73. 悪役令嬢、改心する
放課後、サロンに置き忘れた本を取りに行った帰り道、イザベルはふと足を止めた。
前方には、ふらふらと歩く女生徒の姿。
両手に抱えきれない布の束を持ち、どこかへ運ぶ途中のようだ。しかし、布が重いのか、視界が遮られてよく見えないのか、その足取りはおぼつかない。
よたよたと歩くたび、背中に流れる桜色の髪が揺れる。イザベルは彼女を追い越し、回り込むようにしてストップをかける。
「お待ちなさい。一人で持てる量を超えているんじゃなくって?」
「まあ、イザベル様」
持っていた荷物の上半分を持ち上げると、フローリアはすみません、と謝る。
「ところで、この大量の布は一体何なの?」
「あ、これですか。実はナタリア様が学生議会とかけあってくれて。終業式に星祭りのリベンジをすることになったんです!」
「え。ナタリア様が……?」
聞き返すと、フローリアは誇らしげに頷いた。
「費用は全部持つから、最後の部分だけでもやり直したいって。後味の悪いままにしておくと、来年の雰囲気も悪くなるからと。だから今、その準備をしているんですよ」
声が戻った翌々日から、ナタリアは学校に復帰している。ラミカや彼女の取り巻きも同様だ。ジェシカから伝え聞いた話だと、謹慎を解いてほしい、とフローリアから学生議会に直談判があったそうだ。
「もうないとは思うけれど、また嫌がらせされたら、すぐに言うのよ?」
「……実はナタリア様が学園に戻られた日、先輩方に呼び出されたんです。こんこんと説教されていたら、ナタリア様が現れて。私をかばってくださったんです!」
「そんなことがあったの?」
「縦ロールが揺れるたび、しびれました!」
拳を作り、力説する様子にイザベルは少し身を引く。
「そ、そう。よかったわね……」
「さすがに楽団を呼ぶのは難しいですが、星祭り実行委員としても、リベンジは望むところなので。自分たちの可能な範囲で頑張ろうって、皆で話していたんですよ」
階段を上り終えて、渡り廊下を歩く。
少し冷たい風が吹き抜け、布が飛ばされないように腕の力を強める。
「皆ってことは……クラウドやラミカさんも?」
「はい。ラミカさんは自分のせいで迷惑をかけたことを詫び、どんなことでも手伝わせてほしいと懇願されて。かえってこっちが恐縮したくらいです」
視聴覚教室に着くと、中から複数の話し声がした。
フローリアの後に続いて足を踏み入れる。手前の長机に荷物を下ろすと、ガラリとドアが開く。実行委員の誰かだろうと思って振り返ると、そこには予想外の人物がいた。
「失礼、準備を手伝いに来ましたわ!」
今日もほれぼれするほどの縦ロールだ。きつくカールされた髪は少々の風では動じないような巻き具合で、かえって安心感さえ抱かせる。
だが、部屋の入り口でふんっと威張る様子からは、とても手伝いに来たようには見えない。その後ろから申し訳なさそうに顔を出したのはラミカだった。
他の取り巻きはいないようで、所在なげに視線をさまよわせていたが、イザベルと目が合うと会釈をしてくる。
ほどなくしてナタリアもイザベルに気づいたらしく、こちらに駆け寄ってくる。
「イザベル様もこちらにいらしたのですね」
「え、ええ……それはそうと、準備とは?」
先ほどの発言の真意を尋ねると、ナタリアは胸に手を当てる。
「あれから、ラミカさんともよく話し合いましたの。謝るところは謝り、そのうえで、お互い悪い部分は直していこうと。わたくしたちは同じ学園に通う生徒です。子爵令嬢とか男爵令嬢とか、そんな身分にとらわれず、手を取り合うことができます」
「では……そのためにここへ?」
「もちろんですわ。言い出したのは私ですし、ちゃんと責任は取りますわ」
ラミカもその後ろで頷いている。
(まさか、あのナタリア様が心を入れ替えるなんて、思いもしなかったけれど)
嬉しい誤算だ。感慨深く思っていると、フローリアが前に進み出る。
「正直、人手はいくつあっても困りませんので、協力いただけるなら頼りにさせてもらいますね」
「どんとこいですわ!」
「では、この布に星飾りを縫い付けるのを手伝っていただけますか?」
「ラミカさんほどではないですけど、こう見えて、裁縫は得意ですのよ!」
「まあ、素敵。よろしくお願いしますね」
見事な手際だ。やる気があるナタリアをうまく操り、ちゃっかり奥の席に誘導している。スクールカースト上位の彼女を皆から遠ざけ、かつ、ちゃんと手伝いに参加させている。ラミカもナタリアの横に座り、早速作業に取りかかっていた。
したたかなフローリアが戻ってくると、窓際にいたクラウドが手で招く。
「お疲れ様。イザベルも運ぶのを手伝ってくれてありがとう」
「ちょうど通りかかっただけだから」
「……こんなに多いなら、俺も手伝いに行けばよかったね」
クラウドはミゲルと一緒に接着剤で細かい作業をしているようだった。机の上には大量の星型のスワロフスキーが転がり、細い糸も大量に置いてあった。
他の机でも似たような作業をしているらしく、がやがやと賑わっている。
「わたくしも手伝ってもいいのかしら?」
「もちろんだよ。この星を上から吊り下げる予定なんだ。少しでも数が減ってくれると、とても助かる」
今日はもともと図書室で時間をつぶしてから帰る予定だった。リシャールは先に帰らせているし、そこまで遅くならなければ大丈夫だろう。
「これをくっつけたらいいのね?」
「そうそう。……あ、フローリアは布を縫い合わせる作業をお願いしたいな」
「任せて!」
クラウドの前にあった道具を少し分けてもらい、フローリアと並んで座る。
星は小ぶりのものから大型まで揃っていた。色はどれも透明だが、よく見たら色合いが少しずつ異なる。青みかがった色、オレンジと黄色が合わさった色、銀色など、光の加減で違う色が楽しめる。
「きらきらしてきれいね。黒い布につけると星空みたい」
「これを発案したのはフローリアだよ」
「え、そうなの?」
隣を見ると、フローリアが恥ずかしそうにうつむく。
「その……講堂に夜空を持ち込む方法を探していたら、ふと思いつきまして」
「完成が楽しみね」
「は、はい。頑張ります!」
それからは黙々と作業に励み、フローリアが何度かナタリアに呼ばれて指示を送ることもあったが、おおむね順調に進んだ。
山のようにあった星型も半分ほど崩したところで、飲み物を買いに行っていたミゲルが帰ってきた。彼は単純作業に飽きてうつろな瞳をしていたが、クラウドの後ろに回ると、ふと声を弾ませた。
「クラウドの眼鏡って、度数どのくらい?」
「あ、ちょっ……」
「なんだこれ、すげークラクラする!」
後ろから眼鏡をかすめとったミゲルが悲鳴を上げる。レンズのふちは、そこまでぶ厚くはないが、裸眼で過ごしている人にはめまいがする代物だろう。
転生前はコンタクトレンズで過ごしていたイザベルは、眼鏡がないときの不自由さも痛いほどわかる。視力を補強してくれる眼鏡は、おふざけで遊んでいいものではないのだ。
ここは自分が助ける番ではないか。そう悩んでいると、クラウドが席を立つ。
「ミゲルは視力がいいんだから、眼鏡はいらないでしょ。返して」
呆れたように言うと、ミゲルはおとなしく眼鏡を外した。差し出された手にそれを戻すと、まだ興奮しているのか目を輝かせた。
「思ったより度数きつめで驚いた。おかげで未知の体験をしちゃったよ」
「まったく、人の眼鏡を奪うからだよ……うわっ」
ちょうどクラウドの後ろを通りかかった男子生徒の肩がぶつかり、弾みで眼鏡が床に落ちる。
たたんでいなかった眼鏡は衝撃に耐えられず、ピキッという悲劇の音が聞こえた。





