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悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される  作者: 仲室日月奈
第三章

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31. 婚約者に見つかりました

 尋問ムードが漂い、イザベルは言葉に窮する。

 前後左右にも退路はない。背後にヘルプの念を送るが、無言しか返ってこない。こんなときに主人を見捨てるなんて、薄情な執事である。


「こ、これには……理由がありまして……そのう」


 上目遣いにジークフリートを見やると、彼は口を閉ざしたまま腕を伸ばす。その手はイザベルの顔に向けられ、反射的に目をつぶる。

 だが、いくら待っても痛みは襲ってこなかった。代わりに、頭の上にあった重みがなくなり、ジークフリートが小さくつぶやく。


「……髪がボサボサだな」


 帽子の中に押し込んでいた髪が無造作に散らばり、イザベルは羞恥で顔が火照る。動揺を隠そうと、声高に抗議する。


「なっ……誰のせいですか! 勝手に脱がしておいて、淑女の髪をけなすなんて紳士のすることではありませんわ!」


 必死に手ぐしで整えようとするが、ひとたび絡まった髪はすぐには元に戻らない。


「すまない。つい、出来心だ」

「あ……謝ればいいというものでもありません」

「君があまりにもいじらしい目で見つめてくるから。とりあえず、まずは場所を移そう。ここでは営業妨害になる」


 そう言うや否や、ジークフリートはイザベルの肩を抱き、店の外へ連れ出した。後ろにはリシャールが空気のように付き従っている。

 オリヴィル公爵家のリムジンの前までやってくると、待っていた従者にジークフリートが伝言を残し、そのまま中央広場を通り過ぎる。

 てっきり車に乗って尋問を受けると思っていただけに、内心驚いた。しかも、イザベルが逃亡しないようにか、体はがっちり彼の腕でホールドされたままだ。

 密着していることの緊張よりも、だんだんと不安のほうが上回る。


「あの、どちらへ?」

「先週オープンしたカフェだ。うちも出資している」

「……カフェですか?」

「そうだ。裏通りに面しているから、人通りも少ない。庶民に扮した君と貴族の僕が話していても、好奇の視線にさらされる可能性も低い」


 裏通りは夜の繁華街に続く道だからか、昼間は人の気配がない。身なりのいい貴族が歩いていても、わざわざ振り向く人もいなかった。

 質屋と雑居ビルの間に、真新しい看板がひっそりと立てかけられている。ジークフリートは赤茶色のドアを開け、中へと入っていく。


「いらっしゃいませ。お連れ様はお二人ですか?」

「ああ。マスター、奥の席を借りるぞ」

「奥は段差がありますので、お連れ様はどうぞお気をつけて」


 老年のマスターは穏やかな声でイザベルに注意を促し、カウンターの中へと消えた。階段を数段下りたところは、ソファ席となっていた。

 ジークフリートは奥の席にイザベルを案内すると、彼女の後ろに控えていた執事に声をかける。


「リシャールも座ってくれ。ここのコーヒーは格別なんだ」

「……では、お言葉に甘えさせていただきます」


 ジークフリートがイザベルの横に腰を下ろし、リシャールはその正面に座った。

 すると、測ったようなタイミングでマスターが盆に乗せたコップを持ってきた。それぞれの手元に水の入ったコップが置かれる。カラン、と氷が傾く音が響く。


「ご注文はお決まりでいらっしゃいますか?」

「アイスコーヒーが二つと、イザベルはカプチーノでいいか?」

「ええ。お任せしますわ」

「かしこまりました。今しばらくお待ちください」


 マスターがいなくなると、ジークフリートは両手を重ね合わせ、議長のような面持ちで尋問の始まりを告げた。


「では早速、本題に入るとしよう。イザベル、何か申し開きがあるのなら聞くが」

「……わ、わたくしは悪いことはしておりません」

「では、庶民に変装をして、自由気ままに探検することはご両親はご存知であると?」

「そ、それは……でも、ルドガーお兄様はご存知ですわ。これは社会見学の一環なのです。なにもやましいことはしていません。ただ庶民の目線に立って、城下町の空気をじかに感じていただけなのです」


 ジークフリートに見つかったのは誤算だが、慎ましく庶民の生活を満喫していただけだ。世間一般的に、令嬢のお忍びは褒められた行動ではないだろうが、ここはどうか大目にしてほしい。

 その切実な思いを汲んでくれたのか、真顔で座っていたリシャールが眼鏡をかけ直し、ジークフリートに頭を下げた。


「恐れながら、申し上げます。イザベル様は自分の欲望に忠実なだけなのです」

「ちょっと待ちなさい。何を言う気?」

「庶民で流行っている恋愛小説、その最新刊が本日並ぶことを前もってリサーチされ、この日をずっと夢見ていたのです。私はお嬢様付き執事として、主人の夢を壊さずに見守ることを選びました」


 ちょうどコーヒーが運ばれてきた。苦味のある大人の香りがふわりと立ちのぼる。ジークフリートはアイスコーヒーを口につけ、ため息混じりに言った。


「なるほど。大体の事情は理解した」


 頭の回転が速いことは長所だろうと思う。しかし、生暖かい目で見つめられると、居心地が悪くなるからやめてほしい。

 イザベルは居たたまれなくなって、早口で告げる。


「……ご理解が早くて何よりですわ。わたくしと出会ったことは、どうぞご内密に。これ以上の深入り詮索は野暮というものです」


 カプチーノの上にたっぷり盛り上がったホイップクリームをスプーンですくい、イザベルはぱくりと口に頬張る。誘惑に負けて食べたクリームはほどよい甘さ加減で、苦いコーヒーと混ぜたら、まろやかな味になるに違いない。

 イザベルがスプーンでぐるぐるかき混ぜていると、ジークフリートは話の矛先をリシャールに向けた。


「ところでリシャール、彼女の身の安全は万全なのだろうな」

「無論です。この日のために、密かに城下町に護衛を何人か配備しております」

「そうか。それならばいい」


 初めて聞く警備体制の裏情報に、イザベルは吹き出しそうになった。庶民の格好をしていても、自分は伯爵令嬢だというプライドで飲み込んだが、そんな大がかりな人員配置があったとは予想だにしていない。


(っていうことは、この計画はメイドだけじゃなく、使用人全員が知っていた可能性が高いわね。道理で、使用人通路で誰ともすれ違わなかったわけだわ)


 イザベルの視線に気づいているだろうに、リシャールは涼しげな顔で、アイスコーヒーを飲んでいる。


「ところで、イザベル。実は、君に会いに行こうと思っていたんだ。手間が省けてよかった」

「……どうかしました?」

「ああ、実は――」


 続く言葉はカランカランという鈴の音でかき消された。新たな客かと思い、視線を上げると、そこにいたのは私服姿の女性がひとり。なぜかパンがたくさん入った紙袋を両手で持っている。


「え……フローリア様?」


 思わず彼女の名前を呼ぶと、すぐに紫の瞳と目が合う。


「まあまあ! イザベル様にこんなところで会えるなんて! 奇遇ですね」


 フローリアは抱えてきた荷物をカウンターにどさっと置き、小走りでイザベルの前までやってきた。嬉しそうに両手を合わせ、顔をどんどん近づけてくる。


「一体、どうしてこちらに?」

「わたくしたちはジークフリート様に連れてこられて。それより、フローリア様こそ、どうしてここに?」

「ここは叔父が経営する店なんです。お昼は隠れ家カフェ、夜はバーになるんです。今日は、ディナーに使うパンの仕入れを頼まれまして」

「へ、へえ。そうなの……びっくりするような偶然ね」

「はい。本当に驚きました。その格好も、何か特別な意味があるのですか?」


 女子トークに花を咲かせていると、咳払いが聞こえてきた。

 声の主を見やると、存在を忘れかけていたジークフリートが神妙な顔になっていた。


「フローリアもいるなら話が早い。イザベルとフローリア、二人とも僕の別荘に来ないか?」

「え……別荘ですか?」

「オリヴィル家の別荘というと、北の街にあるあの家ですか?」


 女性陣の疑問に答える声は明るい。


「ああ。まさしくそこだ。避暑地としても有名で、この王都からも割と近いし、今年はフローリアも来てみないか。湖がきれいな場所なんだ」


 ジークフリートの自慢げな声を聞いて、記憶がフラッシュバックした。


(このセリフは聞いたことがある……。確か、城下町でお買い物をした帰りに、悪役令嬢に絡まれるイベントがあるのよね。舞踏会の選択肢を間違えて、好感度が少し下がったときに出てくるやつ。正しい選択肢を選ぶと、偶然居合わせたジークに別荘に誘われるっていう流れで……)


 言わば、チャンス挽回イベントである。

 ちなみに、好感度がマックスだと悪役令嬢は登場せず、ジークフリートが一人でヒロインの元へやってくるのだ。


(つくづく思うけど、ゲームの強制力ってこわいわね。ここでフローリア様に会ったことも偶然じゃないだろうし。あれ……でも、そうなると……。わたくしの役柄は悪役令嬢に変わりはないってこと?)


 期待した自分が愚かだった。

 思い返せば、ハンカチ事件でも悪役令嬢枠に数えられていたではないか。ただのモブキャラであれば、注目されることもない。


(世の中、甘くはないわ……)


 ゲームと経緯は異なるが、別荘へのお誘いは、夏のイベントフラグに他ならない。となると、イザベルの選択肢は一つしかない。


「申し訳ございません。わたくしは、ちょっと外せない用事がありまして……」


 せっかくのイベントフラグを折るわけはいかない。だが辞退を申し出ようとしたイザベルの前に、ジークフリートが待ったとばかりに手で制止をかける。

 一体なんだと視線で問いかければ、彼はイザベルではなく、正面に座る専属執事を見やる。


「リシャール」

「はい」

「……イザベルの来週の予定はどうなっている?」


 口裏を合わせるのよ、とアイコンタクトを送るものの、リシャールは瞬きひとつで主人の命令を断った。


「私が把握している範囲では、夜会の招待が数件あるぐらいです。どの招待も、イザベル様が欠席しても支障のないものかと」

「ならば問題はないな」


 ジークフリートは鷹揚と頷き、イザベルとフローリアを順番に見やる。


「僕は別件で後から行くことになるが、当日は公爵家の車で迎えを寄こそう。二人とも、そのつもりでいてくれ」


 彼の中ではすでに確定事項らしい。そして、それを覆す権利はイザベルにはないようだ。

 ジークフリートもイザベルが断るのを見越して、リシャールに予定を聞いてきた。もはや、イザベルの味方はここにはいない。


(ああ……万事休すとは、まさにこのことね……)


 時には諦めることも肝心である。非常に不本意であるが、この際、役目を真っ当に果たそうではないか。たとえ、それが当て馬であっても。


「……承知しましたわ」


 暗い気分になるイザベルとは対照的に、フローリアは心から楽しそうに目を輝かせている。好きな人に別荘に招待されて、喜ぶなというほうが無理な注文だ。


「今から楽しみです! 何を準備すればいいのでしょうか」

「身の回りの品は、すべてこちらで用意する。当日は手ぶらで来てもらって構わない。迎えの時間は追って連絡する」


 ジークフリートは目を細め、嬉々とするフローリアを愛おしそうに見つめる。その後でイザベルに視線を送ってきたが、つーんと横を向く。


(わざわざ、わたくしの前でいちゃいちゃしなくたって! 婚約破棄の心づもりはもうできているのに)


 つくづく悪役令嬢とは損な役回りだ。そっとため息をつくと、同情したのか、リシャールが労わるように微笑んだ。

この話とは関係ないのですが、短編も投稿しました。お時間がありましたらどうぞ……!

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