ステップ5:情報を得ましょう
「と、取り乱してしまってもうし、申し訳ないです。殺さないでください」
「殺しませんから」
適当な岩の上に腰を落ち着け、男と女は話をすることになった。ただ、男はさっぱり落ち着いておらず、仕切りにソワソワとしている。女はそんな男の容姿を観察してみる。年相応に老けた面立ちは、中々の渋さを醸し出している。肌の色は特殊だが、元の世界に持ち込んでもナイスミドルとして認識されるのではないだろうか。女はそのように思うが、その全てを帳消し或いはマイナスにできるほどに男の表情は情けなかった。目にはたっぷりと涙がたまり、眉は目一杯下がりきっている。覇気なんて言葉は無縁の向こう側に消えていた。
「ひ、ひっ……す、すいません!殺さないで……」
女があまりにじっと見つめ過ぎていたせいで、男はまたしても頭を抱えて震え始めてしまった。幾ら何でも怯えすぎだ。自分の顔はそんなに怖かっただろうかと、女は少なからずショックを受けるが、ようやく見つけた重要な情報源だ。この男には悪いが、しばし付き合ってもらおうと、話を進めることにした。できる限り優しく丁寧な言葉を心がけて。
「とりあえず、名前を教えていただけますか?」
「は、はい!私はトーマスと申す者です。ミッドガルド家の領地にある町で暮らしております」
男の名を聞いて女の頭を人面機関車が横切る。次いで電球と蓄音機を持った男が駆け抜けていった。なんにせよ面白みのない名前だ、などと心底失礼な事を考えていた。
「あ、あの……」
「なんでしょうか」
「差し支え無ければ、お名前をお伺いしても……?」
「名前……。そうか、名前か……」
女は言われて始めて気づいた。自分に名乗るべき名前がないことに。元の世界での名前があるだろうと思うかもしれないが、日本人の日本人らしい名前を、このファンタジーな世界で名乗ることに女は抵抗があった。女は世界観を大事にしたいタイプだった。異世界の物語なのにネットスラングやメタネタを多用するゲームには否定的なタイプだった。
というわけで本名ではない、所謂偽名が必要になった。しかしいきなりそう言われても思いつかない。女は自分のキャラを作る段階で、平気で数時間費やすようなタイプだった。そこまで悩む必要のないところまで無駄に悩み続けるタイプだった。それでも何か言わなければと思う。ここで「貴様に名乗る名などない」などとぬかせば、トーマスの警戒心を更に強めてしまうに違いない。仲良くお話ししたい女としてはそれは避けたかった。
結果、女の口から思わず漏れたのは——
「だ、“だんびら”……」
「だ……え?」
ハンドルネームだった。元の世界、オンラインゲームのアカウントで愛用していたハンドルネームだった。太刀を手に前線で敵をバッタバッタと切り裂くワンマンプレーっぷりから『全自動肉切り包丁』の異名を他のプレイヤーからつけられたハンドルネームだった。ちなみにキャラの見た目は初老のおっさんで、作るのに三時間かかった。そんな思い入れのある名前だったが、女はそれを口にした事を後悔する。
(しまった!ファンタジー世界らしい、カッコいい横文字の名前にするつもりだったのに!いっそムーチョをつけて……いや、ファンタジー感は出るけど求めてるのと違う)
女はド◯クエ派ではなくF◯派だった。いや、そうではなく、やはりカッコいい横文字名がよかった。女は口走った名を今からでも訂正できないかと考える。
一方その名を聞いたトーマスは聞きなれない単語に首をひねっていたが、やがて納得したように手を叩いた。
「ああ、“ダニエラ”さんですね。失礼しました、“だんびら”と聞き間違えてしまいました」
「ダニエラ……。おお!ダニエラ!いいですね、それ」
「え?」
「いえ、お気になさらず」
ダニエラ。悪くない名だと女は思う。いつかのホラーゲームの敵にそんな名前があったような気がするが、名前の響きは気に入った。
自分の名前は、ダニエラ。
彼女はこれからそう名乗ろうと決めた。非常にアッサリと決まった。どれだけ悩んだところで、決まるときは一瞬なのである。
自分の名前も決まったところで、女——改めダニエラは、話の本題に入ることにする。が、あまりにも聞きたいことが多すぎる。どうしとうかと悩んでいると、トーマスの方から話を切り出してきた。
「そ、それで、ダニエラさんは何者なのでしょうか。その目から漂う魔力。目が合っただけで思わず地面に頭をすりつけたくなるような覇気。規格外の実力者とお見受けするのですが……」
「実力?何のことでしょうか」
ダニエラはトーマスの言葉の意味がわからず、首をかしげる。「You強いネ!」 などと突然言われても、「こいつは何を言っているんだ」という思いしか湧いてこない。
別に強くなるための修行編を経た覚えなどないので、自分が本当に強いのだとすれば、ライトノベルによくある転生チートの類を持っているということだろうか。ダニエラはそう考えるが、ありえないと結論づける。これまで何だかんだ細かく説明をしてくれた神サマが、そんな重要なことを伝え忘れているはずがないと思ったのだ。それが他ならぬ真実なのだが、ダニエラは知らない。なので、トーマスに向けて首を横に振った。
「私にそんな力は御座いません。トーマスさんの気のせいかと」
「そ、そうですか。そう簡単にお話できることではありませんよね。失礼な事をお聞きしました。殺さないでください」
「殺しません。力に関してもトーマスさんの勘違いです。なのでそんなに怯えないでください。こちらとしても話しづらいので……」
「わ、わわ分かりました」
吃りながらではあるが、トーマスはダニエラの言葉に了解する。力が無いなどというのは嘘だと思っていたが、ダニエラに敵意が無いということは理解できたようだ。ようやく場が落ち着いて、今度はダニエラから問いかける。
「先ほど、私のことを止めたのは何故でしょうか。あの集落には何かあるのですか?」
ダニエラが意気揚々と台地の上にある集落へ駆け出したとき、トーマスは制止するようにダニエラの肩を掴んだ。そこから縺れて今に至るわけだが、その行動のワケを知りたかった。トーマスは相変わらず頼りない申し訳なさそうな表情で口を開く。
「あれ自体は何てことの無い人間の集落なのですが、現在あそこにはある男が滞在しておりまして、私はその男の調査にやって来たのです」
そう言われてみると、トーマスは革製の鎧の上から黒いフード付きマントを羽織った、今にもイーグルダイブしそうな出で立ちであった。調査というからには、戦いは極力避ける隠密スタイルであるだろうから、納得の服装だ。
「そんな調査を単独で任せられるとは、トーマスさんは優秀なお方なのですね」
「それが……私が調査を任ぜられたのは、言わば懲罰というものでして……」
「何かあったのですか?」
興味本位百パーセントでダニエラが尋ねると、言いにくそうにしながらもトーマスは話し始めた。ダニエラから漏れ出す力の圧のせいで、トーマスに断るという選択肢が無いということに彼女は気づいていなかった。
「先ほどお話した通り私はミッドガルド領に住んでいまして、領家の軍にも所属しているのです。と言っても、しがない一兵卒なのですが……。ただ、同じように軍に所属している人間が私の村には多く、ある日、領家のご当主自ら我々の訓練の様子を視察に来られたのです。ご息女とご一緒に」
「それは喜ばしいことですね」
ダニエラはミッドガルド家なんてモノはまるで知らないが、偉いお貴族様なのだろうと思い適当に返す。実際その通りのようで、トーマスは微笑みつつ頷くが、その顔は次第に曇り行く。
「ですが、その場で私はやらかしてしまいました。私の剣に気合いと力が入りすぎ、打ち合った衝撃で手からすっぽ抜けてしまったのです」
「なるほど。その剣が領家のご令嬢の方へ飛んでいき、頭をかち割ったという話ですね」
「いえ、そんな血みどろな赤色の話ではなく。ご令嬢の方へ飛んで行ったというのは正しいのですが、ぶつかる前に何とかキャッチできました」
「なるほど。その時に勢い余って、ご令嬢のおっぱい揉んじゃったという話ですね」
「はい、その通りなのです」
「えっ」
適当に返してみたら予想外の的中だった。赤色じゃなくて桃色の話だった。ならば聞くしか無かった。
「どんな感触でしたか?」
「えっ」
「令嬢の乳は」
「え、えっと、こう、ぶにょんと、沈み込むような感じで」
「ぶにょんと」
「ぶるんと、踊るような感じで」
「ぶるんと」
ダニエラは『ミッドガルド家のご令嬢は巨乳』と脳内メモに書き残す。また、トーマスのやたら肉感的な擬音から察する限り、乳バンド的なものはつけていないように思われる。多分この世界にブラジャーはないのかもしれないなあとダニエラは思う。と言っても、日本人女性らしいスレンダーな体型の彼女にとっては死活問題という程の物ではなかった。とりあえず、『ミッドガルド家のご令嬢の乳を揉みたい』と脳内メモに書き残しておく。
「……で、つまりそれが原因で単身調査を命じられたと?」
「はい。領主様はご息女を溺愛しておられまして、初めは『首を落とす!』と激昂しておられたのですが、ご令嬢の説得もあり、何とかこのような形で落ち着いたというわけです。一時的な追放のようなものですが、仕事さえ終えれば家へ戻ることができます。……とくに待っている家族がいるわけでもありませんが」
トーマスはしょぼくれながら自嘲気味に笑う。一先ずの事情は理解できた。調査を遂行しようとしているところに魔族であるダニエラが現れ、集落へ走り始めたら誰だって慌てて止めるだろう。その集落は人間のものであり、魔族であるダニエラが現れれば騒ぎになって調査どころではなくなること間違いなしだ。
話の整理がつき、一人納得するダニエラ。と、そこで一つ気にかかる。ダニエラとトーマスはここまで何事もなく会話をしていたが、言語まわりはどうなっているのだろうか、と。ダニエラはずっと日本語を話していたが、まさか異世界で日本語が使われているワケがない。気になる。
(まあ、別にいいや。どうせ神サマが何かしたんでしょ。通じてるんだからダニエラ的にオールオッケー)
それほど気になってはいなかった。彼女は基本的に楽観的な性格だった。やりきる時間もないのに新作ゲームを買いあさり、食費がエリミネートされることがあっても気にしない程には楽観的だった。
ともかく、これで疑問はなくなった。知らないことは山ほどあるが、それはこれから知っておけばいい事だ。そして、これからの行動の指針もダニエラは既に定めていた。というより、魔族と出会って、それが悪人ではないようならこうしようと事前に考えていた事だった。
「トーマスさん。実は私、記憶を失っているんです」
「ほ、本当ですか!?」
「はい。女身一つですから、右も左も分からずに不安で……。トーマスさんさえよろしければ、ご一緒させて頂いてもよろしいでしょうか。ご心配なく、お仕事の邪魔は致しませんから。ただ、お仕事が終わった暁には、私もミッドガルド領へと連れて行って欲しいのです」
ダニエラは今生二度目となる伝家の宝刀上目遣いを抜いてみる。しかもそれだけではない。今度は相手の袖まで握ってみちゃう。庇護欲そそられる可愛いらしい仕草の前に平伏すがいい!という死ぬほど可愛いらしくない思考の元に、ダニエラは袖を握りしめた。
そんな仕草を浴びせられたトーマスの反応は如何様なものであったか。
(に、睨まれている!見つめられるだけでも恐ろしいのに、睨まれている!視線で、視線で恫喝されている!『断ったらどうなるか分かるか?』と言いたいのか——ひっ!服を、服を掴まれた!『逃げられると思うな』ということか!男トーマス、進退ここに極めり!)
トーマスとしては、恐ろしい力を持っているダニエラと一緒にいる事は御免被りたいと思っていたのだが、その退路を断たれることとなってしまった。最早トーマスに選択肢など与えられておらず、彼のとる行動は一つだった。
「御意!ダニエラ様の仰せの通りに!」
トーマスは地面に頭をつけ、ダニエラに向けて『いいよ!』と全力で返事した。ダニエラの思いは一切伝わることはなかったが、彼女の思惑通り平伏することにはなった。
想定外の行動にダニエラは困惑するが、とりあえずトーマスの背中を優しく叩く。
「顔を上げてください。お願いしているのは此方なのですから、そんなに畏まらないでくださいよ」
優しい声音。トーマスはその言葉の通りに恐る恐る顔を上げる。
「これから、よろしくお願いいたします」
ダニエラが限界まで口角を上げてニッコリと微笑む。彼女ができる最大の笑みだった。
そんなダニエラ流慈母の微笑みを見たトーマスの反応は如何様なものであったか。
彼が後に『いつ尿が漏れても大丈夫なように、大人用のおしめを作ろう』と言い出すことから察することができるだろう。
五話目にしてようやく主人公に名前がつく小説