78. お茶会の成果
イザベルはこれまで聞きたくて聞けなかった問いを、親友にぶつけた。
「あの、ジェシカ。ところで、ルーウェン様とはどうなったの……?」
だまし討ちのようなお茶会の後、ジェシカは何事もなかったように振る舞っていた。てっきり怒られると思っていたものの、何の反応もなくて、かえって怖かったぐらいだ。
あの日から、はや二週間が経過した。だが、そろそろ聞いてもいい頃合いかと思って口にした言葉は、早くも後悔することになった。
先ほど、教室に白い雪が吹き荒れる幻が見えた気がした。少なくとも、イザベルの周囲の気温はいくらか下がったように感じた。
ジェシカは氷の女王のような美しい笑顔を浮かべて言う。
「ああ、あれね。文通を始めることにしたわ」
「文通? またどうして」
「適度に距離が取れるし、無駄に近寄られずに済むでしょう?」
辛辣な物言いに、イザベルは言葉を失った。
(こ……これは相当怒っていらっしゃる……!)
再び友情の亀裂を感じ、血の気が引いていく。
なにをどう言い繕っても、彼女をダシにして交渉に応じた事実は覆せない。無駄に言い訳を並び立てたところで、所詮は自己満足だ。
体を固まらせていると、ジェシカが大げさなほどため息をつく。
「まったく、落としどころを探すのに苦労したのよ。他の令嬢や貴婦人はもう口説かない、君に愛想を尽かされたら生きていけない、なにか落ち度があればいっそ殺してくれ、なんて正気の沙汰じゃないわよ!」
バンッ! と机を叩く音に、イザベルは及び腰になりながらも頷いた。
「そ……それは大変だったわね……」
「だから言ってやったの。信頼を築くには、早くても数年かかる。それが待てないなら、よそを当たりなさい。それでも待つ覚悟があるなら、今後一年間、直接会わないことを条件に手紙ぐらいなら許すわ、ってね」
「い、一年間……?」
一ヶ月や三ヶ月ならまだしも、一年はさすがに長すぎはしないだろうか。
疑問が顔に出ていたのだろう。ジェシカは艶然として腕を組み、その理由を明かす。
「一年も会えなくて、平気な男がいるわけないじゃない。諦めさすにはちょうどいいでしょ?」
「……もう手紙は来ているの?」
「いい質問だわ。イザベル」
聞いてほしいとばかりに、両肩に手を置かれる。
その手があまりにも力強く、イザベルはごくりと唾を飲み込んだ。
「毎日来るのは想定内だったけど、朝だけじゃなくて、夜にも来るのよ。暇人だと思っていたけど、ここまで暇を持て余していたなんて!」
「で、でも。伯爵は手紙とかそういうの、苦手なほうだと思っていたけど」
ルーウェンのエスコートは完璧だった。口説き文句は息を吸うようになめらかで、女性の体調変化にも聡い。だが一方で、一人だけを愛することはできないからか、彼は目の前にいる人を全力で愛でるタイプだと思ったのだ。
マメに手紙を贈るよりも、直接出向いて愛の言葉を囁くほうが伯爵らしい。
「あーまぁね、それは当たってると思うわ。文字はきれいだけど、書き慣れていないのが丸わかりの文章だったもの。今は、一枚書くのがやっとなんじゃないかしら?」
「……返事は出しているの?」
興味本位で尋ねると、ジェシカは気まずそうに視線をそらした。
「ずっと返さないのも気分がいいものじゃないから、一週間に一回くらいね」
「…………」
「まあ、便箋ももったいないしね」
わざとらしい咳払いも聞こえてきて、イザベルは内心首を傾げた。
(これはひょっとして……ひょっとするんじゃない? ジェシカの性格上、あり得ないと思っていたけれど、伯爵の粘り勝ちになるかも……)
しかし、ルーウェンの試練は始まったばかりだ。一年後、二人がどうなるかなんて誰にもわからない。
ジェシカは窓の外に視線を向けたまま、手紙の内容を思い出したのか、数秒おきに表情を変えていた。
見守ることしかできないけれど、この恋を陰ながら応援しよう。イザベルはその横顔を微笑ましく見つめた。
*
恒例の呼び出しの手紙をしたためたのは昨夜のこと。
人気のない旧校舎に足を踏み入れ、そのときを今か今かと待つ。
足元には、落ち葉が積み重なって小さな山ができている。だが真横から吹いた強い風によって、集まっていた葉は空に舞い上がり、くるくると舞う。
その様子を見つめていると、外から枯れ葉を踏み分ける音がして顔を上げる。
「あ……」
「イザベル様。お待たせしてしまい、申し訳ございません」
「い、いいのよ。気にしないで」
慌てて言うと、フローリアは小首を傾げた。
「それで、ご用件は何でしょうか?」
「あの……ね。フローリア様に聞きたいことがあるの」
「はい、なんなりと」
素直に聞き返す声に、うっと言葉が詰まる。
けれど、呼び出したのはイザベルだ。覚悟を決めて、一文字に結んでいた口を開く。
「あなた、ジークのことが好き……よね?」
「……それは恋愛的な意味で、ということでしょうか」
「ええ、そうなるわね」
フローリアは瞼を伏せ、切なげに睫毛を震わす。
「やはり見抜かれていたのですね。確かに、私はジークフリート様に恋心を抱いていました」
「いました、ということは……過去形なの?」
「……ジークフリート様は身分に関係なく、お優しいです。特に努力をしている人に対しては。……そういうところに惹かれたのかもしれません」
ふと桜色の髪が風に煽られ、フローリアが手で押さえる。絵になる光景に、映画のワンシーンを見ているような心持ちになる。
彼女はアメジストの瞳を揺らし、懺悔するように両手を胸の前で組む。
「婚約者がいるのに、こんな思いを抱いてはいけない、と諫めていたのですが。気づけば、どうしても目で追ってしまって……優しくされるにつれ、自分の感情が抑えきれなくなっていました」
片思い特有の甘酸っぱい思いを吐露され、ゲーム画面越しの疑似恋愛を思い出す。
(優しいジークを見て、ヒロインが恋に落ちるのは当然よね……)
彼女を責めるつもりはない。たとえ誰かに止められても、恋心はなかなかコントロールできないものだ。
だが、フローリアは顔をきりりと引き締めて言う。
「ですが、どうか安心してください。ジークフリート様は、イザベル様しか見ていません。あの方は、まっすぐに恋をしていらっしゃいます。最初から、私が入りこむ隙なんてなかったんです」
「そう……だったの」
「東屋で相談されてから、私はすっぱり諦めました。今はお二人の仲を応援しています。……それに、今は幼なじみだと思っていたクラウドが気になっていて……」
頬を染める姿に、イザベルは既視感を抱いた。
ゲーム内で、恋心を自覚するときのスチルと同じ表情だったからだ。
「……なるほどね」
すべてのピースが揃ったような思いで感慨深く頷くと、フローリアは恥ずかしそうに顔を両手で覆った。
「本当に恥ずかしいですわ……。そばで見守ってくれていたのに、彼の気持ちに、ちっとも気づかなかったなんて」
つまりは、ジークフリートからクラウドのルートに変更したのだろう。
(ゲーム的にはあり得ない事態だけど、現実にこうしてルート変更されているのだから、わたくしの心配は杞憂だったのね……)
紆余曲折あったが、これはこれでよかったのかもしれない。一途なクラウドはフローリア以外にはなびかないだろうし、彼に任せておけばエンディングも安心だ。
ヒロインだけでなく、みんなが幸せな結末がいいに決まっている。
これで、最後に幸せになるべき人は、イザベルつきの執事見習いだけだ。





