第1章 厄病神と裸足の幽霊-5
「八重垣麻衣さんが―――――」
何分、いや何秒かもしれない。
その名を聞いた瞬間、再び現実の世界に引きずり戻された。それはラジオのニュースから
だった。
勝弥はCDラジカセにかじりついた。しかし、その名前が読み上げられることは二度とな
かった。すでにちがうニュースを読み上げている。
聞き間違いだったのか?
「センパイ、今のニュース何言おうたか聞いとった?」
「あー?」
少しご機嫌ななめな祥子が読みかけの夕刊を閉じる。
「誘拐なのか、神隠しなのか。最近、連続して女性が行方不明になるっていう事件が頻発し
てんのよ。こういうのがうちに依頼でもくればねー、ちっとは懐も暖かくなるんだけど。
ほら」
祥子が夕刊を投げつけてくる。それを受け取った勝弥は、女性連続行方不明事件と書かれ
た見出しの記事を読む。
確かに八重垣麻衣という女性が一週間前から行方不明になっていることが書かれている。
が、勝弥は記事の横に載っている小さな写真を見て安堵の息を漏らす。
その写真の女性は勝弥が知っている八重垣麻衣とは全くの別人だったからだ。
写真の女性は遠慮なく言わせてもらえば、デブの類に属する。しかし、勝弥が知っている
八重垣麻衣は、勝弥サラサラストレートのロングヘアで大きな瞳をした細身な少女だ。そし
て、何よりも笑顔がかわいかった。性格は明るくて面倒見も良く、一歳年上のあこがれの近
所のお姉さんだった。麻衣と同じ高校に進学することはできたものの、麻衣の卒業と同時に
勝弥の初恋は告白することなく終わりを告げたのだった。
「そういえば、一つ下にそんな名前の子がいたっけ?」
「センパイも知っとたんか? 麻衣姉のこと」
「まあ男子にけっこう人気があったからねぇ」
そう言った祥子の言葉にトゲトゲしさを感じるのは気のせいだろうか。
「オレも麻衣姉かと思ってビックリしたけど、同姓同名の別人じゃった」
勝弥は頭をポリポリとかくと、祥子に夕刊を戻そうとする。
「ふ〜ん、東の初恋の人ってやつか」
祥子のさりげなく呟いた一言に動揺した勝弥は夕刊を落とす。
「なななな何言おうるんの?」
「めちゃくちゃ動揺しちゃって。そうやってすぐにバレバレな態度見せるようじゃ、やっぱ
り東には探偵は無理か」
「あてずっぽで言うたんか?」
「カマかけるのも探偵の鉄則。それぐらい覚えておきなさい」
勝弥は不条理なものを感じた。テレビやゲームの世界と違って現実はシビアで冷たいもの
である。
コンコン。
控えめに扉をノックする音が聞こえた。
「東、お客さんよ! いつまでもすねてないでさっさと出なさい!」
「こんな時間に?」
もう八時近かった。
「探偵に朝も夜も関係ない!」
祥子にどやされながら、勝弥はしぶしぶ扉を開けた。
扉の向こうには見慣れた顔の中年女性が立っていた。細身に紺のスーツを着込んでいる。
肩にかかる髪には白髪が混じっている。大きな瞳が初恋の君を思い出させた。
「おばちゃん?」
「勝弥くん?」
大きな瞳をさらに大きくして、八重垣麻衣の母、典子は大仰に驚いていた。
小学生の頃はよく麻衣の家に遊びに行っていたので覚えてくれていたのだろう。こうして
顔を合わせるのは麻衣の中学の卒業式以来である。
「尾道の人が東京で探偵やってるって聞いたんだけど、勝弥くんのことだったの?」
「ちがうちがう!」
勝弥は首をぶんぶん振って否定した。
「東くん、何をやってるの? お客様を早く中にお通ししなさい」
祥子のかしこまった声が聞こえてくる。俗に言う『よそ行き声』というやつである。
「とにかく、中に入ってや」
勝弥は典子を中に入れると、応接用のソファーへ促す。向かい側にはすでに祥子がスタ
ンばっていた。いつの間にかグレーのスーツに着替えている。
神業じゃの。
勝弥は嘆息した。
「いらっしゃいませ。私が当探偵事務所の責任者の名倉祥子です」
祥子は営業スマイルを浮かべると、典子に名刺を差し出した。典子は名刺を受け取ると、
ソファーに腰掛けた。
「東くん、何ぼーっとしてるの? お茶をお出しして」
典子に気付かれないように、祥子は笑顔を絶やさずに勝弥の足を蹴ってくる。
「はい、わかりました」
勝弥も典子の手前もあり、顔を引きつらせながらも笑顔で答えるとキッチンに向かった。
「ったく、これくらい自分でやればいいじゃろうに」
ぶつくさと小声で文句を言いながらお茶を煎れる。
お茶を煎れて戻ってきてみると、典子がハンカチで目元を押さえていた。どうやら勝弥の
お茶も待たずに話が進行していたらしい。
「おばちゃん、何があったんの?」
勝弥はお茶を典子の前に置くと、顔を覗き込んだ。
「新米は口を出さない」
祥子に頭を鷲掴みにされ、勝弥は渋々祥子の後ろに引き下がる。
「失礼ですが、今時の若い子でしたら一週間そこら連絡が取れなくてもそんなに大騒ぎする
ことではないかと思うのですが?」
「一週間前に電話で明日には尾道に帰ると言ってたんです。親バカだと思われるかも知れま
せんが、あの子はウソをつくような子じゃありません」
「おばちゃんの言う通りだ。麻衣姉はそんな子じゃなぁわ! 麻衣姉は」
「あーずーまーくん」
勝弥の力説に、祥子は殺意をこめた笑顔でこちらを威嚇してきた。勝弥はすぐに口を塞い
だ。
「もしかして誘拐されたのではないかと」
「だとすれば、まず営利目的でないことは確かですね。お金が目当てなら犯人から何らかの
コンタクトがあるはずですから」
「まさか、麻衣はもう」
「悲観しないでください。例を言っただけですから。で、行方不明になったというお嬢さん
は?」
「これが娘の写真です」
典子はバックの中から一枚の写真を取り出す。祥子がその写真を受け取る。勝弥は祥子の
後ろに行くと、その写真を見た。
「!」
勝弥は言葉を失った。
そこに映っているのは、勝弥の知っている麻衣ではなかった。先刻、新聞で見た写真の女
性だった。
勝弥は祥子から写真を奪い取ると凝視した。高校時代の面影は全くなかった。
「ビックリしたでしょう? 麻衣は東京に進学してから太っちゃったから」
「東!」
祥子が強引に勝弥の手の中から写真を奪い返すと、目で制してきた。
私情をはさまない。
祥子の目はそう語っていた。
「わかりました。この依頼受けさせていただきます」
「お願いします。警察ではまともに取り合ってくれなくて」
典子は再び涙ぐんだ。
祥子は典子から麻衣についての情報をできるだけ聞き出すと、それを素早くメモ書きする。
「あの失礼ですが、今夜はどちらへ?」
「娘のアパートです。まだ部屋の片付けとかいろいろありますので」
「東、そこまで送ってさしあげて」
「いえ、いいんです。そこまでしてもらっては」
「お気になさらないでください。夜の東京は物騒ですし、あれでも一応空手部でしたからボ
ディーガードにもなります」
祥子の言葉にはかなりトゲがあったものの、今回ばかりは祥子の人使いの荒さもありがた
く思えた。
勝弥は典子と共に名倉探偵事務所を後にした。




