プロローグ
そこは昔教会と呼ばれた場所だった。しかし、今では誰も寄りつかない廃墟と化している。
すべてを漆黒の闇へと飲み込んでいく午前零時。
木曜日から金曜日へと変わる瞬間。
静寂の中、礼拝堂の中で声が響いた。
「バズビ バザーブ ラック レク キャリオス オゼベッド ナ チャック オン エアモ
エホウ エホウ エーホーウー チョット テマ ヤナ サパリオウス」
黒いスカーフを首から垂らしただけの全裸の男は、砂で描いた二重の円の中で、低く長く
何度も繰り返し唱えていた。喉が渇き、声が枯れ果てようと、男はそれをやめなかった。
ペンタグラムを砂で描いた丸テーブルのそれぞれの角には蝋燭が不気味に礼拝堂に明らか
りを灯していた。そして、中央には香炉、両刃の剣、聖杯、窪んだ自然石。どれも悪魔を召
喚するには欠かせないアイテムだ。
ピシッ!
ステンドグラスに亀裂が入る。呪文を繰返し唱えることによって霊的バイブレーションが
起こり始めているのだ。
香の臭いが徐々に薄れ、獣のような臭いと硫黄の臭いとが混じった臭気が立ちこめる。
悪魔召喚まで後一息だ。
男は動じることなく、呪文を切り換えた。
「きたれ 地獄を抜け出しし者 十字架を支配する者よ 汝 夜を旅する者 昼の敵 闇
の朋友にして同伴者よ 犬の遠吠え 流された血を喜ぶ者 影のなか墓場をさまよう者よ
あまたの人間に恐怖を抱かしめる者よ ゴルゴ モルモ 千の形を持つ月の庇護のもとに
我と契約を結ばん」
男は神経を研ぎ澄ませた。
娘を助けるためなら、例え悪魔にでもこの身を捧げる覚悟はできている。
もう一度いっしょに暮らせることができるのならば。
『貴様か? 我を召喚したのは』
くぐもった不明瞭な声が聞こえてきた。
いつからそこにいたのだろう。ヤギと酷似した醜悪な獣が自分の目の前に立っていたのだ。
正確には宙を浮かんでいた。しかも、四本足でではなく、二本足で。
しかし、男は臆することなく答えた。
「そうだ。私の望みを叶えてもらうために」
『望み?』
ヤギ――悪魔がほくそ笑んだように見えた。
「私の娘の魂を返してほしい」
『よかろう。若い女の魂を百集めれば娘の魂と交換してやろう』
悪魔は短く言い捨てると、姿を消した。
男は左目の下に小さな痛みを感じた。それは、契約成立の証だった。
男は極度の緊張から失神寸前だった。
「もう少しだ」
男は祭壇の上に横たわる幼き少女を見つめた。
「今度こそ、お前を誰にも渡したりはせん」




