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第1話 日常

 現代を舞台にしたお話を作りたくて、アップさせていただきました。

 ゆるりと続けて行きたいと思いますので、ご一読いただければ幸いです。

 黒板をチョークが叩く音が静かに響く五限目。窓の外はどんより曇り、四月にしてはどこか蒸し暑い陽気に、限界を迎えた生徒たちはうつらうつらと舟を漕ぐ。空気が停止したような静寂が、昼下がりの教室を満たしていた。老齢の古典教師がぱたんと教科書を閉じる。同時に鳴り響いたチャイムの音が、そんな無限とも思える苦行の終わりを唐突に告げた。

 ばたばたと 立ち上がる生徒たち。伸びをしたり、さっさと帰りの準備を始めたり、同じ姿勢で強張った体を動かし始める。

 水曜日は五限で終わり。いつもより早く帰れる特別な日だ。

 徐々に活気付き始める生徒たちの中で、自分の机で頬杖したまま動かない生徒がひとりいた。

 窓側の後ろから3つ目の席。

 セミロングの黒髪がうとうとと揺れる頬の上をはらりと落ちる。透き通った白い肌。長い睫。

 窓際で微睡む少女の安寧は、しかし唐突に机が蹴り飛ばされて終わった。

「いつまで寝てんのよ!」

 けんけんと甲高い少女の声が響く。

 体制を崩されてびくりと目を覚ました黒髪の少女は、しかしうろんな瞳で辺りを見回したが再び同じ姿勢で眠りに付こうとした。

「だから、寝るなー!」

 机を蹴り飛ばした少女が、がっーと声を上げる。

 こちらは小柄な少女だった。平均以下の身長に、釣り目がちの大きな瞳。ポニーテールが彼女のオーバーアクションに合わせてふらふら揺れる。

「無理に起こさなくてもいいだろう、結衣」

 小柄な少女、白山結衣の頭に突然繰り出される手刀。しかし結衣はくるりと器用な動作で1回転すると、その襲撃を躱して得意げに微笑む。

「ちっちっ、甘いわね、愁。あんたのトロイ攻撃なんて、あたるわけないでしょ」

 手刀を繰り出した少年、黒森愁は、はぁと盛大にため息をついた。

 こちらは対照的にすらりと背の高い少年だった。長めの黒髪を上げておでこを出し、ヘアクリップで止めている。愁は、困ったようにその頭を掻いた。

「元気が有り余ってるって感じだな。今晩は大丈夫そうだ」

「当たり前っ!あんたも姫も必要ないわ」

 結衣が得意げに胸を張る。愁はますます大きくため息をついた。

「…うるさい」

 その二人の間から、睡眠を妨害された黒髪の少女が、ゆらりと立ち上がる。

 大きな瞳が上目づかいに、結衣と愁を睥睨する。

「お座りだ、シロ、クロ」

「シロ言うなー!」

「クロじゃない」

 ぼそっと呟かれた少女の命令に、間をおかず二人の突っ込みが入る。

 黒髪の少女はつまらなさそうに桜色の唇をすぼめると、さっさと鞄を取り出し、教科書ノートを詰めだした。

「あっ、あたしも帰る!」

 結衣が小動物の様に素早く最前列の自席に向かう。

「俺も」

 廊下側の自席から、愁も自分の鞄を持ち、教室を後にする少女の後を追った。

 クラスメイト達にと挨拶を交わしながら、いつもの様に3人は一塊になりながら市立保篠高校を後にした。


 学校を出た3人は、深緑の緑が眩しい街路樹の坂道を下って行いく。

「姫はさー」

 少し先を歩きながら、結衣は振り返る。

「姫言うな」

 黒髪の少女が僅かに眉を潜める。

「香穂子さまはさー」

「様言うな」

 結衣は香穂子をからかえた事が嬉しいのか、きしきし笑う。

 黒髪を肩口まで伸ばした少女、千野宮香穂子は、そっと息を吐いてから結衣から視線を外し、広がる町並みに目を移した。

 曇りがちの空は相変わらずだが、その厚い雲の間から僅かに降り注いだ光が家々の屋根を輝かせていた。

 この分では、今夜は雨は避けられるかもしれない。

 香穂子は胸の中でほっと安堵する。

 今夜使う衣装は、濡れてしまうと手入れが厄介なのだ。だからと言って今日はやめた、と言える類のものではない。それは、千野宮に科された『お役目』なのだから。

 恐らく今晩の仕事場は新市街、建売住宅が立ち並ぶ南野中地区になるだろう。

 丁度町の反対側になる。ここからでは、丘に張り付いた家々の群れしか見えない。

 昔は街道筋の宿場町として栄えた保篠市は、今では都会部へのベッドタウンとして栄えていると言える。新興住宅地や団地が立ち並ぶ東の山の手の住宅地、大きな商業施設が立ち並ぶ駅東の新市街などは最近も発展著しく、新しい建物が出来上がっていた。しかし保篠高校がある元保篠地区や、古くからの街道である国道が走る西部は、山がちな地形もあって、未だ片田舎の地方都市の雰囲気を色濃く残していた。

「怖い目をしているのな」

 少し後ろを歩いていた愁が香穂子に並ぶ。

「そんなに厳しい状況なのか」

 香穂子は自分より背の高い少年を一瞥した。

「司殿は旅鴉に応援をお願いしたようだ」

 香穂子はぼそりと言う。感情が表に出ないように心がけて。

 しかし香穂子とは正反対に、愁は不快そうに舌打ちした。

「そりゃ、俺たちじゃ力不足だと思われたってことだろう。司様も酷いな。ましてや旅鴉かよ…」

「しかたない、のかもしれない。事態は切迫しているという事だろう。司殿も万全を期しての事だと思う。保篠が影落ちすることなど、あってはならないのだから」

 これには、愁は反論せずに、静かに頷いた。


 

 結衣と愁と別れ帰宅した香穂子は、自室にこもり仮眠をとった後、再び制服に着替えた。紺のプリーツスカート、紺地に白のラインが入った上衣、学年で色の違うネクタイを締める。香穂子の色は緑、今年度の一年生の色だ。

 その上から衣を羽織る。無紋の狩衣、浄衣と呼ばれるものだ。通常の神事で神主などが纏う浄衣は純白なのが常。しかし香穂子のそれ、黒のみの漆黒だった。

 長い袖を引っかけないよう、障子を引いて自室を後にする。薄暗い長い廊下を、離れの方に向かう。土地の旧家である千野宮家は、旧家の例にもれずやたらに広い平屋の日本家屋だ。離れまで永遠と同じような廊下を歩かなくてはならない。

 間隔が広すぎて用をなしていない明かりが、ぽつぽつと廊下に落ちる。自分の足音と浄衣の衣擦れの音だけが響く。しんと静まり返った時刻は、間もなく日付が変わる頃だ。

 渡り廊下の先、明かりがついた障子の前で香穂子は立ち止まる。

「司殿、香穂子が参りました」

 静かに問いかける。答えが無いのを了と取り、ゆっくりと障子を開く。

 数本の蝋燭では照らしきれない広間。その上座に、銀色の女童がちょこんと座していた。

 こちらは純白の水干に緋袴。平安時代の白拍子といった風体だ。烏帽子は被らず、そのため、長く伸びた銀髪が見るものの目を奪う。大きな瞳は黄金の色。その目が、まっすぐに対照的に黒尽くめな香穂子を見つめていた。

 香穂子はゆっくりとその前に立つと、一礼し、袖をはためかせて座る。

「狼の黒姫とはゆうたもんじゃな」

 鈴の音のような声がコロコロと響く。

「そのような大層なものではありません、司殿」

「いや何、武門の鴉語りとしては勇名を馳せることは悪いことではない。二つ名が走るのは、お主の名が轟いておるからじゃ。影法師共も震えるほどにな」

「奴らにその様な頭がありますれば、それも幸いですが」

「ふふふ、違いないな」

 女童がごときに表情を変える司は、人間ではない。銀の髪と黄金の光彩以外どう見ても子供にしか見えないが、司の宮というこの娘は遥か昔からこの千野宮家の離れに住まう人外の者だ。香穂子の曾祖母の時代には、既に今と同じ姿でここに居たと、聞かされたことがある。

 では正体は何か。妖怪か。神の使いか。はっきりとしたことは誰もわからないし、司の宮本人も語らない。彼女の正体は、今さら重要ではない。

 重要なのは、司の宮という存在が、千野宮の家のお役目に欠かすことができないものだという事だ。

 司が、後ろからおもむろに白木の三方を取り出す。その上に乗せられていたのは、二振りの太刀と面が一つ。千野宮に古くから伝わるお役目の道具だ。太刀は鞘から鍔、柄に至るま漆黒。装飾は一切なく、一見すれば薄汚れた骨董品にしか見えない。面は、白の面に朱色で複雑な文様が描かれていた。目の部分が細く開いているだけで、口や鼻の部分はない。

「今宵も新市街の南野中、高台の広い場所、駅前か、公園か、造成中の宅地か。数も多そうじゃ。気を引き締めて参れ」

「司殿、ところで旅鴉の件はいかがでしょうか」

 香穂子は司を真っ直ぐ見据える。

 司は、悪巧みする子供のように、ニヤリと口の端を歪めた。

「ふむふむ、気になるか。彼の者も既に保篠の地に着いておろう。私の所にはまだ挨拶に来ておらんがな。まぁそのうち来じゃろうよ」

 司は可笑しそうに袖で口元を隠すと、目を細めた。

「ゆめ無様な姿は晒すなよ、香穂子。どこで旅鴉が見ておるやもしれんぞ。わんころどもにも、よう言うてやれ」

 言われるまでもないとばかりに、香穂子は憮然と司を睨み返すと、刀と面をとり立ち上がる。

 一礼し、部屋を辞そうとした香穂子の背に、司の声がかかる。

「そういえば、香穂子」

「まだ何か」

 香穂子は半身だけ振り返り、白銀の女童を見下ろす。

「飯はちゃんと食うて行け。女子高生とやらでも、大事の前に空腹はいかんぞ」

 香穂子は、負けたと言わんばかりにわざとらしく大きくため息をついて見せた。

「…承知、致しました」

「くくく、良い良い、香穂子。年長の言の葉は聞いておくが良いぞ」

 面白そうに笑う、誠千野宮家の主とも言える存在を背に、香穂子はとりあえず台所に向かった。



 千野宮家の自家用車は、香穂子を乗せて深夜の町を走る。

 古びた家々が並ぶ住宅街から坂を下り、商店街を脇目に保篠川を渡る。時間は午前1時過ぎ。さすがに町は寝静まり、対向車も歩行者の姿もなく、街灯の規則的な灯りと所在なさげに立ち尽くす店員を抱いたコンビニだけが、町の活動が完全に停止していない事を物語っていた。

 それでも町の中心、保篠駅前まで来ると、客待ちのタクシーや酔いつぶれてふらふら歩くサラリーマン、公園でたむろする若者の姿がちらほら見える。

「不用心なものだな」

 車窓を眺めていた香穂子はぽつりと呟く。

 元来夜闇の世界は、人の世界ではない。光を嫌う動物達や、光の中では生きられないもの達の時間なのだ。彼らは大概は人の世に干渉する事など出来ない無力な存在だ。しかし、稀に人に干渉出来るほど寄り集まって力を蓄えたもの達がいる。そして、灯りを得、深夜の、彼ら夜の存在の時間に進出していった人間は、そうした闇の者に出くわしてしまうのだ。帰り道の電柱の影。人気のない路地。闇が溜まる建物の影などで。

 地球が人間という種だけの惑星でないように、1日全てが人間だけの時間ではない。

 光を生み出す技術を得た時、人が見落としてしまった世の理だ。

 車は再び坂を上り始める。こちら側は現代的なマンションや一戸建てが並ぶ新興住宅地だ。

 右手に住宅地の丘を、左手に線路を見ながら走ると、10分ほどで綺麗に整備された駅と、大型のホームセンターや書店、スーパーが並ぶ一画に出た。最近出来たばかりの南野中駅だ。

 その手前で赤色灯を回したパトカーが一台、立ちはだかるように停車し、警官が二名で道路を封鎖していた。

 相変わらず千野宮家のご威光と根回しはさすがと言うべきだ。同じ千野宮の人間でありながら、香穂子には良くわからないシステムだったが。

 お抱え運転手の小林さんと年配の警官が言葉を交わし、車はあっさりとその検問を通過する。後ろに控えていた若い警官が、やたらと後部座席の香穂子を見ていた気がしたが、スモークのかかった窓では中は見えていないだろう。

 車は駅前ロータリーで止まる。

 大きな体に黒スーツの小林さんが素早く降りると、ドアを開けてくれた。

 香穂子が小さい頃から運転手を務めてくれている小林さんは、風貌からその筋の人に見えてしまう。優しくて力持ちなお兄さんなのだか、実は。そんな小林さんに、「お嬢、お気をつけて」などと声を掛けられると、香穂子はますます自分がいけない筋の娘なのではないかと思えてしまう。

 南野中駅から伸びた陸橋は、駅広場と道路を渡って反対の住宅街につながっていく。

 とうに終電は終わり、エスカレーターも既に停止していた。階段を上り、陸橋に上る。

 夜が明ければ通勤通学の足で賑わう広い道は、やはり人っ子一人おらず、街頭の明かりが点々と住宅街の中まで続いているだけだった。

 静寂が耳に痛い。

 香穂子はゆっくりと歩みを進める。

 その道の脇、もともと山の中だった地形を利用した公園の入り口に見知った顔が二人待っていた。

「遅っそいっ!」

 その片方、結衣が辺り一帯に響き渡る声で叫ぶ

「うるさい」

 愁がぼそりと呟く。

「すみないな。食事をしていて遅くなった」

 香穂子は深夜でも元気のいい結衣に苦笑しながら、二人と合流する。

 とたん、結衣は困ったように眉を潜める。ころころ表情の変わる娘だった。

「姫、大変なのはわかるけど、暴食はよくないよ。こんな夜にご飯食べたら太っちゃうよ。今はまだ大丈夫だからって、油断したらすぐ太っちゃうんだからね」

 香穂子はさらに苦笑を浮かべ、すまないと呟く。

「お前はもう少し食べた方がいいんじゃないか」

 ぼそりと愁が、結衣の頭から足まで見下ろしながら呟いた。

 一瞬にして、結衣の顔が真っ赤になる。

「ばっ、馬鹿にするな!あたしは絶賛成長期なの!うっさいっつーの、黙れクロスケ!」

 結衣はまくし立てながら愁を蹴りつけようとするが、愁はひょいひょいと器用に躱す。

「その辺にしておけ、二人とも」

 じゃれ合っている二人をしり目に、香穂子はじっと公園の中に目を凝らした。

 原生の樹木をそのまま利用しているのか、新興の公園にしては鬱蒼と緑が茂っていた。そのおかげで街灯の僅かな光も入らず、深い闇が澱んでいるようだった。

 微かに生暖かい風が吹く。緑の深い匂いが漂ってくる。

 虫たちの声も聞こえない。葉の揺れる音も聞こえない。

 夜の静寂。

「いるな」

 香穂子は呟くと、腰に差した二振りのの太刀を握りしめた。

「準備しろ。二人とも」

 先ほどまで騒いでいた二人は、無言で香穂子の左右に立つと、おもむろに来ていた制服を脱ぎだした。

香穂子はそっと浄衣の袖を広げ、お互いが見えないよう衝立の役目をしてやる。

 下着も取り払い、全裸となった二人は、傍に置いてあった荷物から面を取り出し、被った。

 どちらも同じ作りの張子の面だった。

 描かれていたのは、牙をむき出しにした狼の顔。

 名前の通り、結衣が白狼の面を。愁が黒狼の面をつける。

 面をつけた二人が静かに息を吸い込む音。

 そして、異様な変化が始まる。

 見る見る内に、二人の体から面と同じ色の毛が生えていく。尻からはふさふさした尾が生えはじめ、足の関節が曲がり、爪が生え始める。張子の面と同化するように口と鼻が突き出し、大きくなった口にはぞろりと鋭い牙が並ぶ。二対の耳が生えると、二人はうずくまり、四つ這いとなっていた。

 瞬く間に、香穂子の同級生二人は、白と黒の巨大な狼の姿に転じていた。

 四足の獣と化した二人は、ふるふると体を震わせると、香穂子にすり寄ってきた。

 頭を撫でてやると、嬉しそうに鼻を鳴らす。

「影法師の数が多そうだ。固まって鬼に転じられては厄介だ。集まらないよう気を付けながら各個に仕留める」

≪承知した≫

≪分かったわ≫

 形は狼でも、香穂子の旧友二人の声が確かに響く。

 香穂子も手にしていた仮面をつける。息を吸い込み、目に集中する。視界が狭まり、しかし闇が嘘のようにその先を見通せるようなる。

 そして見えた。確かに。

 木々の向こう、その間。遊歩道の上。芝生の中。公衆トイレの後ろ。テニスコートの中。いたるところにいる。無数に蠢く人型が。


 それを、古来より人々は影法師と呼んできた。

 透き通った、人の形を取っただけの人形の様な存在。液体でできているが如く、歪なその動きに合わせてゆらゆら揺れる輪郭。移動した後には、蝸牛の様に自身の黒い存在をまき散らいていく不浄の者。夜の闇から生まれ、朝の光に消えていく者。

 人の残留思念、霊魂、恨み辛みが形となったもの。

 影法師が何なのか、多くの人々が様々な説をを唱えていた。宗教や宗派によって、その解釈は様々である。それほど、人の世の夜の世界には当たり前の存在であり、珍しい現象というわけではなかった。そして近年では夜でも人工の明かりが闇を駆逐したことにより、忘れ去られようとしている存在でもある。

 だが、放置できる存在でもない。

 一つ二つの影法師が発生するのは、人々が住む町では当たり前の事だ。しかし、無数の影法師たちが生まれ始めると、その地は次第に不浄に冒され負の気をため込み、人の世に害をなし始める。集まった影法師は次第に融合し、巨大になり、実態を持ち始めると、人々に干渉し始める。

 即ちそれは世の乱れを引き起こすのだ。

 人心を惑わし暴力や事故を誘発し、果ては直接的に危害を加える。

 鬼という者が具現するのである。

 そうならないために、あらかじめ影法師を打ち減らす事を生業にする者たちがいた。

 それが、古来より人里の夜の守り人たるお役目を継ぐ家格の者達だ。彼らは黒い衣を纏って夜闇にまぎれ、影法師を打ち払うその姿から、鴉語りと呼ばれていた。保篠の町で代々そのお役目を担って来たのが、香穂子の家、千野宮家だ。


 白面をつけた香穂子は、ぞろりと二振りの太刀を抜き放つ。白刃が街灯の光を受けて、鈍く輝いた。

「不浄の影法師ども!疾く己が地に帰参するが良い!この地を預る千野宮の刃が、汝らを悉く打ち滅ぼさんが前に!」

 香穂子が面越しでくぐもった声で叫ぶ。

 近くにいた影法師が何体か、その声に反応して、目のない頭をこちらに向ける。しかし、反応はそれまでだ。

 もともとさしたる知能もなく、ただ動く者や生者の賑わいを求めて蠢くだけの影法師に、人の言葉を判じる力はない。威嚇の口上を述べても、理解することはないのだ。それでも叫ぶのは、ここからが討滅の儀式の始まりなのだという宣言のためである。

 影法師に通じるのは、圧倒的な死と破壊の力を示す事のみ。それは古来より変わらない、獣の世界にも通ずる真理だ。獣の様にただ徘徊するだけの影法師には、自身が打ち滅ぼされたという圧倒的な事実を突きつけなければならない。

「クロ、シロ」

 香穂子の声に応じて、威嚇の唸り声をあげていた二頭の狼が歩み寄ってくる。

「行け。奴らを噛み砕き、引き裂いて打ち滅ぼせ!」

 静かに告げた香穂子の言葉が終わると同時に、二頭の巨大な狼が勢いよく駆け出す。

 それぞれ左右に分かれ、手近な影法師に食らいつく。

 巨大な咢により、あっさりと頭を食いちぎられた影法師は、ぐずぐずと泥の様に崩れ、地面に沁みこんでいく。強靭な前足の一撃で薙ぎ払われた影法師は、胴体の半分を消し飛ばされ、やはり地面に沈んでいく。瞬く間に数を減らしていく不気味な人型達。しかし、個体数が減ると同時に、闇が蟠る濃い場所が醜く歪むと、新しい影法師が這い出してきた。

 結果、公園に潜む影法師の総数は変わらない。

 影法師たちが集まる原因。それを突き止め、その根源を断たない限り、影法師たちは無限に湧き出してくる。陽光が世界に満ち影法師の活動限界が来るまでその数を漸減し続けなければいけないのが、鴉語りのお役目なのだ。

 辟易するほどの単純、且つ重労働。

 香穂子は大きく息を吐くと、改めて両の手の刀を握りなおす。

 そして、漆黒の浄衣の袖を翻して影法師たちの群れの中に斬り込んだ。


 

 影法師の群れの中を荒れ狂う様に流れる白面は、二振りの太刀を流れるような剣筋でふり払いながら、次々に黒い人型を切り倒していく。稀に反撃してくる個体は、そこそこ融合が進み、鬼になりかけているものだ。その腕の一撃を左の太刀で受け、右の太刀で斬り払う。

 足を止めずに駆け抜ける。

 浄衣の袖が、翼の様に広がる。

 その背を守る様に、黒毛の巨狼が付き従い、その道を開くように純白の巨狼が影法師をなぎ倒す。

 敵が固まらないように。しかし広がって公園の外には出ないように、2匹と一人は、縦横無尽に動き回る。その後には、崩れ落ちる影法師の残骸だけが地面に浸み込んでいく。

 そして黎明。

 東の山の端から世界がゆっくりと白じみ始める。

 日の光が薄暗い公園の中に注がれ始めると、未だ無数に蠢いていた影法師は、溶けるようにその姿を散じていった。

 今日も夜が終わる。

 人々が目覚め始める、一日の始まりだ。

 全ての影法師が散じるのを確認した香穂子は、一つ大きく息を吐くと、刀を鞘に戻した。

 疲労が滲む足で、近くのベンチに腰掛け、仮面を外す。朝の静謐な空気が、汗の滲む顔に心地よい。

 その足元に白黒の狼が二頭寄ってきて、並んで腰を下ろした。

≪今日もすごかったわねー≫

≪疲れた≫

 黒、愁が大きく欠伸する。

≪絶対あたしの方が仕留めた数、多かったわね≫

 白、結衣が得意げに花を鳴らす。

≪それでいいよ≫

≪何よ、張り合いないわね≫

≪これから学校だと思うと、もう結衣と遊ぶ気力はねーよ≫

≪まぁ、ひ弱だこと≫

 結衣が笑い声を漏らす。

 いつもの二人のやり取りに、香穂子も自然と笑顔がこぼれる。

「車が来る。二人とも乗るといい。家でシャワーと朝食だ」

 その言葉に、忠犬よろしく結衣がワンッと吠えた。

 二人と一匹は公園の入り口、小林さんの車が待つ方に歩き出す。

「ところで、結衣、愁。宿題はちゃんとしておいたか?」

 見る見る二頭の耳が下がり、尻尾が股の間に巻かれる。

≪こ、これから…。…姫の見せて…≫

 何故かこういう時はハモる二人の声。

「勉強は自分の力でやらねば意味がない」

 ごもっともと項垂れる愁。

 けちーと牙を剥く結衣。

 賑やかな声が早朝の公園に響く。

 いつも通りの、当たり前の、朝の風景が広がっていた。そして今日も一日が始まる。

 狩衣と仮面は前から取扱いたい題材でした。

 無知なので、誤った表現があればご容赦願います。

 読みにくいかと思いますが、ご一読いただけたなら幸いです。

 ありがとうございました。

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