明らかに日本じゃない。
そしてなによりもデカい。何がデカいかって、家具とか椅子とかのサイズが大きいのだ。椅子の高さが俺の目線の二倍高い。まるで巨人の家みたいだ。
俺は焦る。かなりまずい状況だ。とにかく手がかりを見つける為にくるりと後ろを振り向く。
そこにあったのは、どこをどう説明しても卵だった。正確に言えば卵の殻、だが。
どうやら俺は卵に閉じ込められていたらしい。それなら脱出までにかかった経緯は納得……できるかー!
「キュイイイ!」
見知らぬ家の中を走り回り、俺はお目当ての鏡を発見。そこで俺はやっと自らの現状を確認することとなる。
思わず自分の体を凝視する。
イモムシだ、イモムシだよこれ。
ぷにぷにとした吸盤。愛くるしいむちむちとしたボディ。美しい流線型のフォルム。
そこにいたのは人間とは遠くかけ離れたイモムシの俺だった。
「キュイイイイイイイィィィ!?!?!?」
な、なんじゃこりゃあああああぁぁぁ!
こ、これは何かのドッキリか!? 医者がでかいイモムシに俺の脳みそを移植したなんて悪い冗談じゃないよな!?
ああくそっ、誰か今の俺の状況を教えてくれればいいんだが……。
〘スキル『世界の声』が発動しました〙
〘スキル所有者のステータスを開示します〙
は? え、はっ?
脳内に突然、無機質な女性の声が響いた。もしテレパシーとか念話とかがあれば、まさしくそんな感じの音声。
あたふたと驚く俺の目の前に透明な板が現れ、なにやら文字が書かれている。
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種族名:ムルムル (脅威度F)
Lv1/10
◆所持スキル
『土魔法Lv0』『粘着糸Lv1』
『噛み千切りLv1』『磁界の感覚Lv-』
『鑑定Lv-』『世界の声Lv-』
◆称号
『特殊個体』
『大いなる血統』
『■■■■■?』
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……。
…………。
あのー、これってもしかしてステータスですよね。
………………。
おーけー。完全に理解した。俺はイモムシになって異世界転生した。
QED.証明完了。
「きゅぃぃぃぃぃぃぃぃイイぃぃぃぃ!!!」
ふっ、ふざけんなああああああああぁぁぁ!!!
何が悲しくてイモムシに転生しなくちゃならないんだよ!
もっとこう、あるだろ! 神様からのチートとかイケメンの貴族とかさぁ!
イモムシが転生先とか悪ふざけが過ぎるだろ!
確かに人外転生のジャンルは結構好きだったけど!
自分がされたら相当ショックだぞこれ!
なによりショックなのはどう足掻いても童貞を卒業できなくなっちまったことだ。ベースがイモムシである以上、女の子とHすることが物理的に不可能だ。そもそもこんな気持ち悪いイモムシの時点で男女に関わらずみんな避けていくに違いない。
お、終わった。二回目の人生、もといイモムシ生は呆気なく終わった。詰んだ。
その時、ガチャリと音がした。あまりの状況に俺は他人の足音にすら気が付けなかったらしい。
まさか、ここの部屋の主が戻ってきたのか!?
おそるおそる俺は振り向くと、後ろの扉が開き冴えない少年と目が合った。
それが、俺とナラトとの初めての出会いだったんだ。