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14. しおり部分からやり直させてください

 伯爵令嬢らしい高飛車な言動は、イザベルの唯一の盾でもある。

 悪役顔らしいつり目と、絶対的な権力のせいで誤解されることが多いが、本来のイザベルは悪役には不向きな性格だった。


(旧校舎で隠れて懺悔したり、影でこそこそ雑務を手伝ったりしていたのよね。ゲームでは語られなかった設定だけど、いまいち悪役になりきれないというか……)


 高貴な振る舞いが板についていた悪役令嬢の中身は、実に繊細だった。

 本当の彼女は、自分の弱さをひた隠しにしていた。周りからの期待に応えるべく、強気であろうと頑張った結果、悪役令嬢のレールに乗っていたのだ。


(こうして考えると、イザベルが不憫でならないわ。好きで悪役になったわけではないのに……。とにかく今は、臆している場合じゃないわ。乙女ゲームを思い出して、悪役令嬢のイザベル・エルラインになりきるのよ!)


「それでは、リシャール様。イザベル様によろしくお伝えください」

「ご伝言、確かに承りました」


 女生徒二人が教室を後にする。その場に取り残されたのは、リシャールとイザベルのみ。

 早くしなければ、リシャールがこのまま去ってしまう。

 腹をくくるより他なかった。吸いこんだ息を吐き出し、イザベルは暗幕の影から姿を出した。


「やはり、あなたでしたわね」

「……イザベル様……。いつからそちらに?」

「十分ほど前ですわ」


 冷や汗が背中を伝い落ちる。しかし、焦りと不安をあらわにしてはいけない。令嬢たるもの、このぐらいの駆け引きはお茶の子さいさいだ。


(……やっぱり前言撤回! こんな緊張感、もうすでに耐えられない!)


 乙女の最大の武器は、不敵な微笑だ。メイド長直伝の令嬢マナーの心得を思い出し、イザベルは無理やり口角を上げ、淑女の笑顔をはりつかせる。

 リシャールはやや驚いた顔で、なるほど、と頷いた。


「はじめから私を疑っておいでだったというわけですね。理由をお聞きしても?」

「ふふ、乙女の勘とだけ言っておきますわ」


 表面上は余裕ぶって答えたものの、イザベルの内心は穏やかではない。


(これが夢だったら、どんなによかったか……! ああもう、誰か嘘と言ってちょうだい……っ)


 ゲーム中にこんなシーンはなかった。つまり、どう対処すればいいのか、ベストな選択肢がわからない。まったくの未知の領域だ。

 この会話をどうするかで、きっと未来のありようは変わってしまう。

 しかも、選択肢を間違えたら最悪、バッドエンドルートに入る恐れもある。

 悪役令嬢としてのバッドエンドは老婆になり、人里離れた場所で一人さびしく生きることだ。一方、乙女ゲームの主役でもあるフローリアのバッドエンドは、攻略対象の男たちから手ひどく振られ、修道院に入る未来だ。

 甘い考え方かもしれないが、できればフローリアには幸せになってもらいたい。


「そうですか。バレてしまったものは仕方ないですね」


 リシャールは肩をすくめるが、その顔はすがすがしい。まるで、バレてホッとしているようにも見えた。


「まだ信じられないわ。あなたは、わたくしの味方だったのではないの?」

「味方かそうでないかと問われたら、イザベル様は私の敵ですね」

「……敵……」


 はっきりと線引きをされ、イザベルは心臓をつかまれたような、強い衝撃を受けた。

 リシャールは年が近いということもあり、姉弟のようにして育った。

 執事としての仕事能力も申し分なく、家族のみならず、使用人からも信頼が厚い。正直、名ばかりの見習いだと思っていた。

 時に小言が多くなる日もあるが、全幅の信頼を寄せていた。それなのに、手のひらを返されるような態度の急変に、理解が追いつかない。

 イザベルからすれば、弟のように親しく思っていた者から、いきなり宣戦布告されたようなものだ。

 すぐには受け入れがたい現実に、言葉をなくす。

 口をつぐんだ主人を見て、エルライン家の優秀な執事見習いは、無慈悲なまでにキッパリと言い切る。


「代々ミュラー家が仕える主人として、これまで執事見習いを務めてまいりましたが、状況が変わりました。私はイザベル様の味方にはなれません」

「…………」

「ただちに婚約破棄をなさってください」


 思いがけない単語が飛び出し、目が点になる。聞き間違いかと逡巡している間にも、リシャールは繰り返すように言う。


「ジークフリート様とのご婚約、破棄していただきたく存じます」


 やはり、聞き間違いではなかった。

 イザベルは戸惑いながらも、かすれた声を出す。


「なぜ?」

「あなたたちが結ばれると、よくないことが起きる」

「よくないこと? ずいぶんと曖昧な表現ね。具体的に言ってもらわないと、こちらも承諾しかねるわ」


 詳しい理由は話す気がないのか、リシャールは沈黙を貫く。


(リシャールには、泣き落としは一切通じない)


 イザベルは片手を腰に当て胸を張る。長年一緒にいた執事から言葉を引き出すには、悪役令嬢らしく強気な態度が必要だと感じたからだ。


「だいたい、婚約破棄なんて、簡単にできるものでもないでしょう。そのことは、リシャールが一番知っているのではなくて?」


 貴族同士の婚姻は、多くが政略結婚である。この時代の恋愛結婚はごくごく稀なケースだ。政略結婚の駒として嫁ぐ場合、本人の意思は関係ない。嫌だと駄々をこねても、結婚が白紙になることはまずない。

 両家の婚姻には金銭的な見返りなど、相応の取引が絡んでいるからだ。

 リシャールは鷹揚と頷き、イザベルを静かに見つめた。


「ええ。よく存じております。だからこそ、この方法を採りました」

「方法というと……まさか、ジークから婚約破棄させるために、わたくしを悪役に仕立て上げるつもりだったとか言わないわよね?」

「そのまさかです」

「……だったら……交渉は決裂ね」

「いいえ、必ず破棄させてみせます」


 断じる声には、強い意志が感じられた。

 とはいえ、やられっぱなしというのも性に合わない。イザベルは腕を組み、勝ち気な瞳を輝かせた。


「……リシャール。あなた、大事なことをひとつ忘れているのではなくて?」

「どういうことですか?」

「わたくし、負け戦はしない主義よ。リシャールが敵になるというなら、手加減はしてあげられないわ」

「それこそ、望むところです。お嬢様との勝負、勝たせていただきます」

「言ったわね?」

「執事に二言はございません」


 言質を取ることに成功し、イザベルは人差し指を突き出した。


「だったら、ひとつ条件があるわ」

「条件とは?」

「フローリア様への手出しは今後一切しないこと。それを誓ってもらうわ」

「……残念ですね。その方法が一番手っ取り早いのですが」


 気落ちしたように眉根を寄せる姿は、心から残念がっているようだった。


(フローリア様は、本来は敵になる相手だけど。前世の記憶を取り戻してからできた、初めての友人なのよ)


 本当は気が弱いイザベルも、伯爵令嬢の端くれだ。

 友達と慕ってくれる彼女の身を守るためならば、多少強引な手を使うことも厭わない。貴族社会で生き抜くためには、駆け引きは必須のスキルなのだ。


「あら。これしきの条件が障害になるなんて、ミュラー家の執事見習いも地に落ちたわね。どんな苦境に立たされようが、見事な立ち回りと逆転の発想で、エルライン家を支えてきたはずなのに」


 わざと煽るように言うと、リシャールは渋面でうつむいた。数秒の沈黙の後、吹っ切れたように顔を上げる。そこには「黒薔薇の執事」らしい、ピュアを装った笑顔があった。


「……いいでしょう。どんな条件でも、勝つのは私です」

「その言葉、忘れないでね」

「承知しました。野暮用が残っているため、お先に失礼いたします」


 リシャールは涼しい顔のまま、宣言どおりに退室していく。残されたイザベルは執事の足音が遠のいたのを確認し、そろそろと近くにあった椅子にへたりこむようにして座る。そして、長机に顔を突っ伏した。


(はああ、もう疲れた……ここ数日分の体力を使った気がする……)


 宣戦布告をされて、つい売り言葉に買い言葉となってしまった。負けず嫌いの自分の性格をうらめしく思う。

 先ほどやりとりを思い返し、イザベルはふと我に返った。


(ん……? 手段は違えど、わたくしとリシャールの目的は同じ……よね?)


 しかし、時すでに遅し。

 ゲームのように、しおり部分からのゲーム再開はできない。この世界は確かに乙女ゲームと同じ世界だが、ゲームではない。

 イザベルにとっては、まがう方なき現実なのだ。神様やゲームのプレーヤーでもない限り、時間の巻き戻しは不可能だ。


(敵対する道ではなく、ここは共同戦線の道を選び取るべきだったのでは……?)


 もしや判断を誤ったのではないかと、イザベルは頭を抱えた。

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