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evil dog

作者: 後藤章倫

 私を、邪悪な犬と呼ぶのは一体誰なんだい?


「兎に角素晴らしいんだよ」

と言う藤田君の目は輝いていた。

 藤田君と初めて逢ったのは、僕が此のアパートに引っ越して来たその日だった。ラジカセでパンクのテープをかけながら部屋の荷物を片付けていると、下の階から二階の僕の部屋に続く階段を上がってくる足音がした。

 その足音は僕の部屋の前で止まり、入り口の引き戸をノックしてきた。

 やれやれ引っ越し一日目にして早くも苦情かと溜め息をつきながら入り口の引き戸を開けると、そこに長髪で金髪、革ジャンに黒いスリムジーンズという出で立ちの男が居た。

「コンフリクト良いよね、俺も好きなんだよ」

と全く予想していた言葉とは違う事を言ったのが藤田君だった。

 此のアパートの住人は音楽、特にロック好きが多く、都会のアパートにしては珍しく各部屋の住人同士付き合いがあって、大概誰かしらの部屋に集まり酒を飲んだり、バンドの話なんかをして夜を過ごしていた。

 その中でも藤田君の部屋へ集まる確率は高かった。時間はマチマチであったが、仕事が終わりアパートへ帰宅すると誰からともなく各々酒、つまみ、レコードやテープ等を持ち寄って部屋へ集まってきて楽しい時間を送っていた。


 年が明けてしばらくすると、仕事の関係上なのか藤田君の帰宅時間は、かなり遅くなっているみたいで、僕が起きている時間に藤田君が帰宅する事はほぼ無くなってきた。

 日々の集まりも、1人メンバーが欠けただけなのに、何となく集まり辛くなっていき、2月に入ってからは、そういう集まりも皆無となって、各々部屋で静かに過ごす様になった。

 4月の半ば過ぎ、帰宅すると珍しく藤田君の部屋の電気が点いていた。今日は居るんだなぁと思いながら藤田君の部屋の前を通り、二階への階段を上ろうとした時、藤田君の部屋の引き戸がガラガラガラガラと開いて、藤田君が顔を出した。

 金髪だった髪の毛は黒くなり短く刈り込まれていた。

「久々にどう?」

と藤田君は、エアグラスを口元に近づけた。

 久しぶりに藤田君の部屋へ入ると、四畳半一間の畳の隅に、明らかに異様な観葉植物が居心地悪そうに突っ立っていた。

 何て名前の植物だろうか?お洒落なデパートの服の売り場にあるディスプレイの様な、よそ行きの顔をした植物だ。

 ビールで乾杯し、静かに話し始める。

「仕事忙しそうだね、帰り遅いよね?」

「うん…まぁね、つか仕事終わりにちょっとね」

と、目線をあの観葉植物へ向けた。

「アレ何?」

と聞いてみたら

「兎に角素晴らしいんだよ」

と語り出した藤田君

「人の紹介で或る人に逢ったらさ、凄い人だったのよ、本当にラッキーっていうか、色々と教えて貰ってね、生き方っていうか、考え方まで変わったのね。あの植物もさ、あの方角に置いておくと先生のパワーを受けれるんだよ」

 僕は、ヤバいと思った。

「アレね、7万円だったけど全然安いよ、あの植物のおかげで俺どれだけ救われたか」

 もう藤田君はズブズブになっていた。

「そうだ、一回先生に逢ってみない?大丈夫だから、兎に角素晴らしいから」

 何の宗教かは知らないが藤田君は、かなり入り込んでいる様で、あの訳の分からぬ観葉植物を7万円で購入するとか、どうかしている。藤田君は続けた。

「あれをね、紹介した人が購入すると、なんと紹介した自分にお金が入ってくるんだよ。更に、その人がまた人を紹介して、その人が購入するとまたお金が入ってきて、そういう面でも助かっているんだよ」

「藤田君、あのね、それってネズミ講って言うんだよ」

「いやいや、そういうのじゃ無くてね、システムが確立されていて素晴らしいのよ」

 藤田君がアパートから姿を消したのは、それから二週間後の事だった。

 夜逃げ同然で田舎へ帰ったらしい。藤田君の部屋は、荷物も何も無くガラガラだったが、あの観葉植物だけが、先生からのパワーを受けれる位置にあったが、半分枯れかかっていた。


 職場に立花さんという人が居る。立花さんと一緒に仕事をする事もあるが、歳も僕より20くらい上だし、仕事以外で話をする事も無いけど別に嫌いという訳でもなく、かといって好きな人物という訳でもなかった。只の職場の同僚という事以外の共通点等見当たらなかった。

 アパートの引き戸をノックする音で目が覚めたのは、日曜日の午前8時ちょうどだった。

 日曜日くらいゆっくり寝かしてくれよとばかりに気の無い返事をし引き戸を開けると、見知らぬオバハンが立っていた。歳にして50代半ばだろうか?

「はい、何すか?」

眠い目をこすり、低い声で言うと、そのオバハンは

「新聞をとって貰えると聞いて、それで来ました」

「は?そんな事一言も言ってませんよ。誰かと間違ってません?」

日曜日の朝、訳の分からない理由で起こされ不機嫌だった。するとオバハン

「立花さん知ってるでしょ?立花さん」

「立花さんは同じ会社の人ですが?」

「その立花さんに紹介して貰ったのよ、アナタが新聞とってくれるからって」

 そういえば立花さんは、会社での存在は薄いが熱心に何とかっていう宗教をやってると誰かに聞いた事を思い出した。

 立花さんが、どんな宗教を信仰していようが別に構わないし、興味も無い。しかし、こういうオバハンが日曜日の朝から自宅へ押しかけて来て、新聞をとってくれ!なんて言われる筋合いは無い。

「新聞、新聞ってさっきから何言ってんの?何の新聞よ?何でとらなきゃいけないのよ?」

僕は怒っていた。が、オバハンは急に目を見開き、何か自信有り気に開口一番に言った。

「兎に角素晴らしいのよ」

目を輝かせて話し出そうとしている姿に、先の藤田君が蘇った次第。そして頭を過ぎったのは、まさかその新聞って観葉植物の新聞ではあるまいな?オバハンは続ける

「谷川先生は知ってるでしょ?」

はて?谷川先生とな?とポカンとしていると、オバハンの熱弁が始まった。

「こんなに素晴らしい人は居ない」

「谷川先生は偉大である」

「谷川先生の上に人は無し」

「谷川先生 イズ グレイト」

「何が何でも谷川先生」

「兎にも角にも谷川先生」

「谷川先生愛してる」

と半狂乱で喋り続け、ハァハァと息をしながら目がギラギラしていて、何やら落ち着かない様子で興奮している。

 要するに谷川先生とは、新幸福学会という新興宗教を主宰されている方であって、新聞というのは、この団体の機関誌という訳で、早い話が、新聞を購読し谷川先生に感銘を受け、それを踏まえた上で新幸福学会へ入信しなさい。と、こういう寸法だな。

お断りである。

「いくら同じ職場の立花さんから紹介をされたとはいえ、立花さんと僕との関係は、職場が同じというだけだし特別親しいという訳でもないし、更に僕は宗教というものに全く興味も無く、信仰心の欠片も無いし、帰ってください」

と言うと、オバハンは、まだ息づかいが荒く、顔は赤く火照っていて何か言いたげだったけど、無言で、その機関誌のバックナンバーらしき物を不躾に部屋へ投げ入れて、ようやく帰っていった。


 この様に宗教は何故か向こうから突然やって来る。ジャパニーズ トラディショナル ビジネス スタイルとでも言いましょうか。

 玄関の扉がガラガラっと開き、ちょっと品の良くないオジサンが

「御免よ!」

と入ってきて、上がり框にドカッと腰を下ろす。

革製の鞄をガバッと開けその中は、ゴム紐だったり、はたまたパンツやブラジャーだったり、貴金属、学習教材、そして宗教だったりする。

「ちょいと奥さん買ってくんな、このゴム紐なんか最高級のやつで一度使ったら他のゴム紐なんか使う気にならないよ。さぁ買った買った、買うまで俺帰らないからね」

とこんな感じで、今で言うなら訪問販売、通称押し売りと言うやつである。

 こんな販売方法の宗教に入信する輩がいるのも摩訶不思議である。



「もうね、うちは先祖代々コレなのよ」

「アメリカ人ならコレが一推し」

「どう?今一番ナウいのはコレだから」

等の流れや、その時の状況、精神状態が左右し例えば、病気を治す為に入信、貧困から逃れる為に入信、素晴らしい教えと信じて入信、人として間違いを犯してしまった為に入信、結婚したいから入信、付き合いで入信、会社の方針で入信、芸能人になった記念に入信、太ったから入信、パチンコが好きだから入信、とりあえず入信、何が何でも入信、訳も分からず入信となる様です。

 そうなると世界には、いや宇宙全体には様々な神で溢れているのであって、どの神に教えを乞えば良いのか選ぶ側も大変な訳です。

 神、ジーザスクライストにブッダ、イスラムの神々やギリシャ十二神、福の神も居れば貧乏神も疫病神もいる。山の神、海の神、トイレにも居る様だし、道端にも居る。訳の分からぬインチキ教祖、勉学の神、恋愛の神、バイトの神、神の手と言われるゴッドハンドを駆使するマッサージ師、神業を使いこなすアスリート、もう何が何だか分からない。


 僕の会社は建築現場に於いて基礎工事を行う仕事をやっていて、先日偶々立花さんと一緒に現場へ赴く事に成った。

 現場へ向かう車中、立花さんに

「日曜日の朝に変なオバハンが家に来ましたよ。立花さんが何を信仰されてても構わないっすけど、ああいうのはちょっと困ります」

すると立花さんは

「ああごめんね、あの人ね気が早いというか、うちらの中でもちょっと問題になってて、本当にごめんね」

と申し訳なさそうだった。


 本日は、これから始まる工事の地鎮祭に参列する為に此の現場へやって来た。

 一戸建ての住宅を新築工事する場合、工務店以下、大工、左官、基礎工事、設備工事、電気工事、内装工事等の業者と施主が、その土地に集い、大概は神主がやって来て、ちょっとした祭壇で儀式を行うのである。

 施主と工事業者の我々は神主に従い、柏手を打ってみたり、お辞儀をしてみたり、御神酒に口をつけてみたりしながら形式上の地鎮祭が終了する手筈に成っているのが常である。

 が、此処の施主様は熱心なキリスト教徒という事が、本日現場に来て工務店の若社長より耳打ちにて発覚した。

 何時もの様な祭壇は無く、榊、日本酒、魚、米等も当然無い。

 一体どの様な地鎮祭に成るのか?業者側の人間は全く分からなかった。そこへ施主のお父さんと雑談をしながら牧師がやって来た。

 一同、なるほど牧師ね!と心で思った。明るく朗らかに見えたし、堅苦しい事は無しよ!みたいな感じだったのは此処までで、急に目つきが変わった。

 はっきり言って危ない目つきだった。犯罪者の其れに近かった。

 そして何やら始まったが、それはトンチンカンな世界だった。

 施主の一家と牧師は、いつもの決まり事みたいな文言を言い合い、淡々と進んでいく。

 僕等業者側は、目を瞑るべきなのか、見開くべきなのか、正面を見るべきなのか、俯くべきなのか?その他もモヤモヤと混乱していた。

 横目で立花さんを見て見ると、明らかに不満そうな顔つきに成っている。こんな悪い顔をした立花さんを見たのは初めてだった。

 そして施主と牧師の文言が終わり一同安心した。

次に牧師は話を始めた。

 察するに聖書の中の事柄だと直感した。登場人物の名前に多少は聞き覚えがあったが、話の内容は無茶苦茶だった。業者側の人間は、その牧師の話になんでやねん?と心で突っ込んでいた。

 その話が終わったと思ったら、何か祈りが始まった。普段であれば柏手をうったりする場面だろうが、そんな訳はなかった。

 テレビや映画で見た事あるような、こう胸の辺りでクロスを切るってやつで、それを此方にもやれ!という雰囲気だった。が、業者側の人間は、立花さん一人を除いて、熱心ではないものの一応仏教徒って感じなので、その欧米的なジェスチャー的な事は、誠にこっ恥ずかしかった。

 特に立花さんは、あからさまに

「チェッ」

と不満を漏らしていた。そして目つきの悪い牧師は、言い放った。

「では、皆さん賛美歌を歌いましょう」

その顔は、嘘臭い作り笑顔に見えた。

 牧師に付き添って来ていた寺で言えば小坊主みたいな人が、業者側の僕等に何やらタイトルと歌詞が書かれた紙を配った。

 多分この3曲が今から歌われるであろう賛美歌だな。しかし、それに目を通したところで、どんなメロディーなのか?どんなテンポなのか?さっぱり分からなかった。


 そして、それは何かのタイミングで始まった。

 工務店の若社長は焦っていた。此の様な場で業者側を仕切らなければならない立場であるにもかかわらず、慣れない全く初めての儀式に何もする事が出来ずに一人悶々としていた。

 牧師と施主一家が、ごく自然に、ごく普通に賛美歌を歌い出すと、若社長は全く分からなかったけど、渡された紙を見ながら声を上げた。

 メロディーも節回しも知らないけど、このままでは面目が立たず、施主一家にも申し訳ないと思ったみたいで、3タイトル書かれてあった歌詞の一番最初の詞を歌った。歌ったとうか声に出して読んでいるだけだった。

 2小節目に入ったところで僕等は気付いた。牧師と施主一家が歌っている曲と若社長が朗読している曲が、明らかに歌詞が違う事を。

 目つきの悪い牧師と施主一家が歌っているのは、この歌詞が書かれた紙の2番目の歌であって、若社長は思いっ切り最初に書かれている歌詞を大声で読んでいる。

 でも、これは仕方ないと思った。若社長は止まらないし、賛美歌も止まらない。僕達はとりあえず2番目の歌詞をゴニョゴニョとまるでお経を唱える様に読んだ。

 歌が終わりクロスを切っている。目つきが悪い牧師は、

「では、最後に」

と言って、さっき若社長が間違って朗読した方の歌を歌い出した。若社長は、まだ気付いていない。当然次の歌だろうと、さっき皆が歌った歌詞を大きな声で、今度はちょっとリズムに乗って朗読し始めた。

 僕達はまたお経を読んだ。歌も終盤に差しかかったところで、歌の歌詞が書かれている紙をぐちゃぐちゃに丸めて地面に叩きつけ、立花さんがその場から走り去った。

 一同が一瞬、立花さんを目で追ったが、直後に賛美歌は終了した。カラスが一羽上空を通過した。

 そして地鎮祭は終わった。目つきの悪い牧師が

「あの方は、どうされました?」

と聞くので

「すみません、体調が悪くなったので、すみません失礼しました」

と僕が取り繕った。これも仕方ない、立花さんが悪い訳でもないと思った。


 そんなこんなで、天気の良い初秋の六曜で言うと、仏滅の日に目出度く工事は始まった。

 新築工事は施主一家の暮らす土地の一角で行われている為に、日々施主一家と遭遇する事も屡々で、そうなると少しづつ施主一家の人となりが見えてきた。

 毎日規則正しく生活されていて、家族で農業を営まれており、逢う度に気持ちの良い挨拶をしてくださる。

 キリスト教徒という人達は、こんなにも正直に暮らしておられるのだなぁと感心するばかりです。

 それにしても、あの牧師の目つきは危ないなぁとも思った次第。


 人々の心に寄り添い、幸せに導こうとする者がいる。

 世の中の不条理に楯突き、全て壊してしまえ!と煽る者がいる。

 或る者は、壺を売り、又或る者は、観葉植物を売る。宗教の名の下に金儲けを企てる者がいる。

 テロ行為でしか無い事を聖戦と言う者がいる。そして或る者は、賛美歌を歌う。


 彼は

「私は、誰です?」

と言ったそうで、続けて

「私を邪悪な犬と言う者がいるのです」


「あなたは、邪悪な犬であり、そして神なのです」


邪悪な犬 evil dog = god live 神あり



表裏一体  宗教とは、そういうものなのです。



         終

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