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ステップ8:魔王を降臨させましょう・裏

 緩やかな斜面をそろりそろりと下るダニエラとトーマスの二人。茂みで身体を隠しているので、向かっている集落からは二人の姿は見えない。こういう隠密行動の経験は初めてのダニエラであったが、どのように動けばいいかが分かっているのは、元いた世界でタクティカル・エスピオナージ・アクションのゲームを嗜んでからだった。「ダンボールがあれば完璧だったのに」と愚痴っているあたり、やはりゲーム感覚なのだろう。画面上であらゆる危機的状況を経験してきた彼女は、状況の対応力だけは無駄にあった。「もしテロリストが学校にやってきたら」と妄想する中学生と大差ない気もするが。


「ダニエラさん、あの大きな小屋を目指しましょう。一先ず身を隠すのに丁度良さそうです」

「そうですね」


 そう互いに頷きを交わした二人は、周囲を警戒しながら小屋の陰にぴったりと張り付く。ダニエラもそれに倣う。ここからが本格的な潜入だ。「なんか高まる」となど言いつつ、立ち、しゃがみ、匍匐を繰り返すダニエラは無視し、トーマスは周囲の様子を探ってみるが、日が暮れた頃ということもあって人の気配はない。

 潜入とは言っても、目的の男以外はただの人間しかいない普通の村だ。そこまで慎重になる必要もないかと思ったトーマスはダニエラにGOサインを出し、小屋の中へ忍び込んだ。

 小屋の中には木箱や袋に入った荷物が大量に積まれていた。トーマスが中身をあらためると、野菜や果物、干し肉、治療薬などが詰められていた。


「ここは集落の備蓄倉庫のようですね。出入りも少ないですし、ここに隠れていましょう。…………ダニエラさん?」


 トーマスが呼びかけても返事がない。不思議に思って小屋の中を見まわしてみると、一つだけ逆さまになった木箱があり、小刻みに動いていた。トーマスはそれをカパっと持ち上げてみる。探していた人はそこにいた。膝を抱えて座っていた。


「!」

「な、なにしてるんですか?」

「……いや、別に。やっぱダンボールじゃなきゃ駄目か……」


 何やら呟きつつダニエラは立ち上がるが、トーマスはもうそれ以上触れようとせずに換気用の小窓から外の様子を伺う。この女の扱い方がだんだんと分かってきたらしい。

 ダニエラもそれを特に気にすることなく、トーマスの横の立って同じように外を眺める。


「ちらほらと人がいますね」

「寝るには早い時間ですからね。さて肝心の、バルドーはどこにいるのか……」


 トーマスは目の届く範囲を観察していくが、ダニエラはその隣で住民たちの服装に目を向けていた。どこかに出かけているのか男性の姿は見えないが、歩いている女性や子どもの服は麻で作られたもののようだ。色合いも天然の塗料を使ったと思われる単色染めが多く、特にオシャレというものに気を使っている様子もない。当然化粧もしていない。

 トーマス曰く、この集落はなんの変哲もない人間の村である。この世界の人々の服飾のレベルはここの人々とそう変わらないのだろう。


(ザ・ファンタジー世界だな。やっぱり中世程度の文明基準になるのか……。魔法が発達すると人間の文明は止まるんだねぇ)


 ダニエラはしみじみと思う。だが、現代日本ではもはやマナーとまで言われる“女性の化粧”を面倒に思っていたダニエラにとっては悪い話というわけでもない。かつて友人に、「お前は女子力を羊水に置いてきたのか?」と言われたことがあったが、少なくとも現代日本における女子力と呼ばれるものをこの世界で気にしなくてよいのは、非常に楽でいいね!とダニエラは思っていた。


「……ん?ダニエラさん、隠れてください」

「どうしました?」

「来ました、彼奴です」


 ダニエラは言われた通り窓から顔を引っ込め、目だけを出して外を見てみる。するとそこに、頰に大きな傷のある、屈強な男が現れた。服は村人と変わらない簡素なものだが、その上から金属製の防具をつけている。歴戦の猛者という言葉に服を着せたらあんな感じになるだろうという出で立ちであった。ダニエラに言わせれば、往年の課金プレイヤーに見えるとのことだが。


「……お、何か始めるようですよ。少し様子を見ましょう」

「はい」


 トーマスの言う通り、バルドーは膝ほどの大きさの岩に腰を下ろして背中の大きな荷物を開けた。一体何が入っているのかダニエラが気にしていると、そこから引っ張り出されたのは立派な一振りの剣だった。

 一言で形容するならば、光。柄や鞘にあしらわれた細工はどういう原理か淡い輝きを入っていたのだ。そしてバルドーがその剣を抜けば、さらなる輝きを持つ刀身が露わになる。さすがに光りすぎて目障りだとダニエラは思った。しかし、トーマスは剣が抜かれるのを見てから身を硬直させていた。そんなに棒立ちでは見つかりかねないとダニエラがトーマスの服を引っ張って小屋の中へ引き戻す。


「トーマスさん、どうかしたのですか?」

「ダニエラさんはアレを見ても何も思わないのですか?」

「鬱陶しいとは思いましたが」

「その程度で済むのですか……」


 トーマスはダニエラの言葉を聞いてため息をつく。気づけば、トーマスはびっしょりと汗をかいていた。彼の服を掴んでいたダニエラの手もじとっと湿ってきたのでダニエラはトーマスのマントでそっと拭いながら、彼に尋ねる。


「あの剣がどうかしたのですか?」

「あれはおそらく、聖剣の類でしょう。あれらの剣の光は魔族にとって天敵なのです。貴女にはほとんど効いていないようですが」

「そう、みたいですね」


 鬱陶しく思うということは多少の効果は出ているのだろうが、それでも危機を感じるようなことはまるでなかった。おそらく自分が元は人間であるからなんだろうな、とダニエラは脳内で結論づけ、自分がやたらめったら強いせいで光が効いていないという可能性には行き着かなかった。

 何故だかズボンの中を確認しているトーマスを余所目に、ダニエラはもう一度窓の外を確認してみる。


ふぅぅぅぅぅぅおんっ!ぶるぅぅぅぅぅぅおぅんっ!


 ダニエラが初めて聞く類の音が響いていた。音の発生源はバルドーだ。彼が剣を猛烈な勢いで素振りし始めたのだ。大気を裂く音がはっきりと聞こえる。元の世界の人間で、鉄の棒をあれ程の速さで振ることが出来る者がいるとすれば室伏くらいだろうとダニエラは思った。ハンマー投げ選手をスパルタ兵か何かと勘違いしている気がするが、咎める者はこの世界に一人もいなかった。


(ていうか、勇者ってコレより強いってこと?その勇者より強い魔王を育てるって、無理ゲーな気がしてきたんだけど……)


 ダニエラの脳内思考がよくない方を向き始めた。折角ここまで前向きになれたのだから、後ろを振り返るのは望ましくない。天がそう思ったか、丁度ダニエラの思考を遮るように新たな出来事が起こる。

 「おおい!」と呼びかけながら、一人の男がバルドーの元へ駆け寄ってきたのだ。その男自体はなんて事ない人間の男であったが、ダニエラのは彼から目を話すことができなかった。その男が手に持っていたのは、昨夜ダニエラが埋葬したボロボロの部屋着一式だったからだ。


(な、なにぃ!?ほ、掘り返されているだとぉ!?……なんで?)


 驚きはあったものの、ダニエラはそれよりも状況が理解できずに首を捻る。どうして埋めたことを知っているのか。なぜ埋めた場所を知っているのか。何故それを掘り出したのか。皆目見当がつかない。とりあえず「さっさと成仏しろと言っただろ!」と部屋着たちに怒りの念を送ってみていると、その部屋着たちは男の手からバルドーへと手渡された。


「アレは一体何なんでしょうか?人間たちの間で広まっているのでしょうかね」

「アレはへや……何なのでしょうかね」


 何故かズボンだけ穿き替えたトーマスがダニエラの横から顔を覗かせて尋ねるが、ダニエラは雑にしらばっくれる。ああいった衣服がこの世界にないのは村の人間の服装を見ても明らかであり、余計な事は言わないのが吉だと思ったので。


(あの部屋着はもう死んだものだ。誰にくれてやっても構わないし、余計な事態にならないよう関わらないようにしよう)


 ダニエラはそう決めた。が、すぐにそうも言っていられなくなる。

 バルドーが手にした部屋着をばさっと広げた。その時、そこから何かがポロリと落ちた。薄ピンク色をした二つのブツが、地面にでーんと鎮座している。

 それを目撃したダニエラは思わず自分の胸部と臀部に手をやる。そして、衝撃を受けた。


「……ない」


 どちらかと言うとエルフ体型であるダニエラには、胸にも尻にも肉はない。だが、今言いたいのはそういうことではない。彼女の着ている服の下、本来ならそこで彼女を優しく包んでくれているはずのモノが無かったのだ。ダニエラは今、穿いてなかった。


(ええええ!?ど、どどどどどどうして!……いや、ちょっと待て)


 ダニエラは昨夜の行動を振り返る。

 確か池で水浴びした後、濡れた身体を着る毛布で拭いた。水気をとって服を着ようとしたけど、スウェットは使い物にならなかったから、神サマから貰ったスーツを着た。そのまま、着た。素肌の上から、着た。下着は、つけて、なかった。

 恐るべき事実に愕然とするダニエラ。あまりに致命的な忘れ物だった。そしてそれらは部屋着たちに紛れて地面に埋められていたらしい。それでも忘れたことに気づけたのだから、そこはもう問題ない。今ある大問題は、その下着たちが無慈悲な野郎どもに掘り返され白日のもとに晒されていることだった。

 そんな下郎の一人であるバルドーが下着を、よりにもよって下に履く方を手に取った。それだけではない。彼はその下着を在ろう事か、己の顔へと近づけ始めたのだ。

 嗅ぐ気だ。あの男、嗅ぐ気だ。洗ってない下着を見ず知らずの男に嗅がれるなど、羞恥プレイもいいところだ。止めねばという思いが、反射的にダニエラの体が動いてしまう。結果、足下の木箱を派手に蹴り飛ばすことになってしまい、ガタン!という大きな音がなった。

 その音をバルドーは聞き逃さない。ぐるりと振り返り、鋭い眼光を備蓄倉庫へと向けた。

 慌てて窓から身を引くが、居場所は完全にバレてしまっただろう。その失態にダニエラは思わず頭を抱えてしまう。


(くっそぉ、何んなんだよぉ……。なんでパンツ握りしめてるんだよぉ……。なんでこんな辱めを受けなきゃならないのぉ……)


 少し違った。居場所がバレたことよりも下着を奪われた事の方が大事のようだった。ダニエラはバルドーへ向けて強い怨みの念を送る。

 するとその念が通じたのか、外から男の叫ぶ声が聞こえてきた。


「何者だ!姿を現せ!」


 それがバルドーの声だというのは容易に想像がつく。そしてその声は明らかに敵意を含んだものだった。

 詰みだ。ダニエラはそう悟った。これがゲームなら、既にポーズメニューからセーブデータをロードし直しているところである。しかし残念ながら、今のダニエラはコントローラーを握っていない。やり直しなどきかない。ここからどう挽回するのか、頭を悩ませなければならないのだ。

 ダニエラが苦悩している中、意外であったのは隣にいるトーマスが落ち着き払っていた事だった。彼もバルドーの強さを見ていたはずだ。ここに攻められたら膾切りにされるのは明らかなはずだ。なら何故、そうも余裕なのか。

 そう考えるダニエラは極めてシンプルな結論に至る。


(もしかしてトーマスさんって気が弱いだけで、私が思ってるよりも強い?あの男を相手にしても勝てる自信があるってことだったり……。いや、きっとそうだ。そうじゃなきゃ、今頃泣きわめいているに違いない)


 ダニエラは確信して立ち上がった。そしてトーマスをズビッと指差す。


「さあ、行きましょうか」

「はい、いきましょう」


 トーマスはやる気を見せたダニエラに確と頷いて見せた。中々のやる気である。

 それもそのはず、トーマスは魔族狩りの一人や二人ならどうにでもなると考えていた。隣にいるダニエラとかいうバカ強い女がなんとかしてくれると思っていたので。その女には戦う気がまるでなく、トーマスに全て任せようとしているのだが、そんな事は知らない。

 他力本願スタイルの二人は静かにすれ違いつつ、備蓄小屋から出ようとする。


「それでは、お先にどうぞ」

「……え?私が行くんですか?」


 ダニエラに背中を押されたトーマスが戸惑うが、ダニエラは心底何を言っているか分からないという様子で首を傾げる。


「当たり前でしょう。トーマスさんが行かずに誰が行くんですか」

「そ、そうなのですか。わ、分かりました」


 やはり自分が先に行く理由はわからないが、ダニエラにきっと何か策があるのだろうと無理やり納得した。何よりトーマスにはダニエラに逆らうような勇気がないので、仕方なく先に行くことにする。ため息と一緒にドアに手をかけたとき、ダニエラがトーマスのマントをバサっと捲った。そしてそのまま、マントの下へ潜り込む。


「な、何をしてるんですか?」

「いや、こうやっているのが一番いいと思いまして」


 “いい”とは「トーマスが守ってくれるから安全!」という意味である。ピッタリとひっついていれば、うっかり斬られたりしないだろうという考えだった。

 だがトーマスはその“いい”を「わたしが守ってあげるから、安心してよね!」という意味で受け取った。なのでトーマスは腰に抱きつくダニエラを振り払ったりもせず、そのままドアを開けてバルドーと対峙した。

 と同時に、バルドーの聖剣の光がトーマスを襲う。汗が吹き出し、身体が固まってしまう。しかし、その汗を一瞬で引かせるような冷気が自分の背中から発される。それが殺気だと気づくのに、そう時間はかからなかった。


(ダニエラさんの殺気、す、すすすさまじいな!これなら人間一人くらい一捻りだぞ……)


 それが自分に向けられたものではないと分かってはいるのだが、トーマスは緊張でガチガチに固まってしまう。殺気にあてられたバルドーの隣にいた男も泡を吹いて気絶していた。

 しかし、そんな恐るべき殺気製造マシーンの抱いていた思いは、割と緩かった。


(さあ、離せ!お前の手に握られたその布を早く手離すのだ!嗅ぐなよ?絶対嗅ぐなよ?隙を見て嗅ごうとすれば手首を切り落とすからな?……このトーマスがな!)


 他人を盾にして、がるると唸っていた。気持ちキツめの視線をバルドーの手元へ注ぐ。しかし彼女は知らないが、その視線はキツめなどという柔らかいものではない。ドギツめ殺気増し増しの視線である。バルドーにしてみれば、レーザーサイトを常に額に当て続けられているようなものだった。それでも退かないのはさすがと言うべきだろう。バルドーはトーマスへ向けて問いかける。


「……魔族、だな。そこで何をしていた」


 そう聞かれりゃあ、正直に答えれば「貴方を調べるために隠れていました」なのだが、そう言うわけにもいかないだろう。


「ダニエラさん、どうすればいいですか?」


 トーマスが小声で尋ねる。ダニエラに策があると思っている彼は、その邪魔にならないように全てダニエラの指示で行動するつもりだったのだが、ダニエラは突然自分に振られて驚く。それでもトーマスを盾にしていることに多少の負い目があるらしく、真面目に考えてみる。


「とりあえず、無用な戦いは避けるべきではないでしょうか。今ならまだ穏便に解決できる余地がある気がします。友好的な態度を見せてみましょう」

「なるほど」


 あれだけ殺気を漏らしているのだから、てっきり殺る気満々なのかとトーマスは思っていたが、予想外に慎重な指示だった。ここは人間の治める土地。余計な騒ぎを起こさないという方針は間違っていないだろう。なので、ダニエラの言う通りにしてみる。


「あー、えっと…………よい作物、だ。肉もよく熟成されて、いる。さぞ、美味、かろうな」


 そして何を話そうかと考えた末に思いついたのは、先ほどまでいた備蓄倉庫内の作物だった。まずは褒めるところから始めようと考えたのだ。

 しかし、それは村の住民に対してならば褒め言葉になったのだが、他所者であるバルドーには何の意味もないことにトーマスは気づいていなかった。トーマスはアドリブには弱いタイプだった。突然のQTEは大体全部押し間違えるタイプだった。

 にも関わらず、バルドーの反応は意外なものであった。その言葉を聞くなり険しい表情を見せ、トーマスを更に強く睨みつけたのだ。そして、彼へ向けて問いを投げかける。


「俺、なのか。お前の目的は」

(ええええ!?な、なぜバレた!)


 トーマスは驚き飛び上がる。いや、蛇に睨まれた蛙のように身が固まってしまっていたので飛び上がりはしなかったが、大いに驚いた。トーマスは隠密に徹してバルドーを嗅ぎ回っていたのだが、それがバレていたとはまるで予想していなかった。

 ただ、それを認めてしまう訳にもいかない。トーマスの仕事はミッドガルド領主直々のものだ。「力のある魔族が人間を調べていた」という事実が、種族間の大きな問題に発展していく可能性も無いとは言えないのだ。

 というわけで、トーマスはただ曖昧に微笑むしかなかった。「勘弁してくだせえ」という思いだくだくの笑みだった。

 が、事態はトーマスの予想とは余りに乖離した展開を見せる。


「なるほど、俺に命の選択を迫るというわけか。だが、俺はそんなものに乗りはせんぞ。お前を討てば全て済む話だ。今、ここでな!」


 突如として叫んだバルドーが剣を構え、猛スピードでトーマスに突っ込んできたのだ。バルドーが何を言ったのか頭が理解するよりも早く、バルドーはトーマスに肉薄して剣を頭上に振りかぶっていた。

 トーマスの背後のダニエラも、その恐るべき縮地法に目を丸くさせ、異世界っぽい異常な身体能力に少しだけ興奮していた。そんな呑気な思いを抱いているのは、トーマスが何とかしてくれるだろう。すぐにでも腰の剣を抜いて、かっこよく鍔迫り合いとかしてくれるんだろう。そう思っていた。

 が、ダニエラがしがみついているトーマスは、完全に硬直していた。腰にさしているはずの剣を抜こうとする素振りも見せなかった。ただでさえ聖剣の光やら緊張やら恐怖やらでガチガチになっているのに、そんな冷静な対処を期待するのが酷というものである。何より、ダニエラが何とかしてくれるものだと思っていたので自分が何かする必要はないと考えていた。

 二人とも他人に頼りきっていた。結果、どちらも動こうとしないという、最悪な状況が起きてしまった。


(あれ、トーマスさん棒立ちのままだけど、反応できてなくない?あれ、これって私ごと斬られる感じじゃない?)

(あれ、ダニエラさんしがみついたままだけど、何もしないのか?あれ、頭からバックリ斬られないか?)

((うあああああぁぁぁぁぁ!!!!死ぬうううぅぅぅぅ!!!!神サマぁぁぁぁぁ!!!!))


 二人の声にならぬ絶叫は神サマへ確かに届く。が、神サマはこう呟いた。


「心配しなくても、死にゃあしねえよ」——と。


 そして、バルドーの聖剣がトーマスの頭へ振り下ろされた。鋭い切れ味の剣は足元まで真っ直ぐに通り抜ける。トーマスも、そしてダニエラも斬られた感覚があった。

 が、いつまで経っても痛みがこない。もしかして既に死んでる?なんてことも思ったが、身体の感覚はしっかりしている。見てみれば、服に斬られたような跡は一切残っていなかった。狐につままれたような奇妙な感覚にダニエラはとらわれる。それでも、自分が生きている事は間違いないようだった。

 なんてホッとしている間に、バルドーは再び剣を振りかぶっていた。そして今度は横から二つにぶった切られる。が、やはり同じ。斬られた感覚はあれど、傷なんてものはまるで存在していなかった。何が起きているのか、さっぱり理解できない。しかしバルドーが何度剣を振ろうとも、自分たちには通用しない事は紛れも無い事実であった。

 ダニエラがよく分からないながらもホッと胸を撫で下ろすのに対して、バルドーはぐっと歯を食いしばる。


(怒ってるよね……。完全に怒ってるよね……)


 ぷるぷると身を震わせるバルドーの姿が、ダニエラには怒りに打ち震えているように見えた。そして、少しマズイのではないかと思う。先ほどは謎の力で攻撃を食らわなかったが、力の正体が分からない以上、何度でも効果があるとは限らない。当初の考え通り戦闘を避ける方針で、逃げの隙を伺うべきだろう。彼女はそう判断した。


「俺は、どうすればいい。お前の要求を、教えてくれ」


 と判断したのに、バルドーは何故か此方の意向を尋ねてきた。最早バルドーの考えがまるで読めないダニエラだったが、これをチャンスと見た。


「トーマスさん、ここでしっかりとした不戦の意思を伝えましょう。そして、さっさと逃げましょう!『戦いたく無いのよ!』とキッパリ言ったほうがいいです」

「わ、分かりました…………えっと、戦い、たく無い、のよぉ!」


 緊張からか、ダニエラに言われた原文ママで口にしてしまうトーマス。ダニエラは思わず頭を抱えたくなった。が、バルドーの様子がどうにもおかしい。黙りこくったまま、これまでで一番険しい表情を見せていた。寺の門とかに置いておけば国宝認定されるような気迫のある、鬼の形相である。そして、地獄の呪詛でも吐かれるのかと思うほどに重々しく、彼の口が開く。


「俺の息子、勇者の称号を持つ者との戦いを望むというのか。種族同士の大戦争がお前の望みなのか!」


 声を張り上げ、バルドーは問いただす。

 問いただすのはいいが、問いただされた側はキョトンとするしかなかった。これまでも会話にズレがあるとは感じていたが、いよいよ無視できないレベルでズレてきた。それでもただ一つだけ分かるのは、バルドーが物凄い怒っているという事だった。


「トーマスさん、伝わって無いですよ!めっちゃ怒ってますよ!もっと誠心誠意言葉にしないと!」

「誠意ですか?わ、わかりました……」


 相変わらずガチガチに固まった身体と脳みそを動かし、トーマスは右手を差し出す。握手を求めるポーズとか友好的だよね?という打算にまみれた誠意の構えを取り、彼の口から誠意が飛び出す。


「いけ、い…………いけません!此方に戦う気はございません!仲良くしましょうヨロシク!」


 そして右手を突き出しつつ、ガバッと頭を下げた。目に見える誠意。心からの不戦の意思。何より、こんな情けない姿相手に喧嘩を売ろうなんて考えないだろう。という誠意も何も無い考えから繰り出された綺麗な九十度の礼だった。

 けれど、そんなトーマスには何の言葉もかけられなかった。それどころか、何の気配も感じない。トーマスが恐る恐る顔を上げる。と、そこにいたはずのバルドーの影も形もなかった。トーマスはまたしても予想していなかった展開になり、首をひねる。


「ダニエラさん、これはどういう……?」

「トーマスさんが口を開いた途端、走ってどこかへ行ってしまいました。理由のほどは私にもよく分かりません」

「そうですか……」

「はい……」


 二人揃って、バルドーがいた場所を見つめながら首をかしげる。

 というところで、ダニエラは思い立った。バルドーがいなくなったのなら、こんなところでじっとしている場合では無いと。


「トーマスさん、早く逃げましょう!人とか来てしまうかもしれないですし!」

「え、ええ、そうですね。そうしましょう」


 トーマスの同意を得るなり、ダニエラはトーマスのマントから飛び出す。そして事の発端である部屋着の残骸と地面に落ちた下着を素早く回収した。トーマスは既に周囲を警戒しながら、集落の外へ駆け出そうとしている。ダニエラもさっさとそれに続きたかった。

 が、見つからないのだ。下に履くほうの下着。端的に言うとパンツが、どこにも見当たらないのだ。だが、すぐにその理由に思い当たる。ダニエラのパンツを手にし、匂いを嗅ごうとしていたのはバルドーだった。そしてそのバルドーはすでに走り去った後である。バルドーとの話し合いの中で注意が行かなくなっていたが、バルドーがその間もずっとパンツを握りしめたままだったら……?


(もしや今も、あのオヤジの手の中に……。う、うわあああぁぁぁぁぁ!!!!)


 ダニエラは羞恥と困惑と憤怒に顔を真っ赤に染めながら、全力ダッシュでトーマスの後を追う。その胸の中では、バルドーという名前の横に“変態”という注釈が書き足されることとなった。哀れバルドー。知らぬはやはり罪であった。


 これが後世に語られる『果ての村の絶望』の真実である。知らなくていい、極めてどうもいい真実である。

次回で一区切り

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