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悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される  作者: 仲室日月奈
第四章

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54. 執事見習いは立ち尽くす

 リシャールはルルネ商会を訪ねてきた女の行方を捜すべく、路地裏や人気が少ない場所を中心に捜索していた。今ごろ、ジークフリートは貴族街や劇場などで聞き込みをしているはずだ。

 女の特徴はイザベルと一致し、ローブを腕に抱えていたという証言から、おそらくそのローブを着ているだろうと予測できた。

 しかし、隣国からの旅行客は学者も多く、ローブ姿も珍しくない。ドレス姿ならいざ知らず、観光客に紛れ込まれたら、捜索する側も楽ではない。

 犯人が潜伏していそうな場所をくまなく探しているものの、ローブ姿の怪しい女は一向に見つからない。


(一体、どこにおられるのか……)


 諦めかけていると、無邪気な子供たちが前を走っていく。


「はやくはやく! 女の人が男の人をこらしめてるんだって!」

「ちょっと待ってよー」


 我先にと行く子供の背中を見つめ、リシャールは首を傾げた。

 気のせいかもしれないが、胸騒ぎがした。言いようのない不安が身体中をむしばむ。この予感が杞憂であってくれたらと思いながら、バタバタと走り去っていく子供たちの背を追いかける。

 中央広場には人がわらわらと詰めかけていた。見世物となっている場所には、三人の男女がいた。その後ろには、おろおろとする憲兵の姿もあった。

 これは悪夢に違いない。人目もはばかられる光景に、リシャールはその場に立ち尽くした。


「お嬢様……これは一体……」


 大の男が、新妻のようなエプロンを着せられている。下着を履いてはいるものの、はっきり言って目に毒だ。ラブリーなエプロンの胸元にある、赤いハートも痛々しい。

 本来、女性が恥じらいながら着るであろう衣装。過剰なフリルが肉つきのいい胸板を隠しきれず、うさぎのカチューシャがさらに異常さを増していた。

 その衣装を選んだであろう彼女は、長い髪から殺意がほとばしる眼光をのぞかせ、呪文のごとくつぶやく。


「ふふふ……その身をもって、恥を知るがいいわ……! わたくしのお友達であるフローリア様に手を出したこと、後悔したって遅くってよ!」


 まるで悪役のようなセリフだ。髪を背中に払う姿も板についている。

 対する男二人組は涙目で訴える。


「どうか許してくれ! こんな姿で衆目にさらされるなんて、一生牢屋に入っていたほうが何倍もマシだ」

「故郷の兄弟に知られたら、末代までの恥だよ……。もうお嫁にいけない……ぐすん」

「いや、お前はもらう側だから。そこは間違えてくれるな」

「……もうお婿にもらってもらえない……」

「安心しろ。俺とお前は一心同体だ。妻も来ず、婿にも行けなかったときは、お前の面倒は一生見てやるから」

「え……」


 友情以上の感情が芽生えそうな雰囲気に水を差したのは、この場における女神の冷たい微笑だった。


「あなたたち、いい度胸ね。わたくしを前にして、男同士の愛情を育むなんて。反省が……足りないようね?」


 現在、その女神は復讐心に支配されているのか、伯爵令嬢の慎み深さを完全に放棄している。 

 そう、誰も彼女を止めることはできない。歯向かったら最後、自分が犠牲になるからだ。みな、自分の命が惜しい。

 それは彼女の専属執事であっても同じ思いだった。


「……リシャール。この異様な光景は一体なんだ? 状況はどうなっている?」


 おそらく、彼も騒ぎを駆けつけてきたのだろう。少し息が上がっている。


「これはジークフリート様。見たままのとおりでございます」


 視線を前に移すと、イザベルが広場の隅に生えていた草をブチッと引き抜き、犯人に向けたところだった。よく見れば、雑草はふさふさと毛が密集し、猫の気を引く遊びを彷彿とさせた。

 それを屈強な男に向け、隆々とした筋肉の上を撫でつけるように移動させる。


「あひゃひゃっ! や……やめろっ」

「やめろ? 口の利き方がなっていないようね」

「……やめっ……く、くすぐったいって!」

「あなた、首元が弱いのね。ふふ、いいこと知っちゃったわ」


 妖艶な笑みを浮かべた彼女は、まるで悪女のようだった。

 手にした雑草をゆらゆらと揺らし、首を中心的に攻め立てる姿は軽い拷問に近い。犯人の一人が、限界とばかりに白旗を揚げた。


「っ……ちょっ……本当に! もう勘弁して! してください!」

「あら、これはほんの序の口よ。もっと心の底から懺悔できる程度に、くすぐり地獄を体験させてあげるわ。さあ、遠慮しないで?」


 言葉は優しく語りかけているが、雰囲気がいつもより寒々しい。確実にあれは怒りをヒートアップさせている。触らぬイザベルに祟りなしである。

 年の若い犯人が膝を浮かせ、少しずつ後退を試みている。しかし、それに気づいた若葉色の瞳があやしく揺らめく。次の瞬間には、エプロンの裾を踏みつけていた。

 ギクリと体を縮こめた彼は口元をヒクつかせ、次の言葉を待っている。


「あら……お友達を犠牲にして逃げる気? あなたも存外、悪い男ね」

「お、お助けください……命だけはっ!」

「ふうん。命ねえ。義理立てはしておいたほうがいいんじゃなくて?」


 彼女の手元で左右に揺れるのは、猫じゃらし。その穂先を向けられて、若い青年の顔が引きつる。じりじりと間合いを縮め、イザベルの次の一手は足の裏に向けられた。瞬間、犯人が身悶えするように苦痛の表情を浮かべた。


「……お嬢様の未来が心配になってきました」


 もはや、目の前の光景を直視できない。

 傍観者となっていたリシャールは現実逃避を始める。横にいたジークフリートも同じ気分らしく、哀愁を誘う顔をしていた。


「もし、彼女の機嫌を損ねたら、僕もああなるのだろうか……」

「それはそれで見物客が増えそうですね」

「やめてくれ、うっかり想像してしまう。それより、主人が変な性癖に目覚めてしまう前に、専属執事である君がなんとかすべきだろう」


 懇願するように言われるが、リシャールは主人と違って、情でほだされることはしない。目元を伏せ、神妙な顔を作る。


「皆さん、お忘れかもしれませんが、私はまだ見習いなのです。その役はお譲りいたします」

「何を言う。事務処理能力や交渉術を買われて、エルライン伯爵や夫人もそばに置くことが多いと聞いているぞ。ただの見習いが、そんなに重宝されるわけないだろう。つまり、君は立派な執事だ。今こそ務めを果たすときだ」


 あまり視界に入れないようにしていたイザベルは、若い青年を執拗に攻め立てている。猫じゃらしで。


(どうしてこうなったんだ……)


 しかし、その問いに答えてくれる者はない。

 イザベルの前に姿をさらけ出す場合、新たなターゲットになる可能性がある。それは全力で避けたい。

 リシャールだって、執事の前に一人の男だ。この先の人生もまだ長い。あんな恥をかかされて、のうのうと生きていくほど、図太くはいられない。


「無茶を言わないでください。あれは何かのスイッチが入った状態ですよ。下手に口出しすると、こちらまで火の粉が飛んできます。誰もイザベル様を止められるわけないでしょう」


 断固拒否の姿勢を見せると、ジークフリートは真顔で言い切った。


「いや、できる。リシャールならできる」

「根拠のない説得は無意味ですよ。この場は、私よりも婚約者のほうが適任だと思います」

「婚約者とは時に無力なんだ……」

「ついに諦めの境地にたどり着きましたか。ジークフリート様も案外ふがいないのですね」

「…………わかった。僕も腹を決めよう」


 決意したような低い声の後、ジークフリートは一歩、また一歩とゆっくり前に足を出す。いつもより慎重な足取りは、恐怖か、畏怖か、はたまた震えを隠すためか。

 長い時間をかけてたどり着いたジークフリートは、その場で深呼吸してから、自分の婚約者に語りかける。


「イザベル……僕の声が届いているなら、こちら側に戻ってきてくれないか」


 勇者の登場だ……というささやきが周囲から聞こえる。

 王宮から派遣された憲兵は、離れた場所から固唾を飲んで見守っていた。

 イザベルは自分の前に現れた婚約者の登場に、くすぐり地獄を執行していた手をぴたりと止め、目を丸くしていた。


「……あら、ジークフリート様。申し訳ございません。このとおり、今は手が離せない状況でして」

「お灸を据えるのも大事な役目だと思うが、本職の皆さんがお待ちかねだ……どうか彼らに仕事を返してやってほしい」


 イザベルはジークフリートの後ろにいる憲兵を一瞥し、嘆息した。


「……残念ですが、このぐらいにしておきましょう」


 心から残念そうな声に、リシャールは、これまで思い描いてきたお嬢様像が崩れ去っていくのを感じた。

 今ならわかる。目の前の彼女は、昨日まで仕えてきた主人とは根本的に違う。これまで本気で怒った姿を見る機会がなかっただけで、きっと本質は昔から変わっていない。

 だとすると、今までは温情で許されていた可能性が高いのではないか。


(今後は怒らせないよう、細心の注意を払わねば……)


 リシャールは新たな決意を胸に秘め、イザベルの前に進み出る。


「お嬢様……数刻ぶりですね。お会いできてよかったです」

「き、奇遇ね。リシャール。あなたもいたの」

「少し前からですが、遠くから見守っておりました。フローリア様のお姿が見えないようですが?」


 屋敷を抜け出したことには触れず、誘拐された彼女の行方を尋ねると、イザベルはあからさまにホッとしたような表情になった。


「彼女はお医者様のところよ。クラウドが付き添っているから心配ないわ。念のために憲兵を一人護衛につけたし」

「ご無事なのですね。それを聞いて安心いたしました」

「一応言っておくけど、わたくしも傷ひとつないわ」


 追求する前に宣言されてしまったが、リシャールは真顔で頷いておく。


「傷があれば一大事です。奥方様にも言い訳が立ちません」

「…………」

「ご安心ください。お嬢様の無鉄砲さは今に始まったことではありません。できうる範囲でフォローさせていただきます」

「助けて……くれるの……?」


 青ざめた主人がおそるおそるといった風に確認してくるので、リシャールはどう言えば不安がなくなるだろう、と思考回路をフル回転させる。

 その最中、憲兵に事情聴取しているジークフリートを視界にとらえる。


「ジークフリート様も一緒だったと言えば、きっと奥方様も安心なさるでしょう。どうかお任せください。お嬢様の心の平和は私が守ります」

「そ、そう。そこまで言うのなら……お願いするわ」


 かしこまりました、と一礼すると、ホッと息をつく気配があった。

 リシャールは頭を下げた格好のまま、口を開く。


「ところで、お嬢様。あとで、お時間を頂戴できないでしょうか。……お話ししたいことがあります」

「もちろん、いいわよ」


 安請け合いする主人の声に胸をなでおろす。


(本当にイザベル様は懐が広い方だ。婚約破棄のためとはいえ、主人に不名誉な噂を流したのに、今も私を執事としてそばに置いてくれる。普通なら、とっくに見限られてもおかしくないのに)


 行動を移すと決めたときから、職を失う覚悟はしていた。

 すべては、大事な人を守るために。


(私も腹をくくらないといけませんね。……そもそも信じてもらえるかどうか、わかりませんが)


 この際、洗いざらい話すとしよう。

 主人の婚約破棄を企むことになった理由を。

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