ステップ1:まずは異世界へ行きましょう
女は目を覚ます。
白い光が目に飛び込んできた。もう朝かと思い、ゆっくりと身を起こす。女は現在大学生で一人暮らし中。ただしちょっとばかりサボり気味。
女はそれをいい事に夜通しゲームに興じていたのだが、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。折角目が覚めたのだから今日は講義に出ようかと気まぐれに思いながら、女は寝ぼけた目をがしがしと擦る。
しかし、どれだけ擦ったところで女の視界は開けず、見える景色はただただ真っ白なままだった。流石に何かオカシイと女は思う。もしかして突発性の目の病気か何かではないのか。冗談じゃない。それでは自分はこれからどうやってゲームをすればいいというのだ。
なんて愕然としかけたが、普通に自分の体を見ることはできた。手も足も灰色のスウェットも、くたびれた着る毛布もハッキリ確認できる。下を向いた時に長い黒髪が垂れて視界に映るが、それもいつも通りだ。
なんだ全然大丈夫じゃないか、と女は安堵するが、そうなると今度は自分のいる場所が問題になる。この真っ白な空間は一体何なのだ。先ほどよりも更に混乱は増す。やけにハッキリしている女の五感が、これが夢ではないといことを脳に強く訴えかけてきていた。受け入れがたい現状に吹っ飛びそうな頭を押さえつけながら、女は深呼吸を繰り返し、何とか落ち着きを得ることができた。そして、とりあえず調べてみようと決めた。
女は以前にプレイした、真っ白な空間にインクを投げて塗りつぶしていくゲームを思い出しながら、ゆっくりと立ち上がる。そしてキョロキョロと周りを見渡してみる。しかし、その世界には自分以外誰もいなかった。というわけで——
「……そうか、私は選ばれたのだな。荒れ狂う戦乱の世を生きぬけと、お前はそう言うのだな。いいだろう。お前がその気——」
「その通りだ。よく分かったな」
「うああああああああああ!!!!」
突然聞こえた男の声に、女は驚き飛び上がる。そして着地するなり蹲る。誰もいないのをいい事に取り敢えず言ってみたそれらしいセリフを聞かれていた羞恥ゆえである。しかし、そのセリフは実際の状況と絶妙にマッチしていた。男はそのセリフを妙だと思うどころか、状況理解の早さに感心しているくらいであった。
「なに、そう畏まるな。表をあげい。大丈夫、今日は無礼講にしとくから」
男は実に上から目線の言葉をかける。女が自分に対して平服しているのだと思ったらしい。普通なら行き着かない思考だが、男は男の中でもかなり偉い男だった。相応のプライドは持ち合わせているのである。しかし、言われたままに顔を上げた女の目に映った男の姿は、実に胡散臭そうだ。髪はそれほど手入れされておらずボサボサ。そのくせ、チョロっと蓄えた顎髭はシャープに整えられていた。クッション性の高そうな椅子に座り、身体をすっぽりと覆う白いマントのようなモノを身につけている。そんな男に女が抱いた第一印象は、“近所の床屋に来たおっさん”であった。
「どうした、目が濁っているぞ」
「あ、いえ、何でもないです」
「そうか。まあ、神サマを目にした時の人間の反応というのは千差万別だからな。とりあえず、話をしようか。お前も粗方察しているようだが、念のためにな」
「あ、えっと……はい」
いま神サマって言わなかった?ていうか微塵も察していないんだけど?と聞きたいことは山ほどあったのだが、説明してくれるなら別にいいやと、女はあらゆる質問を飲み込んだ。女は流れに身をまかせるタイプだった。ノベルタイプのゲームでは自動のセリフ送りを多用するくらい流れていきたいタイプだった。
そんな女の心のうちは知らず、神サマは一から説明を始める。
「これからお前には私の管理する世界へ行ってもらい、そこであることを成してもらいたい。お前の暮らしていた世界とは全くの別世界だ。そこでは勇者と魔王の戦いが幾度となく繰り返されている。だが最近、魔王が弱すぎて勝負にならない。そこで、お前を呼んだわけだ」
「はぁ」
「お前はいわゆるゲーマーというやつだろう?これまで色んな魔王と戦ってきた経験があるわけだ。ゲームの中でな」
「まあ、そうですね。人並み以上には」
女が頷くと、神サマは視線を女の少し上へ動かす。というか、ゆっくりと上体が倒れている。あ、その椅子リクライニングついてるんだね。益々床屋にしか見えなくなった。
人と話をしているのに何を寛いでいるんだと女は若干の苛立ちを覚えるが、神サマの語る話の続きに耳を傾ける。
「私は考えたわけだよ。この状況を打破するには魔王を強くするしかないとな。だから、お前には以前のように強くて威厳ある魔王を育ててもらいたいのだ。教育係という事だな。引き受けてくれるか?」
「はぁ。……て、えええええええええ!!!!」
適当に話を聞いていた女は、そこで驚愕の大声を上げてしまう。ある程度想定していた反応ではあるので、神サマはうんうんと頷いていた。
「うんうん、分かる、分かるよ。神サマから直々に命じられる名誉という、降って湧いた幸運に驚いているんだね。でも大丈夫。心配ないから」
何も分かっていなかった。流石の女もこのまま流されていてはマズいことになると思った。満を持して質問しようと、ズバッと挙手する。
「し、質問してもよろしいでしょうか」
「ああああ、ううんん。べべつつににかかままわわんんよよ」
神サマの声がガクガクと震えていた。というか、全身をガクガクと震わせていた。ドコドコドコドコという何かを叩く音。完全にマッサージチェアだった。やけにふかふかな椅子だと思ったら、ああ、なるほど。と、納得しつつ、一応了承は得たので積もり積もった質問をぶつける。
「あの、最初に聞いておきたいんですけど、私はもしかして死んだんですか?」
女にとって、やはりそれが一番に知りたい事であった。今のこの状況は、女が慣れ親しんできたライトノベルでよく見る、“異世界転生”とよく似た状況であるからだ。即ち自分は元の世界で死んで別の世界で生まれ変わろうとしているのではないだろうかとの推測を立てたのだ。心配になっている女の問いに神サマは答える。
「いいやや、おおままええははまま「鬱陶しいので、それ止めてもらっていいですか」……ああうん、ごめん。で、お前が死んだかどうかだけど、お前はまだ死んじゃあいない」
「あ、そうなんですか」
サラリとした答えで女の心配は杞憂に終わった。ならば“異世界転移”ということか。となると、いずれは自分が元いた世界に戻ることも可能というわけだ。女がそれについても神サマ尋ねてみると、
「勿論、仕事が終われば元いた世界、元いた時間に返してあげる。何年もかかる仕事だが、年齢もそのままになるようにしている。お前の人生の妨げになるようなことはない」
との回答を得た。女はそれに胸を撫で下ろす。もし帰れないとなれば、これから発売する数々の新作ゲームがプレイできなくなるところだった。女の元の世界では新たな家庭用ゲームハードが発売されたところで、ゲーム業界全体が非常に盛り上がっているのだ。女にとっては死活問題であった。
一つ安心できたことで異常な状況に置かれていることによる緊張も徐々に解け、女はさらに質問を続ける。
「神サマは何故、勇者と魔王の戦いを続けさせたいのですか?」
「いい質問だな。 私たち神サマが世界を運営していくにあたって、膨大なエネルギーが必要になるんだ。位置エネルギーだか光エネルギーだか、人間が名付けた色んな名前のエネルギーがあるだろう?その根源は神サマが世界に振りまいてるエネルギーなわけだ。他にも、世界に良からぬ事が起きようとしている時、それを収めるためにも使ったりするな」
「なるほど」
「そのエネルギーの供給方法は世界や神サマによってことなるが、私は意志と意志のぶつかり合いの中に生まれる力を世界の運営にあててるんだよ」
「それが勇者と魔王の戦いだということですか?」
「ざっつらいと。世界を安定させるために、戦いを演じてもらってるわけだ」
それは何とも神サマ勝手な話だと女は思う。神サマも世界を回すためにやっていることなわけだが、一人間としては腹に据え兼ねる話であった。それでもやはり自分の本来の世界とは関係ない、言わば他人事であるということもあって、女が神サマに意を唱えることもなかった。
しかしその話を聞いて、神サマが勇者と魔王の戦いに拘る理由はわかった。そして、魔王を強くしてくれと頼む理由も。意志と意志がぶつかってエネルギーが生まれるのなら、実力はある程度拮抗している方がいい。少なくとも勝負にはならないのでは意味がない。そういうことだ。
「でも、そんなに酷いのですか。勇者と魔王の実力差というのは」
「ヒデェなんてレベルじゃあねえよ!マングースにドラゴンぶつけるようなもんさね!あれじゃあ、みんな納得しねえよ……」
「ん?みんな?」
反射的に声を張り上げる神サマの言葉の端に違和感を覚えた女が首をかしげると、神サマはしまったという表情で口を覆う。が、一度聞いてしまったものを聞き逃すわけにはいかない。
「みんなってどういう意味ですか?もしかして、勇者と魔王の戦いを誰かが見てるってことですか?」
「ああ、いや、うん。それはね、言葉の綾っていうか、えっと…………そうだよ!この繰り返される戦いは数多の神サマの見世物にもなってるんだよ!ついでに、どっちが勝つかの勝利予想で賭け事もやってるよ!」
開き直って踏ん反り返リクライニングしている神サマを女は白い目で見つめる。この神サマは少なくとも善神じゃない。ちょっとやる気になりかけていたが、女は堪らなく帰りたくなってきた。そんな女の心情を察して、神サマは慌てて弁明を始める。
「違うぞ?賭けてるのは金じゃあないぞ?さっき話した、世界運営のためのエネルギーをやり取りしてるんだよ!これも、世界を潤わせるための、私なりの策なんだよ!というか、お前の世界の神サマ、あの四文字の彼も熱心に参加してるんだぞ?」
「マジですか」
「マジもマジ、大マジだっての。毎回欠かさず参加してるし、前もエネルギー大量に賭けて大負けしてたんだから。確かその時だったかな、お前の世界で大っきな戦争があったの」
「……マジですか」
「マジマジ」
神サマは創作上の存在であると考え、宗教にはてんで興味がなかった女だったが、このとき神サマを信じていなくて幸運であったと心底思った。唯一神がギャンブル魔であるなどと聞けば、敬虔な宗教家は憤死、あるいはショックで吐き散らか死しているところだろう。
そして女の中で神サマ全般への不信感が更に積もる。口に出さずとも、それが目に現れていたようで、神サマは慌てて倒れた背もたれから身を起こす。
「いや、待ってくれって!今回の件、お前んとこの神サマも一枚噛んでるんだよ。さっきの賭け事で負けたせいで四文字君は私に借金、というか借エネルギーがあるから、色々手を貸してくれてるのよ。上手くいきゃチャラにしてやるって約束してんのさ」
「はい」
「う、うん。だからさ、これが上手く行かないと、お前の世界は世界運営のエネルギー不足で平幸せにならねえんだよ。最近お前の世界が不穏だなんだって騒がれてるの知ってるんだぞ?」
「え、それもエネルギー不足のせいなんですか?」
「そ、そうそう。デカイ地震が起きるのも、不動産王が大国のトップになったのも、北の国が兵器作りまくってるのも、バンドマンが不倫しまくってるのも、全部エネルギー不足のせいだからさ。いいのか?ICBMが東京に直撃、悪魔蔓延る都市に……ってなるぞ?」
「う、うーん……」
悪魔だとか、そんな目が点になってしまうような話はともかく、まさか自分の世界の平和にまで話が飛ぶとは思っておらず、女は考え込んでしまう。女の幸せは今のような暮らしやすい日本に引きこもり、ゲームをしながらのんべんだらりと暮らすことにある。
しかし、自分が並の大学生であると自負している女は、現在の穏やかじゃない世界情勢についてもある程度は知っている。数十年もせずに日本を大地震が襲うかもと学者が騒いでいるのも知っている。この顎髭の神サマの言っている事が真実ならば、近い未来、それらが自分の幸せを害しかねないわけだ。
だが、自分の頑張り如何によってはそういった懸念事項を取っ払えるかもしれない。それは悪くない話なのではないかと女は考える。
「ど、どうだ?やってくれる、か?」
揉み手をしつつ、神サマが女の様子を伺う。人間のご機嫌を伺う神サマとは何とか悲しいことか。その甲斐あってというわけではないが、女の思いは少しやる方に傾き、今は五分五分というところだが、未だ踏ん切りがつかない。女の決心を鈍らせている懸念事項が一つあった。
それは単純なこと。ズバリ自分の身の安全だ。自分の世界は良くなってほしいが、それに命を賭けるなんて気はさらさらない。女は生活費のためにバイトこそしているものの、基本的に働きたく無かった。ゲームの中でさえ、ジョブとかいうワードが出るたびにビクっとする日々だった。女は現在、大学三回生。もうすぐ就活であった。「このまま異世界に行けば就活しなくて済むなぁ」とか思ってしまうほどに末期症状だった。
しかし、そこで女の頭に電撃走る。脳内の全てのニューロンが仲良く手を繋いでマイムマイムを踊るような感覚があった。そうだ、思うだけでなくそうすればいいじゃないか。もしこれが可能なら、自分の今後の人生はワンダーランドではないか。楽園、ユートピア、アウターヘブン、呼びかたはなんでもいいが、待つのは幸せな世界。今の自分が直面している問題はサッパリ解決するではないか。
そう考えた女はウッキウキで神サマに一つの提案をする。
「もし私が満足のいく結果を残せた場合、一つだけ私の願いを叶えて貰えますか?」
「ね、願い?悪いけど、お前の元の世界に干渉するのは私には無理だ。大金持ちにしてくれと言われても叶えてやれんぞ?」
「いえ、そうではなく、私にこれから行く世界と元の世界を自由の行き来する力を下さい」
「なに?」
思ってもみなかった願いに神サマは目を見開き、女はニヤリとわらう。
女の考えはこうだ。自分はこれから魔王を育てる。そしてその魔王の育成が上手くいけば、いずれ魔王は世界を征服することになるだろう。そうすれば、世界にある大概の物は手に入る。自分は魔王の権力を利用してあらゆる物を集め、そこで一度元の世界へ戻り、それらを売り払う。稼いだ金で欲しいもの(大概はゲーム)を買う。そして再び異世界へ戻り、魔王の権力の傘の下でのうのうとゲームをして暮らすのだ。生きるために必要なものは魔王が何とかしてくれるはずだ。自分は後の人生、働かずにパラサイトするだけでいいのだ!
完璧だ、自分の憂いはこれで晴らされる。女は弾けまくりの自分のシナプスに労いの言葉を送る。しかし、女が元々考えていた「私の命がやべえ」という懸念事項はサッパリ払拭されていない。普通じゃない状況で女の思考も少なからず普通とバイバイしており、それにまるで気づくことは無かった。
自分のお願いを通すため、女は伝家の宝刀上目遣いを人生で初めて抜きはなち、神サマをじっと見つめる。消費者金融のマスコットの気持ちになって見つめるのがポイントである。
もっともそんな稚拙な策は神サマには特に効果が無いのだが、その必死さには何か思うところがあったようだ。それに引き受けてくれる方向に話が進んでいるのだから、神サマにとっては好都合である。女の黒飴のような瞳をじっとりと見つめてから、大きくため息をついた。
「まあ、いいだろう。多少の制限はつくかもしれないが、その願いを叶えると約束しよう。四文字君にも話をつけておく」
「ホントですか!さすが、神サマですね!あ、肩とか揉んどきましょうか?」
「い、いや、いい」
今度は女がご機嫌を伺うが、神サマは遠慮して女を遠ざける。流石神サマ、慈悲深い。揉みてしながら擦り寄る女が気味悪かったから突き放したわけではない。決して。
「まあ右翼曲折あったが、とりあえずやってくれるってことでいいんだな?」
「はい、やらせていただきます」
「よし!ならば早速出発しよう。詳しい説明は世界に送り込んでからにしよう。実際に自分の目で見てからの方が飲み込みやすいだろうしな」
「わかりました。よし、待ってろ異世界!征服!蹂躙!してやるぞ!」
力強く頷いて物騒なワードを叫ぶ女に神サマは本能的な不安を感じてしまうが、気休め程度に耳を塞ぎながら女へ向けて手をかざす。掌が強い光を放つと、女の体もまた光に包まれていき、足元から光の粒子となって溶け出していった。ゆっくりと湯に浸かるような不思議な感覚に囚われている間に、女の姿は真っ白な空間から跡形もなく消え去った。
「ふう、転送完了。あー、やれやれ。何か厄介なヤツを選んじゃった気がするが……まあ、どうにかなるだろう。あいつが異世界につくまで、ちょっと一服」
これといって何もしたわけでもないが、神サマは何故だかすごく疲れていた。椅子を倒して深く沈み込み、スイッチを入れる。神サマの背中のコリをほぐさんと、マッサージチェアが奮闘し始めた。
ドコドコドコドコドコドコドコドコ
一挙四話投稿と言って置きながら投稿を忘れる失態




