血液と通貨、悪性腫瘍と無駄な公共事業
太古の昔、この世界には、単細胞生物しか存在しませんでした。ところが、ある時、その単細胞生物同士で群れ始めます。いわゆる、細胞群体というやつですね。群れる事に様々なメリットがあったからじゃないかと思われます。たくさん集まったなら、全ての細胞が同じ役割を果たすのではなく、それぞれの細胞が何か得意分野を作って“分化”をした方が便利そうです。
そして実際にそれは起こりました。つまりは、多細胞生物の誕生です。
因みに、単細胞性生物と細胞群体の間のような性質を持った生物もいます。通常は単細胞生物として生活をし、何かしらの切っ掛けで多細胞生物のような振る舞いを見せるものが粘菌という生物の中にはいるのです。
その多細胞生物では、知っての通り、信じられないような複雑な仕組みによって、様々な細胞が協調行動を行っています。そして、それぞれの細胞は生きているのですから(いえ、中には死んだ状態で役に立っている細胞もいますがね)、栄養やエネルギーが必要です。ですから、無論、栄養やエネルギーを届けてあげなくちゃいけません。
その役割を果たすのが血液ですね。
血液が循環する事で、多細胞生物の多くは生きていられるのです。
この多細胞生物の話は、社会の話ととても良く似ています。単体で生きていた生物同士がたくさん集まって群れを作り、その群れの中で役割を分化して社会が誕生し、それぞれの生物が生きる為に、栄養やエネルギーを供給する仕組みがあります。
アリやハチといった新社会性を持った生物をここで例に挙げても良いのですが、やはり最も注目すべきなのは、高度な社会を後天的特性によって進化させ続けている“人間社会”ではないかと思われます。
人間社会を思い浮かべる場合、多細胞生物における血液の位置には、お金、通貨が当て嵌まりそうに思えます。
それは、人々の間を循環する事で、社会を成り立たせていますから。
もっとも、この類推性は少しばかり乱暴であるようにも思えます。血液は栄養やエネルギーを運びますが、通貨には栄養もエネルギーもありません。実際に栄養やエネルギー…… それ以外の様々な物資を運ぶのは物流業者ですから、無理矢理に血液の役割を当て嵌めるのであれば、物流業者こそが血液の位置に相応しいという意見もあるかもしれません。
ただ、それでも、事象を選んで着目するのであれば、この通貨を血液の役割とする類推には充分に意味があるのではないかと僕は考えています。
いえ、“類推”どころか、抽象概念として捉えるのであれば、或いは“同一の現象”かもしれない、とすら僕は考えているのですがね。
ここで、少しばかり多細胞生物に話を戻します。
多細胞生物では、知っての通り、遺伝子をコピーすることで細胞を増やしています。ところが、この遺伝子のコピーは完全ではなく、実はしょっちゅうミスっています。つまり、異なった遺伝子を作ってしまっているのですね。
異なった遺伝子なのだから、それはつまりは別の生物で、異物です。多細胞生物の多くには、免疫系が備わっていまして、異物が混入したなら攻撃をします。つまり、このコピーし損なった遺伝子は、攻撃の対象になります。
ところがどっこい、どんな条件が合わさればそうなるのかは分かりませんが、そういったコピーし損なった細胞の中には、その免疫系からの攻撃を退けてしまう特性を身に付けてしまうものもいるのです。
しかも、そんな中には通常の細胞には備わっているはずの“寿命”がないものもいるのです。寿命がないのだから、エラー遺伝子の細胞は他の細胞達よりも生き残りに有利です。他の細胞がやがては寿命で死んでしまうのに、いつまでも生き続ける事が可能で、しかもどんどん増殖し続けるのですから。
そして、このエラー遺伝子の細胞は、他の細胞と協調行動を執ろうとしません。役に立たないのです。にもかかわらず、栄養やエネルギーは奪い取っていってしまいます。
“悪性”と表現するべき細胞でしょう。
そう。
多細胞生物の中で誕生した、悪性の新生物です…… って、もう分かっている人もいるかもしれませんが、つまりはこれがガンです(ガンが成立するのには、これよりももっとたくさんの条件が必要なのですが、長くなり過ぎるので割愛します)。
何の役にも立たない細胞が、生きる為に必要な栄養やエネルギーを奪ってしまうのだから、このガン細胞が繁殖した多細胞生物の身体はどんどん弱っていきます。当然ながら。放置すれば衰え、死んでしまうでしょう。
(一応断っておくと、ガン以外の病気でも似たような理屈が通用します)
この多細胞生物で起こるガンの話を、先程と同じ様に社会に当て嵌めてみましょうか。
まるでガン細胞のように、資源を無駄に消費してしまうという点に着目するのであれば、まず思い浮かべるべきなのは“バブル経済”かもしれません。
かつて日本で起こったバブル経済で、かなりの資源の無駄遣いが行われたのは有名な話ですし、昨今では中国のバブル経済で、“高級ゴースタウンを建造してしまう”といった信じられないような規模の資源の無駄遣いが行われています。
当然ながら、これは社会全体を疲弊させる要因になる訳で、まるで腫瘍のようだと表現してしまいたくなります。
が、バブル経済はいずれは必ず崩壊するという点が(ちょっと難しい言い方をすると、“自己組織化臨界点”を持つって事なのですがね)、ガンとは異なっています。
その崩壊で、社会が大ダメージを負ってしまうので、もちろん大変に問題のある現象なのですが、それでもいずれは勝手に崩壊してしまいます……
……あ、こんな事を書いたら「中国のバブルは崩壊していないじゃないか」なんて指摘をしそうな人がいますが、これは国が半ば強引に抑え込んでいる所為で、通常の資本主義市場のルールとは異なった動きをしているだけだったりします。
そんな風に強引に誤魔化しても、資源を無駄遣いしてしまっている点は同じなので、どんな形であるにせよ、絶対にしっぺ返しを受けるでしょう。と言うか、既に一部ではしっぺ返しを受けていますし、「部分的にはバブル崩壊している」とも表現できるのですがね。
話が少し逸れましたが、最もガンと呼ぶに相応しい社会現象は“無駄な公共事業”ではないかと僕は考えます。
知らない人の為に説明しておくと、“公共事業”というのは、国が行う、道路や学校といった設備を整える事業を言います。もちろん、とても効果的なケースもたくさんあります。
ところが、これが“本当に役立たせる”以外の目的で行われ始めると困った事態になってしまうのです。“車のほとんど通らない道路”や“飛行機が降りない空港”といった絶対に必要のない設備をどんどんと造っていってしまうのです。
これは、その設備を使う為に行われるのではなく、その設備を造る名目で、地元の業者に仕事を、つまりお金をばら撒く目的で行われます。
まぁ、想像に難しくないと思いますが、そこには官僚、政治家、民間企業がタッグを組んで、税金を自らの懐に入れる仕組みが出来上がっています。
裏では色々と悪い事をしているでしょうが、これは一応は合法という事で行われています。だから、抑止力が大変に働き難い。
その意味で、ガンにとってもよく似ているように思えるのです。
ただ、仕事のない地方にとっては、この公共事業が生命線だったりする場合もある訳で、だから一概に否定し切れません。
ただし、それでもそれは“資源の無駄遣い”である点に変わりはありません。何の役にも立たない…… いえ、それどころか、自然環境を破壊したり、負の遺産を残したりしてしまっているのですから、それが続けば、社会全体を疲弊させてしまいます。
それに、もっと有意義な事に資源を使えていたなら、この社会がよりよく変わっていた可能性だって大いにあるのです。絶対に是正、改革は必要でしょう。
そして、バブル経済の崩壊でも、莫大な負債を生んでしまいますが、無駄な公共事業でも負債を生みます。まぁ、簡単に言ってしまえば、国の借金が増えてしまうのですね。
ただし、この点については、問題視しない意見もあります。
「国の借金は大きな問題ではない」というのです。かなり昔から、そのような主張をしている人達はいましたが、ここ最近で、国際的に取り上げられ“理論”として有名になったある主張があります。
それはMMT理論(現代貨幣理論)と呼ばれています。
普段、僕はこの手の主張に真剣に目を向けたりはしません。
真相は分かりませんが、公共事業によって利益を得ている団体関連の方々が、「国の借金は問題にならない」と主張して、税金から甘い汁を吸い続けたいと画策しているのじゃないか…… 或いは、単なる願望から現実を直視するのを避けているようにしか思えないものが多いからです。
例えば、「日銀が市場から国債を買い取れば、国の借金は帳消しになる」なんて主張がありますが、これはとんでもない勘違いです。
日銀が国債を抱えている場合、国は日銀に対して借金を返さなくてはならないのですが、日銀は国の子会社みたいなものなので、それは相殺され、実質ゼロになるというのです。がしかし、そんな事は起こりません。
日銀が国債を買い取ると、金融機関に対してお金が支払われるのですが、そのお金は日銀当座預金に振り込まれます。ところが、日銀当座預金には実は金利が発生するのです。だから無論、日銀(国)は、金融機関に対して利子分を払わなくてはいけないのです。
つまり、日銀当座預金というのは実質“国の借金”なんです。借金の形が、“国債”から“日銀当座預金”に変わっただけで、別に借金が減っている訳じゃないんです。
日銀当座預金から、金融機関が通貨を引き出して使えば借金は消えますが、数百兆円ってな規模の通貨を使わせるのは至難の業です(それ以外にも問題点は多々あるのですが、少し長くなり過ぎてしまうので割愛します)。
僕は経済の素人でしかありません。その素人の僕でも簡単に指摘できる程度の間違いを犯しているのに、どうして「国の借金は問題にならない」という主張を信頼できるのでしょう?
が、先程述べたMMT理論にはちょっとばかり気になる点がありました。
僕はずーっと“通貨循環モデル”という経済理論を主張している変な奴なのですが、それと非常に似通っている部分があるのです。
その“通貨循環モデル”とは、このようなものです。
通貨というのは循環しています。循環しているからには“循環する場所”があります。そして、その通貨が循環する場所とは、ずばり“生産物”です。
お米だろうが、パソコンだろうが、散髪サービスだろうが、生産物が生産され、僕らに消費される過程で“通貨の循環”が発生しているはずなのです。
当り前ですが、生産物を消費する時、僕らは通貨を支払いますが、それは労働者に渡り、労働者は何かしらでその通貨を使って、また僕らの収入となって返ってきます。
これは“通貨の循環”です。
そして、経済成長とはこの“通貨の循環量が増える事”を意味しています。つまり、それは通貨の循環場所である生産物が増える事に他なりません。
単純なモデルを使ってこれを説明します。
5人だけの経済社会を考えてください。仮にこの5人でAという生産物だけを生産しているとしましょう。
仮に生産物Aが、10円だとするのなら5人分で、通貨循環の総量は50円。これはGDPが50円って事です。ところが、ここに生産性の向上が起こったとします。たった一人だけで生産物Aを5個生産できるようになったのですね。
生産物Aの需要がもっと大きければ、生産量を増やせばいいのですが、ここでは生産物Aの需要の限界を1個とします。
(現実でも、例えば冷蔵庫を2台も3台も無限に欲しがるような人はいないでしょうから、“需要に限界がある”という、この想定は自明でしょう)
すると、働くのはたった1人で良く、残りの4人は失業者になってしまいます。これは“労働資源が余っている状態”と表現できます。
失業したままでは、この4人には収入がなく、生活ができません。実に困った問題ですが、この問題には簡単な解決方法があります。
新たな生産物Bを誕生させて、その生産の為に残りの4人に働いてもらえば良いのです。
仮に生産物Bは40円で1個生産するとすると、その分だけ通貨の循環量が増え、GDPは90円になります。
経済成長していますね。
(因みに、ここでの40円という価格設定は“通貨を残らず循環させる”という条件を満たそうとした場合、自動的に導かれるものです。そして恐らく、これは現実の価格決定のメカニズムの一部を成しているのではないかと思われます)
ここでこの社会には、通貨の発行が可能である(というか、増刷しないとむしろ困る)点に注目してください。
生産物Bという“新たな通貨の循環場所”が増えた分だけ、通貨を発行できるのです。
これを応用すると、失業者対策としてこのような方法が有効である事が導けます。
国が法律で“新たな生産物を消費しなければならない”と定め、最初の一回分に関しては、国が通貨を発行して、それを支払う。
すると、その新生産物の生産の為に、失業者となってしまった労働者達は働けるようになります。
ここで、この新たな生産物は、何でも構いません。ですが、できるなら社会の役に立つようなものである方がより価値があるのは言うまでもないでしょう。
そして、現実の人間社会には様々な社会問題があり、その解決の為の生産物が望まれています。再生可能エネルギーの普及も急務ですし、高齢社会を考えるのなら、福祉を充実させる必要がありますし、子育て世代の貧困問題の解決の為には保育園を増やすべきです。
当然、それら生産物を消費する為の支出は増えますが、個人差はあるでしょうが(極端な所得格差が生じない限り)収入も増えるので大きな問題にはなりません。
と言うか、今まで人間社会はそのようにして経済発展をし続けて来たのです(貯蓄は消費するまでのタイムラグで発生するものと捉えるべきでしょう)
因みに、今現在、自然環境破壊によって、地球規模の気候変動が問題になっていますが、その解決は、今ここで説明した方法を用いなければ不可能じゃないかと思います。
以上が、僕がずっと前から訴え続けている“通貨循環モデル”とその応用方法の概要です。
“新たな生産物が増えるのなら、その増えた分だけ通貨を発行できる”という点に注目してください。
(一応断っておくと、“新たな生産物を増やす”には、その分、資源が余っていなければなりません。その中でも、特に労働資源が重要です)
実はMMT理論でも似たような事を訴えているのです。
「国の立場でなら、いくらでも通貨の発行が可能である」
と。
そして、その手段が、“国の借金”なのですがね(その方法を支持しませんが、一応、僕の通貨循環モデルでも、借金によって通貨供給を行う事は可能です)。
そこで僕は『MMT 現代貨幣理論入門 L・ランダル・レイ 東洋経済新報社』という本を買って勉強してみました。
もしかしたら、別の方向から経済を眺めているだけで、同じ事を言っているのかもしれないと思って。
まだ一度しか読んでいないので、理解が充分ではないのですが(いえ、何度読んでも理解は充分にならないかもしれませんが)、それでも要点だけは押さえられた気にはなっています。
なので、分かっている範囲でMMT理論について説明し、その問題点と補うべき点について述べてみたいと思います。
MMT理論の成功例として紹介される場合もあるので、近年の日本経済を例にして、説明をします。
(説明を分かり易くする為に、シンプルにしています。ご了承ください)
日本では失業という経済問題を解決する為に、財政政策も用いました。具体的には、借金を行って資金を調達し、それによって先程も述べた公共事業を行ったのです。
ただし、それで景気が良くなるとは限りません。公共事業を止めれば、直ぐに景気が悪化してしまうような状況が続くのなら、公共事業をし続けるしかなく、もちろん、借金は膨れ上がっていきます。
一般的にはこの状態は問題視されています。国の借金が膨らんでいけば、やがて経済はもっと酷い状態に陥ってしまう、と。
だから、借金を抑止するべきだとされているのです。
ところが、MMT理論ではこれを問題視しません。失業者が存在するのなら、国が積極的に借金を行い続けて、経済を下支えするべきだと主張しています。
ただし、無限の借金を許容するべきだと言っている訳ではありません。借金が膨らみ過ぎていよいよ危なくなったのなら、「増税を行って借金を返せば良い」とそう主張しているのです。
確かに理論上はそれは可能です。
国が使ったお金は、海外に流れていない限り、必ずどこかには存在しているはずで、徴税権を持っている国がそれを行使しさえすれば税収を増やせるはずだからです……
ここで、少し冷静になって考えてみてくださいね。
これ、“借金”という形を経てはいますが、「公共事業という生産物を、税金によって消費する」という事を行っているのと同じで、つまりは“公共事業”について“通貨の循環場所”をつくっているのと同じです。
つまり、根本の原理的な点に着目するのであれば、僕の“通貨循環モデル”の主張と同じです。
もっとも、僕がこれを“適切な政策である”と判断しているのかと言えば、まったく違うのですがね。
理論上は正しくても、現実にその通りにできるかどうかはまた別問題ですし、更にどう考えても、“欠けている”視点があるようにしか思えないからです。
順番に説明していきます。
まず、「いよいよ危なくなったら増税を行えば良い」というのは、そんなに簡単にできるものではありません。
(因みに、MMT理論の支持者…… かどうかは分かりませんが、日本には以前からこれと同様の主張をしている人達がいます)
これ、一体、どこから税を徴収する気でいるのか、まったく説明がないのです。もちろん、通貨は存在していますよ? 現在の日本(2020年1月)なら、高齢者達の貯蓄はとても多いですし、年金資金だってまだたくさんありますし、企業にだってたくさん資金が余っていますから。
ですが、もし増税しようとしたなら、絶対に様々な問題が発生します。
まず、高齢者の貯蓄や年金をターゲットにしたなら、高齢者世代は最大の投票数を持っているので、それを行った政権が大ダメージを受けるのは避けられないでしょう。政権が倒れる可能性だって大いにあります。やりますかね? そんな事を?
また、企業をターゲットにしたなら、国外へ脱出してしまうかもしれません。今後の日本の経済発展の阻害要因になるのはほぼ間違いないでしょう。いえ、その前に経済団体が政治家に圧力をかけてそうしないように仕向けるかもしれません。
では、そういった政治的に問題のあるターゲットを避けて、比較的弱い立場の者達を狙うのはどうか?
つまり、現役の生産者世代、若年層をターゲットにして増税を行うのですね。この場合、政権のダメージは最小限に抑えられるかもしれませんが、現役世代の貧困率を上げる事で、出生率や教育の更なる低下が起こるでしょう。
これでは、必然的に日本の将来は暗くなってしまいます。
果たしてこれで「危なくなったその時に、増税を行えば良い」なんて言えるのでしょうか?
もちろん、これは“現実”の話であって、純粋に理論上の話ではありません。が、理論上の話でも、MMT理論にはちょっと欠けている点があるようにしか僕には思えないのです。
MMT理論には、経済がダイナミックに変動するものだという観点が抜けているのではないでしょうか?
実体経済だけに、注目するのであれば“投資”に期待する効果は「生産性の向上」、「新たな生産物の誕生」の二つでしょう。
「生産性の向上」は、仮に成功したとしても、失業者を生んでしまうかもしれませんが、それは“余った労働資源”であって、無論、その労働資源を活かせば、更なる経済成長を見込む事ができますから、否定するべきものではありません(だから、AIやロボットの発達なども否定するべきではないのです)。
“公共事業という投資”には、本来、そのような効果があるべきでしょう。そのような効果があるからこそ、“借金”という手段が許されるのです。
(目的が“防災”の場合は、事情が異なってきますから、その場合は本来なら、借金に頼るべきではないと僕は考えます)。
何故なら、それによって“通貨の循環量”が増えるからですね。「通貨の循環量が増えて得られた利益で、借金を返す」というのが、正常な流れであるはずです。
単に失業者を救済する手段として、公共事業を行ってしまった場合、それは投資ではなく、生産物として機能します。つまり、将来の“増税”が前提になります。それによって、“通貨の循環”を完結させるからですね。
いや、もちろん、他で効果的な投資が行われて穴埋めするかもしれませんし、借金をし続けなければ、“ずっと、借金をしたまま”って選択肢もあるかもしれませんけどね。
ところが、MMT理論ではこの“投資としての公共事業”と“失業者救済の為の公共事業”を区別していないように思えるのです。だからこそ、“無駄な公共事業だらけ”の日本の政策を成功例とする意見も出て来てしまうのでしょう。
公共事業で失敗をし続け、資源を無駄遣いして負の遺産を増やし、自然環境を破壊し続ければ、その負荷に耐え切れず、やがて社会は衰退してしまいます。
これは直感的にも自明のはずです。
無駄な公共事業に資源を奪われてしまったなら、例えば、若い世代の教育の為の資源を奪ってしまいます。再生可能エネルギーの普及もできません。高齢者福祉を充実させる事もできませんから、現役世代の負担が更に重くなるでしょう。
こんな主張したなら、
「そんなの分かり切っている」
なんて言われそうですが、もし日本でこのままのMMT理論が採用されたなら、絶対に悪用され、“無駄な公共事業”を行う口実にされてしまうでしょう。
だから僕はMMT理論を支持はしません。
ただし、です。
全否定もしません。
何故なら、“観点が抜けているだけ”と考えているからです。
傲慢の誹りを恐れずに言わせてもらうのなら、MMT理論は、僕の“通貨循環モデル”を組み込んで初めて完成するのではないでしょうか?
恐らく、MMT理論に足りていないのは、“通貨は循環している”という点なのではないかと僕は判断しているのです。
冒頭に多細胞生物の話をしましたが、それには単なる例え話以上の意味があります。通貨循環モデルは、実は生物の発展を“作業の分化”という観点から考察していた過程で思い付いたという経緯があるのです。
「作業の分化を可能にしているのは、血液であり、通貨だ。ならば、それをモデル化してみよう」という発想ですね。
だから、物凄く工夫をすれば、通貨循環モデルは、多細胞生物のモデルにも使えるはずだろうと考えています。
なので、最後にまた多細胞生物の話をしたいと思います。
ま、これは、現実にはあり得ない話ですけどね。
ある時、ある生物の細胞が余ってしまったとしましょう。
何にも使われていない細胞の塊が肩の辺りにできてしまったのです。そして、その細胞の塊にも血液が巡り、栄養とエネルギーを供給しています。
このままでは、栄養とエネルギーの無駄遣いです。この細胞にも何か役に立ってもらうべきでしょう。だからその為にその生物はイメージをしました。
その細胞の塊を翼に変えたなら、空を飛べるようになるかもしれない。その細胞の塊を葉っぱに変えたなら、太陽の光からエネルギーと栄養を作り出せるようになるはずだ。その細胞の塊を免疫機能に変えたなら、病気に負けない強い身体を手に入れられるかも。
もちろん、そういった何か役に立つものに変えられたなら、その生物は更に進化発達を遂げる事ができるのです。
少しはイメージし易くなったでしょうか?
「投資を行って、新たな生産物を増やす」というのは、こういう事なんです。使っていない細胞…… 労働力を、別の何かの機能(生産物)の為に使う。
これを応用すれば、今現在この社会が抱えている様々な問題を解決できるばかりでなく、更に住み心地の良い社会を実現させる事も可能でしょう。
しかし、既に現在のこの日本という国からは、適切な投資を行うという能力は失われてしまっています。
民間は規制によって縛られて自由に投資ができず、国が行うのは無駄な公共事業が実に多い。
規制は主に官僚や政治家達が、既得権益を守る為に緩和しようとせず、無駄な公共事業は、同じく官僚や政治家達が私腹を肥やす目的で行い続けているので。
これは公共事業以外にも言える事なのですが、国の人間が税金の使い道を決める際に、企業等まで特定できてしまうと、それを利用して、賄賂を要求するような不正取引を招いてしまいます。
金と権力が欲しい彼らは、日本…… いえ、世界全体に迷惑をかけても、それを止めようとしません(一応断っておくと、決して、そんな人ばかりではなく、世の中の為に良い政治を行おうとしている人達もいるらしいです)。
例えば、待機児童問題を解決するべく、国は保育園をかなり増やしていますが、待機児童は一向になくなりません。
これは保育園への補助金の支給を国が決められるからで、その所為で実際に子供を預けたいと思っている親がいる地域に保育園が増えないからだそうです。
早い話が、需給が一致していないのです。
これを解決するには、補助金を支給する対象を保育園ではなく親達にし、その親達が保育園に対してお金を支払うようにすれば良いのです(参考文献 『日本を亡ぼす岩盤規制 上念司 飛鳥新社』)。
これと同様の方法が、他の生産物でも使えるはずです。つまり、どの企業を選択するのかは、消費者に、つまり国民が決められるようにすれば良いのです。そうすれば、官僚や政治家達は制度を悪用し難くなり、効果的な投資に導けるはずです。
そして、その為には前提として、“社会を良くする、好ましい生産物を消費しなくてはならない”というルールが必要です。
後は余計な規制さえ取り除ければ、自然に企業が投資を行ってくれるはずです。日本の場合、資金を企業や金融機関が持っていますからね。何しろ、量的緩和政策によって潤沢に資金は市場に供給されていますし。
初めから諦め、思考停止に陥ってしまっているような意見も多いですが、人間社会が勝手に決めている仕組み上の話ですから、何処かに絶対に解決する道はあります。
考えて、行動し、少しずつでも前進させていきましょう。