トリック・オア・トリート──彼女のいたずらが甘すぎる
お読みくださりありがとうございます。
前田奈穗と申します。
名もなき男女の、静かな日常小品です。
お楽しみいただけますと幸いです。
待ち合わせで少し早く着いたから、まだ彼女は来ないだろうと思って、男は手持ち無沙汰に空を見上げた。
その時。
にゅっ
図ったように後ろから手が現れて、目の前が暗くなった。
「だーれだ!」
唐突に耳元で聞こえたその声に、男はびくりと肩を震わせる。
振り返れば、思い描いた通りの人がそこにいた。
「えへへ、気づかなかったでしょ!」
ほんとはずっと後ろにいたんですよ。
いつもより弾んだ声。
成功したぞという上機嫌を全面に出して、したり顔で男を見上げるその姿に、不覚にも胸が鳴った。
そんなに茶目っ気たっぷりに言われてしまうとなんだか無性に悔しいが、確かに成功だった。
心なしかいつもよりにこにこしているその顔が、男の悔しさを煽るのに、なんだか憎めなくて結局いじらしい。
「……いつからいた」
「ついさっき来たところです」
目を泳がせながらそう言う彼女の鼻は、しっかり赤い。少なくとも数十分はそこで待っていたんじゃないか。
嘘と言うには可愛すぎるような気遣い。もっと早く来れば良かった。
「……っていうのは嘘で」
彼女は案外早く口を割った。笑いながら肩を竦める。
「今日は、×××さんにいたずらしたくて早くきちゃいました」
「……いたずら?」
はい。彼女はこくんと頷く。
「今のです」
だって、いっつも×××さんが早く来て待っててくれるでしょう?
たまには私が早く来て、驚かせようと思って。
──ああ。なるほど。
つい、そうは思ったものの、男はどこか腑に落ちない気持ちになる。
これをやるためだけにわざわざずっと待っていたのか? 何十分も?
そんな男の心中をさらっと笑うように彼女は、心底満足そうに、無邪気に男を見上げる。
「いたずら成功ですね!」
……早く来てよかったです。
もう外もだいぶ寒くなったのに、そんなことのためだけに。
──しかもそれ、いたずらになってないけど。
へえ、なるほどねえ。
意味ありげな男の声に、彼女がぱちくりと目を瞬く。
いたずらはいいけど、
「まあ、仕返しされる覚悟はしろよ?」
「えっ、」
さっきまで得意満面だった彼女が、途端に目をきょろきょろさせてあたふたしだした。
その素直すぎる反応に、男は笑ってしまう。別に、そんなに手ひどい仕返しはしないよ。
「行くぞ」
男が歩き出す。
「あっ、はい!」
彼女は慌てて追いかける。
あのっ、しかえしってどういうことですか?
さあな。
────────────────
一週間後。
彼と約束した食事のために、女は胸を弾ませながら待ち合わせ場所に着いた。少し早く着いてしまったので、彼はまだ来ない。手鏡でも取り出して身だしなみを整えようとすれば──。
すっ
「ぅえ?」
突然視界が暗くなった。
少しして、誰かに目を覆われていることに気づく。
ぱっと振り向けば、そこにはまだ当分来ないと思っていた彼がいた。
「あっ……!」
すらりとした長身にコートを着こなして、今日もかっこいい。彼の唇が、綺麗に弧を描いた。
「……この前の仕返し」
女の耳を、少し低い、満足そうな声が通っていく。
──やっぱり、かっこいいなあ。
思ったより早く会えたのが嬉しくて、女はぼうっとしばらく見惚れてしまう。
「……おい」
あまりにぽけっとしている女に、彼は訝しげな声で呼びかけた。
はっと我に返る。
「あっ、えっと、こんばんは!」
頭ひとつ上で、ちょっとあきれたような溜息。それでも女の照れ笑いに、彼も釣られるように頬を緩める。
「行くぞ」
むず痒い雰囲気を払拭するようなその声。そこには少しだけ、彼自身の照れ隠しも混じっているような気がして。
「あっ、待ってください!」
慌てて追いかければ、彼は振り返り、女が追いつくのを待ってくれる。
その優しさが嬉しくて、またくすっと笑ってしまう。
にこにこと見上げれば、彼はやりづらそうに目を逸らした。
「えへへ、きっちり仕返しされちゃいました」
「……君が簡単にやられるから」
「だって、全然予想してなかったですもん」
「そうじゃないといたずらにならないだろ」
「あっ、そっかあ。そうですね!」
……あれ。
「どうした」
女はぱっと男を見上げる。
でもこれ、いたずらって言うよりは──。
その言葉に、男はまた小さく笑った。
気づくのが遅いよ。
お読みくださりありがとうございました。
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