表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/39

第1章 厄病神と裸足の幽霊-4



「はぁ〜、すっきりした」

 浴室から出た勝弥は、自分の衣服が変わっていることに気付いた。自分は着替えもなく、

身ひとつでここにやってきたはずなのだが。

 勝弥はとりあえず用意されていたTシャツとジーパンを着込んだ。新品ではなさそうであ

る。

「センパイ?」

 ドアを開けると、祥子は窓際にある所長デスクで夕刊を読んでいた。

 この探偵事務所の半分は祥子のプライベートルームになっている。といっても、シャワー

室とベッドがあるだけで、キッチンなどは全部事務所側に設置している。客さえいなければ

事務所も立派な祥子のプライベートルームというわけだ。

 アイボリーを基調とした室内には多種類の観葉植物が映えていた。田舎育ちは近くに緑が

ないと息が詰まると、祥子がよく言っていた。その気持ちは勝弥にもよくわかる。

 書類入れと化しているローチェストの上にあるCDラジカセからはラジオニュースが流れ

ていた。

 外の集中豪雨もいつの間にか止んでいる。

「この服は?」

「あんなびしょぬれの小汚い服を例えタダ働きとはいえうちの社員に着させるわけにはいか

ないでしょう。うちの事務所のイメージダウンになるじゃない。だから、下に行って買って

きたのよ」

 ビルのニ階に古着屋があったことを勝弥は思い出した。ちなみに、一階は喫茶店である。

決して新品ではないとはいえ、祥子の気遣いに(本当は事務所のイメージのためだが)じ

ーんと胸が熱くなった。

「センパイ、ありがとう!」

「出世払いにしといてあげるから」

 夕刊の向こうから一枚の紙片が姿を現す。請求書と大きく書かれた文字の下には、勝弥が

今着ている服の明細が書いてあった。

 Tシャツ三百円、ジーパン五百円、靴下五十円、パンツ百円。計九百五十円。


 せこい……。


 静かに胸中でぼやく。お礼を言った口がもったいなかった。しかし、もし声に出してそん

なことを言えば即刻追い出されてしまうだろう。

「あのー、センパイ」

「今度は何?」 

「オレ、腹が」

 勝弥は慌てて言葉を切った。ここで祥子に食事でもおごってもらったら高いものにつく。

 それこそ一生タダ働きの身になってしまう。それだけは勘弁である。

 また水でも飲んで空腹を凌ぐしかない。

「水飲むんだったら、外に公園があるわよ」

「………………」

 勝弥は絶句したが、すぐに立ち直る。これぐらいのことをいちいち気にしていては祥子の

下では働いていけないのだ。

 屋根のある場所に寝れる。これだけでもよしとせねばならない。

 しかし、おかげで水を飲みにいくという気力は削がれてしまった。どっと疲れと睡魔が襲

ってくる。ソファーに腰掛けると、上瞼と下瞼がゆっくりと融合を始める。

「痛っ」

 後頭部に激痛が走った。睡魔が一瞬にして吹き飛んでいく。

「寝てるヒマがあったら、それでも読んで勉強しな」

 背後からの祥子の怒声に、勝弥は自分の後頭部を直撃した物体を手に取った。

「探偵マニュアルブック?」

 勝弥は文庫サイズの本のタイトルを音読した。

「浮気調査やらせれば直調するわ、尾行させればすぐに気付かれるし」

「直調?」

「本人や家族に会って直接聞くことだよ。浮気してる本人に『今浮気してますか?』なんて

聞くバカは東くらいのもんだよ」

「なるほど」

「納得するな。とにかく、それ読んで少しは探偵のノウハウを学ぶんだね」

「センパイもこれ読んで勉強したんの?」

 パラパラとめくってみると、要所要所に赤線などが引いてあった。

「あたしは探偵学校に通ったんだよ。それはその時の教科書みたいなもん」

「へぇ、そんなんがあるんじゃ。でも、オレは別に探偵になる気は」

 言い掛けて、勝弥は慌てて言葉を切った。

探偵をやるつもりはないなどと言えば、祥子のことだ。身ぐるみ剥がして勝弥を追い出す

だろう。ここは素直に従った方が得策である。

「オレも通ってみたいのー」

「今のあんたにそれだけのお金があればね」

「げ、ここも金がいるんか?」

「当たり前でしょう。もう少し世間の厳しさを知りなさいよ」

 祥子は呆れた顔を見せると、また夕刊の向こう側へと隠れた。

 勝弥は渋々探偵マニュアルブックなる本を開いた。


【第1章 見たい、知りたい、探偵の世界】


 探偵についての初歩的なことが書かれているが、ずらりと並んだ活字を見た瞬間、また睡

魔が襲ってくる。勝弥にとって教科書と名のつく本は眠りへと誘う睡眠薬のようなものだっ

た。

ダメだ、ここで寝たらマジで殺される。

 眠い目をこすりながらも第二章へと目を通していくが、何ひとつ頭の中に入ってはこなか

った。睡眠薬の効き目はバツグンのようだ。ラジオから聞こえてくるニュースを読む男の声

すらも子守唄に聞こえてくる。

 勝弥は睡魔に負けた。ふわふわと夢の世界へとゆっくりと歩み出した。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ