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1話 ニート、車に轢かれる

「ねえアキヒロ! いい加減部屋から出てきてよ!」

「うるせえぞババア! 早く飯持ってこい!」


 人生は親ガチャと周りの環境で決まると言われている。そして俺はハズレを引いた。


 俺の名はイトウアキヒロ。46歳。

 職業は自宅警備員兼ニート。


 ババアの声を無視して俺は床を勢いよくダンダンと踏みつけた。全く、世話がやけるババアだ。サボタージュしてんじゃねえぞ。


 俺は悪態をつきながら目の前のパソコンに向き直る。なんてことはない、日々のネトゲとアニメ視聴だ。


 俺はかれこれこの仕事をし続けて30年になる大ベテラン。外ではコロナ禍とか言われて大変そうだが、俺は今もこうして自宅警備員という立派な在宅勤務をしている。


 しかし今日はいつもと様子が違った。丁度ババアに説教したと同時にアニメが見終わる。

 ヘッドホンを取って耳を立てると、ババアの他に違う足音が聞こえてきたのだ。


「すみません山本さん。うちのアキヒロはもう30年も家に引きこもってまして……」

「安心してくださいお母さん。私はプロの心理相談士です。アキヒロくんを更生させるきっかけを必ず作ってみせましょう」

「なんだ、ババアの他に誰かいるのか? 心理相談士? 誰だあんたは?」


 俺の部屋の前にどうやら知らない男がいる。まあ十中八九引き出し屋だ。

 あのクソババア。自分だけでは何もできないからといって、他人の力を借りてまで俺を部屋から引き摺りだそうとするとは。


 油断も隙もない……が、俺は30年間も引きこもってるエリートニート。これまで潜り抜けた修羅場の数が違う。

 今まで何度も悪徳な引き出し屋と俺は死闘を繰り広げ勝ち抜いてきた。今回だって俺は負けるつもりがない。


「アキヒロくん。私はNPO法人、引きこもり家族支援サポート団体の山本だ。少しだけ私の話を聞いてくれないだろうか?」

「引き出し屋か。はよ帰れや」

「すいません山本さん。うちのアキヒロが生意気な口を聞いて……」

「いえ、中高年ニートは無能な癖にプライドだけは高い人だらけなんですよ。慣れてるのであまり気にしないでください」

「聞こえてんだよゴミが!! ああ!?」


 俺は怒りを露にして怒鳴り散らした。


 なんだ山本とか言うやつは。失礼にも程がある。年上に敬意も払えない人間なんて死んでしまえばいい。


「こほん。話を続けようか。いいかいアキヒロくん。8050問題というものは知ってるだろうか?」

「なんだ、いっちょ前にニュースの勉強でもやってくれるってか?」

「その通りだ。8050問題とは、80代の親が50代の子どもの生活を支えているという社会問題だ。アキヒロくんは40代後半だが、あと数年でその中の仲間入りだ」

「……チッ、それがなんだってんだよ」

「君はお母さんが死んだらどうするつもりなんだい? お金を得るためには働かなくてはいけない。働き手のお母さんがいなくなれば君は食事を買うお金もないし、家賃も、水道代も、光熱費も、なにもかも全て払えなくなる。そのことは薄らとだが分かっているんだろう?」

「馬鹿が。ババアが死んだら生活保護を申請するんだよ。それで俺は生きていく」


 何を言ってるんだこいつは。俺の人生設計には隙がない。

 ババアが働けなくなったら年金を食い潰して生きていく。死んだら生活保護に頼ればいい。この二段構えのプランは最強と断言していい。


「残念だけどそれは無理だ」

「あ?」

「お母さんの年金の額なんてたかが知れている。それに生活保護は働くことができる人には支給されない。アキヒロくんは障害も病気も何も無い健康体。受給資格は受けられず代わりにハロワを紹介されるだろうね」

「うるせえぞクソが! 分かった気になって偉そうに話してんじゃねえ! 早く帰れゴミが!」


 なんだ、なんだこいつは!


 ほんとムカつく野郎だな! 俺のプランを馬鹿にしやがって!

 くそが! SNSに投稿して人生潰してやりてぇ!


「お母さん、交渉は決裂しました。もう武力行使しかないですね」

「え、早すぎませんか? もっとこう……アキヒロの情に訴えるような声掛けはできませんか?」

「生憎それは私の苦手分野なんですが……いいでしょう、できるだけ善処します」

「聞こえてんだけど!?」


 やれやれと肩を竦めながら承諾する山本の姿が容易に想像できる。そろそろフラストレーションがマッハだ。少しでもつまんない話だったらとっちめてやる。


「アキヒロくん、少し私と取引をしてみないかい?」

「取引だぁ?」


 いきなり何を言ってるんだこいつは?


「君のお母さんはアキヒロくんの顔をもう何年も見てないと言う。別にリビングに降りて話そうなんてことは言わない。少しだけ、少しだけでいいからドアを開けて顔を見せてくれないかな?」

「えっ……いや、それは……」

「実は私とお母さんは初対面じゃないんだ。以前、お母さんがうちの団体に来てくれてね。アキヒロくんのことをえらく心配していた。もう誰かに頼ることしかなかったって、お母さんは泣いてた。そんなお母さんは、何よりも君が家に引きこもることではなく、外に出て元気に過ごすことを望んでいる」

「…………」


 俺は何も言い返せなかった。今では罵倒の言葉も悪口も喉から出てこない。


「もしお母さんに顔を見せてくれれば私は今日の所は帰るよ。大丈夫だ、時間はたっぷりあるからね。また一週間後に来るけど、その時にまたお話をしよう。こんなことをしていても人生は何も変わらないが、いきなり働けなんて酷なことは言わないさ。そうだ、まずは空いた時間に散歩がてらに喫茶店に行ってみるのもいい。小さなことからコツコツ初めてみてもいいんじゃないかな?」

「アキヒロ……」


 だめだった。最後のババアが俺を心配する言葉で気が緩んでしまった。

 俺は椅子から立ち上がり、鍵を外してドアノブを回した。


 ……久しぶりにババアの顔を見るのもいいかもしれない。それは、一理あった。


 ガチャ。


 そうして、俺は扉を開けてしまった。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおお突撃いいいいいイイィィィ!!! 出て来いやこのクソ引きこもりがああああああああ!! 役に立たないニートは無理矢理引き摺り出して強制労働だゴラァァァァ!」

「なっ、ちょ、やめ、やめろこの野郎! 本性表しやがったなクソが! 何がNPO法人だ! 悪徳業者の引き出し屋じゃねーか!」


 扉を開けた瞬間、山本が足を隙間に差し入れて俺を無理矢理引き摺り出そうと掴みかかってきた!


 ちくしょう完全に騙された! 何が苦手だバカ! 

 俺が引っかかっるほど精巧な演技だったじゃねえか!!


 俺は山本の足を思いっきり踏みつけ、タックルで扉の前から突き飛ばした。

 あ、あぶねぇ! 早く鍵を掛けないとやられる!


 バタン!


 扉が締まり、しばらく静寂がこの場を支配した。


 はぁ……はぁ……。諦めたか?


「アキヒロくん、これは手違いなんだ。許してくれ。私のペルソナが勝手に暴走してしまってね……」

「何がペルソナだ! 二重人格かッ! 装っても遅いんだよ!!」


 よそよそしいにも程があるだろ! もう二度と騙されないぞ! 絶対に扉は開いてなるものか!


「すみませんお母さん。やっぱり武力行使しかないですね」

「なんでいい雰囲気まで持っていたのに自分から台無しにしたんですか???」


 ババアの不思議そうな声が聞こえる。こいつ、まさかババアまでも騙して演技していたのか?

 敵を騙すならまずは味方から。山本とか言う男、かなりの策士に間違いない。ったく、面倒なのに目をつけられたな。


「アキヒロくん、最終勧告だ」

「最終も何も最初から脅してる人間が言うセリフじゃねえからな!?」

「今すぐ部屋から出てこないと、このギガドリルドアクラッシャー02でドアを木っ端微塵に破壊する。開ける意思がないからドアの前から離れていた方がいいよ」

「なにがギガドリルドアクラッシャーだ。そんな物騒なもんNPO法人が持ってるわけねえだろ」


 ウイィィィィーン!!!


 ……おいまて、なんだ今の音? まるで電動チェーンソーが起動したような音がしたぞ。


「あの、山本さん! そんなもの家に持ち出されても困ります!」

「お母さんは危ないので離れててください。今から息子さんを助け出すんで」

「え、ギガドリルドアクラッシャー02って、お前まじで持ってるわけ……?」


 ウイィィィィーン! ガッ!! 

 ガリガリガリガリガリガリガッッ!!!


 突如俺の扉に亀裂が入った。ビキビキと音を立てながら尖った鋼の矛先が見え、回転しながら亀裂を広げていく光景が映し出されていた。


「おまっ、待てっ! やめろ馬鹿! ふざけんな! 器物破損で訴えるぞ!?」

「ヒャッハァァァァァ!! 手に響くこの振動ッ! 合法的にドアを破壊する爽快感ッッ!! 私はこのために生きているウウゥゥッ!!」

「こいつ頭が相当イカれてるやつだった!」


 ガリガリガリッ! ドガンッ!


 やがて俺の扉は物理的に破壊され、ドリルをウィンウィン言わせながらスーツ姿の男が部屋に足を踏み入れられたのだった。


「さあ観念しろクソニート! スーツと履歴書持って40秒で支度しな! 今からハロワにカチコミじゃああぁぁぁ!!!」


 こうして俺は、30年振りに部屋から山本に引き摺り出されたのだった。




 ◆◇◆




「くそっ、なんで俺がこんな目に……」

「馬子にも衣装だねアキヒロくん。冴えないサラリーマンみたいで似合ってるよ」

「褒めてる感じ醸し出しながら貶すのやめろよぉ!?」


 車が行き交う歩道。久しぶりの外へと引き摺り出された俺はハロワに向かうために山本と一緒に歩いていた。

 それにしても太陽が眩しい。鬱陶しいぐらいだ。いつも昼夜逆転した生活をしていたからか昼に活動するのはきついし眠たい。


 更には体を動かすのも怠くて嫌になる。ずっと引きこもっていたのだ、俺の体なんて歳と不健康のダブルパンチでヨボヨボだった。歩くのですら億劫を通り越して息切れしている。


「太陽がうぜぇ……歩きたくねぇ……」

「まあまあアキヒロくん。愚痴を言うのもいいが久しぶりの外はどうだい? 清々しいほど晴れやかな青空が眩しいだろう。ほら街の様子を見てごらん。君が引きこもってる30年間の間に社会は大きく変化した」

「なんか、外国人多いな」


 辺りを見回すと日本人とは違った顔立ちの人を多く見かける。フィリピンやらベトナムのアジア系が多い印象だ。

 確かに俺が住んでいる東京は外国人が多いが、増えすぎやしないか?


「それはそうだろう。今の少子高齢化で若者のどれ……働き手が少ないからね」

「奴隷って言いかけたよな今!?」

「既に生産年齢人口5000万人の内、1500万人の人間が年収200万円以下だ。他の国は経済成長して発展していってるのに、日本だけは賃金が30年前とほぼ変わってない。これからはブラック企業に搾取され続ける時代だよ」


 山本から衝撃の現実を突き付けられる。こうしてはいられない、俺は反対方向に背を向けて走り出した。


「や、やだ! ぼくおうち帰る! 生活保護受給するために家に帰って勉強すりゅ!」


 逃げ出した俺だが、ガッと山本に背中を掴まれ逃走は失敗に終わった。


「現実を見るんだアキヒロくん。この世界はクソだ。君は生活保護も受けられないし正社員雇用になると介護系ぐらいにしか就職できない。バブル景気で負の遺産を残したジジババ共のおしめを変えながら生きていくんだよ」

「夢も希望もねえ! 最悪じゃねーか!」


 背広を掴まれながら山本は笑顔でサムズアップした。


 ああ、ったく、憎たらしいほどの笑顔だなこんちくしょう!


「なんでだよあんた……。どうしてこんなゴミみたいな現実を知っていながら、こうして笑顔で働けられんだ? 社会に出るくらいなら引きこもっていた方がマシじゃねえか」

「何を言ってるんだい? 自分が苦しんでる思いをしているのなら、他人を自分と同じ境遇に引き摺り込みたくなるだろ?? 引きこもって親から甘い汁を吸い続けているニートなら尚更さ」

「最低だこいつ! やっとあんたが引きこもり支援団体なんてNPO法人に所属している理由が分かったわ!」


 信号が青になった。山本は俺を掴んだまま横断歩道を渡っていく。その笑顔はとても嬉しそうで、今すぐにでも殴り飛ばしたかった。


「アキヒロくん、この信号を渡ればハロワに付くことになる。いいかい? 職員さんには「若年性認知症になった父親を必死で介護してましたが、先月癌で死んだので介護系の仕事を紹介してください」って言うんだよ? すると簡単に就職できるからね」

「俺の父親はまだ死んでねえ! 面接で嘘付くことを勧めるな!」


 ちなみに俺の親父は今日も元気に社内ニートをやっている。退職を何度も勧められたが未だに管理の役職にしがみついている筋金入りの老害だ。


「ふっ……面接なんて嘘を付くところなんだよ。入ってからバレても問題ない。見抜けなかった面接官が悪いからね。ちなみに私は心理相談士なんて資格持ってないし、そもそも存在しない。あるのは心理相談”員”って資格さ」

「最低だ! 最低だこいつ!」


 やべぇ!? この男知っていたけどまともじゃねえ!


「んじゃ僕は君をハロワに叩き込んだらお母さんから支援料を巻き上げるから。あ、そうだ。君の知り合いに引きこもりのニートっているかい? いたら紹介して欲しいな。君と同じように引き摺り出すから」

「いてもしねぇよ! 最悪じゃねーか!」

「はっはっはっ!」

「笑ってんじゃ……」


 しかしその時、俺の視界にトラックが映りこんだ。


 青信号なのにも関わらず、横断報道では到底止まれないであろう速度で突っ込むトラックを。


「危ねぇ!」

「うおわっ!?」


 俺は別に、山本を助けようとした訳じゃなかった。ただ単に、体が勝手に動いただけだ。


 気付いたら山本を突き飛ばし、トラックに轢かれる場所から遠ざけていた。


「なっ!? アキヒロく……ッ!」


 ―――――キイィィィィィ!!!


 瞬間、体に凄まじい衝撃が走った。


 ブレーキをかける音が聞こえたと思ったら俺は宙を飛んでいた。視界が180度反転し、世界が反対に見えていた。


 あっ、これはまず―――――。


 直後、ぐちゃりと生々しい触感が頭を伝わった。


 享年46歳。俺の人生はここで幕を下ろした。








 筈だった。




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