フィッシャー男爵夫人の気持ち
よろしくお願いします。
……これは混沌としているわね。
まるで葬儀に出席しているかのようにしめやかなフィッシャー男爵家、対象的にお祝い事で今にも歌い出しそうなアーレンス夫人と仏頂面を装いながらも口元が緩んでいるエルンスト様。そして、一番気になっていたユーディット様は、思ったよりも嬉しそうじゃない。本来なら、好きだった人と心置きなく結婚できる喜びに浸っていただろうに、夫人のことが影を落としているのかもしれない。
結局夫人はユーディット様に声をかけなかった。ただ一言でもお祝いの言葉とか、体の心配とか、かけてくれていたら……。
と、いけないいけない。話し合いはもう始まっている。エルンスト様がフィッシャー男爵に頭を下げる。
「私はエルンスト・アーレンス、アーレンス伯爵家の次期当主です。ユーディット嬢との婚約を認めていただきたいのです。お願いします」
感心してしまった。あのエルンスト様が頭を下げている……。やればできるのね……って、次期当主に言う言葉じゃないけど。なんだかうちの弟妹のようで成長が嬉しい。
男爵はまずユーディット様に確認する。これまでユーディット様の意思を無視して進めてきたことに罪悪感を感じているのか、それともバルドウィン様の手前そうしているのかはわからなかったけど、いい兆しには違いない。
「……ユーディット。お前はそれでいいのか?」
「わたくしはそれでいい、ではなく、そうしたいのです。わがままで申し訳ありません」
ユーディット様は目を伏せる。悪いことなんてしていないのに……。ご両親の期待を裏切ってしまったことに罪悪感を感じているのだろう。
男爵は神妙な顔で頷く。
「わかった。それでは二人の婚約をお願いしたい。手続きはおいおい進めていく、ということで……」
「ええ。こちらからもお願いいたしますわ。あなたがわたくしの義理の娘になるのね。ありがとう、ユーディット」
アーレンス夫人が嬉しそうにユーディット様に話しかける。ユーディット様は恥ずかしそうにはにかんだ。義理だとしてもいい母娘になりそう。それじゃあ本当の母はどうなんだろう、とフィッシャー男爵夫人に視線を向けると、夫人は辛そうに顔を歪めた。だけど、それも一瞬で、気のせいだったのかと思うくらいだった。
それが終わるとツェーザル様とクララ様の話になった。当主争いの座から降りてもクララ様と離れる気はないというツェーザル様の話を聞いて、アーレンス夫人は最初は理想論だと呆れ気味だったけど、そのためにどうするかという具体的な方法を示していくにつれ、耳を傾けてくれるようになった。
ただ、アーレンス側も慈善事業ではない。一方的に搾取されるような関係では成り立たない。つまり、ツェーザル様たちがアーレンスに何をもたらすことができるのか、ということを夫人は吟味しているようだった。まあ、それも当然だと言える。詳しい話はツェーザル様を交えて後日話すということで落ち着いた。
そして、アーレンス夫人とフィッシャー男爵が先に退室した。二人でこれからの予定を話し合っているようだ。エルンスト様は立ち上がるとユーディット様に近づく。
「顔色が悪いが、大丈夫か?」
「え? そんな顔色しています? 自分ではわからないのですが」
「……無理するな」
おおっ。エルンスト様がユーディット様の心配を素直にしている! 大人になったのね、と思いきや。
「お前が倒れでもしたら、運ぶ私の身になってみろ」
……ですよね。人はそう簡単に変わりませんよね。それで変にほっとしている私もどうかと思うけど。ユーディット様は怒りもせずに、力なく笑う。
「ええ、そうですわね……。気をつけますわ」
うん? 本当にユーディット様の元気がない。面食らったエルンスト様は気まずそうに言い直す。
「いや、それはいいんだが。ただ倒れるまで我慢するなと言いたかっただけで……」
「あなたの言葉の裏くらいお見通しですわよ。気にしなくても大丈夫ですわ」
「……本当に大丈夫か?」
「ええ。心配しすぎですわ」
ユーディット様は苦笑する。エルンスト様がいいように操られているような。だけど、これで二人の関係は成り立っているのかもしれない。
そんな二人の様子を見ていたフィッシャー男爵夫人が立ち上がり、「わたくしもこれで失礼いたしますわ」と言った。
ゆっくりと歩きつつ、ユーディット様の近くを通りかかったときだった。夫人は独り言のように呟いた。
「……母になれなくてごめんなさい。あなたはあなたの道を進みなさい」
ただ、それだけの言葉だった。だけど、その言葉を聞いた途端、ユーディット様は泣き崩れた。
ずっと母である夫人に拒絶されることが不安だったのかもしれない。完全に関係が良くなったわけじゃないけど、きっとこれからよくなるような気がした。
そして、ユーディット様の傍にはおろおろしながらもユーディット様を抱きしめるエルンスト様。
私もバルドウィン様と顔を見合わせて、笑顔になるのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。




