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ステップ4:魔族を探しましょう

 大方の生物が活動を始めた時刻になって、女はようやく目を覚ました。草を敷き詰めた程度では屋外の地面は固いままで、バキバキになった身体を鳴らしながら女は立ち上がる。


「……なんというか、頭がやけにスッキリしてるな。昨日はあんなに熱意に溢れてたのに、今はどこまでも冷静に物事を考えられる気がする……」


 これが賢者タイムというものかと女は思う。しかし、それらしい行為に及んだ覚えはなく、首を捻るのだった。実際は、ただ薬の効果が切れたというだけであるが、女には知る由もない。

 とりあえず池の水で顔だけ洗い、大きく伸びをして深呼吸を繰り返す。何故だかいつもより風を身近に感じる。いつもよりも締め付けられるような感覚がないと言うか、吹き抜けるような開放感を女は抱いていた。都会の喧騒から離れるというのは中々気持ちいいものだな、などと思いつつ、女は昨日決めた通り魔族を探して改めて森の中へと入っていった。


 木々の間を縫う獣道を進みながら、女は分厚い冊子——『勇者と魔王、戦いの全て』を開いた。勇者と魔王の戦いの簡単なあらましは知っていたが、もう少し詳しい情報が欲しいと思ったのだ。なぜかしっかり索引まであるので、その中から興味のある項を探す。


「そうだな……。とりあえず、一番新しい戦いについて見てみるかな」


 そう思って女はパラリとページをめくる。そこには見開きで左に勇者の、右に魔王の情報が記されていた。それぞれの写真付きだが、女は一目見てため息が漏れ出た。

 一通りの最強装備を揃え、レベルで言えば80は下らないように思える美青年。ザ・主人公という風貌はさすが勇者だと思えるものだった。

 一方の魔王は端的に言えば、世捨て人という印象だった。世を捨てたというのは、「世界を無に帰すのだ!」とか言ってる系ではなく、世間で生きることを諦めたという意である。全体的に汚らしく、取り敢えず髪を切って髭を剃れと女は言いたかった。


「違う……。私の知ってる魔王と違う……。蝿がたかってるけど、蝿の王(ベルゼブブ)ってそういう意味じゃないんだよ……」


 女は悲しい瞳のまま、次にそれぞれの経歴について目を通していく。神サマ視点で語られる簡単な物語形式になっていたので割と楽しく読み進め、そしてじわりと涙を浮かべた。

 勇者の辿ってきた奇跡はまさに王道。名だたる戦士だった父から教わった剣技を駆使して行先で人助けをしながら、女戦士、老魔法使い、女武闘家、遊び人、神官服の彼を仲間に加え魔王を打ち倒したそうだ。

 そして魔王はと言えば、魔族の冴えない男が突然魔王になったはいいものの、インドア派のせいで何をするということもなく家に引きこもっていた。「世界征服しなくてもいいのかい?」と聞く母親に「今計画してるとことなんだよ!引っ込んでろババア!」と怒鳴り散らしていたらしい。

 結果、勇者一行が家に襲撃をかけ、そのまま殺されてしまった。


「ああ、駄目だ。もう駄目だ。……ぐすっ、魔王ふざけんなよホント!お母さん……お母さぁん!」


 女は上を向いて歩きつつ叫ぶ。涙が溢れないようにである。ちなみに女が呼ぶお母さんとは女の母親のことではなく、前魔王の母親の事である。

 順調に旅を進めてきた勇者一行が最も苦戦したのは魔王の居場所を突き止めることだった。なんて事のない集落の一軒家に住む引きこもりを探し当てるなど、並大抵の事ではなかっただろう。それでも何とか魔王の居城(平屋建て)に辿り着いた勇者がドアを蹴り飛ばして中に押し入ると、魔王の母親は勇者の足元に縋り付いて息子を見逃すよう懇願したのだ。

 「お金でも命でも何でも払うから息子の命だけは!」と頭を擦り付ける母親を神官服の彼が蹴り飛ばすシーンは、まさに胸が締め付けられる思いだった。

 そしてラスト。竹槍の突き刺さった魔王の亡骸に寄り添って母親は慟哭し、息子へ謝罪の言葉をかけながら自らの命を絶つのだ。そこで女の涙腺はぐちゃぐちゃになっていた。引きこもりの魔王が微妙に自分と重なってしまう点も、女の感情移入っぷりに拍車をかけていた。残念ながら女は既に両親とは死別していたのだが、だからこそ親の報われぬ愛情というものに強い感動を覚えたのだろう。


「くそ!勇者許すまじ!人間死滅すべしぃ!うおおおぉぉぉ……」


 思わぬ形で魔王的な思想を抱きつつ、女はダダ漏れの涙と鼻水をスーツの袖で拭う。そして、袖がベトベトのテカテカになる。やらかした。そう思って女は真顔になる。ただでさえ着替えがないというのに、不用意に衣服を、それもとりわけ洗いにくいスーツを汚してしまった。

 再びため息をついて女は冊子に目を落とすが、そこで一つ不思議に思った。こんな余りに無害な魔王を、なぜ勇者は態々討伐しに来たのだろうか。しかも神サマの話を聞く限り、ここ数代の魔王はこれと同程度の酷さだったと思われる。それなら人間たちも「魔王が誕生した?ほっとけそんなもん!」という考えになるのではないだろうか。そんな疑問だ。


『いい事に気付いたな。教えといてやるか』

「うわっ!神サマ!」


 ブツブツとつぶやきながら考える女の頭に突然声が響き、女は驚く。干渉しないんじゃなかったのかと思ったが、女としても知っておきたい事だったので素直に耳を傾ける。


『まあ単純な話だ。新しい勇者と魔王が誕生する時期になったら、私が人々の認識を操作するようにしているんだよ。だから人間は今も魔王を恐れているし、魔物や魔族は魔王の誕生を心待ちにしている」

「意識改変……。そんな事もできるのですか。でも、そうでもしないとどうしようもないですものね」

『でしょ?その意識改変が強い魔王の誕生に繋がるかとも思ったんだけど、どうにも上手くいかなかったんだけどね。ま、そういうわけだから、戦力の調達は難しくないと思うぞ。魔王が種族の頂点に見合う実力者だった場合は、だけどね。弱いやつについて行こうなんて、誰も思いやしないから。そのためにも、強めの魔王を育ててねぇ〜』


 そうしてやはり一方的に会話は切られたが、情報は得られた。しかし、世界中の認識を好き勝手に変えるとは、さすが神サマの御技。その理由に納得はしたものの、やっぱりあの神サマは善神ではないなと女は思う。それでも一応自分に多少の配慮をしてくれているあたり悪神でもないか、とも思うのだった。

 しかし神サマ。またしても、必要な情報であるがこの世界で調べても知りようのない情報——女の身体に秘められた能力にについて伝え忘れていた。駄神と言われても文句は言えないだろう。この駄神!


 なんて事はまるで知らず、『勇者と魔王、戦いの全て』を流し読みながら女は足を進める。何度か躓きながらも獣道を踏みしめていたが、本を読む為に視線を下に向けていたため、女の地面に残された一つの痕跡に気づくことができた。


「これ……足跡?靴の形だ!人間の足跡だ!み、見つけた!」


 女の顔がぱっと華やぐ。視線を前へ向けると、その足跡は更に先へ続いていた。これを辿れば、きっと魔族その他の何かしらと出会えるはずだ。遠目に見てもし人間なら、さっさと逃げればいい。このチャンスを逃す手は無いと思った。

 女は逸る気持ちを何とか飲み込み、あくまで慎重にその痕跡を追い始める。少し前に雨が降ったのか地面はやや泥濘んでおり、足跡はしっかりと残されていた。邪魔な草をなぎ倒しながら、ずんずん進んでいく。慎重という言葉は既に何処かへ置いてきたようだが、幸い襲ってくるような何者もおらず、女は順調に進む。

 そうして三十分程歩いた頃、鬱蒼としていた木々が徐々に減り始める。森の端に近づいているのだ。そして追って来た足跡も、その森の外へと踏み出していた。

 女は未だ最初に見た怪鳥以外に異世界らしい物を目にしていないが、この森を抜ければ、きっと新しい世界が見えるに違いない。

 女はゲーマーだった。幼い頃から画面の中に広がる異世界に興奮し、感動し、その虜になっていた。女はそんな画面内の存在でしかなかったフィクション世界の中にいるようなものなのだ。後ろ向きな考えが取っ払われた女の心に満ちていたのは、少年のような好奇心と冒険心だった。

逸る気持ちはいよいよcan't stop. 自分の物語は今、この瞬間から始まるのだ!


 というところで、女の肩を叩いたのは“慎重”という言葉だった。一度は置いて行かれたものの、頑張って追いついて来たらしい。女は水を差されたような思いだったが、お陰で冷静になれた。ありがとう慎重。女は頭の中で礼を言う。


「前向きはいいけど、浮かれちゃあダメだな。うん。落ち着いて」


 脳内で反芻して呼吸を整えると、女は茂みに身を隠しながら光の刺す方向へ向かう。そしてついに、女は森の端へと辿り着いた。茂みから恐る恐る顔を出した瞬間、その目に世界が飛び込んだ。

 広がるのは、だだっ広い平原だった。高台、台地が点在しているものの、何処までも続いているのでは無いかと錯覚してしまうほどに広大だった。青い空の下、草木が青々と茂っている。女がずっといた森は平原を見下ろす丘の上に位置していたため、かなり遠くまでの様子を知ることができる。

 一番に目に入ったのは、遥か向こうに見える巨大な山。山頂付近は厚い雲に覆われ、そこ一帯に暗い影を落としていた。


「あそこ、絶対なんかいるって……。あれだ。序盤からずっと見えてるけど、終盤になってようやく行けるようになる系の場所だ」


 見てると何だかワクワクしてくる風景に女は拳を握り締める。そして次は平原の様子に目を向けた。

 そこには多くの生き物が彷徨いていた。馬や牛、山羊など、女にとって馴染みのある動物が草を食んでいた。そしてその近くにいる、やや馴染みのない動物。明らかに巨大すぎる馬。角が異常に鋭い牛。毛玉の化身のような羊。

 そしてそしてその近くにいる、まるで馴染みの無い、女にとってはある意味慣れ親しんだ動物。動物の毛皮などの粗末な衣服だけを身につけ、原始的な武器を手にした人型の生物。しかし鼻と耳は大きく、人間の子供程度の大きさ。そして、髪のない頭から生えた一本の角。まごうことなき——


「ゴブリンだ……。あれ絶対ゴブリンだ!ふおぉぉぉぉ……」


 慎重に行動すると決めたので絶賛マナーモード中の女は静かに興奮して打ち震える。ついに身をもって実感する異世界感に浸りながら、女は本来の目的を達する為、という名分で他に面白いものはないかと再び周囲を観察する。

 森の中から続いていた足跡は残念ながら草に紛れて消えてしまっていた。しかし、その足跡が向かっていたと思われる方向には台地が広がり、その上に幾つもの家屋が並んでいた。規模としては村程度のものだが、ゴブリンなどとは違う、より高度な文明が感じられる集落だった。


 女の判断は速かった。その集落を視界に入れるや否や、その方角へ向けて駆け出す。慎重という言葉はまたしても投げ捨てられてしまった。

 女は人肌が恋しかった。胡散臭い髭の神サマなどではなく、人間らしい人間との愛のある交流に飢えていた。愛を取り戻せ!


 というところで、再び女の肩を叩いたのは“慎重”の言葉——などではなく、現実の感触。何者かが女の肩を叩いたのだ。というか、ガッと掴まれた。

 あまりにいきなりの事で女は声もなく飛び上がると、すばやく振り返る。ヤバい。やってしまった。どうしよう。逃げられるかな。というひたすらの焦りが女の脳内で暴れまわるが、帰って来た反応はまるで想定外のものだった。


「ま、ままままってくれ!!こ、殺さないでくれ!」

「……ころ……?ん?」


 そんな謎の懇願と共に、女の目の前で一人の人間がひれ伏した。相手に取り乱されまくると、自分が冷静になるというのはホントなんだなあ、と思いながら、女は目の前で平伏する一人の人間を見下ろす。女が何も言わないでいると、その人物はそっと面をあげた。

 その人間は齢四十過ぎほどに見える男だった。短く整えられた髪は真っ白に染まっているが、おそらく元からその髪色なのだろう。ただ、その男の特徴の中で最も目を引いたのは、その肌の色だった。


(黒い肌……。茶色っ気もない。完全な黒だ。いや、濃いグレーくらいかな?いやいや、それはどっちでも良くて、これって人間の肌の色じゃないよね……)


 女が難しい顔で男を見つめる。男の蒼い双眸が怯えに揺れるが、その瞳も人間のものであるようには思えなかった。瞳孔の形が今の女と同じく、縦に長いものであったからだ。それらが意味することはただ一つ。


「あなた、魔族ですか?」

「ああ、そうだ。いや、そ、そうです……」


 震える声で男が答える。

 魔族。魔族なのか。魔族なのか!

 女は予想していたよりも簡単に魔族との接触を果たした。異世界でようやく何かを成し遂げたという達成感から女は拳を高く突き上げる。「私の人生に少しも後悔はありません」と口走りたくなるが、全くそんなことはないので止めておく。

 ただ、そんな女の足元で男は頭を抱え子鹿のように震えていた。掲げた拳が振り下ろされると思ったらしい。自分よりもふた周りほど年上の男のそんな姿は余りに見るに耐えず、女は静かに拳を下ろして男の背を撫でるのだった。

本筋に入るまで、もう少しかかります

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