第三十八話 魔神
理由なき戦いなどと言われ、ルインはとうとう何も返せなかった。
これまで得てきたものを、たった一瞬で失ってしまった。戦ってもいない。負けていもいない。
しかし、失ってしまった。これ以上何もなかったルインは、鎧までも失った。
その時だ――
王都居城の一角から、何かが現れた。
城壁を突き破り、黒い巨人が……現れた。
薄汚れた漆黒の肌。鋭い二つの目に口はなく、あるのは一本の角。
長い間生きてきたルインですら、その存在を知らない。
「まさか……あのクソ大臣、復活させたと言うのか、魔神を!」
メドラウトの息子、仮面卿が叫んだ。
ルインは力なく彼を仰いで、再び地面を見つめ直した。
「死竜騎士、お前はその辺の雑魚を連れてさっさと逃げろ」
「逃げろ? 何故今更、逃げなければならない?」
「何度も言わせるな。邪魔するなら殺すが、それ以外なら別に殺しはしない。さっさと行け、アレは俺の問題だ」
「……そうしよう」
ルインは立ち上がり、カイル、アイラ、そしてルリアの元へ向かった。
三人の目を今一度見るのは辛いことこの上なかった。誰も、何も言わない。
死竜騎士ルインの姿を見ても、何も言わなかった。
ルインはそれ以上三人の瞳を見ることが出来ず、全員を念力で気絶させた。
三人を担ぎ、死竜に乗せた。どこか安全な場所に連れて行ってもらうために。
何もかも失った今、ルインの考えることはそう多くなかった。
さっさと、討伐隊を繰り出されるよりも前に逃げてしまうことだ。また、呪われた鎧を造るなりなんなりして隠れればいい。
もう一度、やり直せばいいさ。また、別の国で。生き残った唯一の死竜騎士として。
「いいや……なんで、生きているんだろうな」
ルインは迷っていた。長い時間を生きた。人の一生では生き過ぎた程に。
ならばここで、死竜騎士を閉ざしてしまってもいいのではないか。
この時代に即さない。そもそも存在そのものが不必要な存在ならば、必要はない。
「終わる、か。死竜騎士の終わり。不要な存在が、時代に排除される」
とんでもない、人生だった。もう、子どもの頃の記憶はほとんどない。
何かを成したかった。褒めてもらいたかった。
その一心で死竜を操った途端にルインは死竜騎士となり、追い出された。
今も、戦う度に、戦果を挙げる度に、約束を違えるような裏切りに会う。
いいや、それこそ、傲慢なのだろう。誰かのために戦うのに、理由があるのに、ちやほやされることを選んで……。
「はあ、まあ良いか。ならせめて、最後くらい、戦ってみるとしよう。最初から最後まで、表で、僕として」
ルインは、死竜騎士は、いま一度立ち上がることを選んだ。
燃え盛る王国。既に攻撃は止んでいるが、闇の力が、巨人が、上半身を世界に表している。
口がないにも関わらず、咆哮に近い衝撃が町中を襲った。
走って間に合う距離だ。身体強化は十二分に働いている。屋根から屋根に跳び、炎を飛び越えて突き進む。
何処であろうと関係ない。道がなくても進み続ける。例え、何と言われようと。
しばらく進んでいると、亜人が目に入った。この状況でも他のモンスターを従えながら進軍を続けていた。
王都はほとんど陥落した。その上魔神が現れている。これ以上何をしようとしているのか。
剣を引き抜き、亜人の前に降り立ったが、彼らはルインを攻撃しようとはせず、その脇を抜けて行った。
「なんだ? まさか、やるって言うのか? 魔神と」
詳しくは知らないが、亜人も他の連中も、魔神の配下のはず。それなのに……。
「魔獣は魔神に従っているわけじゃない。闇の騎士団に従っている。それより馬鹿野郎、何の用だ?」
「君を助けに来た。それだけだよ」
「どういう風の吹き回しだ。ついさっきまで殺し合ってただろ」
「今でも背中を突き刺すことはできる」
「はっ、ちげえねえ。どうすんだ? 死竜騎士。魔神を殺すか? アレは化け物だぞ」
「真正面から行くしかない。魔力量が桁違いだ。遊ばせたら人が多く死ぬ」
「だろうな。まあ俺には関係ない。親父のように生きる気はないからな」
「悪いが君の父親のことはほとんど知らない。だが、この国を救おうと言うのなら、僕はそれに付き合ってやる」
「こんな国ぶっ壊れちまえばいいのさ。だが魔神は気に食わない。親父が最後まで追っていた。俺は取りあえず、親父の遺志を継いで戦う。そのために、魔神三柱なんて奴らを復活させた。あいつらも魔神軍残党どもも、俺が魔神復活を目論んでいるとでも思っていたらしいが」
「僕らもそう思っていた。騙されたが、君の目的は国の崩壊か」
「その通り。いらねえんだよ、こんなとこ」
「なら、魔神に壊してもらうのか? 悪いけど僕は、ルリアの遺志を継ぐ。誰も傷つけはしない」
「そうかい。なら俺はそんなの考えずに破壊する。お前はお前で好きにすると良い。んじゃあ、行くか」




