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悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される  作者: 仲室日月奈
第三章

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38. 専属執事が口を割りません

 食後のクレープも平らげ、すっかり元気を取り戻したレオンはジークフリートからこの地の伝承に耳を傾けながら、ひとつひとつのお店を見て回っていた。

 その様子を生暖かく見守っていると、ふと袖を引かれた。


「イザベル様! あっちにアクセサリーのお店もあるみたいです。一緒に行ってみませんか?」

「新しいお店かしら? ぜひ行きましょう」


 フローリアに導かれるままに足を進めると、雑貨店があった。店の前には女の子が好きなアクセサリーが並べられている。

 小さな宝石やガラスで作ったブレスレット、貝殻や星屑が詰められた瓶、透き通った海が描かれた栞、花をかたどったブローチなど、乙女心をくすぐるアイテムが所狭しと陳列してある。

 店の中を覗くと、誕生石ごとに小さな石を埋め込んだ指輪がショーケースに並んでいた。その横には開運や厄除けといったグッズがあり、真向かいの棚には恋愛成就のコーナーがででんっと作られていた。


「わっ、たくさん種類がありますねー」

「このイヤリングも可愛いわね」

「そうですね。どれも可愛くて、見ているだけでも幸せになります」


 うっとりと眺めているフローリアを微笑ましく見て、イザベルは壁際のコーナーを見て回る。ちりめん生地で作られたうさぎをつまむと、ちょうど手のひらサイズだった。手作業だからか、どのうさぎも違う色合いになっている。

 少し名残惜しくも陳列棚に戻すと、ふと、その下にある商品に目が吸い寄せられる。

 髪飾りやつげ櫛は別段珍しいものではない。しかし、白い薔薇の意匠が彫られた櫛は初めて見た。惹きつけられるように、イザベルは手を伸ばす。

 薔薇の四隅には小さい石が埋め込められ、値札を裏返すと意外と高かった。


(白薔薇だからジークフリートみたいって思うのは安直かしらね。自分用のお土産にしようかと思ったけれど、諦めるしかないわね)


 買おうと思えば、買える。しかしながら、そのお金は自分が稼いだお金ではないのだ。領民が汗水流して働いて納税してくれたお金だ。無駄遣いはよくない。


「ここにいたのか」


 この場にいるはずのない声にびくりと肩を震わす。おずおずと振り返ると、ジークフリートが一人で立っていた。レオンはどうしたのだろうか。

 とっさに返事ができずにいると、ジークフリートがイザベルが戻そうとしていた手櫛に気がつく。


「その櫛が気に入ったのか?」

「……い、いえ。ちょっと目に留まっただけですわ」

「ちょうどいい、僕がプレゼントしよう」

「え?」


 驚く間に手櫛を抜き取られ、ジークフリートはそのまま会計を済ませてしまう。そして、イザベルの両手には簡易包装された櫛が載せられた。


(え……これって、イベントのシーンよね?)


 本当なら、ヒロインが攻略相手からプレゼントされる場面だ。プレゼントされる品目は違うけれど。

 まさかの事態にイザベルはお礼することも忘れ、同じように民芸品を眺めていたフローリアを一瞥し、ジークフリートに詰め寄った。


「わ、わたくしだけもらうのは不公平です。フローリア様にも何かプレゼントなさってください!」

「別段、婚約者に物を贈ることは不公平ではないと思うが……。フローリアは何か欲しいものはあるか?」


 貝殻のイヤリングを耳に当てていたフローリアは商品を陳列棚に戻すと、ジークフリートとイザベルを交互に見やった。

 何かを察したらしい彼女はイザベルに目配せし、首を横に振った。


「いいえ、特にはありません。私はこの別荘に招待していただけて、大変満足しております。お気遣い感謝いたします」

「彼女はこう言っているが?」

「…………ありがたく頂戴します」


 頭を下げながら、イザベルはお礼を述べた。視線を上げられないまま、ジークフリートと一緒に店の外に出る。正直なところ、まだ頭は混乱している。


(どうしてこうなったの……!? これって、フローリア様がもらうべき贈り物じゃない。悪役令嬢が受け取ってどうするのよ……っ)


 声にならない叫びを発しながら、イザベルは空を仰ぐ。夏らしい空には、入道雲がもくもくと膨らんでいた。


      *


 その日の夜。

 レオンが宿泊することになったからか、昨日より豪勢なメニューの晩餐を終え、各自が部屋に戻った。イザベルも入浴を済まし、あとはベッドに潜るだけだ。

 しかしながら、こんなときでしか話せない相手もいるわけで。


「イザベル様、今よろしいでしょうか」

「ええ、入ってきてちょうだい」


 ネグリジェに薄いガウンをまとった姿で、リシャールを出迎える。彼は安眠用のホットミルクを持ってきていた。

 記憶が戻った当初はそれほど気にしていなかったが、やはり背が低いのは不便だ。

 前世なら届いたであろう本棚にも手が届かず、脚立を使わなければ読みたい本が手に取れない。流行のドレスは背丈が足りず、着こなすことができない。そして、一番の問題は子供扱いされることである。

 少々きつい角度で顔を上げなければ、目線を合わすことすら難しい。


(寝る前にも、カルシウムをしっかり摂ってやるんだから)


 野望を胸にカップを受け取る。熱いミルクにはシナモンが粉砂糖のようにまぶされていて、一口飲むと味わいに深みが増すようだった。

 温かいミルクで心身ともにぽかぽかになったところで、イザベルはリシャールへ身近な椅子に座るように目線で促す。

 商店街や車内ではとても尋問できる雰囲気ではなかったが、今は別だ。逆に今を置いて、誰にも邪魔されずに問いただす機会はないに等しい。暇さえあれば、フローリアやレオンが部屋に遊びに来るからだ。


「早速だけど……あなた、ジークフリート様に喧嘩でも売ったの?」

「めっそうもない。ただの執事見習いが公爵令息を愚弄するような真似、自分の首が飛ぶだけです」

「そうね、普通ならそうでしょう。でも、相手はジークよ? 昔からよく知っている従者の言葉が多少失礼でも、彼はきっと許してくれるわ。そのことは、リシャールもわかっているでしょう?」


 追及の手をゆるめず、すかさず言葉を重ねる。

 リシャールは困ったように眉を下げた。一度、視線を絨毯に落としてからイザベルを見つめる。


「お嬢様は……私が何かをした、とお疑いなのですね」


 声のトーンを下げ、悲しげにうつむく。しかし、そんな小芝居で動じるイザベルではない。侮られては困る。いったい、何年そばにいると思っているのか。

 肩に流れた髪を横に払いのけ、悪役令嬢らしく、ふんぞりかえる。


「あのジークが、あからさまにリシャールを遠ざけようとするぐらいですもの。主人に宣戦布告した前科がある執事を疑うのは当然ではなくて?」

「なるほど、一理あります」


 納得したように頷くリシャールは、ただ、と前置きしてから語を継ぐ。


「お嬢様が危惧するような真似はしていませんよ。フローリア様と仲睦まじい様子を見せつけられて、お嬢様の機嫌はすこぶる悪いようです、とお伝えしただけです」

「…………」

「ちなみにジークフリート様は、フローリア様のことはただの友人だと答えていらっしゃいました。ですが、それで信じろというのも無理があるでしょう?」


 主人の本音を代弁するように言われ、反撃の言葉に詰まる。


(リシャールがそう思うのも無理はないわよね。だって、一緒にその現場を目撃したのだから)


 しかし、もう少し言い方があったのではないだろうか。温厚なジークフリートがあそこまで不機嫌をあらわにする原因を考え、一つの答えがひらめく。


「ねえ……さっきの発言だけで、彼があなたを警戒するかしら。他には何を言ったの?」


 その予想は当たっていたようで、リシャールは目を見張る。だがそれも一瞬で、すぐに淡々と答えた。


「イザベル様との婚約破棄をお願いしましたが、却下されました。ですから、僭越ながら釘を刺しておきました」

「それは、執事の領分を越えているのではなくって?」

「…………」


 否定も肯定もせず、リシャールは唇を引き結ぶ。イザベルはわざとらしくため息をつき、首を傾けながら言う。


「婚約は当人の意思でどうにもならないのだから、その反応は当然でしょう。ちなみに何と言ったの?」

「お答えできません」

「それは、主人の命令でも言えないこと?」

「……ご容赦ください」


 しおらしく頭を垂れて言われると、イザベルといえど強く出られない。


(きっと、リシャールはわたくしが軽んじられていると思って、怒ってくれたのでしょうね。だけど、それで二人がいがみ合う関係になるなんて……本当にどうしようかしら)


 彼はどんな方法をとっても、この婚約を白紙に戻したいと願っている。

 無論、その結末はイザベルも望むところだが、悪役令嬢として破滅する手段では困るのだ。平和かつ穏便に、関係を解消したい。

 ぬるくなったホットミルクを飲み干し、コトン、とテーブルに置く。リシャールは流れるような動作でカップを片付け、そのまま退室していく。


(何を言ったのかは気になるけれど……あれは簡単には教えてくれそうにないわね)


 退室する際の執事の横顔は、どこか憂いを帯びていた。

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