9 任命しましょう
「≪ファイア≫」
トーマスの言葉に呼応して、彼の手から拳大の火の玉が出現した。ダニエラが「おお」と小さく感激の声を漏らす中、火の玉は枯れ葉の小山を着火させる。ダニエラがそこに燃料を焚べていき、それなりの大きさの焚き火となった。
「それ、燃やしても良いのですか?私の目には貴重な物のように見えるのですが」
「問題ありません。むしろ燃やしてしまった方がよいのです」
トーマスにそう返しつつダニエラが焚き火に放り込んでいるのは彼女の部屋着の残骸であった。先のいざこざも、全てこの部屋着のせいである。ズボンの内の空いた空間にソワソワしっぱなしであるのも、全部こいつらのせいだ。後者に関しては完全に自分の失態なのだが、ダニエラはそんな恨みを晴らすかのように部屋着を破っては火に焚べていった。
一騒ぎ起こした集落を脱した二人は今、再び元いた森へと戻ってきていた。しかし、すっかり日も暮れてしまっていたので、一先ずここで夜を明かそうということになったのだ。
「それで、トーマスさんの目的はこれで達成ということでいいですか?」
「そうですね……。聖剣を持っていること。かなりの剣術を扱えるということ。その他、彼が口にしていたあれこれを持って帰れば、バルドーという男を探る調査としては十分でしょう」
「そうですか、それはよかった」
とは言いつつも、ダニエラはあることを考えていた。それは、彼女がこの世界へやってきた目的。魔王の任命と、その育成だ。異世界で二度目の夜を迎え、現実離れした光景にも適応し始めた今、それについて今一度考える必要があった。
(それで気になるのは、やっぱりアレだよね。バルドーが斬りかかったとき、なんで私たちは無事だったのか)
剣が身体を通り抜ける明確な感触があったにもかかわらず、トーマスもダニエラも全くの無傷であった。その理由は未だ明らかになっていないが、ダニエラはそれが気にかかっていた。
しかし、考えられる可能性はそう多くはない。斬られた対象である、トーマスかダニエラ。二人のどちらかが何かをしたのだ。傷を負った時、それを無効にするような力かバリアーかA.T.フィールドか何かしらの力を発動させたのだ。
勿論、ダニエラにはそんな事をした覚えは微塵もない。そのバリアーが自動で発動するものである可能性はあるが、ダニエラはこの世界ですでに傷を負った経験がある。素足に刺さった小石。斜面をローリングした時の無数の傷。もし自動バリアーなら、その時にも発動したはずだ。ダニエラはそのように推理する。
(なら、可能性は残り一つ……。トーマスさんが、実はすごい力を持っていたということ!なんという事でしょう!)
ダニエラは気づいてしまった事実に興奮する。冴えない空気の漂う男が、実はスーパーヒーロー!というのはアメコミ界の王道であり、ダニエラはそういった王道が大好物であった。それだけで白米二杯はいけた。何のオカズなしでも一杯はいけた。
残念ながらダニエラの推理には穴があったりするのだが、彼女は既に自身の推理が正しいと信じ込んでしまっていた。そしてその推理に従って、彼女は一つの大きな決断をする。今後数年、数十年に渡る運命を定める、大きな決断を。
「トーマスさん!」
「は、はい!」
いきなり立ち上がったダニエラに、トーマスは飛び上がる。それも御構い無しにダニエラはトーマスへと躙り寄り、ずいっと顔を近づけた。
「すいません、トーマスさん。私は貴方に嘘をついていました」
「う、嘘、ですか……?」
「私は自分が記憶喪失だと言いましたが、少し違います。私は与えられた使命を果たすため、この世界へやってきたのです」
「世界?使命?いったい何が何だか……」
理解が追いつかず、目に見えて混乱するトーマス。しかしダニエラはそれも御構い無しだった。トーマスの困り顔をずびぃっと指差し、高らかに宣言する。
「キミにきめた!」
それと同時。トーマスの全身が雷に打たれたかのように跳ね上がり、凄まじい光が溢れ始めた。しかしそれは、眩い光などではなかった。地獄を煮詰めたような、禍々しき黒い光だった。 まさにこれぞ、世界に破滅と混沌をもたらす魔王の誕生の光景と言えるものであった。
「ふ、ふふ、ふははははははは!フゥーハッハッハ!」
その光を浴びつつ、ダニエラはマッドサイエンティストの如き狂気的な高笑いを響かせる。ここは森の中。人目を気にしなくてもいいということもあり、ダニエラは存分に悪役気分を堪能するのだった。
♢
『と、いうわけで。魔王が見つかってよかったね、おめでとう』
「はあ、どうも」
そんな魔王の任命から幾らかの時間が過ぎた夜半過ぎ。ダニエラは神サマとの脳内交信を行なっていた。
あれからもダニエラは思いつく限りの悪役ごっこを続けていたのだが、いつまで経ってもトーマスの放つ光は収まらなかった。悪役ネタも尽きて、今度は『でっでっでっでっでっでっでっでー』からの『てーてーてーててててっててー』という一連の進化BGMを脳内再生しつつ見守ってみたりもしたのだが、それでも光は収まらなかった。
そうしていい加減飽きて来た頃、突然神サマからの声が届き、今に至るわけである。
「おめでとうってことは、トーマスさんがずっと光っているのは別に問題ないんですか?」
『大丈夫、別に蛍の形態模写とかじゃないから。魔王になるってのは言ってみりゃあ、新しく生まれ変わるってことだからねぇ。それ相応の時間がかかっちゃうのよ。大昔に一回だけ、その間に肉食の魔物にガブッといかれちゃった魔王がいたっけねぇ……。今となっては笑い話だけど』
「笑えねえよ。笑ってんじゃねえよ。そこらへん、トーマスさんは大丈夫なんでしょうね?」
少し不安に思ったダニエラが神サマへ尋ねると、神サマは何ということもないように軽く返してくる。
『だぁいじょうぶ。そのためにお前がいるんだから』
「……え?それって肉食系が来た時、私が身替わりになれってこと、だったりします?」
『んなワケねえだろ。並の魔物なら、お前を怖がって近寄って来やしないからな。そういう意味だ』
「そういう……どういう?」
ダニエラは首をかしげる。神サマの言葉の意味することが彼女には理解できなかった。ただ、神サマもダニエラのそんな反応が不可解だった。そこで一つの可能性に思い当たった神サマは、やや恐る恐るという様子で問いかける。
『もしかして、お前……気づいてないのか?』
「何にですか?」
『……さっきバルドーとかいう男に斬られた時、なんで無事だったと思う?』
「え、そりゃあトーマスさんが何らかの能力を——」
『ちがぁう!』
怒鳴られた。ダニエラは思わず飛び上がるが、まだ分かっていない様子。神サマは『やれやれ』と大仰にため息をつき、丁寧に説明することにした。
『いいか、トーマスはお前に会った時、『殺さないで』って怯えてただろう?あれはどうしてだ』
「私の目つきが悪かったからとか、トーマスさんが特別気が弱ってたとか」
『はいそこ違う。正解は、『お前の持っている力が膨大すぎたから』だ』
「んん〜?……あれ、そう言えばトーマスさんにそんな事言われたような気が」
『気がするんじゃなくて言われてたからな。その言葉をスルーできたお前に驚いてるよ、私は』
神サマがまたしても大きなため息をつく。ダニエラはそれらの話を呆けた顔で聞いていたが、一瞬遅れて驚きの絶叫を上げた。神サマは思わず耳をふさぐ。
「え、え、え、じゃあ、私って、つ、つ、強いんですか?」
『強いぞ。勇者くらい目じゃ無いぞ。倒しちゃダメだけどな』
「じゃじゃじゃあ、斬られて無事だったのって私の力だったり……」
『するぞ。お前に与えた≪適応≫の力のおかげだぞ。よかったな』
そうして神サマは満を辞して、ダニエラに与えられた力の説明を行う。
曰く、ダニエラにはこの世界で最高の魔力が与えられており、その気になれば究極の攻撃魔法でも何でも使えるらしい。白魔道士を犠牲にして手に入る二作めのではなく、ちゃんと強いやつである。
しかしそれよりも特筆すべきは、神サマが口にした≪適応≫の力の存在だ。
『≪適応≫とは読んで字のごとく、自分及びその周囲の物をあらゆる事象に完全に適応させる力だ。能力を発動させるには、その事象に対して意識を向けるだけでいい』
「それが、斬られても無事だった理由ですよね?≪適応≫って、そんなことにも効果があるんですか!?」
『斬られても殴られても刺されても全部通り抜ける。効果範囲は周囲の物にも及ぶから、服も無事。傷を負わなくても丸裸にされたら困るだろうからな。今回はその範囲内にいたトーマスも力の恩恵を受けたようだが』
なんだそれは。チートもいいところじゃ無いか。中学生の妄想でも、もうちょっと凝った設定だろう。ピンチにもならないから、ドラマも生まれない。もしこの能力を小説の主人公に与えたりすれば、明らかにチョイスミスだろうと総叩きにされるに違いない。
だが、自分は主人公でも何でも無いので別に構いやしないとダニエラは思った。寧ろ大歓迎である。生き残るために修行編突入とか、ダニエラとしては絶対に避けたい展開だったので。
そしてその能力を踏まえて考えると、納得できることもある。例えば言語。日本語しか話せない、日本語もちょっと話せないダニエラが異世界人とまともに会話できていたのは、この能力によって相手の言語を自分に適応させ、聞き手を自分の発した言語に適応させていたからというわけだ。
ダニエラはそこまで思考が行かなかったが、異世界に放り出されて打ちひしがれていた彼女がこうして気を取り直しているのも、≪適応≫の能力の恩恵をであったのかもしれない。
「あれ、でも私はこの世界に来た夜、普通に怪我しましたけど。服も破れましたし」
『そりゃ、あれだ。怪我の原因をお前が意識できていなかったからだ。事故とか不意打ちとか、そういうもんには発動しないんだよ』
「え……それって大丈夫なんですか?」
『大丈夫だ。お前に流れる膨大な魔力は傷を見つけた瞬間から修復を始める。実際、お前にはもう傷とか残って無いだろう?』
「あ、ほんとだ……」
『気づけよ、バカ!』という言葉を神サマは飲み込む。一々そんなことを言っていれば、永遠に言い続けなければならないような気がしたので。一連の会話の中で、この言葉を言うべきタイミングはすでに二、三回ほどあったので。
「で、何でソレを今になって言うんですか?」
『うん?』
「いや、私に色んな力が備わってるのは理解しましたし受け入れましたけど、なんで今までそれを教えてくれなかったんだろうと思ったんですが」
『あっ。ああ、あー、そうだね。あれだ、忘れてた。言わなきゃとは思ってたんだけど、いつも忘れちゃってて——』
「気づけよ、バカ!」
『な、何だと……』
まさか、この女から言われてしまうとは。神サマにとって、この上ない屈辱であった。『お前も気づけよ!』と言い返すこともできたが、元を辿れば全て自分の失態でしかない。投げた言葉がブーメランとなって自分の首をはね落とすのは目に見えていた。
故に神サマが状況を打破するためにとった行動は、苦し紛れの話題転換だった。
『ああ、そう言えば、トーマスの覚醒はもうすぐだぞ。まあお前が選んだんだから、最後までちゃんと面倒見ろよ。道のりは険しい道のりかもしれんが、まあ勇者が成長するまで十数年あるし、何とかなるだろう』
「話を逸らさないで……険しい道のり?」
ダニエラは神サマの言葉のそこが引っかかり、改めて考え直してみる。自分がトーマスを魔王に任命して理由は何だっただろうか。それは、バルドーを退けたのがトーマスの力だと思ったからだ。「最初からある程度強い人を魔王にすれば、手間もそんなにかからないよね!」と考えていたが故、ダニエラはトーマスの能力に目をつけて魔王に選んだわけである。
しかし実際は、その力はダニエラ自身のものであった。トーマスにはこれといって特別な力はない普通の魔族。いや、彼の気の弱さから察する限り普通よりも弱いと思われる。
そしてダニエラはこれからそんな彼を、世界征服を目論む悪の魔王、勇者を倒してダニエラを養ってくれるくらいの最強魔王に育てねばならない。それを険しい道のりと言わずして何と呼ぶのだろうか。
ダニエラは確信した。やらかした、と。
「スタァァーップ!待ってトーマスさん!やっぱなし!BBBBBBBBB!」
魔王へと進化を遂げようとするトーマスを必死に止めるが、神サマの言う通り、トーマスの覚醒はもうすぐ、と言うか丁度その瞬間だった。
ダニエラが駆け寄るよりも早く闇色の光は霧散し、そこにトーマスがバサリと倒れる。そんな彼の額には、これまではなかった奇妙な紋様が浮かび上がっていた。アルファベットのMのようにも羽を広げた蝙蝠のようにも見える紫の光が、彼の黒い肌の上でもハッキリと確認できる。ダニエラは察した。コレ、魔王の紋章か何かだと。
ダニエラは駆け寄る勢いでつんのめり、立ち上がったトーマスの足元に手をついて倒れる。そんな彼女の姿を見ながら、トーマスは首をかしげた。その眉は相変わらず下がり気味で、魔王らしい覇気などはまるで感じられない。しかし、彼が今代の魔王で、魔族を引き連れて勇者と戦う先陣に立つ男なのだ。この瞬間、それは揺るがぬ未来となってしまったのだ。
そして、その責任は全てダニエラの両肩にうず高く積まれている。あまりの重さに立っていられず、ダニエラはトーマスの足元の地べたに這いつくばるしかなかった。
そしてトーマスには、今の状況がさっぱり理解できず、ただ立ち尽くすしかなかった。
側から見ればその光景は、降臨した魔王と足元にひれ伏す従者の姿に見えたかもしれない。
しかしこの光景を見ているのはただ一人、天上の神サマだけである。自分の失態への追求を何とか逃れられたことに安堵している、器の小さい神サマだけである。
なのでその光景は、困惑するなんちゃって魔王と打ちひしがれる間抜けな異世界人の姿以上のモノにはなり得なかった。こんな光景から、魔王による世界征服は始まってしまうのだった。
以上が、ゲーマー女ダニエラによる魔王マネジメント計画の序章である。未だ魔王の脅威とは無縁のこの世界に、魔王の世界支配による混沌と破壊が訪れることはあるのだろうか。それは神のみぞ知る——いや、神サマも知りはしない。そんな予見ができれば、神サマははきっと、彼女にマネジメントを頼もうなんて思わなかっただろうから。
というわけで一区切りです。
一応続きのストックはあるのですが、中々モチベーションが続かないのでお蔵に入るかもしれないです。
ともあれ、ここまでお付き合いありがとうございました。