ステップ7:魔王を降臨させましょう
「バルドーさん、回復薬はこんなもんで足りるか?」
「できればもう少し頼みたい。さっさとケリをつけるつもりだが、勝負が長引けば回復は必須だからな。俺は回復の魔法が使えない以上、薬に頼るしかないんだ」
「なるほど。なら、もう少し用意してくるぜ」
「助かる」
夜が明け、翌日。バルドーと狩人は件の魔族との戦いに備えて物資の調達を行なっていた。万が一のために蓄えていた、村の糧食や回復薬の備蓄の一部をバルドーへ分けるように村長が指示し、狩人がそのために奔走していた。冬が近づいている今、貴重な物資であったのだが、バルドーへ渡すことに反対する住民はいなかった。
朝になって、村長から住民へ向けて魔族の話がされた。人々の表情が一瞬で絶望に染まるが、バルドーが魔族を倒してみせると力強く宣言したことで、住民たちは気を持ち直すことができた。そして今では、住民全員がバルドーへの強力体制を敷いていた。村にいる男たちは森へと入り、魔族の情報がないかを協力して探して回っている。女たちは狩人の男の主導のもとに、物資の準備の手伝いを行なっていた。
バルドーはその厚意に有り難く甘えることにして、愛剣『破魔』の手入れと振り心地を確かめる。剣を上段に構えて鋭く振り下ろすと、空気が断ち割れ地面に亀裂が入った。疑念を挟む余地もない、卓越した剣術である。バルドーが無心に剣を振るう光景を側から見ていた人々は、「どんな魔族であろうときっと倒してくれる」と希望を抱くのだった。
そして大地が日が飲み込もうとしていた頃、ようやく村の男たちが森から戻ってきた。狩人が駆け寄り、その内の一人へ問いかける。
「どうだ、何か見つかったか?」
「心力の水場には、確かに誰かがいた痕跡があった。木の葉がベッドのように敷き詰められていたからな。そして、その近くに何かを埋めたような跡があった」
「なんだって?それで、掘り返したのか?」
「ああ。そうしたら、こんなものが出てきた」
後ろにいた別の男が狩人へ一つの袋を手渡す。恐る恐るといった様子で中に入っているものを取り出す。しかし、それを見た狩人は首をかしげた。
「これは……かなりボロっちいが、布か?けど、妙な手触りだな」
「それに引っ張ると伸びる」
「うぉっ、本当だ。いや、待て。これ血がついてるじゃねえか」
狩人が言う通り、その奇妙な布には至る所に薄っすらと血が滲んでいた。拾った布にただ血がついていたなんてこと、本来は気に止めるような事ではないのだが、今回はそうもいかない。初めて目にする奇妙な布が、件の魔族のいた場所に埋められていたのだ。何かしらの貴重な情報となり得るかもしれない。そう思った狩人は調査へ行ってくれた男たちに礼を行うと、報告のためにバルドーの元へ向かった。
バルドーの戦いのための物資はすでに準備し終えていた。なんとか背負えるサイズに纏まった大荷物の隣で、バルドーは尚も剣を振り続けている。静かな集落の片隅に剣の風切り音だけが聞こえていた。この仕事に対する彼の意気込みぶりが伺える。
そこに狩人がやってきた。「おおい」と声をかけられ、バルドーは剣を振るう手を止めて額から流れ落ちる汗を拭う。
「調査が済んだみたいだな。助かった、感謝する」
「俺らに出来るのはこんぐらいだから、気にしねえでくれ。それより、コレ見てくれよ」
狩人がバルドーへ向けて例の奇妙な布を突き出した。バルドーは訝しげな表情でそれを受け取り、触れた途端に眉間の皺を更に深くさせた。
「これは初めて触る感触だな。話の魔族が持っていたものなのか?」
「そのはずだぜ」
「ふむ。魔族にとって何か意味のあるものなのか……」
思考に耽りながら、バルドーは丸まった状態であったその布をバッと開いてみる。 と、その時。布の間から何かがスルリと地面に落ちた。丸まった布の中に埋もれていて、狩人も調査へ行った男たちも気づかなかった物。
一方は、浅めのお椀二つに紐のようなものが物がついている一品。一方は、三角形の布地二つを張り合わせたような形の一品。どちらも可愛らしい刺繍がほどこされちゃっている、薄ピンク色の見慣れぬ品であった。
男二人の視線がそれに注がれ、バルドーが首をひねりつつ拾い上げる。
「……なんだ?これは」
「分からねえけど、何て言うか、こう、胸が温かくなるような感覚がするんだが、俺だけか?」
「いや、俺もだ。……まさか身体に作用する何らかの薬が?」
そのように考えたバルドーが三角形のそれをゆっくりと顔に近づける。薬品が染みていないかの確認をするため、匂いを嗅ごうと――
ガタン!
大きな音がした。それは村の外れにある備蓄倉庫から聞こえた。バルドーと狩人の意識が、その音のした方へ向く。と、その時。凍てつく吹雪のような強い敵意が彼らを襲った。肌に刺すような痛みすら感じる。バルドーは輝く愛剣『破魔』を素早く構え、音のした方へ大声でよびかけた。
「何者だ!姿を現せ!」
何者だとは問うてみたものの、その正体は明らかだ。これほどの圧倒的な覇気。狩人が目撃した魔族に違いない。
そして倉庫の中から現れたのは、バルドーが頭に浮かべていた者と相違なかった。
黒い肌と白銀の髪。瞳は深い蒼。漆黒のマントを身に纏った、一人の男。そのあら ゆる特徴が、彼が魔族であると言うことを声高に告げている。
バルドーと狩人を襲う強い敵意は、間違いなくこの魔族から発されていた。こいつが、討伐対象である。バルドーはそう確信した。
いつの間にか、隣に立っていた狩人が気を失っていた。あまりにも強いプレッシャーに耐えきることができなかったのだ。
(彼も弱くはない。狩人としては寧ろ手練れだ。そんな者を覇気だけで昏倒させるとは……。それに俺の剣の光を浴びているのに、意に介していない。聖剣の光が効かん魔族とは、トンデモないやつだぞ)
そうは考えつつも、バルドーは自分の足が後ろへ下がり始めているのを感じていた。逃げ出したくなる思いを抑え、剣を握っているだけでやっと。身体からは冷や汗が止めどなく流れ落ちる。
一方、そんなギリギリのバルドーとは対照的に魔族の男は無表情でその場に立っていた一寸の揺らぎもしない双眸でバルドーを見据えている。
「……魔族、だな。そこで何をしていた」
バルドーが問いかける。魔族は沈黙していたが、やがて口を開いた。
「よい作物、だ。肉もよく熟成されて、いる。さぞ、美味、かろうな」
ゆっくりと紡がれた言葉。バルドーの頭は、その意味するところを理解しようと脳味噌をフル回転させる。
(この村の糧食を奪う気か?冬が近い今、食べ物は住民の命綱。この村の住民の命をまるごと奪う気かというわけか。……いや、それなら最初から村を焼けば済むはず。なら、この男の目的は……)
バルドーは気づいた。この魔族の目的。
遠回しに大勢の人間の命を握っている事をアピールする理由。それは、人質。自分の思う通りに人間を動かすため、村の人間の命を利用しようとしているのだ。
そして、魔族が策を講じてまで動かそうとするような人間はこの場に一人だった。
「俺、なのか。お前の目的は」
バルドーがそう問う。それに対する魔族の答えは、笑みだった。
バルドーは確信する。やはり、魔族の目的は自分だったのだ。いや、正確には違うだろう。魔族の目的は、自分の息子だ。一体どこからその情報が漏れたのか。バルドーは歯噛みする。
「なるほど、俺に命の選択を迫るというわけか。だが、俺はそんなものに乗りはせんぞ。お前を討てば全て済む話だ。今、ここでな!」
腹から響く咆哮とともに、バルドーは地を蹴る。魔族狩りとして幾つもの修羅場をくぐり抜けてきた彼の圧倒的な戦闘技術には目を見張るものがあった。ひと蹴りで数メートルを駆け、魔族との距離を一瞬で詰めきり、そして剣を大きく振りかぶる。魔族は構えも取らず、変わらぬ様子でそこに立ったままだ。
(もらった!)
バルドーの名剣『破魔』が、頭上から真っ直ぐに振り下ろされた。
しかし、そこには予想だにしていなかった光景が残されていた。バルドーの剣は、魔族の頭に確かに命中した。真っ直ぐに体を通り抜け、相手の身体を両断した。バルドーにも、相手を斬り伏せた手応えがあった。
しかし、魔族の男は依然としてそこに立ち続けていた。確かに通ったはずの剣による傷はまるで存在していない。血の一滴も流れていない。男が身につけている衣服にも一切の乱れがない。まるで、斬られたという事実だけが、すっぽりとぬけおちてしまっているかのようだった。
バルドーは目の前の現実に困惑しつつも、二の太刀を振るう。が、結果は何も変わらなかった。魔族はあいも変わらず、静かに足を根ざしたままだった。三の太刀も、四の太刀も。バルドーがどれだけ冴え渡る剣技をあびせようとも、魔族の男は無表情のまま。バルドーの剣がこの男に通用しないというのは、最早火を見るよりも明らかであた。
そこでもう、バルドーは剣を振るうことができなくなってしまった。彼の長い戦いの経験が、この相手には絶対に敵わないのだと、彼の闘志を奪い去ってしまったのだ。ふらふらと後方へ下がると、剣を握る手をだらりと下ろす。
なんと惨めなことだろうか。あれだけ自信満々に任せろとのたまったにも関わらず、まるで歯が立たない。自分に成せることは何もない。バルドーは俯き、血が滲むほどに歯を食いしばる。
そして、魔族へ向けて言葉を投げた。
「俺は、どうすればいい。お前の要求を、教えてくれ」
力での対話は不可能。ならバルドーに残された道は、魔族の要求を聞いた上での交渉しかなかった。自分の命を差し出すくらいならわけない。罪なき人々と未来溢れる我が子を守れるなら。バルドーはそう考えた上で、魔族に要求を問う。
魔族はまたしても沈黙していたが、バルドーの問いに答えた。ほんの一言。
「戦い、の世を」
囁やくような声。だが、その言葉はバルドーの心深くに届いた。
この男の望むものは、戦いである。ならば、その上でバルドーに望むことは何だ。それをバルドーはすぐに察した。
「俺の息子、勇者の称号を持つ者との戦いを望むというのか。種族同士の大戦争がお前の望みなのか!」
声を張り上げ、バルドーは問いただす。
魔族の男は無表情を保ったまま、何も答えようとしない。そして、ただ一言。右手を払うようにしてバルドーへ向けながら、たった一言告げただけだった。
「行け」――と。
バルドーは走り出した。後ろを振り返らず、ひたすらに走り続けた。
情けをかけられた、余りにも無様な敗走。恥辱と屈辱で胸が張り裂けそうだった。それでもバルドーは与えられた使命を果たすため、走り続ける。
あの男は勇者との戦いを望んでいた。ならば、父としてやらねばならないことがある。我が子に剣を与え、技を与え、魔王を打ち倒す光と救済の象徴たる勇者へ育て上げること。あの魔族の望みも、それと合致しているはずだ。
力のある勇者と魔王が種族を率いることで、あの男の望む戦乱の世が幕を開けるのだから。
そう、魔王。対峙している内に気づいてしまった。あまりにも強大な力と揺るがぬ心を持つ魔族 。あの男こそが他ならぬ魔王であるのだと、この世に新たに誕生した恐怖の大王であるのだと、バルドーは気づいてしまった。
すぐにでも家族の、我が子の待つ故郷へ戻りたいが、バルドーは先に王都へ向かうことにした。魔王の誕生という世界を巻き込む大事件を王へ伝えなければならない。自分へ課せられたあらゆる使命の重さに潰されないよう地を踏みしめ、バルドーは走り続けた。
村の住民たちの気づかぬ内に起こった、静かなる魔王の誕生。これが後に、『果ての村の絶望』と呼ばれる大事件のあらましである。
ただ、その様子を遥か天上で見ていた胡散臭い髭男――この世界の神サマはこう思っていた。
「よくもまあ、これだけすれ違えるもんだな」と。
次回別視点でお送りします