卑怯なアルバン
よろしくお願いします。
しばらく一人にしていたクリスティンが気になった私は、そっと応接室を抜け出した。せめて遊び相手がいればよかったのだけど。長い廊下をひたすら自室に向かって歩を進める。そして、考えることに夢中になるあまり、私はつい油断した。
「どちらへ行かれるんです?」
「ひっ!」
足が止まり、声と同時に文字通り飛び上がった。ちょっと恥ずかしい。恨めしさもあって、私は勢いよく振り返ると、声の主であるアルバン様を思い切り睨みつけた。
「……跡をつけるのはいい趣味とは言えませんね。それに、ここはあなたの屋敷ではありません。自由に歩き回るのはやめてください」
「今はね。近いうちにフィンのものになるのなら、父親である私のものでもあるということだろう?」
「は?」
思わず目をパチクリとさせた。なんだ、その謎の理論は。まず、フィンさんのものになるとも限らないし、次にフィンさんのものがアルバン様のものになるというのもおかしい。二人で共有するというのなら、まあわからなくもないけど。
「じゃあ、アルバン様のものはフィンさんのものでもあるんですね?」
アルバン様は私を見下して嗤う。背の高さもあるから物理的に見下すようにはなるけど、これはわざとやって、私を馬鹿にしているに違いない。
「そんなわけはないだろう。子どものものを親が管理することはあっても、親のものを子どもが管理するのか? あいつには出来っこない」
……正直言って、アルバン様よりも、フィンさんの方が優れていると思う。場の空気の読み方、相手に合わせる能力。貴族のパワーゲームにおいては、その能力が活きてくると思うのだけど。
それに、アルバン様の言い分では、一方的に搾取するだけのような気がする。自分は与えないのに、与えてもらおうだなんて、厚かましいにも程がある。フィンさんはわかっていて協力関係を結んでいるのだろうか。いくら父親だからといってもあんまりだ。
アルバン様を睨み付ける。拳を握り、殴りたくなる衝動を抑えるので必死だった。
「だけど、そのためには君が邪魔だ。いくら渡せばここから出て行くんだ?」
「いくら渡されても、出て行くつもりはありません!」
バルドウィン様にお金で雇われたとはいえ、今はそれだけじゃない。ここまで二人で築いてきた信頼関係、愛情、そんなものはお金には変えられない!
「それに私は言いましたよね? 私一人が消えたところで、バルドウィン様を支持してくださる方々がいらっしゃる限り、バルドウィン様を引きずり落とすことなんでできません!」
するとアルバン様は声を立てて嗤った。
「ああ。引きずり落とすことはできないだろうな。だが、本人が降りると言ったらどうだ?」
「それはどういう……」
「……だから、君が邪魔だと言っただろう? あいつにとっての弱点は君だ」
嫌な予感がした。私はアルバン様の言葉を反芻する。
本人が降りるにはどういう手段を使うか。それは弱点を突けばいい。で、この場合の弱点は私。ということは……。
後退りをしたら、じりっと思いがけなく音がしてアルバン様はいやらしい笑みを浮かべる。
「だが、君も物分かりが悪いんだったな。じゃあ、君の弱点を突けばいいのかな?」
「私の……弱点?」
そして叫び声が聞こえた。
「やめて! はなして!」
「クリスティン!」
弾かれるように声のした方を見ると、フィンさんがクリスティンの手を引っ張って来ていた。早く行かないと。考える前に走り出そうとした途端、アルバン様の冷たい声が後ろから投げかけられた。
「残念だけど私もフィンも魔法が使えるんだよ。君がたどり着く前にどうなるか、わかるかな?」
足を止めて振り向くと、アルバン様をきつく睨む。
「卑怯だわ! クリスティンは関係ないでしょう! あの子を離して!」
「それは君の返答次第かな。私たちも暴力は嫌いなんだ。ただ一言バルドウィンに、当主を降りてくれと君がお願いするだけだ。簡単だろう?」
「あなたという方はどこまで……!」
悔しい。こんな汚い手段でバルドウィン様を裏切らなければならないのかと、強く唇を噛み締めた。噛み締めた唇が切れて鉄の味がする。それがやけに苦く感じた。
「……わかり、ました」
「お姉様、駄目です! 私は全く事情はわかりませんが、こんな卑怯な手を使う人に屈しては駄目! 私は守られるばかりの子どもじゃない。私を信じて……!」
「クリスティン? あなた、何を……」
私の問いには答えず、クリスティンは目を閉じた。すると、クリスティンの周囲の空気が蠢き始める。クリスティンの属性は風。きっと風の刃で自分を守ろうとしているのだろう。フィンさんもそれを感じ取ったのか、手を離した。
だけど、アルバン様には通用しなかった。
「残念だが、私も使えるんだよ。こんなことは造作もない」
そう言うと、クリスティンの周囲の風が止んだ。アルバン様に抑え込まれたのだ。それでもクリスティンは顔を真っ赤にして抗おうと魔力を放出し続ける。
「クリスティン、駄目! あなたの体に負荷がかかるわ……!」
大きな魔力はその分体に負担がかかる。まだ十二歳で成長期のクリスティンの体では、耐えられない。
──だけど、私ならいいんじゃない?
ここには水がない。それなら、より近くにある水を動かすことをイメージしてみれば……!
廊下の窓越しに、庭師が水遣りをしているのが見えた。あれだ!
私も目を閉じて体の中に流れる魔力を意識する。その流れを捉えて、水を動かす!
「来て!」
窓硝子を破り、水が矢になってアルバン様に襲いかかる。クリスティンを抑えることで気が逸れていたアルバン様の頬を掠って、アルバン様の頬に一筋の傷を負わせた。
そして、クリスティンを抑えていた魔力も消えたようで、クリスティンの力が抜けて体が傾いだ。私は慌ててクリスティンの元へ駆け寄り、抱き止める。
「本当に無茶するんだから……」
「ごめんなさい、お姉様。足を引っ張ってしまって……」
「そんなことないわ。すっごく格好よかったわ、クリスティン。さすがは私の妹ね」
「ありがとう、お姉様」
フィンさんが私を止めるかと思ったけど、フィンさんはやっぱり動かない。本当に何を考えているのか。だけど、そんなことを考えている余裕はすぐになくなった。
怒気を含んだ地を這うような声がした。
「……調子に乗るなよ。お前ごときが……!」
アルバン様の周りを空気が渦巻き始める。そこで怒鳴り声が割って入った。
「いい加減にしないか!」
渦が消えて一斉に声のした方を見ると──バルドウィン様がいた。
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