男爵の変化
よろしくお願いします。
夫人は黙り込んだ。だけど、納得したから黙った、という感じではない。きっと先代に拒否されたことが堪えているのだろう。
男爵が口を開いた。
「……貴女に言われなくてもわかっていたよ。だが、私たちは兄に人生を狂わされた。その責任を取らせたかった」
「兄……と仰いますが、バルドウィン様のお父様を恨むのはお門違いでしょう。そもそもはアルバン様の素行不良が問題だったわけで」
だから序列が変わってしまい、世代交代した今になってお家騒動になってしまった。そう考えるとバルドウィン様のお父様だって被害者ではないのだろうか。
私の言葉に夫人がどこか物悲しい微笑を浮かべる。
「……あの方は自分の望むものを手に入れた。その中にわたくしは入っていなかったということですわ。だからこそ許せなかった。わたくしはあの方にとって、簡単に手を離すことができる程度の存在だったと思い知らされたのです。これ以上の屈辱がありますか?」
なるほど。可愛さ余って憎さ百倍。だけどそれも夫人の思い込みのような気がする。
そもそも二人が思い合っていたのか、ということだ。夫人を弄んだのならバルドウィン様のお父様が悪いけど……。
「ですが、初めからお二人は思い合っていたのですか?」
「ええ、もちろんですわ!」
自信満々に答える夫人。だけど、男爵はゆるゆると首を振る。
「いや。少なくとも兄は、政略結婚なら仕方ないという態度だった。相手は誰でもよかったようだが」
夫人の蒼白だった顔色がみるみるうちに赤みを帯びる。先程までのしおらしさは何処へやら、支えてくれていた男爵に摑みかかった。
「あなたにあの方の何がわかるというのです! あの方は誰よりも素晴らしくて、わたくしを思ってくださって……」
「いい加減にしてくれ!」
男爵は夫人の手を振り払う。パシンと乾いた音がして、夫人は目を見開いて固まった。そんな夫人を男爵は睥睨する。
「君はいつもそうだ。兄と私を比較しては、私を馬鹿にするようなことを言う。それに結婚当初は、私が兄と君の仲を引き裂いたと思い込んで、睨むわ、怒鳴るわ、近づいただけで悲鳴を上げられた。それでも我慢してきたのは、君にもユーディットを思う気持ちがあると思ったからだ。私は確かにユーディットの気持ちを考えず、自分が良かれと思うことを強いてしまった。だが、君はどうだ? 自分のことばかりで私やユーディットの気持ちなんて考えない。間違いに気づくどころか、開き直る始末……もう、我慢の限界だ。離婚しよう」
途端に夫人の表情が恐怖に凍りついた。それも仕方ないと思う。離婚は外聞が悪いからと、仮面夫婦として過ごす貴族は珍しくない。しかも離婚した場合、夫側が有責でも、世間的に冷たい目で見られるのは妻側だ。
って、冷静に聞いている場合じゃない。そんなことユーディット様も望んでないのだから。
私は慌てて話に割り込んだ。
「ちょっと待ってください! ユーディット様もそれを望んでなかったから、ご両親の期待に応えようとしたんじゃないですか」
「だがね。彼女はこれからも私やユーディットに押し付けるばかりだろう。もう私も疲れた」
今更そんなこと……。自分のことを棚に上げて、どうしてそんな勝手なことを言えるのか。向き合おうとしなかったあなたも同罪でしょう。
バルドウィン様が厳しい声で男爵に言う。
「それは自業自得じゃないのか。本来なら自分の家の始末は自分でするべきなのに、ユーディットがメラニーに助けを求めたのは何故だ? その上、また楽な方へ逃げようとするあなたに、夫人を糾弾する権利はない。簡単に離婚だなんだと言うより前にすべきことがあるだろう。夫人と二人でゆっくり話し合え。その間、ユーディットはこちらで預かる」
「え、いいのですか?」
ユーディット様に近づくのも嫌がっていたバルドウィン様がそんなことを言うなんて思いもしなかった。私の問いにバルドウィン様は苦笑する。
「今のユーディットなら、まあ。それに君がいるから、ユーディットも相談相手ができていいんじゃないか」
「バルドウィン様……ええ、そうですね。ユーディット様もいろいろ考える時間が必要だと思います」
「決まりだな。その間、あなた方二人はこちらへの立ち入りを禁じる。話し合って心境に変化があれば手紙をくれ。ただし、最低でも一週間は受け付けない」
「勝手なことを……!」
「もう、やめるんだ! 私たちは男爵家であり、私自身、伯爵家の継承権は、もうないに等しい。逆らえないんだ……それに、バルドウィンの言う通りだ。私は男爵家当主でありながら、男爵家で処理すべき問題を処理できなかった。確かにアーレンスとの縁談には何ら不都合がないというのに。君も男爵家のために、そしてユーディットのために何が正しいのか、もう一度考えるべきだろう」
まだバルドウィン様に抵抗しようとする夫人を、男爵は厳しい口調で制した。そして、夫人が暴れないように肩を押さえると静かに首を垂れた。
「……ユーディットを頼みます」
「ええ、任せてください。私にとっても大切な従姉妹ですから……そうですよね、叔父上?」
バルドウィン様は、もうユーディット様と従姉妹同士の関係に戻りたいのだと暗に匂わせた。男爵は清々しい顔で笑う。
「ああ。これからもあの子と仲良くしてくれると嬉しい。親馬鹿だが、あの子は本当にいい子なんだ。多少思い込みが激しいところが難点だが」
「いいえ。そこもユーディット様のいいところです。お芝居やお話を作る才能があって羨ましいと私は思っています」
「そうか……あの子はいい友人に恵まれたんだな。ありがとう」
あの男爵が私にお礼を言うとは思わなかった。田舎娘だなんだと結構馬鹿にしていたのを覚えているんだけど。いいえ、別に根に持ってはいないのよ?
だけどこれなら、男爵が夫人を説得するなりして、いい方へ向かっていくに違いない。
それからすぐに男爵夫妻と共にユーディット様に会いに行き事情を話すと、ユーディット様はミュラー家に滞在することを了承してくれた。勝手に決めたことを謝ったら、怒るどころか感謝してくれた。
そして慌ただしくユーディット様がミュラー邸に来た後、今度はエルンスト様が来るのだった。
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