第1話:天女の羽衣はコインランドリーで回る
祖父が遺した東京の下町にある質屋『日暮堂』のカウンターで、二十四歳の坂本蓮は天井のシミを数えていた。大学を中退してから二年、引きこもり同然の生活を送っていた彼に遺されたのは、昭和の匂いが染みついた古い店舗と、大量のガラクタだけだった。
「はぁ、これからどうすっかな……」
ため息をついた瞬間、店の引き戸がガラガラと音を立てて開いた。現れたのは、仕立ての良すぎる三つ揃えの高級スーツを着た、妙に威厳のある初老の男だった。男は蓮を一瞥すると、カウンターに歩み寄り、古びた巻物をドサリと置いた。
「お主が坂本一臣の孫か。本日より、ここを『神物一時保管所・東京支店』に指定する」
「は? あの、うちは普通の質屋ですけど……」
「知っておる。先代のジジイが死んだからな、契約更新だ。神々が現世で落とした私物を預かり、清めて返す。それがお主の仕事だ。拒否権はない」
男はそれだけ言うと、煙のようにスッと消え去ってしまった。狐につままれたような気分の蓮の前に、入れ替わるようにして天井から一枚の布が落ちてきた。
それは、お世辞にも神聖なものには見えなかった。東京の排気ガスやPM2.5を吸い尽くしたかのように真っ黒に汚れ、ドブのような異臭を放つ、ただの薄汚れた布切れだった。
「うわっ、汚ねえ! なんだこれ」
恐る恐る触れてみると、頭の中に直接声が響いた。
『天女の羽衣である。東京の空を飛んでいたらビルに引っかかり、汚れて飛べなくなった。助けておくれ』
魔法も神の力も持たない普通の元引きこもりに、神様の道具を直す力なんてあるわけがない。しかし、蓮には唯一の特技があった。実家で母親に叩き込まれた、徹底的な「家事の知識」だ。
「神様だろうが何だろうが、要はただの頑固な油汚れと煤煙汚れだろ」
蓮は腹をくくった。羽衣を抱えて奥の風呂場へ向かう。洗面器にぬるま湯を張り、そこへ重曹と液体タイプの酸素系漂白剤を投入した。化学反応でシュワシュワと泡立つ液体の中に、真っ黒な羽衣をそっと浸す。生地を傷めないように、優しく押し洗いをしていくと、お湯がみるみるうちに真っ黒に変色していく。
仕上げに、近くのコインランドリーへ走り、大型乾燥機のマイルドモードで一気に乾かした。
数十分後、乾燥機から取り出した布を見て、蓮は目を見張った。
それは先ほどまでのボロ布ではなかった。絹よりも滑らかで、真珠のような淡い光を放つ、文字通り「天女の羽衣」だった。羽衣は蓮の手を離れると、嬉しそうにふわりと宙に浮き、そのまま天井をすり抜けて夜空へと消えていった。
呆然とする蓮のポケットで、スマホがチリンと鳴った。画面を見ると、見慣れないアプリが起動しており、そこには【現在の徳:1ポイント(残り99ポイントで任期満了)】と表示されていた。
「マジかよ……」
蓮は頭を抱えた。どうやら、とんでもない割に合わないバイトを引き受けてしまったらしい。しかし、胸の奥には不思議な充実感が広がっていた。これが、坂本蓮と神様たちの、奇妙な百日間の始まりだった。




