慌ただしい一日の終わり
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時間が過ぎるのはあっという間だ。まだまだ予定が詰まっているというのに。
簡単に私付きの侍女を紹介してもらい、部屋へ案内された。なんとなくわかっていたけれど、バルドウィン様の部屋の隣だ。まあ、バルドウィン様くらい恵まれた容姿をしていたら、相手は選び放題だろう。そういう意味では心配はしていない。
部屋に入ると早速普段用のドレスに着替える。一点ものの高価なウエディングドレスからようやく解放された安堵感に思わずため息が漏れた。
白だから汚れが目立つ。汚れないかと気が気じゃなかったのだ。
だけど、一息つく間もなく、次は夕食が待っている。侍女とメイドに急かされながら食堂に行くと、同じく普段着に着替えたバルドウィン様が座っていた。
「慌ただしくてすまない。早く休めるようにと思って予定を詰めてしまった」
「いえ、それは大丈夫ですけど……」
話しながら用意された席に着く。だけど、バルドウィン様から遠い。ある程度声を張らないと相手に聞こえないだろう。食事は黙ってしろ、というバルドウィン様の無言の圧力だろうか。楽しくない。
用意されたのは鶏の丸焼き、焼き魚、野菜のスープに、バゲット。私からすると、普段はお目にかかれない豪華な食事だ。
弟妹たちなら狂喜乱舞するだろう。皆のことを考えて笑ってしまった。気づいたバルドウィン様に尋ねられた。
「どうしたんだ?」
「いえ、すごいご馳走ですね。弟妹たちがいれば奪い合いの喧嘩になっただろうなと思うとおかしくて」
特にアロイスとダニエル。食べ盛りの男子の食欲を舐めてはいけない。何度私のおかずを奪われたか。
だけど、それが楽しかった。こうして好きなだけ食べられるのは、幸せなことだけど寂しい。それに自分だけいいものを食べている瞬間も、あの子たちは我慢しているのだろうかと思うと、美味しいはずの食事があまり美味しくない。
「賑やかなんだろうな。私にはまったく想像がつかないが」
バルドウィン様は苦笑する。だけど、その表情はどこか寂しそうだった。踏み込んでいいのかと逡巡したけど、思い切って聞いてみた。
「じゃあ、バルドウィン様はどんな感じだったんですか?」
「そうだな……。一つ下の妹がいるが、それほど仲良くなかったし、両親は礼儀作法に厳しい人たちだったから、黙って食べるのが普通だったよ。ナイフやフォークの使い方を間違えるたびに注意されるから、楽しくはなかったかな」
「そうですか……」
話を聞いていると寂しくなる。バルドウィン様はスレたところがないし、優しい人だ。きっとご両親は厳しかったけど、同じように優しい人なんじゃないかと思う。ただ、責任感が強かっただけで……。
何も知らない私が偉そうに言えることじゃない。どこまで踏み込んでいいのかわからないから、結局黙るしかなかった。人間関係って難しい。
だけど、そこでまったりしているわけにもいかなかった。何せ、今夜は特別な夜だと周りから思われている。一刻も早くバルドウィン様と部屋に二人きりにさせようとする侍女の気遣いが辛い。
食事が終わるなり、次は浴室へ連れていかれ、服を剥かれ、気合を入れて磨き上げられる。
必要ないのに。
この結婚は本当は建前だからいらない。だけど、これも彼女たちの仕事。お金をもらう以上はちゃんとやらなければならない。止めることもできず、されるがままに夜着を着せられ、ごゆっくりと言わんばかりに部屋に放り込まれたのだった。
「つ、疲れた……」
五人は余裕で眠れそうなベッドに寝転ぶ。途端にふわりと香るのはお日様の匂い。私を迎えるためにこのシーツも綺麗に洗って洗濯してくれたのだろう。慣れない場所で少しだけ不安だったけど、なんだかほっこりした。
そう。まだ始まったばかりなのだ。見えない不安に囚われるよりは、まだ見ぬ希望に目を向けよう。
きっとなんとかなる、いえ、なんとかしてみせる。
意外に図太い私はそのままうとうとしていたようだ。扉を控えめに叩く音に気づき、寝ぼけながら返事をした。
「ふぁい、どうぞ……」
「失礼するよ」
う、ん。この声は誰だっけ。誰かが近づいてくるのはわかったけど、眠気で目が開かない。ギシッとベッドの縁が沈み、近くに人が座ったのがわかった。
「もう寝てるのか……」
どこか呆れたような声音。そして私の頬にかかる髪を払う優しい手。
「お父様……」
小さかった頃に戻ったようだ。昔はこうして父も私を寝かしつけてくれた。これが夢なら甘えてもいいだろうか。その手を掴むと、安心した私は深い眠りに落ちていった──。
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