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「俺たち『ネクロアトラメント』は、もうどうしようもなく行き詰ってしまった生物なんだってさ――」
ナナハチはそう言って脊椎から延びる第四骨格肢を地に突き刺すと、それにもたれ掛った。
「――『変化』という柔軟性を失った生命は、それだけでもう『罪』であって、本来ならば速やかに自死を遂げるはずなんだ。でも俺達は自死を始めなかった、だから『ロイン』は俺達を襲うんだってさ」
彼は言うだけ言うと、ジッと私の瞳を覗きこんでくる。
それは「何らかのレスポンスが欲しい」というサインだったが、残念ながら私は彼の言葉の意味を半分も理解できていなかった。
「ナナハチ、お前何を言ってんの?」
彼の方を見向きもせず、冷たく突き放すような口調で言ってしまった。
だが「別にそれでも構わないか」と思い直す。
ナナハチのその話題は些か私の興味を引きすぎる。私は今、荒れ沼の歩哨に集中していたいのだ。
でも彼はそんな私の意図をまるで汲み取ってくれない。
「俺の考えではないよ、ニーヨンがそんな事を言ってるのさ」
「ニーヨン? あいつは活性化したんじゃなかったのか?」
「二日前に姉さんと俺とで助け出したんだ。もっとも半分以上が駄目になってたけどね」
それは初耳だった。
ニーヨンが救出されていた? しかもまだ生きている?
「何故その情報が私に廻ってこなかった?」
「廻ってきたじゃないか、今俺が廻したろ?」
私は骨盤の「棘」でナナハチの肩をド突く。
いきなりの攻撃にナナハチは成すすべもなくバランスを崩し、その場に倒れそうになったが、慌てて第五骨格肢を伸ばして体を支えた、
「おい、何をするんだ」
「もう一度聞くぞナナハチ、何故その情報が私に廻ってこなかった?」
「大した理由じゃないよ。情報修正の必要が無かったからだ、自意識の崩壊したネクロアトラメントなんて、活性化したようなもんだろ――」
彼はそう言うと、乱暴に私の棘を押しやる。
「――それよりも、ロインによって『活性化』させられたニーヨンの言葉、興味深いと思わないか?」
「別に。そんな物の話を聞いてどうするっていうんだ」
「そんなの、『知る』為に決まってるだろ」
私は棘を骨盤に戻し、彼の瞳を凝視した。
もう歩哨なんてどうでもいい、それよりもナナハチ、お前……
「なに言ってんだ、お前は」
「俺は知りたいんだよ。俺たち『ネクロアトラメント』とは一体なんなのかってな」
……バグったなナナハチ、あとで三桁の連中に見せないと。
私は冷静にそんな事を考えていたが、同時に以前のパートナーの事を思い出していた。
呼称は「ロクロク」だった。彼女もまたナナハチと同様に「知る」事を求め、結果としてロインに捕まった。
「無意味だよ。それは無意味な事だナナハチ」
私はそう断言する。
ナナハチは少し意外そうに視覚端末の絞りを弱めた。
彼には「私の発言の内容」が予想外だったのか、それとも「私の断言という強い反応」が予想外だったのか……
「無意味?」
「『知る』っていうのは『区別できるようにする』っていう意味だろ。一体何と区別をするっていうんだ、私達『ネクロアトラメント』以外何も生きていないこんな世界で」
それを聞くとナナハチは唐突に笑い出した。
さも面白可笑しそうに笑っているのだが、何故そこまで笑うのか判らない。
……こいつ、私のパートナーには不適任だな。
「ははっ、なんだお前も結構いろいろ考えてるんじゃないか」
そんな私の考えなんてお構いなしに、彼は能天気な言葉を発する。
「何を笑ってるんだナナハチ」
「あんた、もっと自我を捨ててると思ってたよ――」
口を持たない彼は、全身を震わすことで「笑い」を表現している
「――なぁ、じゃあお前はこの皮肉をどう受けて止めてるんだよ?」
「皮肉?」
「完全な肉体を得る事で、どうにか『黒い洪水』を乗り越えた人間のなれの果てが、今度はその完全さ故に『ロイン』に殺される。そんな皮肉の事だよ」
ナナハチはそう言うと第九骨格肢を足元に突き刺して前のめりになって、私のマニュピュレーターを覗きこんだ。
「私達が襲われる理由は、この完全な体のせいだと?」
「だからさっきも言っただろ、ニーヨンがそんな感じの事を喚いてるんだってば」
――ネクロアトラメントは完全故に変化しない
ロインは罪深い俺達を裁く為に使わされた存在なんだ――
そう言って彼は私の胸に顔を近づけ、その痩せ細ったあばらの匂いを嗅ぐようにした。
「……だれが使わしているんだ?」
「その完全さに嫉妬した奴さ」
言いながら鼻を鳴らす彼の顔を、私は貧弱な女の腕で払いのける。
「誰だそれは、まさか人の生き残りか?」
「そんなわけないだろ、人間なんて……いや生物なんて一匹も残っちゃいないんだ」
ナナハチは再び私をあざ笑うような仕草を見せる。
「だったら、誰がロインを作ったと?」
「たぶん、神様みたいなものだろうな」
……神?
その言葉は私の脳髄に強く響き渡り、何故か嫌に冷たい感触を思い起こさせた。
だが、その意味について深く考える事ができなかった。
考えている暇がなかった。
「――ッ」
私は素早く一対の後ろ脚で体を支え、一対の「刃」である前脚を展開する。
ナナハチはそんな私の行動に驚き、「神」という単語が私を刺激してしまったのかと一瞬狼狽したが。
「備えろナナハチ、ロインだ」
直ぐに私の視線を追って、その行動の真の意味を悟ってくれた。
私達の前方、八百メートル程先にそれが現れたのだ。
――ロイン。ぐずぐずとした桃色の「肉」で作られた体を持つ存在。
胞状に膨らんだ胴体、そこから生える四本の脚、そして二つの大きな口。
私達の様な「水銀」と「骨」と「神経」と「合金」でつくられた存在と対を成すような……
「丙型か」
ナナハチが呟く。
「胞状肉塊を持っているようだし、丙で間違いないと思う」
「ってことは、中に『ロクロク』が入ってるのか?」
ロクロク、私の前のパートナー。
つい先月までは同僚だった、二百六○年もの間私のパートナーを務めたネクロアトラメント。
「かもしれない」
「同化率は三○~六○って所か」
私達二人に気づいたロインは、大きく口を広げ威嚇するような音を発する。
それは身を引き裂くような、鋭い痛みを持った慟哭だった。
「どう見るナナハチ」
彼はこういった救出作戦専門のポテンシャルを持ったネクロアトラメントだ。
だから私は直ぐに指揮権を彼に委ねた。
「……怪しいな。丙型だろ? 爪と歯は見えるんだが、角が見当たらない」
言われて私もそのロインを見る。
胞状肉球から突き出る四本の脚には太く硬い爪が、二つの大きな口には鋭い歯が羅列されているのが確認できるが――確かに角はどこにも見あたらない。
「どういう事?」
「わからない、嫌な予感がする」
ナナハチはそう言うと、脊椎から七本の骨格肢を展開する。
そしてその内二本の腕に鉄のワイヤーを貼ると、スリングショットのようにそれを構える。
「おい、棘を一つくれ」
「了解」
私は一番軽量の棘を一つ骨盤から剥して、それを彼に渡す。
彼はそれをワイヤーの中心に添えると、三本の骨格肢を用いて無理矢理引き絞る。
その意図に気づいたロインが、こちらへ向かって一直線に駆け出した。
「初弾、どこを狙う?」
「そりゃ、肉球の中心だろ」
引き絞られたワイヤーから、一本の鋭い棘が放たれる。
文字通り「光の様な」直線的軌道と速さで、私の棘がロインの中心を貫いた。
肉がはじける音、赤と白の粘性の強い体液が飛び散る。
球体の中心には歪な穴が穿たれ、そこから筋肉組織と思われる肉塊がボロボロと溢れでてきた。
だがロインは、そんなダメージをまったく意に介する様子もなく、こちらに向かって走り続ける。
「二弾目、どうするナナハチ?」
「いや、時間がない。白兵戦で行くぞ」
彼はそう言うとワイヤーを切り離し、近接戦の態勢を取る。
私も同様に、前脚の刃を構えようとしたのだが……
「下がってろ。お前の手の内は全部バレてるんだ」
「だが――
「後詰めを任せる、まずは俺一人でやらせろ」
有無を言わせない命令だった。
私は素直に後ろへ下がる。
それとほぼ同時に、ロインがナナハチの格闘戦の射程内に入った。
ナナハチの腕が再び食いちぎられる。
黒く濁った水銀の血液が宙に舞う。
一歩後ろに退いた彼を追撃するように、ロインは腕の爪で殴り掛かる。
「お前は手を出すなよッ!」
ナナハチは、思わず棘を構えていた私をそう叱責しながら、器用に爪を掻い潜ってロインの懐へ転がり込む。
肉を撃つ鈍い音。
第九、第十八、第二一骨格肢がロインの脇腹へ殴打の雨を降らせた。
集音機を麻痺させるような悲鳴。
ロインはその場でめちゃくちゃに体を回転させ、ナナハチを踏みつぶそうとする。
だが彼は素早く飛び上がり、肉球の真上に着地すると、さらなるラッシュの雨を浴びせる。
――強い。
やはりナナハチは警戒専用の私とは比較にならない戦闘能力を持っている――
その後の展開も一方的だった。
いくらロインに腕を食いちぎられようとも、それ以上の速度で脊椎から新たな骨格肢を展開し、カウンターを浴びせる。
過剰なまでに展開された骨格肢の多くは、ネクロアトラメントの弱点である「脊椎」を堅牢に覆い、余った腕で微弱ながらも確実なダメージを与えていく。
『防御のリソースを無尽蔵に用意すれば、決して負けない』そんな設計思想が伺える戦い方。
戦闘が始まって二十九時間と三十七分後。
ついにロインは力尽き、その場に崩れ落ちた。
すべての爪は剥され、すべての歯は砕かれ、全ての肉は青く変色してしまっていた。
弱弱しい悲鳴を上げながら、武器を全て失った体を引きずり、のろのろと這いずって逃げ出そうとする。
「終わったな」
彼は言いながら逃げる相手に飛び乗ると、二つめの顎を引き千切った。
「お疲れ、ナナハチ」
ロインの肉体の自然分解が始まる。
真っ白な蒸気を噴出しながら、ボロボロと肉体が朽ちていく。
全身の五○パーセントもの血肉を損失したロインは、その体を保てなくなってしまうのだ。
「……もう大丈夫?」
「あぁ、完全に死んだ」
それを聞いて私は彼の元に歩みよる。
腕を百本以上破壊されたナナハチ、流石に貧血と金属疲労の様子がうかがえた。
「救出は?」
「わからん、もし上手く行ってれば『ロクロク』の体が溶け残るはずなんだけど――」
そう言って、彼は私の方を振り返る。
「――正直あまり自信はない」
「構わないよ、どうせほぼ同化してただろうし」
私はそう返しながら、ロインの屍を観察していた。
死んだロインを見るのは久しぶりだった。
三○九年前、腐れ谷でロインの群れと遭遇した時以来だ。
あの時の甲型ロインと、このロインは大分違う。
目の前で朽ちているのは丙型ロイン、それは私達から作られたロイン。
爪と歯と角を武器にして、体の中心の胞状肉塊にネクロアトラメントが……
その時、私は奇妙な点に気付いた。
目の前のロインの死体はところどころ肉が溶け、その収縮によって肉と肉の繋がりが裂け、歪な傷口が全身に開き始めていたのだが……
胞状肉塊にだけ、それらとは少し違う裂け目があった。
鋭利な刃物で切り裂いたような、大きく、やけに整った切り口をした……
「――まさか、ナナハチッ!」
私はとっさに警告する。
だが遅かった。
彼はこちらを向いたまま、体が「ズルリ」と傾き始める。
私の方を向いていた、つまりロインに背を向けていたナナハチは、胴体を背後から真っ二つにされた。
上半身が地に落ち、彼の後ろに立っていた「それ」の姿が見える。
ロインの肉球から産まれた「それ」は、二本の肉の脚と、二本の肉の腕をもった――そんな変わり果てた姿になっていても、私は直ぐにそれが誰だか判った。
「ロクロク……なの?」
肉の体となったロクロクは、胎生妊娠をしているらしく腹が大きく膨らんでいて、それを大事そうに左手で撫でていた。
右手には――おそらく胞状肉塊の中に隠されていたのだろう――ロインの角で作られた剣が握られていた。
「……久しぶりね」
ロクロクはナナハチの残骸を踏みつけながら、私の方に近づく。
「ロクロク、お前……」
「お願い退いて。貴女を殺したくない」
「退けないのは、知ってるだろ」
「私は生を得たの、だから、この子と、静かに生きていきたい」
そう言って彼女は、膨らんだ腹を慈しむように撫でた。
「――ッ!」
私は骨盤から四つの棘を射出する。
ロクロクは素早く身を躱し、こちらに肉薄しようとする。
私は棘を大量に展開する事でそれを牽制し、その間に後ろ脚を地面に突き刺して体を固定する。
そして前脚の刃を広げようとしたのだが……
「させないッ!」
ロクロクは数発の棘をその身に受けながらも強引に私へ近寄ると、角の剣で後ろ足の一本を切断した。
私はバランスを崩し、その場に崩れてしまう。
彼女は私に馬乗りになると、私の左義肢を無理矢理引きはがし、脊椎を露出させる。
最後の抵抗で棘をありったけ射出するが、どれも彼女には当たらず、むなしく宙の彼方へと飛んで行った。
剣が振りかぶられる。
そして私の脊椎目がけて――
「どうした、ロクロク」
私は思わず戸惑った声を出す。
――剣先は私の脊椎を貫かず、その直上数ミリの所で止まっていた。
まるでそこには貫き難い、透明な装甲があるかの様に。
私はただ戸惑っていた。
ロクロクの行動が理解できなかった。
「……ぃない……」
彼女が消え入るような声で、何かを喋りだした。
「……できない、こんな事……」
彼女は震えていた。
全身の筋肉が痙攣を繰り返し、その眼球からは透明な液体が大量に滴っていた。
「ロクロク、何を言っている?」
私の問いかけに彼女は答えず、宙を仰ぎ見る、そして叫びだした。
「殺せるわけないじゃない、私の大切な友達を! できるわけないでしょ! 何百年も一緒に過ごした友達なのよ!」
空の上、その遥か遠く、そこへ居る誰かへ目がけて彼女は吠えた。
瞳からは大粒の涙がこぼれ、それが私の頬を濡らした。
私は残った後ろ脚で、無理矢理彼女の体を弾き飛ばした。
私は直ぐに起き上がる、遅れて立ち上がったロクロクは剣をその場に捨て――
「お願い! やめて!」
そう叫ぼうとしたようだった。
でも私の前脚の刃が、それよりも先に彼女の頭部を斬り飛ばした。
「感情だよ――」
それまで黙って背負われていたナナハチが、唐突にそんな事を言った。
「――俺たちネクロアトラメントの最大の罪は、変化を起こす上で重要な要因だった『感情』を捨てちまった事なんだってさ」
あまりにも唐突にしゃべりだしたので、私は彼の脊椎の応急接合が失敗したのではと心配になってしまう。
だがそんな私の心配をよそに、脊椎と頭部だけになったナナハチは、私の背中の輸送カーゴの中で言葉を発し続ける。
「感情っていうのは人間が獲得した物のなかで、もっとも美しい物だったらしい。神様にとってはそれこそが人の本質だったんだってさ」
「私達にだって、感情ぐらいあるでしょ」
荒れ沼の泥をかき分け、本拠地に向けて歩みを進めながら、私は彼の言葉にレスポンスを返してやる。
「人だった頃に比べると、ほとんど残こっちゃいなのさ。『黒の洪水』の時に積極的に取り除かれた要素だったからな」
――まぁ要は、変化しやすさっていうのは個の弱さと直結しがちなんだよ。
彼の声はカーゴの中で籠っている上、先の戦闘のダメージのせいか随分ノイズが混じっているのだが。
それでも、妙に脳髄に響く言葉だった。
「……ねぇ、ナナハチ」
「なんだ?」
「感情を捨てるという行動は、罪なのか?」
美しい物を全て失った私たちは、その存在自体が罪なのか?
生き残る為に、人らしさを全て捧げてしまった私達は、生きていてはいけない存在なのか?
その汚らわしさを捨て、ロインによってふたたび血肉を得る事が善なのか?
感情や、愛や、命を取り戻すことが、絶対的に正しいことなのか?
「さぁね――」
たっぷりと長い間を取ったのち、彼はそれに答えた。
「――そんなの自分で決める事だろ」