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第二十六話 誘拐

「クリンちゃん~、遠くに行っちゃダメだよ~」


 クリンちゃんを散歩、もとい遊覧させ、ルリアは上へ向かって叫んだ。

 ドラゴンも生きている。人間と変わらない。寝食を共にして、たまにはこうして悠々自適に空を飛ばせる必要がある。

 ともに砦に残った騎士たちも、ドラゴンの手入れをしていた。戦場に訪れたつかの間の休息だ。

 この戦いの間、風呂にも入っていなければ、まともといえる食事もとれていない。

 憧れに身を投じるのは大変なものだと、ルリアは遠く南の砦を見た。

 皆は戦っている。砦を再占領する部隊が到着し次第、参加できる。

 ぐっと拳を握りこんだ。カイルもルインもアイラも戦っている。歯がゆさは残るが、これも仕事だ。騎士団は冒険者のように自由ではない。また、それこそが強さだ。

 戦いが始まって、長く感じる短い時間が過ぎた。


「はあ……今生きてるのが不思議……」


 ふと、兜を取ってドラゴンと戯れる聖竜騎士に目を向けた。彼女たちは自分よりも明らかに劣悪な状況でもここまで這いあがってきた。

 想像を超える。奴隷種族というレッテルを貼られながらも、懸命に戦っている。

 自分も頑張らなきゃ、そうやって頬を少し叩いて気合を入れ直した。

 かつてメドラウト・クロウ・ホールエッジは命を賭して戦った。クーデターによって王国のトップがすげ変わり、簒奪王は今なお玉座に座り込んでいる。ホールエッジが戦った闇の騎士団と呼ばれる組織は彼の活躍によって滅んだが、それがクーデターを許した。

 王が変わり、いくつかの種族が奴隷となる。そんな歴史のはざまで、ホールエッジは戦っていた。自分もいつか崇高さを手に入れたいと切に願った。

 くるくると、のどかな森を見やる。それにしたって味方の到着が遅い。

 ドラゴンの手紙は届いているはず。そうでなくても急がなければいけない事態と言うことも分かっているはずだ。

 ドラゴンを王都から飛ばせばそれほど時間がかかるとも思えない。何かトラブルでもあったのかと、ルリアは一抹の不安を覚えた。


「やれやれ。魔神三柱が全員やられた上に、死竜騎士だとは。俺が出向かなければいけない事態になるのを防ぐためにわざわざ復活させてやったと言うのに。とんだ肩透かしを食らってしまった。そうは思わないかい? お嬢さん」


 風と共に声がルリアの耳に届いた。

 一瞬、呆けたように、目の前の光景が俄かに現実とは信じられなかった。

 ルリアの目の前に現れたのは、仮面を着けた人間。全身紫がかったカラーリングで、どことなく貴族を思わせる意匠が施されている。

 なんとなく、仮面は奇妙な不安をルリアの胸中に満たした。


「あなたは……」

「お初にお目にかかる。俺は、そうだな。一言でいえば敵だ」


 ルリア、そして聖竜騎士が弾かれたようにその場で陣形を整え、剣を抜いた。

 何者か、目的も全く定かではないが、たった一人で砦に来た上で敵と宣言した。

 間違いなくまともな奴ではない。というより、間違いなく、魔神三柱にかかわり深い。

 タイミングもタイミングだが、今ようやく頭が覚めてきた。恐怖に似た感情がルリアを襲う。


「身構える前に攻撃しろ。真正面から戦って勝てるほど俺は弱くない」

「……言ってくれるね。あなた、誰?」

「誰でも良い。魔獣や魔神三柱は俺を仮面卿と呼んでいる。それだけの存在だ」


 仮面卿はポケットに手を突っ込み、ぐっと背を伸ばした。所作そのものに傲慢さが満ち満ちているようだ。

 しかし、愚かなる傲慢か、はたまた行き過ぎた余裕か、今はまだ判別がつかない。

 何者か分からないが敵だと言うことは分かる。その上、あれだけの被害をもたらした魔神三柱の上に立つ存在。

 怖気が走る。魔神三柱の一人、グリディアンはいつの間にか撤退していた。もしもあのまま残っていたらどうなっていたか。

 考えたくもないのにその上位版が来た。

 おりしも、聖竜騎士のドラゴンが上空から飛来し、仮面卿を襲った。

 しかし――

 仮面卿はポケットに手を突っ込んだまま直立、攻撃を喰らった。いいや、正確には、彼の前に展開された見えないバリアが食らい、ドラゴンの攻撃を阻んだ。


「悪い子だ」


 まるで何かに殴られたように、ドラゴンが地面に落下した。

 何をしたのかわからない。彼はポケットから手を出してすらいない。

 にわかに信じがたい事実を前に、しかし騎士たちはたたみかける。

 両サイドから挟み込む、なんてことはしない。真正面から、たとえ自分が死んでも後ろの仲間が一撃は喰らわせてくれる。

 仲間を信じ、死を確信した捨て身の強襲。


「人間は愚かしい」


 が、仮面卿が少し首を傾けると、騎士たちの動きがぴたりと止まった。

 ルリアもまた、眼前に広げられる現状を見て固まった。何故、あんなところで止まっているのか見当もつかない。


「魔法が何か良く分かっていないようだな。お前たちのような下等な人類はドラゴンに依存しすぎている。本来人が持ち得る最高の攻撃手段を迂闊にも術式まですべてドラゴンに任せた。負けて当然なんだ。なあ、何が足りないか、教えてやろう」


 彼は右手を取り出し、掌を上に開いて言った。


「力と」


 左手を取り出し、同じように掌を上げて言った。


「智だ」


 その瞬間――

 二人の聖竜騎士の体が爆ぜた。

 血肉が飛び散り、ルリアは小さな悲鳴を上げることすらできないまま、驚愕に表情を染めた。

 理解が追い付かない。思考がそれ以上進むのを拒絶しているようだった。


「哀れだな。お嬢さん。君は今から俺にさらわれる。何故だか分かるか?」

「……囮」

「正解。良い子だ。ドラゴン、お前の家族を殺されたくなければおとなしくしろ」


 仮面卿はそういうと、天から何かを呼び出した。

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