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第三十六話 クリムゾンドラゴン

 ルリアははっきりと自覚していた。負けると。

 ある種当たり前の答えにたどり着いている。勝てるはずがない。何せ目の前にいる人間の強さは化け物だ。

 カイルもアイラも誰もが立っているのがやっと。強さの桁が違う。

 本気を出して潰しに来れば、三人とも一瞬で屠られる。というより、もう屠られた。

 今はただ、悪足掻きに徹しているに過ぎない。

 この王国を守れる力がないのに守ろうとするのはおこがましい。だけど、離れた場所でかつての仲間が戦っている。にもかかわらず、自分だけここで、何も出来ないまま地面に蹲るような事は出来ない。


「誰かが傷つくのが嫌なの」

「じゃあ守って見せな、お嬢ちゃん。あの死竜騎士様に頼むと良い。お友達なんだろう?」

「……お友達になりたかった。だけど彼は、出てったの」

「出て行った? なんでまた急に。喧嘩でもしたか?」


 まるで友達のように話しかけてくる仮面卿。

 余裕からか傲慢ゆえか、恐らく後者。


「違う。自分が自分でいられなくなるからって。もう、王国にはかかわりたくないって」

「人間のような弱い心を持つんだな、そいつも」


 仮面卿のなんでもない一言が、ルリアには至言のように聞こえた。

 人間のような弱い心。だからすべてを覆い隠す。

 それは鎧。

 それは仮面。


「あなたも、何かから逃げている人間なの?」


 仮面卿の肩がピクリと揺れた。ルリアは続ける。


「もしかして、過去の自分を知る人から隠れるために仮面を着けているの?」

「黙れ」

「その時のあなたの苦しみが、今のあなたにこんなことをさせてるの? やりたくないことをさせてるの?」

「黙れ!」

「答えて! あなたは、何から逃げてるの!」

「口の減らないお嬢ちゃんだ」


 剣を引き抜き、地面を蹴り上げる仮面卿。

 そんな彼を、カイルがぼろぼろの体で止める。最早鍔迫り合いと言うより、杖のように剣を扱い、体重を仮面卿に預けていた。


「あなたの苦しみは、分かる」

「何が分かる!」


 仮面卿はカイルを念力で引きはがし、そこいらに捨てた。

 猛追を敢行する彼をしかし、アイラがさらに止める。もう、槍を抜く力は無いらしく、自前の剣で鍔迫り合いだ。


「分かる! 私もそうだった。ずっと逃げてきた。やりたいって気持ちが、出来ないって事実に捻じ曲げられて」

「一緒にすんじゃねえ!」


 アイラの腹に膝蹴りを入れ、念力で吹き飛ばす。

 スマートさに欠けた戦い方は、乱暴な剣は、続いてルリアを狙う。

 動けない。ルリアとて立っているのがやっとだ。連戦が過ぎた。

 ここで終わってしまうのか。冗談ではないが、これで最後なのか。

 漠然とルリアの胸中に熱いものが迸る。

 何かを抱えた人間が自分のエゴを他人にぶちまけ、殺しを行っている。

 許せない。でも、彼をこうまでにした何かが許せない。

 それにルリアは、どこかで重ねていた。仮面卿と、死竜騎士を。

 片や憎悪と狂気から暴君となり、片や不器用な優しさから道化となった。

 このよく似た二人と出会っていながら二人とも救えない自分を恥じた。

 ルリアは瞳を閉じる。


「馬鹿、にげ、逃げろルリア!」

「ルリア!」

「生涯を閉じろ、お嬢ちゃん!」


 禍々しい漆黒の渦が仮面卿から滲み、剣に伝播する。

 闇の魔法が今、ルリアを――

 しかし、それは防がれた。

 なにが起きたのか、何も起きていないことに疑問を覚えたルリアが目を開けた時、ようやく悟った。


「クリンちゃん!」


 上空から音もなく飛来したクリンちゃんが、凶刃からルリアを守っていた。

 その身を挺して。深々と、刃を受けていた。

 普通でも致命傷。なのにこの一撃は仮面卿の怨念ともいえる力を受けた非情なまでの一撃。

 クリンちゃんの中に流れる感情が、リンクしたルリアの中に流れる。

 恨み言でも後悔でもない。あったのは、温かい安らぎ。

 ルリアが無事だったことを喜ぶ、竜の暖かな感情の波だった。

 クリンちゃんがその巨躯を地面に力なく横たえた時、ルリアは初めて悟った。


「やだ、ダメ、ダメだよ、止めてよ、クリンちゃん? 起きてよ!」


 瞳を閉じたドラゴンの体を何度も揺する。動かない。

 何度も撫でた頭を抱きしめる。もう、その額を胸にこすりつけることはない。

 感じる。クリンちゃんを感覚する度に、距離を感じる。どんどん遠のいていくことを。

 クリンちゃんが二度と起きないことを。


「こんなのないよ……やだよ……やだよクリンちゃん!」


 初めて契約を結んだドラゴン。

 初めて、自分と一緒に空を飛ぶことを選んでくれたドラゴン、クリンちゃん。

 しかし、もう動かない。

 自分が無力だったから。自分が下手に入り込んで、仮面卿を怒らせたから。

 巻き込まれて、クリンちゃんは――

 そこまで考えたところで、ルリアは胸ぐらを掴まれ立たされた。

 そこには、怒気に満ちたカイルの顔があった。


「しっかりしやがれ! ドラゴンの意思を、手前勝手な弱さで説明しようとしてんじゃねえ! お前のせいで死んだんじゃねえ、お前を守りたかったから死んだんだ! 無駄にすんな、立ち上がれ! あいつを倒せ!」

「そうだルリア。クリンちゃんの分まで、生きなきゃいけない。泣くなら後にしろ。死んでからでもその時間は十分ある。今できることは、今やらなきゃいけないことは、今やれ!」


 アイラも再び立ち上がった。

 カイルもアイラも、戦える状態ではない。剣を握ることしかできないだろう。

 それでも選んでくれた。ルリアと共に、戦うことを。クリンちゃんのように。

 ルリアは迷わなかった。剣を抜き、再び対峙する。


「あきれてものも言えんな。何度でも立ち上がるなら、何度でも殺してやる」


 仮面卿も、最早迷いを断ち切ったようだ。ただ冷酷な悪がそこにあった。

 悪の傍には、猛威を振るった魔竜が翔ぶ。二つ存在を前にして、倒れてしまいそうだ。

 プレッシャーに押しつぶされてしまいそうだ。

 だからこそ、ルリアは横を見た。

 カイルも、アイラもいる。なら、立つしかない。


「口だけで物を言う貴様らに俺は倒せん」


 仮面卿が両腕を鷹揚に上げると、三人は一様に地面に膝を折り、血を吐いた。

 どこまで、どこまで強力なのかと、思わず睨みつけた。

 勝てない。

 何をしても、何をしようとしても――


「三人から手を放してもらおうか」


 その時……声がした。あの、くぐもった声が。


「墓から来たのか? おはようさん。ええ? 死竜騎士」

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