ミュラー邸に着いて
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ミュラー邸に到着したのは夕方だった。門をくぐって屋敷に向かって長い道が続く。その両脇には左右対称の植木が等間隔に敷き詰められた庭園。手入れも見事で、うちとは大違いだ。
我が家は庭師を雇う余裕がないので、父や領地では領民がたまに好意で手入れをしてくれている。とはいえ、本職ではないから、出来はまあ、察して欲しい。
やばい。今日離れたばかりなのに、思い出してしまってもう我が家が恋しい。そんな自分を叱咤するように頬を叩くと、バルドウィン様に奇妙な目で見られた。
馬車は道なりに真っ直ぐ進む。やがて、正面に夕日の橙色に照らされた白亜の屋敷が見えてきた。近づくにつれ威容を増していく。ヘルツォーク邸の倍はありそうだ。
部屋数はどのくらいだろうか。パッと見では把握できない。最低でも二十はあるような気がするけど。
だけどやっぱり一番気になるのは──いくらぐらいするんだろう。
変な形の彫刻の置物や、壁に施された意匠。ついつい金勘定で考えてしまうのはご愛嬌だ。
屋敷の前で馬車が止まる。外から扉が開き、先にバルドウィン様が降りた。バルドウィン様に手を引かれ馬車を降りると、頭を下げた状態の制服姿の使用人たちに迎えられた。
「皆、ただいま」
「お帰りなさいませ」
バルドウィン様が声をかけると、一斉に返事が返ってきた。そして皆が顔を上げる。まさに一糸乱れぬ動きだ。伯爵家ともなると、こういうところまできっちりしているのだなあと感心してしまった。
「メラニーは婚約期間に皆に紹介したから覚えていると思う。彼女も今日から我が家の一員だ。よろしく頼む」
「よろしくお願いします」
バルドウィン様に紹介され、頭を下げる。そこでバルドウィン様に腕を突かれ、ふと気づく。
頭は下げなくてもよかったんだった。
私は雇われとはいえ、女主人。立場の違いを明確にしないと使用人に示しがつかない。高圧的に振る舞うわけじゃないけど、仕えたいと思わせるのが大切、だったっけ。
……だけど、立場的に皆と同じなのよねえ。
私も同じくバルドウィン様に雇われてるわけで。中でも私は新参者だし。
ちらっとバルドウィン様を見ると苦笑していた。怒ってないならまあいいか。私も笑って誤魔化しておいた。
だけど、この方が業務が終了した後にいなくなりやすいからよかったとも言える。女主人に相応しくないから離婚になった、そういう筋書きも描ける。
二人で顔を見合わせて笑っていたら、老齢の執事がごほんと咳払いをした。彼とは何度も顔を合わせているけれど、好々爺といった風情で、祖父を思い出す。
「仲が良いのはよろしいですが、奥様もお疲れでしょう。早く着替えてお休みされたいのではないですか?」
奥様。全然ピンとこなくて周囲を見回してしまった。これほど私に似合わない名称はない。下働きの方がやっぱり良かった……。
酸っぱい物を食べた時のように、思わず顔をしかめてしまった。すると隣でバルドウィン様がぶっと吹き出した。笑いを堪えているようで、震えながら顔を背けて執事の問いに答える。
「あ、ああ。今日はいろいろあったから疲れているだろう。とりあえず中へ入ろうか」
バルドウィン様は、また私を見て笑いを堪えている。
失礼な。平凡顔だからといって笑われるのは心外だ。後でバルドウィン様に変顔をさせて笑ってやろう。
……笑えるといいんだけど。
何をしても変顔にならなければ、私の顔がそれだけ酷いってことになるんじゃ……。少し腹が立ったので、バルドウィン様の手の甲をつねってやった。
「つっ……」
聞こえない、聞こえない。少しは痛かったようで、バルドウィン様は恨みがましい目で私を見ている。私は素知らぬ振りを貫いて、バルドウィン様と並び、先導してくれる執事の後をついて屋敷の中へ入った。
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