新しい日々の始まり
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それから着替えて朝食をすませると、バルドウィン様に屋敷の中を案内してもらった。行く先々では使用人たちが頭を下げるので落ち着かない。
そもそも伯爵夫人って、どう振る舞えばいいのよ。
踏ん反り返るのも違うし、かといって自信なさげにしていても使用人の不安を煽るでしょうし。
ちらりと並んで歩くバルドウィン様を見ると威風堂々としていて、今朝の姿とは大違いだ。
「バルドウィン様はすごいですね」
「唐突にどうしたんだ?」
脈絡なく褒めたからか、バルドウィン様は怪訝な顔になった。心の声のつもりだったんだけど。ついうっかり口にしてしまったので、正直に話すことにした。
「歩く姿に威厳があってすごいなって。二人の時やビアンカ様の前では可愛らしいのに、ちゃんと使い分けられているから。さすが伯爵家当主ですね」
「……褒められるどころか、貶されている気がするんだが」
「いえ、褒めてるんです。男の人に可愛いって言っていいのかわからなくて相応しい言葉を探したんですが、見つかりませんでした。すみません」
「いや、それを謝られると何と言っていいのか……」
バルドウィン様の眉間に皺が寄る。そんなに皺を寄せたら元に戻らなくなりそうだけど。皺が増えたと嘆く母を思い出して、ついバルドウィン様の眉間に手が伸びた。
「癖になると皺が消えなくなりますよ。せっかく美形なんだから大切にしないと」
「……君も気になるのか?」
不意にバルドウィン様は立ち止まり、いつもよりも低い声で尋ねてきた。どうやら私は地雷を踏んだようだ。
だけど、一体何に?
何がどうしてこうなったのかはわからない。ただ一つわかっているのは、バルドウィン様は何かに傷ついているということ。そして、私はそこを無遠慮に踏み抜いてしまったのだろう。
ここで答えを間違ってしまったら、バルドウィン様は心を閉ざしてしまうのではないか、そんな気がした。顔を引き締めてバルドウィン様の問いに考えながら答える。
「……母がよく嘆いてましたから。また皺が増えたって。皺の数だけ苦労があるんだと思うと、やっぱり心配になりますよ。それに、美形なのも一つの才能でしょう? 私にはない、一つの才能。純粋に羨ましいだけです」
「あ……そうなのか。私はてっきり……」
私の言葉にバルドウィン様は険しい表情を緩めた。正解ではなかったけど、間違いでもなかったようだ。私も表情を緩めた。続きを促すようにバルドウィン様をじっと見ると、バルドウィン様は観念したようで、ぽつぽつと辛そうに言葉を紡いだ。
「……今の私は役立たずだ。自分が影で何と言われているのか知っている。身内を押さえることもできない顔だけ当主だと。その顔で愛想を振りまいて味方を作るくらいしか能がないんじゃないかと笑われているのも聞いてしまった」
「……酷い」
「だから、君も私は顔以外に取り柄がないと思っているのかと……先程可愛いと言われたし」
バルドウィン様は悄然と肩を落とす。これは私が悪い。私はバルドウィン様のそういった人間味のあるところがいいと思う。だけど、それをちゃんと伝えていなかった。
「……誤解をさせてすみません。私はバルドウィン様の私やビアンカ様に見せる、そういう人間味があるところがいいと思うし、好きなんです」
バルドウィン様は目を見開き、顔を歪めた。その顔が今にも泣きそうで、私は思わずバルドウィン様の手を握りしめた。
クリスティンのことを思い出したのだ。あの子も同じように顔だけで近寄ってくる男子たちや、見た目で判断する女子たちに酷いことを言われていた。そのことを相談しようとしても贅沢だと切って捨てられる。それがどれだけ辛いのか、平凡顔の私にはわからなかった。だからこそ気づくのが遅くなってあの子には可哀想なことをしてしまった。
バルドウィン様だってそうだ。美形に生まれついたのは本人のせいじゃないし、悪く言われるようなことじゃない。そこには多分な嫉妬が含まれているのだろう。
「あなたは優しい人です。顔だけじゃなく、いいところはたくさんあるはずです。どうでもいい人の心無い言葉なんて信じては駄目です。ビアンカ様のためにも」
「ああ、ありがとう……」
バルドウィン様も強く握り返してくれた。泣きたいのを堪えているのか、その手は震えていた。
この人はずっと一人で戦ってきたのかもしれない。心無い人たちに傷つけられながらも折れることも許されず。
──この人の心も守らなければ。
業務外のお節介かもしれないかもしれないけれど、クリスティンに似たバルドウィン様を放っておけなかった。
読んでいただき、ありがとうございました。