奴隷
『名無し』は生まれながらの奴隷だ。そうなったのは、どうやら自分の両親に関係するというが、彼にとってはそのようなことなど気にする必要などない。一番必要なのは、今日を生きる。ただ、それだけ。
小さい頃に奴隷としての烙印を背中に焼かれて以来、自分にはもう自由がないと考えてからは主に仕えている。首には漆黒の首輪を付けており、これがある人は奴隷であることをいつの日から、知った。
毎日重労働させられ、得られるのはほんの少しの食べ物だけ。味すらもしないスープと硬くて小さなパンを一日二食しかもらえない。
もしも主の気に障るようなことをすれば、徹底的に鞭で叩かれる。そんな目に遭う彼らをたまに目にしていた彼は、自分はそうならないために毎日頑張った。
だが、ある日。
奴隷解放などということを掲げる聖女のせいで、主はひどく焦り、彼女を殺すために用心棒や傭兵を雇い、その間に奴隷たちを隔離しようとしたがそれは失敗に終わる。奴隷たちはいままで押し殺していた怒りを爆発させ、主と彼を守るために雇われていた用心棒を撲殺し、蜘蛛の子を散らすように逃げた。
聖女の奴隷解放はいまだに続いているのか、耳を澄ませば彼女の名前を熱く語り合う市民たちの声が聞こえている。どうやら、今度は鉱山で働く奴隷たちを解放させるために聖女は動いているという。
ごくろうさまだぜ、聖女様よォ。
「まァ、オレには関係ないことだ」
無精髭を生やした『名無し』はスラムにあるゴミ捨て場を漁り、今日の朝飯を確保しようとしていた。運がよければ、今日の夜と明日の朝まで確保したい。この前は骨付き肉が半分ほど食べられているのを発見して、空腹に耐えることができずに全部食べてしまったことがある。
あれほど腹が膨れるほどうまい飯を捨てたのは、きっと金持ちの貴族に違いない。またはどこかの酒場で、男どもが酔っぱらって喧嘩したせいで余ったそれを捨てたかもしれない。
顔をしかめるほどの生ごみの臭いに慣れてしまった『名無し』は木の棒でゴミを漁り続けていると、黒く焦げた半分ほどのパンを見つけた。触ってみると硬くなっているけれども、食べられないわけではない。他にもないかと探すが、何も見つからない。
「っち。こんだけかよ」
悪態をついて、硬いパンをかじる。味わうようによく咀嚼し、それを腹の中に収めながらゴミ捨て場の壁に寄り掛かって青空を見上げる。澄んだ青空には、鮮やかな朱色の鳥が飛んでおり、思わず手を伸ばしてしまう。
――オレにも翼があればいいなァ
ずっと奴隷として生きていた『名無し』には自由などない。
おかげで重労働ばかりの日々を終えたけれども、首輪だけは外せないから『名無し』はいまだに自由になれていない。これがある限り、ずっと奴隷であると彼は思いこんでいる。
もしも、人に翼があれば――あの鳥のように気持ちよく空を飛べただろうか。こんな糞溜めみたいな場所から逃れることができれば、どれほど心地よいのか、想像しただけで楽しくなってしまう。
でも、現実は残酷なもので人は飛べることさえできなければ、水の中で息継ぎすることもなく深くは潜れない。
けれど、風の噂で聞いた話ではとある発明家が本来人が到達できない場所へと届かせるような何かを作っている。それはそれで面白そうだ。
が、『名無し』にとってはどうてもいい。
「さァてと、さっさといい寝床でも見つけて、うまい飯にありつけて、いつかはべっぴんさんを味わってみたいもんだ」
いまを生きるのに精一杯の『名無し』は今日も、明日も、明後日も変わることのない日々を続ける。もしも、何かをきっかけに自分の人生が変化してしまう出来事が起これば、ぜひやってみたい。
胸にそのようなことを抱きながら、『名無し』は無精髭を撫でながら今日も生きる。